第5話 捜査前夜

 刑事課───事務室


 建物同様にボロボロな備品の中で、唯一生きているパソコンを起動しUSBを差し込んだ。数秒かけてデータは読み込まれ、一つのフォルダが表示される。



 時刻は夜の八時二十七分。

 太陽もカラスもとっくに家に帰り、外を照らすのは青白く光る月と点滅する街灯のみ。事務室を照らすのは今にも落ちそうな裸電球だけだ。


「被害者リストと事件の周辺地図のみ。っかぁ~! どうしようもねぇな」

「三年前だっけか? あの事件は」

「そうだよ。懐かしいなぁ」


 そう言って薫は穴だらけの棚から三年前の事件資料を取り出し、隼の隣の机に投げ置いた。

 ──が、机は音を立てて壊れ、ただの廃材と化した。壊れた瞬間の薫の驚いた表情と、壊れた机の上でなに事もなかったかのように置かれた資料が妙に笑えて思わず吹き出した。

「笑うな」と言う薫も笑っていて説得力はなかった。必死にこらえているようだが口角が下がらない。笑いながら拾い上げてパソコンの横に優しく置き直した。


 丁度その時、音に気付いて駆けつけたお菊が姿を見せた。髪も着物も乱し、短刀を握り、今にも二人に飛びかかりそうな血相で駆け込んできた。


「お菊だ。お疲れさぁん。もう警護課でもいい。警護課でいいからさぁ、刑事課直してくんね?」

「まだ居たんかい······。直せったって『奇襲だ』『テロだ』ってなるのはここだけでありんす。直しても意味ありんせん」

「そりゃあ、『少秘警で一番物騒な課』だからな!!」

 薫は誇らしげな顔をするが、誰も褒めていない。むしろ迷惑しているくらいだ。

 隼もお菊も無反応を決め込んだ。お菊は短刀を袖にしまい込んだ。


「そういえば、ややこしい事件ヤマはどうなりんした?」

 隼が口を開きかけた時、薫が口の中のガムをゴミ箱に吐き捨てた。見事に命中したゴミ箱は一瞬だけ赤く燃え、少し溶けた。

「ほらよ」と薫が報告書を提出すると、数日前のものだと思っていたお菊が驚いた顔をする。だが静かに読み始めた。


 桜木 骸 十七歳 男性

 コンビニに到着時、既に店長(そっぷるたん)と口論していた。

 レジには盗品と思われる充電器や菓子類などがあったが途中謎の消失。その間誰もレジに近付いておらず、隠滅いんめつは不可能。

 もし、可能になるとしたら──



「「「桜木骸が何らかの能力を所持し、使用したとされる」」」



 口を揃えて最後の一文を読んだ。

 空気が張り詰め、暗い雰囲気に変わる。

「桜木がもし、能力者であったなら筋が通るんです。本当にあったとしても能力は不明ですが」

「その可能性があったから逃がしたけどよ、何かあったらすぐ動くから」

「承知しんした。『消えた』としたら、『消去』の能力かもしりんせんな。上に言って······あ、そうそう、これを言いに来たんだった」


 お菊は真顔で「帰れ」と言い放った。

 少秘警は五時退勤が絶対だ。それをコソコソと逃げ回って居座っているのだから、お菊はいい顔をしない。

 だが、これに反応するのも薫しかいない。

 薫は頭の後ろで腕を組み、これまたなんとも言えないような良い顔をして「嫌だ」と返した。

 お菊の眉がかすかに動いた。


「もうとっくに八時過ぎんした。子供は早く帰りなんし」

わりィな。こっちはどーしてもやんなきゃいけない仕事があるんだよ」


「聞きわけなんし。髪の毛真っ赤っか」

「も少し尊重してほしいね。青のりみたいな顔」


 どんな顔だ! と、ツッコむ前に薫の頭が机にめり込んでいた。

 笑顔で拳をさするお菊に恐怖を抱きながら、薫の体を起こす。

 薫は額から血を流してもなお「腕力ゴリラ」「クソジジィ」と悪態をついた。

 お菊の長い指が額を弾くと薫は椅子ごと床に倒れた。


 ──きじも鳴かずば撃たれまいに。


 懇切丁寧に手当てをしてやり、虚ろな目で「オカンかお前は」と呟く薫の頬を強めに叩き、意識を正常に戻す手伝いもしてやった。



「で、残業してまでする仕事って何だい?」



 お菊が苛立ち気味に聞くと、薫が立ち上がり、頭をぶんぶんと振りながら唸り声をあげる。ふらつく身体を机で支えて口を開いた。


「おえっ······お菊覚えてっか? 『ハートの女王箱庭事件』のこと」



『ハートの女王箱庭事件』

 それは『不思議の国のアリス』のキャラクターを名乗る犯罪組織が起こした大規模無差別殺人事件であった。共通点はなく、証拠もとぼしく、警察がさじを投げて迷宮入りしかけていた。


 ──主に薫が引っかき回し、犯人を特定して黒幕さえも捕まえたのだが。

 あれが隼にとって初めての大事件であり、二人にとって一番仲の悪かった事件である。



「で? 何が言いたいのさ。さっぱり分かりんせん」

 お菊は頬杖をついて話を聞く体勢をとるが、「それが残業の理由にはならない」と言いたげだった。袖から煙管を取り出すと、薫と隼は『火気厳禁』の焦げた貼り紙を指さした。

「い~けないんだいけないんだぁ〜。だからと言って何もしな〜い」

「何もしねぇのかよ」

「え? お菊やって欲しい?」

「いや、断りんす。つーか電子煙管だし」


 二人の目の前に突き出された煙管は確かに電子煙草タバコの改造版で、隼が納得するとお菊は煙管をふかし始める。

 ──そんなもんあるのか。



「残党が関わってるかもしれないんですよ」



 お菊の瞳が変わった。保護者オトナとしてではなく、警察として、上司としての目で見据える。

 薫はそれを見逃さず、「そうこなきゃな」とニヤリと笑った。

「奴らの中で逮捕できなかったのがいる」


 隼が資料の中から数枚の絵を机に並べた。それは犯人の顔写真ではない。よく目にする童話の絵だ。

『マッドハッター』と『三月ウサギ』、『チェシャ猫』、そして『アリス』

「どうも姿を隠すのが上手いらしいな」

「今更かい? 三年が経ちんした」

「三年経ったからじゃね? ちょっと引っかかんだけどよ」

 薫がちらっと目配せしてくる。

 隼はパソコンの画面をお菊に向け、被害者リストと地図を見せた。

 年齢、家族構成や交友関係、住所や勤務先、殺害方法など、可能性のある条件で絞り込んでも全員一致が一つもない。


「同じような人物で集めても必ず何かが違うんです」

「電話で監視カメラの映像の回収頼んだけど、無駄そうだな。目撃者もいなさそうだし。三年前そっくりだよ」

「最初は事件後にちらほらと出た模倣犯を疑ったんですが、ここまで完璧に模倣するのはありえません」

「ふぅん、だから残党をねぇ······」


 煙を吐き出し、簡潔な指示を出した。

「街全体の監視カメラの記録を調べなんし。あと聞き込みを忘れないように」



「はいっ!」

「は?」



 隼は脱力した。お菊は反射的に薫を睨んだ。


「お菊聞いてたか? 三年前は記録もなけりゃ目撃者も居なかったんだぞ。ったく、これだから古い人間はす~ぐ話を忘れ──」


 お菊の右手がそっと薫の頭を掴んだ。母の如き優しさに薫が油断した瞬間、鬼神の如き力が頭を握り潰そうとする。


「いだだだだだだだだ!!」

「いい加減、人に対する言葉遣いを覚えなんし。痛い目に遭いんす」


 もう遭ってるわ! 叫びながら薫はお菊の手に火をともした。反射で手が離れた一瞬を突き、床を蹴って後ろに跳躍する。お菊から十分に距離をとった机に着地した。


 あー、いつも通りの光景だ。


 平和だなどと、ほのぼのと見ていられたのは今だけだった。薫が飴を噛み始め、お菊が煙管をくわえて手首を回す。

 ──マズい、二人とも本気だ。

 互いに睨み合いながら、能力発動のタイミングをうかがっていた。


「はいはいはい、止めましょう。やってる事がしょっぱいです。今日は帰りますから」



「止めんじゃねぇ!」



 仲裁に入った隼を薫が一喝いっかつした。

 怒りに満ちた笑みを浮かべてお菊と対峙する。隼から警棒をひったくって火を灯して構えた。お菊は袖から短刀を取り出す。


「今すっげー面白いトコなんだよ。邪魔すんじゃねぇぞ」

「そうさ。残業くらい好きなだけしなんし。わっちを倒せたら、でありんすが」


 バチバチと音が聞こえそうなほど火花を散らす。こりゃダメだ、と隼は判断した。互いを目で捉えて離さない薫とお菊。このまま真剣勝負が始まっては刑事課が灰になりかねない。


 ──仕方ない。最終手段だ。



 薫とお菊が足に力を込める。

 隼が携帯電話に手をかける。



 薫が机を蹴って跳躍する。

 電話帳を開いて二人を睨む。



 やいばが交わるその刹那せつな、隼は「署長呼びますよ!」と叫んだ。二人の眉がぴくりと動き、薫は後ろに重心を落として着地した。

 二人は青ざめた顔で隼に視線を送った。「本気じゃないよね?」と問いかける瞳に、署長の電話帳を見せて返答した。電話のマークさえ押せばすぐ連絡が取れる画面に、薫はプルプルと震えて怒りを抑え込んだ。


「············わかった! 帰る! 明日から残業許可よこせ!」

「承知しんした。残業時間は八時まででありんす」


 停戦条約を交わし、薫はガムを噛みながら出ていった。隼が電話をしまい、薫の背を見送るとお菊が「あぁ!」と叫んだ。



「薫め、勝手に持ち出しんしたな!」



 一瞬、隼には訳が分からなかった。が、机の上に置かれたUSBを拾うお菊に合点がいった。


「警察が投げた仕事でありんす。同封されてるはずのデータがなくて、不備だと思っていんした」


 ──初めて知った。

 隼は桜木から受け取ったことと、その経緯を説明するとお菊は眉間にシワを寄せた。何となく理解はしたようだ。


「まぁいいや。早く帰りなんし」

「あ、はい」


「あ、署長からの伝言がありんした。『嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるぞ』······ってさ」

「··················はい?」


 謎の伝言を受け取り、一礼して薫のあとを追った。

 ただ一人、その場に残ったお菊は椅子に腰掛け煙管をふかし続けた。今にも落ちそうな電球の下で静かに煙を吐き出した。煙は一瞬、時が止まったように宙を漂い、霧のように消えた。お菊が時計を見上げる。


 時刻は夜九時を過ぎていた。

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