第16話 警護課と帽子屋

 マッドハッターが薫に気を取られた。

 その隙を突いて、隼は急激に距離を詰めた。薫にやや似ているが、風そのものに近い速さで接近を試みた。だが、マッドハッターはぐりんと首を回して笑った。



「おぉっと〜ぉ! 手が滑った〜!」



 彼は棒読みの弁解でナイフを振り回した。首ぎりぎりの位置を駆けたナイフを避けて、後ろへと下がった。マッドハッターは器用にナイフでジャグリングしながら、足下にナイフを飛ばしてくる。


 それを避ける程に距離が開いてゆく。隼に対し、マッドハッターは余裕の笑みで絶え間なく話し続けた。時折、袖やら空中やら至る所から菓子と紅茶を出してみては、余裕ぶって犯行を肴に飲み食いした。

「あの家の主は······」「だから三月ウサギが······」「あのときの顔ときたら······」と、聞いてもいないことをペラペラと、飽きることなく話し続けた。


──本当、狂っている。


 頭だけでなく服も変だ。

 ヒールの高いブーツに下半身部分が切られた着物。陰陽勾玉巴おんみょうまがたまともえが連なったチェーンをショートパンツに付けている。



「センス最悪か」

「仕事着に文句つけんなよ〜」



 隼がナイフを避けながら接近しても、すぐに倍の速さと量を伴ってナイフが襲いかかってくる。


「素敵なダンスだな〜ぁ。ご褒美に紅茶でもどうぞ〜!!」


 マッドハッターはカップを一つ、隼に向かって投げた。

 紅茶の色にはほど遠い、透明な液体が照明の光で宝石のように輝いた。カップから零れた液体が顔めがけて降り注ぐ。反射的に袖で防いだ。


「げぇっ!?」

 袖が溶けていた。ほんのり温かい。

 隼は自分でも驚く早さで上着を脱ぎ捨てた。


「塩! 酸! じゃねぇかぁぁぁ!」

「おお〜! 正解〜!」


 隼はイヤリングから鍼を引き抜き、横一閃に振った。風が自分の周りを取り囲むと、手首をしなやかに動かし指示を与えた。風はマッドハッターの服を、顔を切り裂いた。

 頬から伝う血を、手に取り黙って見つめるマッドハッター。




「······あはははははははははは!」




 笑い声を響かせて隼を見つめた。開き切った瞳孔がゆらゆらと揺れた。

「勝てるとでも思ったか〜ぁ? 悪いね〜。怪我なんて怖くねぇんだよ〜」


 パチンッ!


 マッドハッターは腕を高く掲げ、指を鳴らした。瞬く間に服は、顔の傷は、


 傷が消えた──

 まさか『能力者』か──?



「自分たちだけだとでも思ったのか〜?」



 マッドハッターがナイフを構えて飛び出して来た。能力を発動する間もなく、鍼とナイフを激しくぶつけ合った。

 やかましい金属音でステージを舞う二人。隼は鍼で攻撃を受け流してこそいるが、本音は戦いにくくて仕方がなかった。急所を狙ってくる攻撃ばかりに意識が向いてしまい、その他に全く首が回らない。


「あれ〜? もしかして慣れてないのか〜?」

「剣術は苦手だ」

「確かに〜。体術やってる人間の足だもんな〜ぁ」

 マッドハッターはちらりと下を向いた。

 その隙を、と思って腕を伸ばすが、すぐ弾かれて心臓を狙われる。左手でマッドハッターの手首を弾き、距離を取った。


「何年暗殺者やってると思ってんだ〜ぁ? のほほんと生きてた人間に負けたりしね〜よ」

 仮面から狂気的な笑みを覗かせて、マッドハッターは床に刺さっているナイフを一本、蹴り上げ手元に戻す。

 銀色に光るナイフをそのまま隼の足に突き刺した。



「がッ·········!!」

 ステージに固定された片足。神経を通って伝達される激痛。足全体が脈打つ度に痛みが体の自由を奪っていく。

 膝をついた隼に、マッドハッターは自慢げに語った。


は物心つく前から人を殺してるんだ〜。お前らよりも経験が豊富なんだよ〜ぉ。バカにすんな〜ぶっ殺すぞ〜ぉ?」

「あーあ、迫力ねぇな。『オレら』ってことは、上の奴も含まれてんのか?」


 ナイフが右肩を貫いた。

 温かい血の温度と二箇所から襲う激痛に、隼は思わず顔をしかめた。ナイフを深く突き刺してマッドハッターは笑って隼を見下ろした。至近距離で見る仮面の向こうの瞳には、本物の殺意だけが詰まっていた。



「一つ聞きてえな〜ぁ」

「······なんだ」



 マッドハッターが口を開きかけた時、彼は横に転がるように回避行動を取った。何が起きたのか分からなかった。しかし、突如ステージを穿った鉄パイプに納得した。

 舌打ちをするマッドハッターは憎らしげにロープを見上げた。隼は刺さったナイフを掴んだ。


 ──チャンスだ。

 二つのナイフを引き抜き、血で汚れた手で鍼を振った。風の渦を放ち、マッドハッターの動きを止める。

 風の威力によろめきながらも、ナイフを投げようと狙いを定めるマッドハッターに、鍼を投げ捨て距離を詰めた。彼の手首を手刀で叩いてナイフを払い、怪我を負っていない方の足で足払いをかける。バランスを取ろうと伸ばされる腕を後ろに回し、うつ伏せでステージに押さえつけた。





「逮捕だ。マッドハッター」





 ──予想以上に静かだった。

 抗う事もせず、ただ大人しく冷たいステージに体を寝かせていた。隼は拍子抜けしつつも警戒していた。次第に声が聞こえてくる。······笑い声だ。



「もう終わりか〜ぁ? 甘いな〜。三秒もあげたのに〜ぃ。ならすぐ殺すけどな〜ぁ」



 マッドハッターが指を鳴らした。



 冷たく固いステージの感触と、自由のきかない片腕。視界の端にあるヒールの高過ぎるブーツと、後頭部に当たる──何か。

 自分の身に起きた出来事を、マッドハッターの声で理解した。









 ということは、頭に当たっているのは拳銃か。感触で何となく予想はしていた。確かにふところの拳銃が無くなっている。

「盗ったぞ〜。自分の拳銃で逝けるなんて幸せだな〜ぁ」

「ああそうだな。すごく安心」

 嬉しそうな笑い声と、高い所から響く薫の雄叫び。どうやら苦戦しているらしい。


(助けに行かないと······しかし、こいつが邪魔だな)


 床に投げ出された手の先に細いものが当たった。先ほど投げ捨てた鍼だ。


「最期に言うことは〜?」


 ──普通なら、大人しく殺される以外に選択肢がないだろう。だが、生憎あいにくそれはだ。



「俺の方が少し老獪ろうかいだったな!」



 鍼を握り、指揮をするように操った。

 座席に突き刺さった無数のクナイが、マッドハッター目掛けて飛んできた。背後に迫るそれを避け、彼は銃口を隼に向け直した。

 体が自由になった隼はクナイが壁に刺さるのを見届けてマッドハッターへと歩み寄る。

 マッドハッターは引き金を引いた。しかし、弾は発射されない。


「残念だったな。どっかの誰かさんが銃口焼き溶かすもんだから弾は入ってない」


 マッドハッターは銃口を覗いた。隙間もないほどドロドロに溶けている。マッドハッターの顔色はさぁっと青く変わった。


「つーか、人から奪った拳銃を、確認もせず使うのは自殺行為だろ。慣れが身を滅ぼしたか? 猿も木から落ちるもんだな」

 隼は指をパキパキと鳴らしてマッドハッターの正面に立った。歯を食いしばり、指を鳴らすマッドハッター。次の瞬間には拳銃は元通りになる。新品同様の姿で、隼の目と鼻の先に対峙する。



「悪いな」



 彼が引き金を引くより速く、隼はマッドハッターの顔をぶん殴った。仮面が真っ二つに割れ、現れた瞳は真っ直ぐに隼を睨みつけている。


 悔しさと、怒りと·········そして悲しみ。気を失う最後まで、隼の目に焼き付けていた。


 力なく倒れたマッドハッターを抱えると、後ろでドサッ! と何かが落ちた音がした。振り向くと気絶した三月ウサギと笑って立つ薫がいた。

 ──呆れた顔以外、何も出来なかった。

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