第15話 杏のやり方

 少秘警に戻って来るなり、杏は一人で諜報課に籠り出した。

 二階にある一室。『感電注意』の焦げた張り紙がついた分厚いドアを開け、移動したカバンを入り口近くに放った。


 キーボードの無いパソコンが三台並んだデスクに座り、傍らにスマホを置いた。指を鳴らし、首を回し、深呼吸した。

「車両の特定、監視カメラの映像と、容疑者のニンチャク、あとは移送先……やな」

 ブツブツと何かを呟き、手をギュッと握る。

 祈るように力を込めると、デスクを叩いてパソコンを起動する。


「やるでぇ!」


 杏の放つ雷に反応するようにスクリーンキーボードが浮き上がる。

 指紋認証でロックを解除し、運輸局の車両登録名簿に侵入した。検索を掛け、新戸の車を割り出すと杏は舌打ちをした。


「シーマ ハイブリッドやん。ええ車乗ってるわぁ」

 ──うちなんか中古のアクアやぞ。


 気を取り直し、残りの二台も駆使して監視カメラの映像を漁る。少秘警で管理しているものから企業レベルのカメラ記録をハッキングし、おおよその時間を入力して映像を再生する。

 画面いっぱいに広がる映像はとても細かく、目を凝らしても見えるようなものでは無い。だが、杏は百以上あるカメラを選別し、十台に絞り込んだ。

 早送りしていると、駅前の道路を新戸の車が通って行った。


「はーい、みっけ」


 新戸の車を見つけると、足元のラックから地図帳を引っ張り出し膝の上で開く。カラフルな色で記される道路をなぞり、新戸が通った道を推測する。

 桜ヶ丘から警視庁に行く道路は五つ、駅前を通る道路は三つ、絵画を運ぶなら安全性を選ぶだろう。なら道は一つ。

 杏はカメラを指定し、東京方面までを映した。案の定新戸の車がばっちり映っていた。


「ビンゴ〜。さっすがうちやわぁ。天才やで」

 杏が手を叩いて喜んだのもつかの間。新戸の自白通りに事故が起きた。

 青い自動車が交差点に侵入し、白い軽トラに横殴りされる。双方の運転手が車を降り、怒鳴りあっていると、新戸が仲裁に入った。

 その数分後、新戸の車に不審な二人組が近寄った。車に乗り込むと、猛スピードで交差点を曲がって逃げた。

 新戸が銃を向けたがすぐ下ろす。これは止めようがない。


「こらアカンわ……」


 新戸に同情し、映像を巻き戻す。二人組が映ったところを拡大し、映像を鮮明化する。

 くっきりとした顔立ちに青い瞳、茶色い髭の男と金髪で鼻の高い男だ。二人とも胸に青いブローチをつけている。何となく見覚えがあった。

 杏はスマホを開き、数あるアドレスから一人を選んだ。電話番号をタップし、耳に当てる。

 三コール目ででんわが繋がった。



Hi thereやあ!』

Hi thereハァイ. Come stai調子はどう?」



 流暢りゅうちょうなイタリア語で相手の男とたわいない話に花を咲かせる。

 適当に会話をしたところで杏が切り出した。

「エドアルド空港に勤めてるでしょ?最近利用したマフィアとかいない?」

『ああ、アンズはニホンの警察La poliziaだもんね。ここだけの話、一昨日出国してたマフィアがいるよ』

「もしかして『ル・マール』?」

『うん。そうだけど?』

 ──そうか。やはりイタリアンマフィアだ。

「ちなみに出国した『ル・マール』は誰なの?」

『ちょっと待ってて……えっと、イウリアーノだ』


「イウリアーノ!?」


 杏は思わず立ち上がった。

 目眩がして、椅子に倒れるように座る。

「イウリアーノっていえば『ル・マール』の幹部やで。ホンマに出国したんか……いやいや、まだ希望はある。諦めたらアカン……」

『アンズ、ニホンゴgiapponeseは解らないよ。あと、記録を見るとイウリアーノはニホンに行ったみたいだ』



「絶望さすなや!」

『だからニホンゴgiapponeseは解んないってば』



 肺の空気全てを吐き出して落胆し、諦めて盗まれた新戸の車を追う。

「教えてくれてありがとう。エドアルド」

『気にしないで。次会えたら美味しいパスタ奢ってあげる!オペラは好き?とてもいいオペラ座があるんだ!』

「うん、仕事があったら会いに行くね」

『頑張ってね!』


 電話を切り、車の行き先を地図で確認しながらカメラをハッキングする。

 車のナンバーを確かめながら追うこと十五分。車はとあるキャンプ場へと向かっていった。

「キャンプ場……千葉かぁ。県警に頼るか?でもイウリアーノ………」

 それ以上はカメラが無く、杏はカメラの時刻を確認した。九時半頃だった。車が消えてから数えて十分後。車がカメラに映った。拡大して確認すると、絵画はまだ車内にあった。

 そしてまた走らせてどこかへ向かう。地図と画面を交互に見てカメラを追う。

 次に着いたのは東京の港にある貸倉庫だった。カメラの端に車が止まる。とある倉庫の前まで行くと、一人の男が現れた。


「ホンマにか……」


 杏は画面に食いついた。そこにいたのは潜入捜査で一発浴びせたジェファーソンだった。

 三人が倉庫に入って三十分。出て来た三人は固く握手を交わし、その場で別れた。

 杏はカメラの時刻を確認した。十一時過ぎにそこを離れていた。今の時間を確認すると、十二時近い。数十分前の出来事だったのか。

 杏はニヤリと笑うと、また電話をかけた。


「ああ、南波なんばの旦那はん。いつもお世話になっとります。……ええ、ええ。そうです。借りを返して貰いとうて」



「ひとつ、頼まれてくれはりますか?」



 ***


 東京に年季の入ったバーがあった。

 腐りかけのドアに『開店』のプレートが下がり、側にある電光看板は壊れかけていて、まばらに点滅する。ここに『ル・マール』の下っ端がいると連絡があった。

 安っぽいドレスに薄いストールをかけ、水商売風の女を装う杏。

 店に入ると、聞いたことも無いバラードが流れていた。カウンター席では二人の外国人が酒をあおり、上機嫌で話をしていた。

 杏が男達から離れた席に座ると、マスターが棚に並ぶ酒瓶に手を伸ばした。杏は小指で口紅を軽く拭う。マスターはその仕草に、黙って烏龍茶をグラスに入れて差し出した。


「最高の取引が出来たな」


 イタリア語でそう言うのが聞こえた。

「ああ、あんな気前のいい取引先はねぇよ。なんてったって40億(日本円にして)だぜ?!」

「そうだよな。それに最新鋭の武器までくれるってんだ。大した男だぜ」

「あの絵がこんな幸福をもたらすたぁ、さすが『創造主ダ・ヴィンチ』だ。おかげで『ル・マール』は世界最強のマフィアになれるんだ!」

 ──脳内お花畑がこんな近くにいるなんて。

 杏はクスッと聞こえるように笑った。

 下っ端が杏に顔を向けた。杏は微笑んで手を振った。豊満な胸をカウンターに乗せると男の表情筋があからさまに緩む。


「ゴメン。あまりカコよかったカラ、見てたネ」


 わざとカタコトでイタリア語を話すと、下っ端は「イタリア語喋れるのか?」と聞いてきた。

 杏はグラスを持って近づき、「チョトだけ」と隣に座った。

 男は近づいてきた巨乳に露骨に鼻の下を伸ばす。

「おねーちゃん可愛いね。飲んでるのウイスキー?結構いけるの?」

「エヘへ、お酒スキ。オニーサンたちもステキよ。お仕事、何シテル?」

「俺達の仕事知りたいの?じゃあ飲み比べしようぜ。俺達に勝てたら教えてやるよ」

「ホント?ワタシ負けたらキスしてあげるネ」

 両手で頬杖をつき、胸の谷間をちらりと見せて、杏は男を誘った。艷めく胸に魅せられた男は唾を飲み込む。

「おお、いいぜ。潰れないようにな」

 男たちはそう言ってウイスキーを頼んだ。杏はニコッと笑ってグラスを空にし、おかわりをもらった。男たちは杏を潰そうと作戦を練り始めた。

 ──チョロい。


 杏はグラスを受け取り、彼らが自滅するまでをじっと待った。


 ***


「おらぁ!」


 路地裏から聞こえる声。

 男は少女の蹴りで簡単に吹き飛ぶ。

 ゴミ箱に腰を打ちつけ、路上に吐瀉物としゃぶつを撒き散らしてもお構いなし。杏は男が降参するまで殴り続けた。

「早く言いなさい。『ル・マール』はいつジェフに絵を引き渡すの?」

 胸ぐらを掴み、イタリア語で脅すも男たちは口を開かない。酒とゲロ臭い口を嗅がせるだけで言葉を発しない。

 男を振り回し、遠心力で壁に叩きつけた。ヒールでみぞおちを踏みつけて「早く」と急かした。



「明日の……夜十一時だ…………」



 ゴミ箱に埋められた男が答えた。

「東京の……港にある、貸倉庫で……」

「それ本当?」

 杏が隠していた銃を突きつけると男は手を挙げて「神に誓って」と返した。

 杏はそう、と男の言葉を信じると迷わず引き金を引いた。一発の銃声が路地裏に響く。

 男はゴミ箱で眠りについた。杏の足首を掴んでもう一人が言った。



Diavolo悪魔め…………!!」



 杏は銃口をそいつに向けた。



Forse così多分そうね



 もう一発の銃声が響いた。

 杏は動かない男を見下ろして髪をかきあげた。

 胸を見せれば簡単に釣れて、足をチラつかせれば簡単に落ちる。全てがそうとは限らない。きっと、こいつらが単純だっただけなのだ。そう思っても杏の目には弱々しく見えていた。

「骨のある奴と遊びたいわぁ。……てか、署長に怒られへんかな」


 ぐっすりと眠った男を運ぶ算段をつけていると、いつの間にひととせが背後に立っていた。


「絶対怒られるだろ」


 杏は驚いたが、すぐ冷静になった。銃をしまい、ひととせと男を車に運ぶ。

「よう分かったなぁ。あんたには言うてへんかったやん」

「分かるよ。風は噂好きなんだ。骸くんほどじゃないけど、知りたいことは教えてくれる」

「あっそ。とりあえず、署に運んだろ」

「今日の当直、お菊警部なんだけど……」

「……酔っ払いが絡んだって言えばええかな」


 言い訳を考えながら署に向かう。暗い助手席で外の明かりを眺めた。

 街灯が近づいては遠ざかる。都会の空は夜でも明るいはずなのに、寂しさが込み上げる。

 杏は自分の腕を抱き、前を向いた。

 暗闇に桜の木が小さく浮かんだ。

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