第10話 実体化する絵

 紫色の夜が来た。

 青白い月が空の色によく映える。月の周りを飛び回る星の輝きが幻想的で、夢と現実の境が曖昧になる。影が深く濃く伸び始めた。


 都心にある、ありふれたテナントビル。地下一階の機械室を抜け、更にエレベーターで地下へと潜る。金属の軋む音とチェーンと歯車の絡む音、それらを聞きながら揺れることしばらくして、金網から覗く鉄の壁が開けた。

 青紫の証明が照らす広い会場が現れた。高級そうな椅子が小さな舞台を中心にして半円上にずらりと並び、舞台の脇は黒幕で通路を覆っていた。

 杏とひととせは入口で受け取った仮面をつけ、会場に入った。既に点々と人は入っていて、良席を確保する者や客同士で会話する者が時間までの優雅な暇潰しをしていた。


「お飲み物はいかがですか?」


 ウェイターが飲み物を持って現れた。

 カクテルをのせたトレーを差し出し、「お好みのものがあれば」と微笑んだ。

 ひととせが断ろうとしたが、杏は「気が利くわね」と青いカクテルを手に取った。黒いドレスから大胆に露出した胸を見せつけ、赤い唇をなぞった。

「No.3はどれにするの?」

 仮面の小さな番号でひととせを呼んだ。ひととせは仮面越しに睨まれると、燕尾服の尾をなびかせてオレンジのカクテルを受け取った。

「ありがとう」

「開始時刻までまだ時間がございます。ごゆっくり下さいませ」

 ウェイターは深く礼をして他の客にカクテルを配りに行った。ひととせはカクテルをじっと見つめてため息をついた。

「飲んじゃダメだからな」

「分かっとるわ。何回潜入してると思っとんねん」

 杏はグラスを揺らしながら会場を回った。

 照明の位置、散水装置や通用口とその構造、違和感のないように振る舞いながら空間の把握に努める。席を選ぶように座席を回っている時だった。


「No.12さん」


 突然声を掛けられた。振り向くと、『No.48』の仮面をつけた男性が立っていた。細身にスーツが良く似合う男性だ。杏に真っ直ぐ近づいて来ると、グラスを取り上げた。


「未成年は飲酒禁止です」


 小声でそう言った。そしてカクテルを飲み干し、巡回していたウェイターにグラスを返した。

 杏は今日聞いたその声に、露骨にうんざりした。


「………新戸はん、何で来てるんや?」

 ひととせが新戸の後ろから現れ、「ごめん」と手で合図を送った。どうやらひととせが呼んだらしい。杏は長めにため息をつき、髪を梳いた。

「絵画の奪還は我々警視庁も協力せよと、あなた方の上司に言われていますからね。まさか連絡が来るとは思いませんでしたよ。邪魔だと言って除け者にすると思っていましたので」

「うちはそのつもりやってんけどな」

「闇オークションがどんなものかよく分かんないから、チンピラ雇われてても困るし?面倒ごとは人手が要るから」

「はぁ……潜入はうちの専門やから、うちに従ってもらうで。新戸はん、足引っ張らんといてな」

「そのつもりです。あと、私はNo.48ですから」

 新戸は仮面をなぞり、ひととせのカクテルを没収した。グラスを空にして、「あなた達は……!!」と指をさして怒りを表す。


 七時に近づくにつれ、同じ仮面をつけた客が続々と集まってきた。皆が席に着き、今日の商品について予測を語らう。

 杏たちは舞台から三列目の席を取り、ざわめきに混ざって機会を窺った。新戸が「どうして三列目を」と小声で聞いた。

 一番手前は主催者から警戒されやすい。そうでなくても前から二列目までは警備の手が届く位置だ。三列目なら逃げるだけの時間は確保が可能な上に、客席を逃げ回っての撹乱も出来る。その旨を伝えると、新戸は感心したように腕を組んだ。

 オークションハンマーのが会場内に響き渡った。

 羽付きの派手な仮面をつけた主催者が舞台に上がり、深々と礼をした。


「皆様、本日はお集まり下さって誠にありがとうございます」


 座席の下の番号札を取り、主催者がルールを説明し始めた。


 落札は手元の札を挙げながら。それ以外の落札は認めない。

 落札した商品はオークション終了後に受け渡し。商品には番号のラベルを貼って本物証明をする。

 商品の落札はいくつでも良い。

 オークションのことは口外しないこと。



「もしこれらの約束を破った場合、お客様を消させて頂きますのであしからず」



 ───脅迫罪になるかな。手錠出しとく?

 ───脅迫罪ですね。現行犯です。

 ───ルールやから脅迫とちゃうやろ。でも逮捕案件やわ。


「では、オークションを開始致します!」


 主催者の高らかな宣言でオークションが開始した。拍手喝采の場内で、三人だけが気を張り詰めて主催者を見つめていた。


 ***


「800万からのスタートです!」


 最初に出てきたのは掛け軸だった。

 竹やぶに振り返るように描かれたきじが、竹やぶの向こうを警戒しているようだ。

 あちらこちらから札が上がり、落札額は2000万。最初にしてはハイペースだ。

「確かに、いい商品です。年代的に古い割には、傷もなければ色落ちもない。遠目でも本物だとわかりました。質屋で売るよりも高値で売れますね」

「新……No.48さん、詳しいですね。なんか意外でした」

「父が鑑定士なんですよ。私も昔は鑑定技術を叩き込まれました」

「ほんまに意外やわぁ。何でお巡りさんになっとんねん」

 新戸は笑って誤魔化した。


 次に舞台に上がったのは小さなツボだった。光沢のある土器色かわらけいろの曲形に金箔が散りばめられている。

「20万から!」

 主催者が金額を提示したが、反応が鈍い。歴史的な価値も使い道もない、せいぜい梅干しを入れておく程度のツボに、周りもあまり手が上がらない。



「45万!」



 杏が札を挙げた。その直後にハンマーが叩かれる。ひととせが「ちょっと!」と慌てて杏の手を下げた。だが、これでいい。


 警護課は『違和感を探して』仕事をする。

 諜報課は『違和感を消して』仕事をする。


 潜入において恐るべきは、仕事を始める前に正体がバレること。土壇場で覆すことだって出来るだろうが、仕事先は敵の領域だ。スパイがその場で殺されるなんてよく聞いた。

 気配を消して、周りに溶け込み、隙を突くのが諜報課の基本だ。

 ひととせもそれに倣って次の商品で札を挙げた。新戸は落札行為こそしなかったが、二人を交互に見て感心した。




 最後に差し掛かると、主催者は急にもったいぶって話し始めた。


「えー皆様、本日の最終商品且つ、目玉商品となりました。今日のオークション、失礼なれど今までの商品は前座でございました。ああ!お怒りにならないで下さい。これは本当に良い品ですから」


 そう言ったが、肝心な商品は出てこない。

 主催者は近くの従業員を急かし、どうにかトークで時間を稼ぐ。

「皆様はご存知でしょう。かの有名な『絵を縛る創造主ダ・ヴィンチ』!!彼の作品が今日!なんと!出品されたのでございます!」

 周りから熱い歓声が上がった。

 待ちきれないと言わんばかりに身を乗り出す者や、フライングで札を挙げる者が出るくらいだ。

 かなり人気だという情報、本当だったのか。

「皆様、落ち着いて下さい。まだ金額を提示していませんし、商品をみせていませんよ。さぁ今来ますからね。お待ちかねの……───」





「ぎゃああああああああああああぁぁぁ!!」





 通用口の方から悲鳴が上がった。

 会場が一気に静かになり、段々とざわめきが大きくなる。主催者も他の従業員に様子を見に行かせたが、行くたびに悲鳴が上がり、従業員は戻ってこなくなる。


 ひととせが反応した。

 杏も遅れて鉄の匂いを嗅ぎとった。

 重量感のある足音と、壁に何かが擦れる音が近づいてきて、会場が微かに揺れた。

 通用口からのっそりと現れたのは赤い毛並みのライオンだった。毛並みに同化して分からなかったが、口元は血で汚れていて、まだ骨を噛んでいる。

 主催者は腰を抜かし、動けなくなってしまった。客もまだ状況が飲み込めていない。

 ひととせは仮面を外し、青ざめた顔で呟いた。


「『赤獅子』だ……」


 赤獅子は会場を睨め回し、地震かと勘違いしてしまうほどの雄叫びを上げた。

 それを皮切りに、パニックに陥った客が我先にとエレベーターに押し寄せた。

 だがエレベーターは重量制限を軽く超え、鎖が千切れて動かなくなった。更にパニックになる客に赤獅子がゆっくりと迫る。

 杏は仮面を外してすべき事を整理した。

 こういう時こそ冷静になれる。場を掻き乱し、気づいた時にはもう消える。それが当たり前の杏には、やるべき事はもう頭の中で解決済みだ。


「よっしゃ、ここから100パーでいくでぇ!」


 敵を見据える虎のように、赤獅子を睨んだ。

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