第10話 サーカス団の少年
人で賑わう大通りは、とあるサーカスの話で持ち切りだった。
今だに興奮が冷めぬ人、感想を言い合う人、「また来ようね」と手を振り別れる人が多数いた。サーカスの公演後の人波は皆、笑顔に溢れていた。
そんな人々とは逆方向に進む制服の少年が二人。
ポケットに手を入れ、「ちょっと神でも斬りますか」とでも言いそうな、恐るべき表情に自然と人が離れていく。薫はガムを噛みながらチケットをじっと見つめていた。隼は離れた人を睨むように見た。二人は完全に場違いなオーラを放って──
筆記体の“Trick Party”と書かれたサーカスのアーチをくぐる。
* * *
「サーカス?」
隼は言葉を聞き返した。桜木は平然とココアを飲み続けた。薫もココアを飲みながら話に耳を傾ける。
「うん。ほら、二〜三ヶ月前にこの辺に来たでしょ? 移動サーカス」
桜木はだいぶ型の落ちた携帯を操作した。隼は携帯の画像を見せてもらったが、サーカス名がボヤけて分からない。薫がチケットのサーカス名を綺麗な発音で読み上げた。
「Trick Party······随分とおちゃらけた団名だな」
「ちょうど二人分だし、貰ってくれるかなって思ってさ。僕あんまり行かないもん、そーゆートコ」
「······まさか、これだけか?」
「え? うん、そうだけど」
薫が何も言わずに肩に手を置いてきた。隼は何も言わずに手を払った。骸はココアを飲み干すと、袖で口を拭った。
「それにさぁ、な〜んか不吉なんだよね。そのサーカス」
不穏な一言を残す桜木に薫が食いついた。桜木は袖についた汚れを擦る。より汚れが広がった。
「どういう事だ?」
「なんかね、噂があるんだよ。あのサーカスがいる所じゃ、なんか事件が起きるらしいんだって。サーカスが来たのは二ヶ月前じゃん? おにーさん達が調べてる事件の最初の被害も二ヶ月前くらいだし。なんか怖くてさぁ〜」
──サーカスの移動と事件が関係している?
もしこれが偶然だとしたら不可解な点がいくつかある。隼が考え事を始めると、薫は酸っぱいものを食べたような顔でチケットを机に叩きつけた。
「何でオレらに渡そうと思ったよ。その不吉サーカスのチケット」
「噂が怖いんだもん! それに、もし事件にカンケーあるなら〜と思ってさ。ホラ、警察に協力するのは市民の義務なんでしょ?」
薫がチケットをまた手に持つと、意味深に「ふーん」と言ってチケットをポケットに入れた。
「······骸、帰れ。チケットの礼だ」
「はっ!?」
「え、いいの? やったー!」
桜木は無邪気に笑って取調室を出ていった。薫は新しい玩具を見つけた子供のような目をしていた。反対に隼は、何故か試されているような気がしてならなかった。
* * *
「掴みどころがないな。桜木は」
「んー、妙な奴だとは思うけどな。でもそんなこと言ってらんねぇし」
テントの入口を入念に掃除する人がいた。鬼のようなオーラを放つ二人に一瞬肩を震わせたが、すぐに笑顔で近寄ってくる。
「すみません〜。次の開演は午後からなんですよ〜」
妙に語尾が伸びる口調が気になった。
「いや、観客じゃねぇ。俺らお巡りさん」
「ほぇ〜、警察の方でしたか〜。てっきりヤクザ関係の方かと〜······あ、いえいえ何でもありません〜。失礼しました〜。そちらへどうぞ〜」
少年はテントの裏へと案内した。隼は少年の足元に視線を落とした。
──少年の足が震えている。
ただ考え事をしていたとはいえ、相当怖い顔をしていたのだろう。驚かせてしまったようだ。
······すまない。と、心の中で謝った。
* * *
サーカスの裏は想像以上に綺麗だった。
公演の準備や練習で慌ただしい割に片付いていた。二人の視線に、少年が「前に痛い目に遭ったので〜、片付けるようにしています〜」と恥ずかしそうに言い訳をした。
「名前は?」と問いかける薫に、少年は少し困った様子で「ミラーです〜」と名乗った。
「すみません〜。芸名以外で名乗るの禁止なので〜」
「呼び方が分かりゃいいんだよ」
薫は事件を話を始めた。例の店長の写真を見せながら話すと、ミラーは驚いたり怖がったり、子供らしい自然な行動をとる。だがどうにも
「何でもいい。些細なことでもいいから情報が欲しい」
ため息混じりに語る薫に、ミラーはこめかみに指を添えて唸った。
「う〜ん、三日前の二時ですか〜?」
「ああ、午前二時以降」
「夜中ですねぇ〜。皆寝てるような時間······あ、見たかもです〜」
予想外の展開に二人の気持ちは高揚した。
「ホントに見たのか!? 些細なことでもいい! 何があったか言え!」
薫はミラーの肩をわし掴み、大きく揺らしながらかぶりつくように問い詰めた。首がもげないうちに薫を引き剥がして落ち着かせるが、ミラーに「怖い人」の烙印を押されてしまった。ミラーは薫から距離を取った。
「目が覚めちゃって外に出たんです〜。そしたらあのビルの上をぴょんぴょんって跳んでる人がいて〜」
ミラーが指さしたのは周りに比べて低いビル群だった。間隔に規則性はなく、人の足で渡るには不可能に等しい。だが奥の方には住宅地が広がっている。逃走経路を狙うには良いかもしれない。
「この人、亡くなったんですよね〜」
ミラーは眉間にシワを寄せて写真を覗き込んだ。頬を手を当て首を傾げてまた唸った。
「う〜ん、亡くなった方を悪く言いたくないですが〜。悪い噂がありましたね〜」
「悪い噂?」
「はい〜。接客態度が悪いとか〜、バイトの店員さんにパワハラしてたとか〜、おっさん臭いとか〜」
「なぁ最後の「隼、ツッコんだら負け」
薫に口を塞がれどうにかツッコミを飲み込むと、ミラーが「あとは〜」と腕を組んだ。
「悪い噂ではないですけど〜、実はお金持ちらしいとか〜? 高級ブランドのお店で店員さんから厚遇されてたそうで〜」
「金持ちぃ? ステテコワンカップそっぷるたんが?」
(······呪文みたいだな。使わないが)
「コンビニの店長さんにしては変だと思いますよ〜」
「ちなみにその噂の情報源は?」
「コンビニ帰りに会ったお客さんですよ〜。ご婦人方は噂話大好きですから〜」
「······ふ〜ん」とだけ言って薫は隼に振り返った。顎でミラーを示し、発言を促す。薫は知っていたようだ。
まさか薫にバレていたとは。観念して隼はミラーの前に立った。ミラーはキョトンとして、何となくはにかんだ。なるべく目を見るようにして質問を連ねた。
「年齢は?」「十六です〜。身長が低いのでよく子供に見られるんですよ〜」「紅茶は飲むか?」「はい〜。幅広く飲みますよ〜」「お気に入りの紅茶は?」「最近はダージリン、ですかね〜」「ミラーの演目は?」「雑用係なので決まってないです〜」「被害者との関係は?」「他人ですよ〜! コンビニで会ったっきりですもん〜!」「じゃああとは──」
「ハートの女王箱庭事件は知ってるか?」
ミラーの目が変化した。まるで
しかし、ミラーは決して笑みを崩してはいない。瞬きをすると、先程の笑顔に戻っていた。
「いえ〜、知らないです〜」
「そうか······」
その一言を絞り出すだけで精一杯だった。心なしか胸の鼓動が早まった気がする。隼は自分を落ち着かせた。
「最後に一つ。本当に、あの上飛んでたんだな?」
「はい〜。そうですね〜まるで、ねずみ小僧のように〜」
隼は左手でイヤリングに軽く触れた。ミラーの一言で朧気な疑問が確信に変わる。
「なるほど」
用事は済んだ。隼は足早に帰路を辿る。薫がニヤニヤと笑って後ろをついて来た。
ミラーの「お気を付けて〜」と声がした。誰も返事をしなかった。
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