路地裏の猫

第9話 情報処理課の新人

 ほんの一瞬だった。

 赤い服の老人が落し物をして、すぐに。

 数秒で辺りは煙に包まれた。

 慌てふためく人々どころか、絵が盗まれる瞬間も見えない。悲鳴と、警報音と、辛うじて聞こえた絵画の外れる音だけが記録されていた。

 監視カメラなんて何の役にも立たなかった。



「あーもう!アカンわぁ!」



 杏が大声で叫び、机を叩く。

 ひととせは向かい側でトラックのナンバープレートを照合していた。


 少秘警──諜報課

 天井に吊り下げたロープの上を綱渡りする写真と、壁全体を覆う数十年前から今日までの新聞の切り抜き。端の方に寄せられた長テーブルはごちゃごちゃに置かれたUSBメモリと雑誌が占領していた。

 昔の新聞社のような部屋の真ん中。二台向かい合わせて並べた事務机も地図やターゲットの詳細情報で山積みになっていた。


「もうちょっと掃除したら?俺の所もそれなりに汚いけど、せめて書類は片付けてるよ」


 ひととせはキーボードを叩きながら苦言を呈した。杏はカメラの映像を切り、書棚のファイルを手に取った。

「そう言われても、諜報課は何かと出入り激しいんよ。スペイン行って帰ってきたらすぐアメリカ、ほんでまた帰ってきても『次はインドや〜』『国内や〜』って過労死するわ。それに汚さやったら刑事課の方がごっついやんけ」

「あれは襲撃じゃん……」


 ひととせは「おっ」と声を上げると、パソコンの画面を杏に向けた。


「あのトラック盗難車両だ。会社の方から被害届が出てる。一昨日の昼過ぎから帰ってこないってさ」


 杏はそれを聞くなりファイルを開き、国内外のオークション会場を調べた。

 何ページにも及ぶ住所と主催者名簿をひとつひとつ確認し、場所を絞っていく。

 ひととせはファイルを覗き込んで渋い顔をした。

「……これ、全部読む気?」

「せやで」

「絵画だよ?オークションに出すかな」

「絵画を盗むってゆうたら大体は富豪かコレクターに売却かオークションや。質屋なんかに売れるわけあらへんし。有名な絵画は莫大な金になる。倍以上の金欲しさやったらオークションに出した方がええからな」

 ただ、杏が心配なのは絵画の行方が掴めなくなることだ。オークションに出品されればいいが、されなかったら時間をかけることになる。

 それが不安だ。盗難を知らない他人の手に渡れば取り返せない場合だってある。

 そうなると絵馬が不利益をこうむることになる。一刻も早く取り返さねば。

 だが国内外にある会場は、大小問わず星の数ほどある。広大な宇宙を漂う石塊いしくれから正解の石を見つけろなんて不可能に等しい。

 杏は美術品関連の会場を絞り、出品傾向から確率を割り出していく。

 それと同時に絵画を買いそうなコレクターや富豪の名簿を出して名前を暗記する。

 途方もない作業を、ひととせがファイルを閉じて遮った。




「もっと簡単な方法があるんだけど」




 ***


 少秘警──情報処理課

 人気のない綺麗な廊下を突き進む。

 ひととせが先頭に立ち、杏を黙々と歩かせるのは警視庁でもなく路地裏でもなく、少秘警の部署。

 なんでここなん? と考える杏にひととせは口を開いた。


「盗んだものをさぁ、正規の手順で売る犯罪者を見たことある?」


 俺はないけど、とひととせは笑った。

 言われてみれば、表の場で盗品を捌けばたちまち警察のお世話になる。それに「これは盗品です」となんて言って売れば、値下がりは免れないし、そもそも買い手がつかないだろう。

 だがそれがどうして情処課に繋がるのだろうか。杏にはまだ理解出来なかった。

「せやかて、零君にも頼れんやろ。事件起きたんは今日のことやで。情報が回るわけないやん」

「違う違う。頼るのは彼じゃない。薫ちゃんたちが連れてきた


 廊下を左に曲がり、奥まった一室に着くとひととせが口元に指を持ってきてあざとく言った。


「蛇の道は蛇ってね」


 連れてこられたのは第三サイバー対策室だった。

 三度ノックしてドアを開けると、ひととせは奥の方に手を振った。

 パソコンは無く、対策する気のない白い部屋の奥で、紫色の髪が揺れた。

 制服の下にパーカーを着て、忙しそうにシャーペンを動かしている。綺麗に整えられた頭を痛そうにさする少年はひととせの顔を見るなり、嬉しそうに立ち上がった。


「あっ!ひととせくんだぁ!」

「やぁ骸くん。少秘警ここには慣れた?」


 情報処理課所属──桜木骸と仲良くハイタッチするとひととせは骸のノートを見た。

「あー、日本史だ。もう中三レベルまで進んだんだな。前まで中一じゃなかったっけ?」

「先週から始めたんだよ。お菊けーぶが『飲み込み早い』って褒めてくれたんだ。でも今朝ゲンコツ貰っちゃったけどね」

「何かやったんだろー。悪いことはほどほどにしなさい」

「うん。次はバレないようにする!」

 ──いや、止めろや。


 骸は杏を覗くと、ひととせに「あの人誰?」とこっそり聞いた。

 ひととせは杏を紹介すると、骸は無邪気に握手を求めた。

「えっと、桜木骸です!数ヶ月前に少秘警に来ました。よろしく」

 杏はその手を握り、ひととせに視線を送った。

 ひととせはその意図を察すると、骸に「聞きたいことがあるんだけど」と切り出した。

 骸は心底嫌そうな表情を浮かべ、「嫌だ」と聞く前に拒否をする。

 骸は傍らにある長テーブルに寄りかかり、頬を膨らませた。


「聞きたいことは分かるよ。どうせ『お肉の二割引と卵のタイムセールを同時にやってる店』とか『新鮮な魚を扱ってるレストラン』とかそういうのなんでしょ!全く、少秘警に入ってから扱うがちゃちくなった!」

「えっと、ごめんね?うちの弟が」

「よぅわからんけど薫が関わっとる気ぃするわ。なんかすんません」


 ぷりぷりと怒る骸にひととせは「でもねぇ」と言った。怪しい笑みを口元に乗せて。




「用事があるのは『チェシャ猫』の方なんだ」




 骸の表情が切り替わった。

 不満そうな顔がゆっくりと悪役じみた笑みに変わる。寄りかかっていたテーブルに座り、頬杖をついて骸は言った。


「対価をくれればなんだって教えるよ。ねぇ、何が聞きたいの?」


 杏は骸の変わりように数歩後ずさった。すぐさまひととせと目配せをすると、ひととせはため息混じりに骸を紹介した。

「彼は元犯罪者でかなり腕利きの情報屋『チェシャ猫』。昔あった組織『赤薔薇クイーンの兵隊』の幹部だったんだよ」

「それって『ハートの女王箱庭事件』起こしたトコやなかったっけ?」

 骸は杏に睨まれると、目を隠すように手をかざした。もう辞めたもん、と顔を逸らしてつまらなさそうに頭の後ろで手を組んだ。

 杏も睨むのを止め、話を始めた。

「今朝起きた事件なんやけど、絵画が盗まれてん。早う行方を知りたいんやけど」

「絵画?それって『絵を縛る創造主ダ・ヴィンチ』が描いたやつ?」

「そうや。絵画の行き先、分かるか?」

 骸はニヤリと笑うと、「知ってる」と返した。しかし、その行き先は言わずに杏の出方を待った。

 杏は「なんやの?」と首を傾げる。

「知ってるよ。もちろん。あの画家さんの絵画はでも人気だもん。でも教えるには対価が要るんだ。僕は少秘警に入ったけど情報屋を畳んでない。だから情報しょうひんが欲しいなら対価おかねを払ってもらわないと困るんだよねー」

 杏は納得して頷いた。

 そうか、そういうことか。つまり知りたければ何かを寄越せ、と。

「何が欲しいんや?」

 杏が聞くと骸は歯を見せ、組んだ手をだらんと下げた。


「ジェファーソンが欲しがった情報」


 背筋が凍った。毛が逆立つ感覚がハッキリとわかる。杏は声が出なかった。それもそうだ。



 杏のあの潜入はだったからだ。



 署長と警察のトップしか知らない極秘情報を身内の新人が知っている。

 骸はニコニコしながら言った。

「イギリスのマフィアが来日したのは知ってるんだけど、まさかジェファーソンだとは思わなくって。だってあの人、ボスの右腕って呼ばれてる人だよ。そんな人が欲しがった情報って何だろうって思うじゃん」

「答えられへん。それは、教えられへんねん」

「……交渉、決裂ってやつ?」

 骸は残念そうに息を吐いた。

 ひととせは腕を組み、代案を模索する。骸はひととせに目もくれず、杏を揺さぶり続けた。

「杏さん」

「『ちゃん』にせぇ」

「えぇ……。杏ちゃん、僕はいっぱい情報持ってるし、表裏問わず、誰よりも早く情報を手に入れられる。些細なものから国のトップが泣くレベルまで揃えてる。『創造主ダ・ヴィンチ』だって知ってるし、その『能力』だって知ってるよ。その人の能力考えたら早い方がいいんじゃない?」


 杏は骸から目が離せなかった。背中を汗が一筋なぞる。骸は猫のように背を丸めて杏を見つめる。

 どうすればいいだろう。情報を渡せば仕事は進む。だが骸に渡していいものか。仕事の効率、素早さを取れば渡すべきかもしれない。

 しかし、渡して誰かに売ったら───?




「……これがジェフの欲しがった情報や」




 こっそり複製していたメモリを骸に渡した。

 ひととせは驚きを隠せずにいる。杏は唇を噛んだ。政府の情報が売られないように、と願った。

 骸は喜んでテーブルの下にあるパソコンを引っ張り出した。電源をつけ、メモリを挿し、杏たちの横でパソコンをいじる。

「少し前、頭の悪い売人が大きい闇オークションを開くって電話してきたよ。いい場所教えろって言うから教えてあげた。住所はこれね。ひととせくんが持ってて。多分ひととせくんが詳しいから」

 骸はスマホでひととせにメールを送る。

 ひととせはメールを確認すると、スマホを胸ポケットにしまった。

 杏は苦い顔で「はよ行くで」と急かしたが、骸がそれを止めた。


「ごめーん、もうちょっとだけ待って。あっは、あの人こんなの欲しかったんだぁ」


 骸は欲しいデータを取り込むとメモリ杏に返した。杏はメモリを受け取ると、骸に脅すように言う。



「誰にも売るんとちゃうぞ。政府の情報、外に漏れたら大惨事や」



 骸は一瞬キョトンとして、吹き出したように笑いだした。

 腹を抱え、息が出来なくなるまで笑う。目に浮かべた涙を拭い、杏の肩を叩いた。

「あーははは!杏ちゃんホンットに面白いね!あのね、僕が欲しかったのは、政府の情報じゃなくてジェフの趣味の方!」

 ──趣味?

 意味がわからなかった。骸はパソコンを持ってきて取り込んだデータを見せる。

 そこには『モフモフ!アニマルグッズ専門店』のサイトとウサギの部屋着のトップ記事が映し出されていた。


「ジェフは可愛いものが好きなんだけど、マフィアって立場上、部下に知られたら威厳が無くなるし、なんなら立場を追われるじゃん?情報屋は相手の弱点持っといた方が便利なんだよ。簡単に仲間を買えるからね!」


 杏は胸をなで下ろした。全身の力が抜け、ドアにもたれかかる。ひととせは「車取ってくる」と先に出て行った。

 骸は杏と二人になると、ヘラヘラしていた態度から一変、真面目な表情になった。


「僕は元犯罪者だよ。だけど今は家があって家族がいる。だから、自分にナイフを突きつけるマネはもうしないもん」


 また先ほどの無邪気な笑顔に戻った。

「情報は良いことに使うんだ」と、そう言って。

 杏は表情を緩めて骸に飴をあげた。骸は小さく跳ねて喜んだ。

「あ、そうそう。オークションの開始時間をメールしとく。多分杏ちゃん、が必要になると思うよ」


「……なんや、知っとるやんけ」


 杏は部屋を出ると諜報課に戻った。

 準備をしていると、丁度いいタイミングでひととせが車を諜報課の前につけた。

 助手席に乗り、スマホを確認する。

「ひととせぇ、一個だけ買いたいもんがあるんやけど、ええ?」

「いいよ。諜報専門のトコ?それとも武器商人?」



『From 骸

 件名:お仕事頑張ってね!

 内容:今日の夜七時頃だよ。出品は最後にするみたい。他の商品も盗品っぽいから注意してね。

 追伸 水分補給は大事だよね』



「近所のスーパーでええわ」

「了解」


 ひととせはアクセルを踏んだ。

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