第11話 獅子と雷
一本一本に命が吹き込まれた
アトリエで見かけたことがあった。彼はその絵を『赤獅子』と呼んだっけ。
まさかその絵が能力で描かれていたなんて。
しかも、盗まれていただなんて。
「ひととせ!通用口から客を避難させぇ!多分奥にごっつええエレベーターあるで!新戸はんはひととせのサポートや!主催者縛るん忘れんといて!」
リボルバーの撃鉄を起こしながら指示を出した。
新戸は背広から手錠を出すと主催者の元へ走っていった。ひととせは赤獅子の様子を窺いながら誘導を始めた。
杏は赤獅子と睨み合った。お互いに目を離さず、一歩また一歩と円を描く。時間をかけて半周した頃、新戸が通用口から顔を出した。
手首に輪をかける仕草をし、右手で通用口の奥を示して左手の指を五本全て立てた。そして右手の人差し指で
それだけで十分伝わった。しかし、杏は赤獅子から目を逸らしてしまっていた。
赤獅子は首を回して吠え、客に目を寄せる。女性客が悲鳴を上げてしゃがみ込むと、赤獅子は牙を剥き出し、生暖かい空気を女性に当てた。
杏は銃を二発撃った。銃声に驚いた客が悲鳴を上げ、赤獅子を刺激する。赤獅子が迫ろうとした。それと同時に杏の怒りが噴火した。
「拳銃怖いんやったら盗品
杏の怒号も赤獅子を刺激していた。客には効果てきめんで、誰も言い返しもせずに口を噤んで誘導に従った。
噴火が収まった杏は赤獅子に銃口を向けながら、客席を飛び跳ねて舞台袖に移動した。また二発撃つと、赤獅子は咆哮と共に杏に突進した。
鋭い爪を振りかざし、杏が床を転がり避けると壁を砕いて粉塵を巻き上げた。
瓦礫を踏みつけて歩み寄る赤獅子に杏は二発撃った。赤獅子は前足をゆっくりと上げて杏を踏みつけた。だが、杏は赤獅子の前足を横から叩き、僅かに着地位置を変えて逃れた。
床は亀裂が入り、クレーターか! と言いたくなるような窪みを作った。赤獅子は杏から視線を外した。杏の後ろではまだ避難中のひととせがいた。
赤獅子は一つ吠えるとそちら側へと駆け出した。杏がひととせに注意を呼びかける間もなく爪が襲いかかる。
「まだ遊べないよ」
爪はひととせに当たらなかった。
それどころか避難中の列の手前を貫いて被害は無かった。
ひととせは警棒を握っていた。疲れたようにそれで肩を叩き、奥にいるであろう新戸にひらひらと手を振った。
「皆さん落ち着いて、奥のメガネの人について行ってください。エレベーターは十人までだそうです。大丈夫ですよ。ちゃんと地上に出られますから。でもちょっとだけ急いでくださいね。この通路に出るまでで結構ですから」
慣れた手つきで警棒を振り、笑顔で安心させながら客を奥へと避難させる。それを待つはずもなく、赤獅子は再びひととせに牙を向く。
ひととせは呆れた表情で振り返った。
「だから、遊んでる暇が無いんだってば」
若干怒りのこもった声でそう言って、爪を警棒で受け流し、その横顔を薙ぐ。赤獅子が倒れた隙に避難を急ぎ、赤獅子が起き上がると顎を叩いてひっくり返す。
赤子の手を捻るその技に杏はぽかんと口を開ける。自分は要らないんじゃないかと心が囁くが、ひととせ一人に無理はさせたくない。 杏は空になったリボルバーを投げ、赤獅子の尻に命中させた。
ひととせが「ふっ……」と笑う手前で赤獅子が杏に矛先を変えた。
──悪気はないけど、ええ
咆哮が会場を揺らした。そのあまりの大きさに耳を塞ぐ。赤獅子が床を砕きながら襲ってきた。
杏は避難の残りを数えると、オートマチックの麻酔銃に切り替えた。さっきまで使っていたのは火薬だけの玩具だった。
三発、赤獅子を撃つが振った前足が弾を全て払い除けた。跳ね返った弾は天井やら客席やらに飛んでいった。
思った通りだった。もし最初から麻酔銃を使っていたら、はじかれた弾丸が客に当たっていただろう。そうなったら眠った客が邪魔になり、避難が遅れて被害が出た。
杏は選択を間違えていなかったと確信した。
だがまだ避難は終えていない。油断は禁物だ。
赤獅子から距離を取って数発を眉間に命中させた。だが弾は床に落ち、赤獅子に踏み潰された。
杏はすぐに次の銃弾を撃ち込む。赤獅子は弾を弾き飛ばしながら突進してきた。杏は客席の通路に逃げると、身を隠して射撃を続ける。
でも相手は剛力の赤獅子。固定されている客席をボルトごと破壊して目と鼻の先に迫った。
伸ばしていた腕が赤獅子の口の中に入った。生暖かい空気と湿った匂いが恐怖心を煽る。
──ヤバい。喰われる。
「いやぁ、尻尾がモフモフだ〜」
間抜けた声がした。赤獅子が後ろに爪を振り下ろした。ひととせが赤獅子の尾を掴んでいたのだ。風に踊るように避け、赤獅子の鼻を手の平で突く。
赤獅子が後退すると、ひととせは落ちている座席だったものを拾って投げつけた。
「さぁさぁ、こっちにおいで。遊んで欲しかったんだろ?」
そう言いながら右手にはしっかりと警棒を握っていた。赤獅子がひととせに集中すると、後ろから新戸が杏の腕を引いた。
「大丈夫ですか?」
新戸が拳銃を片手に杏を赤獅子の死角に隠す。
杏は赤獅子の様子を窺いながら弾倉を取り替えた。新戸は赤獅子をじっと見て言った。
「あれはどこから出てきたんですか?動物園とか近くにありませんけど」
「あれは『絵』や。言うたやろ。絵馬の能力は『絵を具現化する』才能型の能力。絵馬が創り出した絵から出てきてんねん」
「昔話そのままじゃないですか。もっとも、あれは実際に出てきていませんがね」
「
杏は客席を飛び越え赤獅子の視界に入ると足に集中射撃した。だがやはり銃弾を跳ね返す。
赤獅子がゆっくり顔を杏に向けた。唸り声を上げて双眸に杏を捕らえた。
杏は絶えず銃声を響かせて舞台へと駆けた。赤獅子は爪で客席を裂き、太い脚で物を薙ぎ、壊れた瓦礫や椅子を飛び散らせて舞台へと迫り来る。
杏は天井に一発撃つと、拳銃を下ろして床の飛び出した部分に足を引っ掛けた。
赤獅子が好機、と言わんばかりに爪を伸ばす。薄暗い照明に白い爪は輝いて見えた。それは目と鼻の先にまで届いた。
風が吹き上げた。足元を攫うように風は渦巻き、段々と強さが増していく。瓦礫が浮き上がり、赤獅子の体も風に乗せられた。杏は足で踏ん張って飛ばされまいとする。新戸は近くの客席にしがみつく。吹き荒れる強風の中でひととせだけが風の影響を受けなかった。
「遊んで欲しかったんだろ?」
ひととせが手を前にかざし、握りつぶす動作をした。すると風は一層強まり、周りの瓦礫をひとつ残らず巻き込んで大きな竜巻を作り上げた。竜巻の中で赤獅子は瓦礫に揉まれ、瓦礫自体もぶつかり合って小さな礫となる。
ひととせが拳を引くと、竜巻は細くなり床に穴を開ける。礫に貫かれ、赤獅子はもがくことをやめると、ひととせは警棒を横一閃に振った。
竜巻は斬られたように収まり、赤獅子が砕けた礫の下敷きとなった。
風が止んで静かになり、ひととせは満足そうに頷くと、スマホでどこかにメールを送る。
杏は赤獅子が出てこないのを確認すると、背中を向けて大きく伸びをした。
がらん、と礫の山が崩れた。
くの字に曲がった体。岩で殴られたような感覚の直後、全身が壁に叩きつけられて悲鳴をあげる。
腕が上がらなくなるほどの脇腹の痛みが身体を巡り、血管が浮き出るほどに脈打った。
ドレスは裂け、玉のような肌が露わになった。軋む首を動かして前を向くと、瓦礫でもみくちゃにされたはずの赤獅子がいた。
「ぐっ………──」
前足が腹に置かれ、爪が肉に食い込む。
痛みと重みで動けず、杏は赤獅子の鋭利な牙を見つめた。
最期の景色が獣の口とか、嫌すぎる。
そう奮い立ち、力の入らない腕で拳銃を赤獅子に密着させて発砲した。だが弾は床を転がって終わり。赤獅子になんのダメージもない。
──いや、強すぎるやろ。BB弾ちゃうねんで。お巡りさんの麻酔銃やぞ。象さえ寝かすんやぞコレ。
杏の中で熱いものがふつふつと湧き上がってくる。鼓動が強まり、視界が安定しなくなる。
聞き慣れた発砲音より、暗い音が響いた。
揺らぐ視界の先には新戸が銃を構えていた。
「くっそ!実弾もダメか!」
それでも新戸は赤獅子に銃を向け続けた。
赤獅子は見向きもせずに杏に口を開く。垂れたヨダレがドレスに染みた。温かいヨダレがねっとりと肌にまとわりつく。
自然と口角が上がり始めた。
腹の底から笑えてきて、どんなに堪えても抑えられなくなった。
杏は体を震わせ、拳銃を投げ出した。ひととせは杏を見るなり、両手を上げて舞台から更に距離を取った。新戸が杏の側へ行こうとした。
「いった……!!」
新戸の背中に火の粉が散った。パチッと弾ける音が鳴り、新戸は反射で音源から離れた。
照明が火の粉を散らし、激しく点滅していた。赤獅子の上に電圧に耐えきれなくなった照明が落ちた。赤獅子が飛び跳ねて避ける。
杏がおぼつかない足で立ち上がった。
──骸の言う通りだった。やはり、自分の拳銃が必要だった。
杏はドレスの裾を裂き、ミニスカート丈で結んだ。太もものホルスターから二丁拳銃を取り、ホルスターを床に捨てた。
金属が剥き出しのグリップを握り、銃口を赤獅子に向けた。杏の指先から青白い閃光が走った。
「ようやってくれたなぁぁぁ!」
赤獅子が見えない力に吹き飛ばされた。舞台の向こう側に打ちつけられて瓦礫を被る。
銃口からは閃光が空気を裂いて駆け抜ける。杏の髪もパリパリと音を立てた。
引き金に指をかけると銃口に青白い光が溜まり、大きな球を成す。
狙いを定め、引き金を引くと、青白い球が放たれて赤獅子の眉間を貫いた。
噴き出した怒りが雷となって拳銃に宿る。感情が高ぶるほどに威力は増す。照明が一部を残して皆散った。薄暗い会場がさらに暗くなる。
赤獅子が遠くから歯牙を向けた。その一秒後には壁に磔にされた。
烈火のごとく放たれる雷電の雨。目にも留まらぬ早業で赤獅子に息さえさせない。
潜入用のドレスが一着ダメになった。脇腹に食らった一撃が腹立たしい。麻酔銃を受け付けないとか反則だろ。ヒールが欠けて足元が安定しない。ヨダレがついて気持ち悪い。臭い口を何度も嗅がせるな。瓦礫に埋もれたなら出てくるなよ。力でねじ伏せれば人間なんてって思うな。女が相手だから勝てると思ってたのか?
馬鹿にしやがって───!!
理不尽にも近い怒りが脳内を巡っては拳銃から吐き出される。全てはこの一言に尽きる。杏は赤獅子を見下して吐き捨てた。
「いてこますぞボケ」
「……それは困る」
暗闇から手が伸びた。
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