第8話 捜査開始

 県警から証拠品を預かり署に戻る。

 昨晩喧嘩騒ぎになった刑事課の事務室では、お菊が捜査本部を設置して待ち構えていた。隼は証拠品を机に置くと、大きく伸びをして気持ちを切り替える。



「おかえりなんし。報告は簡潔に頼みんす」

「犯人は帽子屋でした。以上」

「やっぱ詳しく言いなんし」



 被害者が未だ分からないため、県警との会話や薫の行動など、あった事をありのままに話していると、薫が上機嫌で「たぁ〜だいまぁ〜」と帰って来た。


「おや、一緒に行ったんじゃなかったのかい?」

「あぁ、はい······まぁ」


 神奈川の警察署からの帰り際、薫は「ちょっと寄り道して帰るわ」と歩いてどこかへ行ってしまった。その方向が病院のある方向だったことは覚えている。


(五十嵐警部、病院に運ばれたらしいが。······いや、まさかな)


「やる事のついでに五十嵐にトドメ刺した」


 ──やっぱりな。


 満面の笑みで親指を立てる薫に、力の抜けたお菊は「そう······」と弱々しく返した。

 深くため息をつく隼の肩にそっと手を置き、お菊は小声で励ました。


「トドメといっても、薫もちゃんと考えていんしょう。きっと軽いものでありんす。何とかなるかもしんせんし──」


 ──隼は知っている。


「何をしんした?」とお菊が尋ねた。

 薫のキラキラと輝く顔が眩しい。


「人権なくてもそれなりの権限はあるんだぜーって、お前らよりは偉いんだぞって言ってきた」


 お菊は安心したように微笑む。



「でも嫌味言われたから『今日からお前の席ねぇからぁ‼』って叫びながら火だるま小籠包ねじ込んできた!」



 薫のこの上ない笑顔に、お菊の顔が引きつり固まった。隼は先程よりも深く、ため息をつく。


 ──薫が軽く済ませるはずがない。


 お菊とお詫びや見舞いの品の相談をしていると、薫は「全治二ヶ月ってウケるわ〜」と笑った。それを聞き、お菊が頭を抱えた。

 どうも謝罪のレベルが自分では低いらしく、煙管をふかして「後で報告させて貰いんす」とやや諦めたように煙を吐いた。


「で? 結局やることって何だったんだ?」


 気を取り直し、薫の近くに寄ると辞書並みに厚い封筒を渡された。中身はクリップで分けられた二つの紙束だった。片方はやや薄い。


むくろが持ってきたデータの被害者の、現場資料と写真だよ。どうにも写真が多くてなぁ。んでお前が貰い忘れた今日の被害者の写真と、個人情報を諸々」

「······悪いな」


 一枚の紙に隙間なく並ぶ写真のコピーに目を通した。

 裏には名前と場所の記述がびっしり書いてある。確かにこれは多い。多すぎる。


(······見るの面倒だなぁ)




「ああああああああ‼」




 薫が叫んだ。

 薄い方の紙を握り、そのまま潰してしまいそうな程の力を手に込めている。

 茶を淹れていたお菊も珍しげな表情で振り向いた。隼も薫の見る紙を覗く。そして薫と同じように叫んだ。

 ──理由がわかった。



「「そっぷるたんだっっ!」」



 お菊が盛大に茶を吹き出した。電灯にキラキラと輝く茶が眩しかった。だが隼も薫も写真に釘付けで気が付かないでいた。

 昨日出会った腹立たしい店長の姿がそこにあったのだ。


 ***


「被害者は野田のだ次郎じろう 四十二歳。コンビニの店長をしています」


 隼は資料を読みながら、ホワイトボードに情報を書き連ねた。


 犯行時刻は午前二時から三時頃。殺害方法は刺殺。死因はナイフで胸を一突きされた事による出血多量での失血死で、心臓を的確に狙っていたことから犯人は手練だと推測される。

 部屋は荒れていたものの、荒れていたのは居間だけで、寝室その他は手付かず。

 犯人を特定する指紋や足跡は、一つも見つかっていない。


「唯一見つかったのが、このティーカップです」


 カップを見せたが、証拠がこれだけとなると全員、一言も出ない。三年前と同じだ。事件が事件だけに早い段階で行き詰まってしまう。


「訂正!」


 薫が手を挙げた。


「寝室のクローゼット、ヅラコレの後ろに金庫があった」

「金庫? だからなんだ」



カラになってた」



 薫が延々とクローゼットを見続けていた理由を理解出来たが、薫の言いたいことがイマイチ伝わらない。隼は首を傾げ、腕を組んだ。


「金品が盗まれてんのか?」

「ああ。三年前から思ってたんだけどよ。金庫がある家で、盗られてる所と盗られてない所があってよ。写真の印刷してもらってる時確認したら、今回の事件じゃ全部空になってたぜ?」

「つまり、マッドハッターは窃盗もしてるって事か?」

「可能性あるんだったら三月ウサギもだろ。一緒にいる訳だし」

「本の中ではな」


 他の写真を確認すると、確かに金庫のある家は金庫が空いていて中身はない。金庫がない家でも、一部タンスやクローゼットが荒らされた跡があった。よく見ないとわからないくらいの小さな痕跡だ。


「んー、盗んだお金の行き先は知りんせんが、とにかく聞き込みで······」

「無理だろ。夜中まで起きてる奴いるか?」


 隼とお菊は無言で薫を指差した。


 薫はムスっとした顔で「あっそ。悪かったな」と言ってガムを噛んだ。隼は現場で発見されたティーカップをまじまじと見つめる。

 目がチカチカするような、愉快な色遣いのひしゃげたティーカップ。歪な形のこれを、まともに使える奴はほとんどいないだろう。だからこそ、目印として使っているのだろうが。


 カップからほんのり、紅茶の匂いがした。


 * * *


 二人は再び外に出た。

 行き交う人の群れの中で、周囲の人々が顔をしかめるほどに、強烈な辛い匂いを撒き散らしながら、薫はため息をこぼす。


 やる気は全く無いらしく、ガムを噛んでは興味のある店に行こうとしたり、「用を思い出した」とか適当なことを言って逃げようとしたりと自由に動く。隼としては聞き込みよりも薫を監視する方に手間がかかり、冗談抜きで仕事どころじゃなかった。


 あまりにも面倒ばかりかけるので、次第に腹が立ってくる。自衛隊からミサイルやランチャーを借りてでも薫を止めたい。だが、攻撃を受けてもなお、ヘラヘラと笑う薫の姿が容易に想像出来た。隼は疲れたように肩を落とす。

 ──無駄だな。



「あっれ〜? おにーさん達、昨日のコンビニのおにーさん達だよね!」



 薫の十数回目の寄り道を阻止した時、昨日コンビニで会った桜木が立っていた。

 長袖のパーカーにジャージ、昨日と同じような服装だ。違うのは弁当ばかりを詰めた買い物袋を持っているくらいだ。


「ねーねー、何してんの? 大変だねー」

「骸か。昨日のアイツ、ホトケになってな」

「えぇー! も、もしかして······」

「そう。事件の仲間入り」


 薫は心底嫌そうな顔で店長の写真を見せた。桜木も苦々しく笑って誤魔化した。写真をポケットに戻し、気だるげに話を続けた。


「他の被害者の為ってんならまーだ仕事するけどよぉ。こいつの為に仕事とか······」

「無いね。今その探ししてるの? お疲れ様〜」


 お前が持ってきた仕事だろ! と言いたくなるが、そこはグッと抑え、隼は桜木に昨日の夜の行動を尋ねた。桜木は驚いたように叫んだ。


「疑ってんの!?」

「一応動機があるからな」

「口論から見てたしなぁ」

「酷いなぁ」


 ──じゃあ万引きするなよ。


「昨日の夜でしょ? えーと、夜中の二時か。外にいたかな。駅前の方に」

「夜中に出歩くな。危険すぎる」

「えー······青いおにーさんって、なんかお母さんみたいだね」

「······で、何か見たか?」

「いや? 何も見てないよ? 二時から三時の間は僕コンビニにいたからさ」

「コンビニ? お前まさか──」


 桜木は「あっ!」と口を隠した。周りをキョロキョロと見回し、耳元でこっそり話す。



「そのまさかだけど、昨日ほど派手にやってないよ?」



 ──自供取れちゃった。

 薫が哀れんだ目で隼の肩を組んだ。


「カツ丼作っとくか?」「まだいらない」


 短い会話をして、薫は一人で駅前の方に歩いていった。隼はどっと疲れ、眉間を摘む。深いため息をついた。


「もっとマシな仕事なら良かった」

「あはは、父さんの仕事だもん。僕に言わないでよ。まぁ頑張ってね〜」


 ひらひらと手を振る桜木は、軽快な足取りで人混みの中へと消えた。隼は桜木の姿が見えなくなるまで立っていた。動こうと思えば動けた。しかし、何故か目を離せなかった。

 遠く遠くを見つめた後で、薫の後を追い、駅前に向かって歩く。

 聞こえなかったざわめきが、遅れて聞こえてきた。

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