第12話 絵の内の真実
影が歪んだ。
暗く波打つ闇が誰かを呼んだ。
伸びた手をひととせが掴んだ。「いらっしゃい」と絵の具塗れの手を。
影から現れたのは絵馬だった。その後ろには陽炎もいる。絵馬は重いキャンバスを引きずって舞台を見下ろした。
杏は赤獅子から目を離す。銃を下ろし、衰弱した赤獅子を捨て置いた。陽炎は黙々と絵馬が客席の残骸にキャンバスを立てるのを手伝った。
赤と黒がベースの絵は、薄暗い会場で光を放っているかのように錯覚させた。燃え盛る炎が今にも動きそうで、恐ろしさを感じさせる。
キャンバスが立つと、絵の炎はゆらゆらと揺れ、火花を咲かせた。炎は唸り声を上げて赤獅子を呼んだ。『我が腕に戻れ』と。
共鳴するように赤獅子も吠えた。瓦礫を払い、傷ついた身体を振るって細かな塵を落とす。絵馬がキャンバスを指で叩いた。
「……帰れ。『赤獅子』」
赤獅子は後ろ足で地面を蹴って跳躍し、稲妻のように真っ直ぐ走っていった。
キャンバスに前足がつくと炎が噴き出し、赤獅子を柔らかく受け入れた。赤獅子は最後に咆哮を残して消えた。
熱風が体を突きぬけ、冷たい空気が体をなぞる。杏はキャンバスの前まで歩み寄る。
炎を従える赤い獅子。その爪が会場を裂き、その牙が通路先の従業員を砕いた。先程までの騒動も、たった今起きたことも、全てが幻だったのではと思えた。そう思いたかった。
「はぁ、終わりましたか。龍眼寺副署長殿、オークション主催者はこちらで拘束させていただきます。会場にいた客も同様に。まあ、盗品の照合は協力しますが」
「うむ。それは構わん。じゃが今回の件、絵馬の逮捕は無しじゃぞ。作者という以外に何の関わりもない。能力の発動とて事故じゃ」
「立ち会ってしまった以上、偽る気はありません」
ひととせは絵に目を寄せ、胸を撫で下ろした。そして通用口の奥に首を向ける。
新戸は被害者が三人出ました、と情報を共有した。三人とも重傷だがエレベーターで地上に出したという。腕を失った者が出たものの、今のところ訃報はないと。
陽炎は安堵し、皆に帰るように促した。だが杏は一人納得がいかない。
今日盗まれた絵画の件が解決していないのだ。
盗まれて捜査して、オークション会場に来てみれば別の絵で。
そもそも、今日盗まれた絵が即日オークションなんて、そんなに上手くいくのだろうか。
それに絵画を盗んだのは
一体絵画はどこに行ったのか。
釈然としないままエレベーターに向かう途中、終始無表情の絵馬が絵画を愛おしいそうに撫でた。
「……これで全部」
『違和感を探すんだ』
突如としてひととせの言葉が脳裏をよぎる。今日あった一連の出来事が走馬灯のように流れ出した。自分でも驚く程に鮮明な記憶に違和感を見つけ出し、その答えが何かを理解した。
杏が導いた答えは、先頭を歩く陽炎たちに拳銃を向けること。
良く手入れされた拳銃が青白く雷光を放つ。ひととせは振り返らずに「物騒だよ」と両手を上げた。
陽炎も釣られて足を止める。
ひととせが振り返ると、杏は引き金に指をかけた。指先から伝わる電流に、拳銃は奮い立って雷撃の準備をする。
「あんたらやろ。美術館で絵ぇ盗んだんは」
「どういうこと?」
「しらこいマネすんな。『違和感を探せ』言うたんはひととせやで」
ひととせは反論の術を探したが、結局見つからずに「すみません」と陽炎と新戸に頭を下げた。
陽炎は感心して杏に問う。
「どうしてそう思ったんじゃ?」
「警備会社に頼む警備を何故か警視庁がやっとる。しかも警備体制雑過ぎで。変なじいさんは異様に逃げ慣れとるし、うちが近づいたあの間合いを完璧に把握しとってスプレーかけてきた。決定的なんは煙幕や。改造された発煙弾をすぐ見抜ける訳があらへん。最初は眠り薬疑ったで。なのにひととせは『ただの煙幕や』って言うたんよ。それって中身知っとるからそう言うてんねやろ」
更に畳みかけた。その心臓を抉り出すように。
「あんたら、グルで盗んでんねやろ」
ひととせは陽炎と目を合わせ、観念したように頷いた。陽炎も両手を上げて「すまん」と笑った。
「何でこないな事したんや」
「ごめん。絵馬くんから相談を受けてたんだよ」
ひととせは経緯を説明した。
絵を描いた際に能力が発動してしまったこと。書き直す間もなく美術館に展示されてしまったこと。そして、館長が美術展が終わっても返す気がないことを。
「彼の能力は知ってるね?」
「当たり前や。『描いた絵を具現化する』こと。自分の絵画を実現出来る……」
「ちょっと違う」
ひととせは『赤獅子』を見下ろして訂正した。絵馬の能力は条件がある、と。
「絵馬くんは『自作かつ自分でタイトルをつけた絵を具現化出来る』んだ。つまり、自作だけど他人がタイトルをつけると能力は発動しないんだ」
絵馬は軽く頷くと、赤獅子を撫でた。揺らめく炎の中で赤獅子は絵馬に頭を差し出す。
「……館長に渡した絵は、その場で自分でタイトルをつけた。だから困ってた。美術展期間はまだあるし、能力を制御するためにずっとそこに居るわけにもいかないし」
「それで、俺たちが初日で盗んで残りの期間を能力の無い代用品にしようとしてたんだけどね」
まあ、納得した。能力が関わっているなら仕方がない。だが、そこに新戸が絡む理由がわからない。
警察と少秘警は対立関係で、警視庁は特に少秘警を良く思っていない。警視庁の人間を巻き込むなんてどういうことなのか。
それには新戸が答えた。
「能力事件を未然に防ぐ為に協力を、と言われまして。警視庁は化け物と関わるのはごめんです。ですが、お宅の署長さんが『能力者の仕事を見て欲しい』と言うので、監視役として参加しました」
そう言うとメガネを押し上げ、眉間にシワを寄せた。ずっと不満があったのだろう。帰りたいと言わんばかりにエレベーターにつま先を向ける。
杏は納得し、拳銃を下ろした。終わったんならもういいや。今日はもう帰って全部明日に回そう。
血飛沫の廊下を通り、エレベーターに乗った。
取り調べも鑑定も全部警視庁が行うだろう。なら自分がやるのは報告書の作成だけだ。
───と、本気で思っていた。
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