第24話 歯を見せた猫

 なかなか決着がつかない。


「あいこでしょっ!」


 何度やっても同じ手の形になってしまう。


「あいっこでっしょっ!」


 こんな形で気が合っても全然嬉しくない。


「あい! こで! しょっっっ!」


 二人の男子による、勇ましい声で行われるジャンケン。

 いつの間にかベットの側に立っているお菊たちが「こんなんだったっけ」と小声で話した。




「あい! こで! しょっっっっっ!」




 ようやく終えたジャンケンは、隼の負けで決着した。

 ただのジャンケンに服が張りつくほど汗をかいた。隼は襟を扇いで顔に風を送り、薫は伸びをしたままベッドに倒れた。呆れ顔のお菊と苦笑いの陽炎は、ようやく二人の間に踏み込めた。


「その勢いでやる必要ありんした? 外まで響いていんした」

 お菊が煙管を取り出して椅子を引く。

 薫は笑って誤魔化したが、陽炎の顔を見るとあからさまに不機嫌になった。


「ひでぇ事してねーだろうな。やたら菓子の準備させといてよぉ。まさか『欲しい? これ欲しい? でもあーげないっ!』みたいな事してねぇだろうな!」

「いや、副署長に限ってそれはないだろ。そんなしょっぱい事するか?」


 陽炎は豪快に笑った。

 ベッドにどっかりと座り、薫の頭を脇に抱えて髪をくしゃくしゃと撫で回した。嫌がる薫を筋力だけで押さえつけて「可愛い可愛い」と挑発する。

「なぁに、至極普通の事をしたでな。すぐに効果は出るじゃろうて」


 陽炎の手から逃れた薫が陽炎の首に回し蹴りを入れるのと、マッドハッターが現れるのはほぼ同時だった。

 彼は床を転がる陽炎を跨いで目を逸らしていた。


「マッドハッター!!」


 隼は反射的に言葉が飛び出た。

反転院はんてんいんかけると呼んで欲しいな〜ぁ。それはの芸名なんで〜」

 そういうマッドハッターはテーブルに寄りかかり、暗い顔で言った。

「好きなこと聞きな〜。何だって答えてやるよ〜」

「何でも? なら盗んだ金の行き先を答えてみろ」

 隼は上から目線で聞いてみた。彼なら武器を飛ばしてくると思った。だが、どうも無気力で、抗う素振りを見せなかった。


「盗んだ金は全額、孤児院やホームレスのガキにくれてやった〜ぁ。組織に入る前は義賊サーカスだったし〜。らにはサーカスの売上金で十分だからな〜ぁ。······実行してたのはら四人はだけだったしな〜ぁ」

「ああ······。能力は把握したし、聞くこと······」


「じゃあさ」


 薫が乱入した。どうしても聞きたいことがある、と前置きして真剣な目で問いかけた。



「どうやって被害者を襲ってた?」



 その問いにマッドハッターは一通の手紙で返した。

 薫は足元に投げられたしわくちゃの手紙を拾った。ずっとポケットに入れていたらしい。だが破けてはいない。マッドハッターは机に座って腕を組んだ。


「三年前、ハートの女王が逮捕された後に受け取った手紙だ〜ぁ。警察に捕まったって聞いて〜、救出作戦練ってる時に『あいつ』に止められてよ〜ぉ」

「何て言われたんだ?」

「それがその手紙に入ってんだよ〜」


 そう言われて手紙を開くと、カタカナと漢字で綴られた『女王脱出』の手紙。定規を使って筆跡鑑定出来ないようにしてあるあたり、それなりの賢さが読み取れた。

 しかしその内容は『しばらく地下に潜るから会えなくなる。仕事の命令は全て手紙で行う』といったところだろうか。


(──嘘くせぇ)


「よくこれ信じたな。逃げたんなら合流場所の地図とか住所を送り付けそうなもんだけどなぁ」

らだって嘘だと思ったさ〜。『あいつ』に言い返したんだよ〜。『嘘つき』ってな〜ぁ。でも妙に口が達者っつ〜か〜? 何か信じたんだよな〜」


 薫が頭の後ろで手を組んで寝っ転がった。こんな時まで自由に振る舞うのか。

 隼は薫から手紙を受け取った。ふと、紙の厚さが気になった。高い紙を使っているわけでもないのに、やや厚みがある。

 隼が紙の端をいじってやると、紙が一枚重なっていた。二通目には仕事の場所や日時、侵入経路まで細かく書かれている。

(これを見て襲っていたのか······!!)


 隼が薫にそれを見せると、薫も驚いた様に内容に見入っていた。

「教唆犯か? なまじ知識があるってところが面倒だな」

「いや、知識ねぇと出来ねぇもんだろ」


「ふぅん······ダメ元で筆跡鑑定と指紋取ってみんしょう。副署長、情処課行きんしょう」

「ん? わしはここで取り調べに参加してるでな。お菊だけで──」

「情・報・処・理・課、行きんす」

「そうじゃの! 指紋取れると良いのぉ!」


 お菊が気を利かせて外に出た。若干、廊下で激しい音がしたのが気にかかるが、隼は黙っている事にした。

 マッドハッターも大人が居なくなって少し気が楽になったのか、隼を真っ直ぐに見つめた。



「あの時聞きたかったこと〜、今聞いてもいいか〜ぁ?」



 ──サーカスで刃を交えていた時、確か聞きたいことがあると言っていた。

「いいぞ。······何だ」


 隼はマッドハッターに頷いた。彼は真剣な眼差しだった。真実だけを求める目に鼓動が高まるのが分かる。投げられた一枚目の手紙を握った。何となく聞かれることは分かっていた。



「女王は、本当に生きてんのか〜?」



 ──やはりだ。

 そのまま答えればいい。求められる真実を語ればいい。それだけでいい。


 ······それだけだからこそ辛かった。


 マ隼はッドハッターの顔を見れない。舌に乗せる言葉はあるのに、口が開かない。真実を知ったら彼はどうなってしまうのか。それがどうしても恐ろしかった。やっと、口が開いた時──




「死んじまったよ」




 隼から出た声ではない、隣からだるそうに聞こえた、薫の声だ。



「し、死んだのか〜······?」


 マッドハッターが分かりやすく驚いていた。理由を求めるようにベッドに駆け寄った。薫はごろんと横向きになって続けた。


「ハートの女王はオレらで逮捕したんだけど、警察ワンコ共が強制連行しちまってよぉ。散々やったっぽいんだよな。長時間に及ぶ尋問、自白の強制······それこそ拷問だったんじゃねぇか? 留置所で口に隠した毒を飲んで、目の前で死んでみせたってよ。今じゃ記録改ざんされて少秘警オレらが殺したことになってるけど」


 突然、薫がベッドから転がり落ちた。掛け布団をクッションにして着地するなり戦闘態勢をとった。

 ベッドに突き刺さる銀のナイフ。陽光が反射してより鋭く見えた。


「······そうか〜、あの女王が自殺か〜」


 マッドハッターは誤魔化すように口角を上げるが、今にも泣きそうだった。ナイフを投げた腕を力なく下ろし、フラフラとドアに向かう。それを薫が腕を掴んで引き戻した。


「ナイフ持って帰れよな。······置きっぱなしにすると怒られんだよ」


 薫の精一杯の一言だった。マッドハッターは自分が投げたナイフを虚ろな目で見る。

 何も言えないのに、何も出来ないのに体が動く。隼はそっとマッドハッターの手を握った。薫が背中を軽く叩いてくれた。隼は、自分に出来る精一杯の言葉を、彼に言った。



「······助けられなくて、すまなかった」



 マッドハッターは片割れの仮面を外した。両手で大事そうに抱きしめて、その場に崩れ落ちた。太陽の温もりがじわじわと心を溶かしていく。


 * * *


「そんなに効いたのかよ。陽炎のってのは」

「ええ、かなり効きました〜。普段泣かない僕の仲間が泣いたんですよ〜? まぁ、僕も〜? かなりダメージ受けましたけど〜」


 仮面を外したミラーと二人は少しの時間、談笑していた。ミラーも素の表情が出て、サーカスであった時の少年よりも、とても人間味のある態度だった。

ミラーはナイフを器用に弄び、つまらなさそうにため息をついた。

「······僕らはもう終わりですね〜。案外短かったですけど〜。······また会えるって、信じてたんですけどね〜」


今回の事件は、被害者がの数が四人で割っても余裕で死刑になる程だ。ミラーはそれをちゃんと理解していた。隼は少し同情したが、それと同時に人の事は言えない状況に追い込まれていた。


少秘警は犯罪を最小限の被害に抑えることが求められている。それなのに、これだけの被害者が出たのだ。

当然、隼と薫にも責任は出てくるし、お偉いさんの気分によっては、揃って死刑になってもおかしくない。

しかし、薫の表情はケロッとしたもので、不安など一切ないようだ。


「おい、少しは不安な様子を見せろよ。俺がずっと胃を痛めるのも不公平だろ」

「勝手に痛めてんじゃねぇよ。どーせいつもみてーに署長たちあいつらが丸め込んでこっちが尻拭いするんだよ。······お前らごとな」

薫はミラーを指さすと、鼻で笑って目を逸らした。署長たちの取る行動に呆れているようだった。ミラーは諦めたような瞳を伏せた。欠けた仮面をそっと撫でると、柔らかく口角をあげた。


「なあそれよりさぁ、その『あいつ』っつーのは······」

 仮面を握りしめるに薫は封蝋を見せた。赤い蝋の真ん中にまるで笑っているようなマークがあった。逮捕していないのはあと二人。なおかつ笑っているのは一人だけ──


「予想している通りですよ〜」

「その人物って、やっぱり······」

 三人で同じ名前を口にした。風に舞う木の葉が笑っていた。風の音にかき消されたその名前こそ、最大の犯罪者であり、この事件の黒幕だった。

 裏社会の情報屋兼、ハートの女王の伝令者メッセンジャー──



 ───その名も、『チェシャ猫』

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