第7話 県警と少秘警
どこにでもあるような、ありふれたマンションの四階で、事件は起きていた。
二人は野次馬や聞き込みを受ける人々を押しのけ、非常線を超えて入っていく。すると、玄関には靴がほとんど無く、先に来ていた
「持ってきて正解だな」
薫はそれに
隼は後ろに続いて現場確認する。
──なるほど、酷い荒れ様だ。
床の上はガラスや食器の破片が散乱し、足の踏み場もない。食事中だったのか、食べ物も散っていた。あちこちに残る血痕は犯人のものか、被害者のものか──。
テーブルには包丁が刺さり、食器棚や家具は壊れ、カーテンも引き裂かれたり、壁にも傷やヘコみがあったりと、相当暴れ回った跡が痛々しく残っていた。それほどまでに抵抗したのだろうか。
(──だとしたら犯人、下手だな)
「こんな所で何をしている!」
威嚇するような声が室内に響いた。隼が振り向くと薫の前に、灰色のスーツを着た大柄の男が立っていた。
「ここはガキが来ていい所じゃない! 帰れ帰れ!」
(──ああ、今回は神奈川県警なのか)
桜ヶ丘にある警察組織は少秘警だけだ。基本的には
しかも、ここは東京と神奈川の境の特別自治区。どちらが来るかは、事件が起きないと分からないのだ。
そうか、そっちか。
──薫のいい
薫はヘラヘラと笑って「よぉ!」と男に声をかけた。
「
五十嵐と呼ばれた男の顔が歪む。薫は「頑張れよ」と肩を叩いて背を向けたが、腕を掴まれ向き直させられていた。
「大人に対する口の利き方も知らないのか? ちゃんと敬語を使え。そして警部をつけろ」
「敬語は尊敬する人に使うもんだ。お前らに出来ない
「ふん、いいだろう」
「よし。······じゃあ、トイレ行こうか」
「ちゃんと見ておけ」
「例えじゃねぇのかよ! おいコラトイレ行くな! 五十嵐警部しっかりしろ!」
隼はトイレに向かう二人を必死で止め、薫の頭を強く叩いた。
馴染みの
一度手を叩いて気持ちを切り替え、手袋をはめて本格的に操作開始──といきたいが、警察が多すぎる。遺体もないし、証拠品もあらかた持っていかれている。
「あの、被害者と証拠品の情報をお聞きしたいんですが·····」
隼は近くの警官に話しかけたが「化け物は黙ってろ!」と一喝されてそっぽ向かれてしまった。なんと感じの悪いことか。馴染みの鑑識官に話しかけたが、五十嵐警部に睨まれ阻害され、申し訳なさそうに頭を下げられた。
(さて、どうしたものか──)
「あっはっはっは! 見ろよ隼! すっげーヅラの数だぜ! 種類と色がハンパねぇよ! 見ろってヅラコレクション! ヅラコレ!」
(こいつはっ──!)
薫は寝室のクローゼットを開けて、何をしているかと思えば、とてつもなく意味のないことをしていた。隼は相手にするのも馬鹿らしくて、無視を決め込んだ。
逃走経路を考え、隼は居間とベランダを繋ぐ窓を見に行く。ベランダにはロープの跡もなく、道路に面したマンション故に、近くに降りられそうな場所もない。街灯も多いため、夜は明るく照らされるだろう。ここは必ず目撃される、犯人にとって不利な経路だ。
「犯人はこの窓から逃げた」と鼻息荒く語る五十嵐警部には、残念ながら同意できなかった。ここからの逃走は、どう足掻いても不可能だ。
不意に風が通り抜けた。後ろは薫がいる寝室だ。
隼が寝室に戻ると、ベッドの上でカーテンが揺れている。鍵はかかっておらず、窓は全開だった。
「薫、開けたか?」
「いや? 流石にいじったりしねぇよ」
薫はヅラコレの写真を撮っていて、一切こっちを向かなかった。窓の近くで唐辛子の匂いがしないことから、本当に寄ってないらしい。
それなりに大きな窓の外は大小様々な建築物の群れがあり、その一番近くには飛び移れそうなアパートがあった。よくよく見ると、住宅の屋根や小ビルの屋上など、運動神経さえ良ければ逃走経路となりうる場所が多い。
ベランダにはなかった景色だ。
建物の屋根を通れたら、逃走できる──?
「薫、居間の方にっ······!?」
急に襟を掴まれ、隼は強い力に引きずられた。
何が起きているのか分からなかったが、薫も隣で引きずられ、足掻いている。ということは、引っ張っているのは薫ではない。床が揺れるような足音。二人を引きずれる程の腕力。荒い鼻息。
今いるこの室内では、五十嵐警部しかいなかった。
「うわっ!!」
荒れた居間に投げ出され、ガラスや食器の破片まみれの床に背中が近づく。
隼より少し早く投げ出された薫の手が、ぎりぎりガラスのない床についた。体を捻り、手の力だけで起き上がると同時に隼のネクタイを引っ張り、無理やり立たせた。
「あー、ビビった。マジで死ぬかと思った」
「俺······が、死ぬ······わ···ゲホッ」
棒読みの薫と首を絞められて苦しげな隼に、五十嵐警部は汚物でも見るような目で「化け物が」と吐き捨てた。
「なぜお前らみたいな奴らがこの世にいるんだ。全く気味が悪い」
「だから人権奪われたんだよ。そうじゃなきゃオレらが『化け物』なんて呼ばれる理由がねぇ。五十嵐はアッタマ
「化け物に人権なんぞ必要ないだろう。そもそも人でさえないんだからな。奪われてさえいないのに、奪われたなどとほざくのは馬鹿だけだ。頭が悪いのはお前の方じゃないか」
警察は爆笑する。
大の大人が揃いも揃って子供を嘲笑う中、薫が「へぇそうかよ」と、ずっと持っていた紙袋を開けた。
薫が神奈川に赴いてまで何を買ったのか、隼には何となく予想が出来ていた。隼は止めるでもなく、一歩下がって黙って様子をみていた。
警察は静まり返り、薫の次の行動に意識を集中する。張り詰めた空気がこの空間を支配した。
「化け物化け物って偉そうに。そんなに言うならそれらしく振舞ってやるよ」
背筋が凍るような低い声。さっきまでとは違うオーラを放ち、袋に手を入れた。ただならぬ雰囲気に警察は拳銃を構えるが、五十嵐警部だけが反応が遅れた。
──薫はそれを見逃しはしなかった。
「肉よ
全てを燃やし浄化せよ」
──良い匂いがした。
「
「あっつぅぅぅぅぅ!!」
口に押し込まれた熱々の小籠包に、悶絶する五十嵐警部に周囲がざわついた。五十嵐警部は薫の笑い声を聞きながら、部下二人に支えられて退場した。
「やってみたかったんだよ。
「う、動くなぁっ!」
慌てふためく警察は再び薫に拳銃を向けるが、薫は動揺しなかった。むしろ「よく聞け!」と声を張る。
「この事件は少秘警のみの
もちろん大いに反感を買った。普段以上に罵声を浴びた。しかし、薫はテーブルの上に手を伸ばした。
騒音の中で薫は写真の裏、隠すように置かれた歪な形のティーカップを手に取った。カップの底の帽子の模様を見せると、皆が閉口した。
「犯人はマッドハッターだ」
隼はさっきまで気づかなかったカップにぽかんと口を開けた。カップは無言で犯人を語っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます