第20話 上司の仕事
小鳥のさえずりとその風の匂いがした。優しく暖かい日差しが室内を明るく照らし、カーテンを揺らす。
目を開くと、手前に白い天井があった。
少秘警──医務室
隼と薫はベッドに横たわって、染み付いたコーヒーの香りを嗅いでいた。
二人してコーヒーの銘柄の当て合いしていると、ドアの開く音がした。早い足取りで向かってきたと思えば仕切りのカーテンがいきなり開く。
目の下にうっすらと
「どうでありんすか?」
お菊の後ろ姿が問いかけた。
「男のシンボルに二十kgの鉄球が時速三百kmで当たったくらい痛かった」
薫の答えにお菊が自分の着物の裾を踏んで転んだ。隼は頭を抱えた。
知ってる。薫は真剣に答えてる。ただ聞きたいことがズレているだけ。
「警部は『刺された感想』じゃなくて『具合はどうだ』って聞きたいんだよ······」
「ああそっちか。大丈夫大丈夫! 綺麗に治ってらぁ」
薫は服を捲って胸を見せた。剣が貫いたというのに傷が全く残っていない綺麗な肌をしていた。お菊は立ち上がりながら「当たり前だ」と言った。
「出張に行く直前に無理言って治してもらいんした。ちゃんと礼でも言いなんし」
「おっけ」
(気楽で良いよな、こいつ)
再びドアが開いた。それもお菊が来た時よりも勢いよく。そして快活な笑い声が医務室を包んだ。
真っ黒でヨレヨレになった着流しに、短い黒髪をはねさせたつり目の男。額の左側には『影』の文字があった。
「薫ぅ〜! 殺されかけたそうじゃな! やはりお主も人間じゃったな!」
「うげっ······
突然現れた副署長・
慌てて敬礼しようとすると、「無理せんでよいわ!」と肩を叩かれた。陽炎はお菊の分の椅子も持ってきて二人のベッドの間に座り、薫の頭をワシワシと撫で回す。
「
「その『やっとう』でオレに勝てたことあったっけか? いっつも気絶してんだろ」
「······やっとう?」
「剣術のことでありんす」
薫が陽炎の頭に火をつけた。慌てて消す姿をお菊と冷めた目で見守った後、お菊が「茶番のみで終了」の気配を察知して本題に切り出した。
「サーカス団全員を逮捕しんした。そのうちの四人が──能力者でありんす」
────嘘だ。
その一言しかなかった。お菊は足を組んで話を続けた。
「二人が一日寝てる間に取り調べしたんだけど、凄いことに何にも言いんせん。非能力者を警察引き渡した時、報告したら······」
お菊の言葉が詰まった。気まずそうに陽炎を見やる。陽炎も言いづらそうに頭を掻いた。
「それがのぉ、『拷問してでも吐かせよ』と言われてしもうてな」
「「はぁっ!?」」
違法だ。それを警察が指示するなんてありえない。薫が立ち上がり、布団を焦がして怒鳴った。
「拒否だ! やらねぇし、やらせねぇぞ!」
「いや、拒否できんせん」
「何でだ! 憲法第三十六条! 『拷問及び残虐刑の禁止』! 立派な憲法違反だろ!」
「いや、忘れたかの? わしらには拒否権はおろか、『人権』が無いんじゃよ」
薫は悔しそうにサイドテーブルに拳を叩きつけた。ヒビの入ったサイドテーブルは時間差で壊れ、灰となって脆く崩れた。
『
まして拷問する相手も『
「あの、
「可能といえば可能だけど、ヨンパチ過ぎたら管轄じゃなくなりんす。それまで黙ってられたらたまったもんじゃありんせん」
「拷問しない方法は必ずあるはずです」
「じゃがのぉ、当日は警察が見張りで立ち会うらしいんじゃ。どこまで見るかは分からんが
──悔しい。
何故差別されるのか。何故非人道的なことをしないといけないのか。変な力があるだけで──!!
「ちくしょう!『超』能力はよくて『ただ』能力はダメだぁ? い、み、わ、っかんねぇぇぇんだよぉぉぉ!」
薫は不満を垂れ流し、隼はただただ自分の身の上を呪った。お菊も何度か電話で警察と掛け合うも、一蹴されてばかりと嘆いていた。
各々思考回路全開で考えを捻り出すが、これといった名案は浮かばない。散々議論を交わした後、陽炎の口から驚くべき一言が飛び出した。
「拷問はしよう!」
陽炎はそれを、「妙案だ」と言った。薫が手の平に火の玉を乗せた。怒りをそのまま陽炎に向け、殺意に近い目で睨んだ。
「陽炎、頭腐ってんならさっさと捨ててカボチャでも詰めてこいよ」
「ハッハッハ頑丈になるのう! じゃがこれしかあるまいて」
隼は、火の玉を掲げる薫の腕を反射的に押さえた。近くに寄るだけでも肌が痛むほどの熱さが辛い。だがここで押さえないと医務室ごと副署長が焦げてしまう。
しかし、陽炎も何が妙案だというのか。言われるままにやったところで彼らが屈するとも思えない。
薫は陽炎に啖呵切って火の玉を握り潰した。
「オレは!
「誰もお主らにやらせるなどと言っとらんじゃろうが」
陽炎はにっと笑って仁王立ちする。
お菊は眉間にシワを寄せて煙管を出した。
「わしがやるでのぉ」
そう言って近くにあるテーブルからメモと鉛筆を探し、何かを書き連ねた。薫は異論を唱えようとするが陽炎のメモを受け取ると、納得したようにベッドを降りた。
「起きたばかりにすまんのぉ」
「人使いの荒いジジイめ」
悪態をついて医務室を出ていく薫を見送る。彼は文句を言いながら荒々しくドアを閉めた。
陽炎は困り顔で頬を掻いた。お菊と意味深な視線の会話を済ませて医務室を去った。
「······お気を付けて」
「心配ありんせん。副署長に任せておきなんし。隼が気にすることないから」
「いや、違うんです──」
廊下で金だらいが落ちるような音がした。陽炎の叫び声の後に続く「頭キツツキにつつかれてろ!」などと、意味不明な罵倒。ドタドタと廊下を走る音が、陽炎の怒った声と共に遠ざかっていく。
──遅かったか。
お菊と隼は同時にため息をついた。
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