第23話 上司の仕事 3

 ──冷静になるな。なってはいけない。

 ただ今の状況を受け入れて、淡々と仕事をこなせばいい。それだけでいい。いや、それしか自分に出来ることは無いのだ。



 楽しく賑やかな茶会の席で、一人真顔で緑茶を啜るお菊は延々と自分にそう言い聞かせていた。




 洋菓子の山と紅茶を目の前にして──




 何故こんなに楽しそうになっているのか、どうしてこんなにも取調べとかけ離れる状況になったのか、何をどう考えても分からない。お菊の頭は追いつかなかった。


 最初、鳩が豆鉄砲を喰らったような表情だった四人は、陽炎の口車に乗せられて、笑いながらお菓子をつまんでいた。ケーキやマカロンなんて洒落た菓子と笑い話を紅茶で飲み干し、陽炎の愚痴を聞いては手品に変えて盛り上がる。

 陽炎も美味しそうに食べる彼らが嬉しいのか、「もっともっと」と餌付けをし、彼らも嬉しそうに菓子を頬張った。


「ほれほれ和菓子もあるぞ! 飲み物は紅茶だけで良いのかの? 緑茶もあるで、なんなら抹茶を点ててやろうか? わしの抹茶は美味いぞ!」

「副署長、騒ぎ過ぎでありんす」

「どうせ警察連中はお主の能力で『動かない』じゃろうが。なぁに心配するな! 悩みすぎは老けるぞい」


(──相変わらず一言多いな。あの弟子にしてこの陽炎師匠あり、か)


 黙って陽炎のこめかみをノックした。たった一度、ほんの少し触れるくらいの力で叩くと、陽炎は椅子から吹き飛ばされた。壁に激突し、派手に転んで目を回していた。

 お菊は緑茶を飲み干して乱暴に湯呑みを置くと、ミルクレープに手をつけた。

 四人はその一連の流れを涙を浮かべて笑って見ていた。


「すまんのぉぉお······お菊」

「謝るのが遅すぎんした」

 陽炎は席に戻り、饅頭まんじゅうかじって手前に目を向けた。彼の目はもりもりと菓子を食べる彼らをじっと見つめていた。その視線にマッドハッターが気づいた。しかし、陽炎をあざけるような雰囲気はどこにもなかった。


「──な〜んか、懐かしむような目だな〜。そういう囚人ばっか見てたからか〜ぁ?」

 陽炎は笑った。歯を見せて、遠い何かを見るように。それは記憶の向こうにあるようで、陽炎はポツリと零した。


「いや、なに。少秘警うちの連中も昔はそんな感じだったからのぉ。今こそ強がって、大人ぶっとるがの? 安心すると子供らしい面を見せる。『ああ、人の子とは変わらぬものぞ』と思うてな。それはお主らも同じじゃ。大人に見下されぬよう、気を張って、力をつけて、知識の踏み台に乗って大人と目線を合わせとる。本当は『怖い』と言いたいのに、逃げ出したいにも関わらずじゃ」


 彼らは陽炎の言葉に静かに耳を傾けた。お菊も自然と聞き入っていた。

 陽炎は湯呑みの上を湯気にかつての記憶を映しているようだった。それが誰とも言わず、誰に言われたとも言わず、慈しむように、懐かしむように、悲しむように目を伏せた。



「変わらん、何も変わらんな。あやつらとお主らは。わしにはどちらも等しく守りたい存在で、愛されるべき子どもたちじゃ。いずれその手を離すとしても、時間の許す限りちゃんと抱きしめて、頭を撫でてやって、嫌がられるまで褒めてやりたいのぉ」



 その一言に、どれほどの威力があっただろうか。それはお菊の拳以上に強かったのだろうか。

 少なからず彼らの『何か』に触れたことに変わりはない。お菊には、彼らの目から薄暗さが消えたように見えた。心無しか、彼らの気が本当に緩んだように感じる。


 ──副署長は気づいてない。いや、気づいているのか?

 知らん顔で緑茶のおかわりを足す陽炎を見つめた。陽炎の目がお菊を見据え、ニカッと笑った。

 薫によく似た悪戯っぽい顔が、余計にお菊の考えを複雑にする。

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