第8話 絵画盗難捜査 3
現場に戻って来ると、絵馬は壁にもたれて大人しく絵を描いていた。スケッチブックに筆を走らせる様子に安堵し、杏は絵馬に声をかけた。
「絵馬ぁ、事情聴取や──」
「ちょっと待って。……あともう少しだから」
絵馬は杏を遮って筆を進める。
杏が仕方なく待っていると、隣で陽炎が吹き出して大笑いした。新戸は青ざめ口をパクパクと動かす。ひととせは知らんぷりで手帳を開いた。
杏が横を向くと、防犯ネットに絡まった警備員二人を壁に立たせ、ネットの間にモップやら雑巾やらをねじ込んで歪んだモデルを作っていた。警備員の間には館長の姿もある。
「あんたホンマに何してんねん!」
新戸が部下と館長の救出に向かい、杏は絵馬の手から筆をたたき落とす。
絵馬は痛がる素振りも見せずに完成した絵を杏に見せた。そこにはモデルにした彼らはおらず、和風な架空世界の風景画が描かれていた。
呆れと怒りが入り交じり、杏は絵馬に銃を突きつけようとした。だが、陽炎がそっと拳銃を指で押し付けて抜けないように妨害した。
陽炎は絵馬を「よう描けたのぉ」と褒め、頭を撫でる。そして杏の頭もわしわしと掴むように撫で回した。
頭を撫でられると心が落ち着いていく。陽炎の手には魔法のような何かあるのでは、と思えた。
杏が拳銃から手を離すと、陽炎は絵馬の前にしゃがみ、話を聞いた。
「事件当時の事を聞かせてもらえんかの?」
「……僕は、隣で絵を描いてたからその場に居たとは言えない。それに……なんか曇ってて、よく見えなかった」
──せやけども。
「……でも、館長が僕の後ろの方から来た」
絵馬はそう言っておもむろに立ち上がり、体を重そうに動かして隣のコーナーに向かった。
ひととせは陽炎とのやり取りと絵馬の行動を逐一記録し、後ろをついて来た。杏もそれに倣うように絵馬の言動に気を配った。
絵馬は館長が立っていたという位置に立つと、無表情で頭を掻き乱した。
「……こうして、頭をぐしゃぐしゃにして、地団駄を踏んでた」
そう言って実際に地団駄を踏んでみせる。
陽炎はあごを指で撫でると、「詳しく頼む」と短く言った。
絵馬は宙に舞う塵を見るように視線を上げ、低い機械音のような唸り声を出した。
「……煙が出始めてすぐに来て、さっきの事やって、何か言って戻ってった。その時館長は高いスーツ着てた」
「ほう、高いすーつ……礼服か。他に気になったところはあるかの?」
「今朝見た時は青っぽいスーツだったけど、十時以降から黒い光沢のあるスーツになってた。右手の人差し指に木片が刺さってた。右の靴底に小石が詰まってた。あと袖にインクが着いてた。あれは万年筆だと思う」
「ちょっちょっちょっ、待てや。なんでそんな細かく知っとんねん。館長がその場にいた時間は長くて三十秒程度やろ。なんでそんなに覚えてんの?」
それはね、とひととせが口を挟んだ。
「絵馬くんは能力の付属能力が『瞬間記憶』だからだよ」
付属能力──能力についてくる付加価値、どちらかと言えば『副産物』のようなものだ。
水を操る能力者が波の動きを読めるとか、心を読める能力者に絶対音感があるとか、主となる能力を補助するような副能力がついてくる。
絵馬の能力は『絵を具現化する』。人が持つ才能が増幅された能力だ。絵馬はその能力の付属品として『一度見たものを忘れない』力がある。
「館長以外に気になることはあるかの?」
陽炎がそう尋ねると、絵馬は窓の外を指さした。ちょうど清掃業者のトラックが出ていったところだった。絵馬は「あのトラック」と言った。
しかし、ありふれた業者名で見慣れたトラックだ。おかしい点はどこにもない。だが、絵馬が言うにはあのトラックがおかしいのではなく、トラックが来たこと自体がおかしいのだという。
「事務所の帳簿には、あの業者が来るのは夕方五時だって書いていた。……清掃員は館内を歩いてなかったし、それにここは、いつも清掃頼んでる業者が違うよ。『株式会社 友枝クリーンハウス』じゃなくて、『有限会社 赤松清掃』だ」
「──しもた!!」
杏は弾かれたように駆け出した。非常口から飛び出して前庭のオブジェを避け、トラックを追いかける。美術館を出てトラックの向かった左側に曲がり、駐車場を抜けた。
交通量の多い道路はどうしてか車のスピードが速い。とっくにトラックはいなくなっていてどちらに向かったかさえ分からなくなっていた。
「あぁーもう!分かってたら現行犯ではい終わり、やったのに!」
杏は地面の小石を蹴って悔しがった。
おかしいと指摘したあの清掃業者が絵を持ち去ったのだ。清掃業者なら怪しまれずに裏口から入ることが可能で、その上で変装して客に紛れれば警察を撹乱出来る。
それに気づくまでが長かった。
そう考えるまでが遅かった。
スパイ活動で多少の犯罪知識はあった。だがそれが慢心に繋がった。
自分のせいだと腹を立てた。
自分の至らなさに血が滲むほど唇を噛んだ。
杏は胸中に溢れる感情をどこに向けていいか分からなかった。
悔しくてたまらなかった。
美術館に戻ると、ひととせが杏に絆創膏を差し出し、陽炎が被害届を差し出した。
「いや、ひととせはええよ。ええけど、副署長なんでやねん」
「いや、絵馬がのぉ、あとりえとやらに置いてる絵が一枚足らんからと、盗まれたかもしれんと被害届を出してってな」
「その本人はどないしたんです?」
「帰ったよ。あとは俺らの領域だからって」
相変わらず自由な絵馬に杏は落胆し、自分を責めたことをやや後悔し始めた。
陽炎は杏のことを肩を叩いて励ますと、次の指示を出した。
「現場検証やら証拠鑑定やらはわしがやるでな。お主らは盗品の奪還に専念しとくれ。杏、奪還は得意じゃろ。お主がひととせに教えるんじゃぞ」
──せや。諜報・奪還はうちの
杏は自分を奮い立たせると、威勢のいい返事をした。陽炎はそれに満足そうに頷いた。
ひととせも「よろしく頼むよ」と笑った。
杏は被害届を受け取り、ひととせと足早に美術館を去った。
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