第4話 警察と万引きとおっさんと 2

 ──ありえない。


 その感想しか出てこなかった。物が音もなく、忽然と消えるだろうか。


 一つ消える。もしくは一つずつ消える。それならまだ理解は出来た。

 全て消えるなど、それもほんの一瞬、まばたきする間があったかどうかの時間で。


 ───狐につままれたようだ。


 呆けている間にも<口論は悪化する。少年が店長に噛みつくような物言いをし、店長がそれに乗っかった。


 店長が少年に掴みかかったところで、薫が仲裁に入った。


(───珍しいな)


 普段なら、薫はこういう時、絶対に手を出さない。何か考えでもあるのだろう。


 隼は薫の考えを尊重し、見守ることにした。しかし、薫は余計なことをつらねにつらね、店長をさらに怒り狂わせていた。

 理由はすぐに分かった。


 ──最初の一言の仕返しだ。


 をぶつけているのだ。喧嘩っ早い薫が、言われっぱなしでいるはずがない。

 現に少年と一緒になって、店長を笑ったりからかったりして、楽しそうにしている。

 隼は、店長が全身を震わせ始めたあたりで止めに入ろうとしたが、それよりも早く、店長は薫を強く突き飛ばした。


 薫は少しよろめいたが、体幹のおかげで転倒することは無かった。だが、興奮する店長の矛先が、少年から薫に変わった。



「さっさと逮捕すればいいだけのことに、貴様という奴はっ!!」



 薫は黙って話を聞く。これまた珍しい。



「ガキのクセに偉そうにしやがって! お前らが『少年秘密警察』だな? 親戚に警察がいるから知ってるんだ。『化け物警察』だってこともな!」



 隼の心臓が強く脈打った。

 それに気づかないようにした。

 店長の言うことを、聞かないようにした。


 それだけが、今できる精一杯の努力だった。


「人権持たぬ化け物が、よく顔を上げて道を歩けるものだな! 人にもなりきれん奴らが、ワシら人間様に口をきけるなどありがたいことなんだぞ! 本来ならば、地べたに這いつくばって、ワシらの靴を舐めるが関の山よ!」


 はらわたが煮えくり返るような怒り。

 既に限界を超えた理性。


 何度、言葉を飲み込んだか。

 何度、警棒・拳銃に伸びる手を抑えたか。


 調子に乗った店長は、この上ないほどの罵詈雑言ばりぞうごんを容赦なく浴びせ続ける。


 プチッ──と、何かが切れた。


「ええ加減に──」



「いい加減にしなよ! おっさん!!」



 少年が怒鳴った。

 隼の怒りは、少年の声に持っていかれてしまった。


 だが、助かった。何をするか、自分でも分からなかったからだ。


 店長はキョトンとして、少年を見つめる。少年の表情は、この場の誰よりも怒りに満ちていて、誰よりも恐ろしいものだった。



「おっさんの方が、おにーさん達よりよっぽど化け物だよ!」



 口論していた時よりも、ずっと強い口調で、ずっと大きく威嚇するような声で、二人を庇った。

 少年は強く拳を握っていた。


「黙れっ!! 貴様、化け物諸共もろとも──」



「おっさん」



 先程まで黙っていた薫が口を開いた。殺気を放ち、静かにレジからバーコードリーダーを手に持って。


(──マズイ。あいつ殴る気だ!)


 薫は、バーコードリーダーを高く掲げる。


「待てっ……薫!」


 隼の静止も聞かず、薫は───店長の頭にそれをかざした。


 時が止まったような気がした。一秒にも満たないような短い時間が、とてつもなく長く感じる。


 誰も動かなかった。誰も動けなかった。


「────って! 読み込めるわけねぇだろ!」


 ピッ! 反応した。


「読み込んでんじゃねぇよ!」


 レジに浮く電子の文字に、皆が注目する。


『そっぷるたん 一円』


 少しして、店長以外が盛大に笑い出した。

 何かも分からない商品名と、原価を無視した売価に腹を抱えた。

 隼も、笑ってはいけないと堪えたが、笑わないようにすればするほど、可笑しくて堪らない。


 謎の文字が店長を釘付けにする。それが余計に可笑しくて、腹がよじれるほど笑った。


 少年は涙が出ているし、薫は呼吸困難になりかけている。一人ポカンとしているのは店長だけだ。


 数秒経って店長が、タコのように真っ赤にした怒り顔で、声の出る限り叫ぶ。笑い声はすぐ止んだ。

 おそらく「ワシをバカにしてるのか!」と叫んだ店長が、薫に殴りかかる。

 少年が「危ない!」と叫んだ時には薫の顔の数センチ先に拳があった。しかし、薫は全く動じない。避けようとさえ思っていないようだ。



(あのバカ……!)



 隼は横から手を伸ばし、風のような速さで店長の拳を自分に引き寄せる。体が正面に向いたあたりで、えりを掴み、引いた腕を背負い、ほんの少し怒りを込めてすねを蹴りあげて背負い投げた。


 呻き声をあげる店長を裏返し、腕をねじり上げて、動きを封じる。店長が、自分が押さえつけられていることに気づいたのは、三秒後だった。


「隼、もういい。少しときめいた」

「気持ち悪い」


 隼は店長を見下ろし、強い口調で言ってやった。


「店長さん、万引きされて怒るのも、薫にからかわれて怒るのもわかります。あいつウザイし」

「おい。一言余計だろ」

「それでも言っていい事、悪い事の区別はつけて下さい。あなたが先程おっしゃった『化け物警察』は蔑称べっしょうです」

「ハッ! 事実だろうが」


 腕をねじ上げる力が強くなる。

 骨はミシミシと音を鳴らし、店長は悲鳴をあげた。

 ドアは閉まっているはずなのに、風が店内を吹き抜けた。

 隼は歯を食いしばった。怒りを抑えても、体が言うことを聞かない。


(誰が望んで、こんな能力ちからを得るか)



「隼怒らすとか、おっさんスゲーな」



 薫の声で我に返った。腕の力を緩めると、吹いていた風も止んだ。

 薫はケラケラと笑いながら、店長の前にしゃがんだ。


「久々に見たわ〜。確かにおっさんの性格、クッッッソ悪いからなぁ」


 笑いながら隼の顔を見ているが、その目は「しっかりしろよ。らしくねぇな」と、言っているように思えた。


「おっさん友達いねぇだろ。どーせ四十代で独身で部屋汚くて? 肌着にステテコ・ワンカップでテレビ眺める、寂しい生活してんだろ?」

「何で知ってる!?」


 ──大当たりじゃないか。


 この反応は薫も予想外だったらしく、隼と二人仲良く頭を抱えて、ため息をついた。

 隼は、地雷を踏んだことに対してフォローを求める薫から、顔を逸らした。こればかりはフォロー出来ない。


「んー……どうすっかなぁ? 証拠なくなったんじゃ、連れてけねぇぞ」

「家に帰すか?」

「いいけどよぉ、調書アレどうすんだよ」

「車で適当に書け」


 薫が、珍しいものでも見るような目で「マジかよ」と呟いた。そしてレジを見上げ、首を傾げて何かを見つめる。


「じゃあ、隼の言う通り、家に帰すか。おっさん、次は常識持ってこい」

「職務怠慢か!? 万引きしたんだぞ!」

「盗られたもんがないんじゃあ、どうしようもねぇだろ」

「大人の言うことを聞けクズ共!」



「うるせぇ。こちとら警察だぁ。公務執行妨害で逮捕すんぞ」



 滅多に出さない警察手帳を片手に、薫は鋭い目つきで店長を見据える。仕返しの残りが、今来たらしい。


 隼の記憶では、薫を怒らせて無事ですんだ者はいなかった。

 蛇に睨まれた蛙……なんて、よく言ったものだが、薫が蛇で済むはずもない。より恐ろしい存在に見えているはずだ。隼も経験があった。

 店長は小刻みに震えて、動かなくなった。知らぬ間に、店長の下から水が湧き上がっている。


「うわっ! きたなっ! …………気絶した?」

「みたいだ。ちっせぇな、器も膀胱ぼうこうも。じゃーな、そっぷるたん店長……って、聞こえてねぇか」


 下半身に水溜りを作って気絶する店長を残し、少年を連れて外に出る。

 川ができそうな程に降っていた雨は止んでいて、雲間から光が差し込んでいた。


 ***


「えーと、名前は? いくつ? 学校は?」

桜木さくらぎ むくろ。年齢は十七で、学校は行ってない。中卒なんだよね」

「十七!? オレと同い年じゃん!」

「ホント!? 仲間だ!」

「ウェーイ!」


(うるせぇ〜……)


 後部座席が騒がしい。

 隼は運転しながら、貧乏ゆすりをした。それでも、今のところ薫が仕事をしているので、文句は言わない。だが多少苛立ちはする。


「親の仕事は?」

「父さんが警察なんだ。母さんは働いてないけど、よく出掛けてて、家にいないよ」

「ほ〜。今まで補導されたことは?」

「ブラックリストの常連だよ」


 ──常習犯かーい。

 家に帰さず、こっそり少秘警に連れていこうかと考えたが、もう住宅街に入っている。今さら撤回は出来ない。


「あ、そこ右ね」

「…………右な」


 薫と桜木と名乗った少年は、楽しそうに笑って話をする。

 さっきの店はどうで、前の店ではこうした。あの店では殴られて、向こうの店では泣かれたとか。仕事の話こそしているが、聞いている側としては、ただの万引き被害自慢だ。


 ──やっぱり、逮捕しちゃおうかな。


「でもさぁ、やってないって言ってるのに、みんな僕を万引き扱い! ヒドイと思わない?」

「そうだな。本当にやってないならな」

「えー! おにーさんも疑うの!?」


 頬を膨らませて、外に目を移す桜木。


 そりゃそうだろうよ、ブラックリスト君。と隼が口パクをした。薫は笑って濁す。桜木は「あっ」と思い出したように、口を開いた。


「おにーさん達って、警察でしょ? おっさんが言ってたけど、少年秘密警察ってなに?」


 興味津々きょうみしんしんだ。まるで幼子のように目を輝かせ、所属やら普段の仕事やらを質問する。


 しかし、『秘密』警察だ。


 世間にもほとんど知らされていないし、説明も出来ない都市伝説組織だ。教えるわけにはいかないのだが……──



「ああ。未成年を中心にした、警察組織だ。オレが刑事課で、あいつが警護課。仲良く仕事してるぞ」



(──ケロッと喋るんだよなぁ、薫は)


 桜木はさらに興味を持ったようで、薫を質問攻めにする。薫はほぼ全ての質問に答えていた。


「お前『秘密』って言葉、辞書で調べて。そんで赤線引いて」

「何で?」


 運転している間、薫が機密情報を漏らさないか不安だったが、一つも漏らすことは無かった。

 流石に言えないことは分かっていたか。



「ねぇ、何で『化け物』なの?」



 心臓が凍ったような、縛られたような感覚がした。

 薫の顔から笑みが消えた。

 桜木が腕を組んで、眉間に皺を寄せて「うーん」と唸る。


「よく分かんないんだよねぇ。普通のお巡りさんが出来ないことやってるんでしょ? でも父さんの口から、おにーさん達のこと聞かなかったよ? こんなにすごいお巡りさんがいる所なのに、何で『化け物』なの? あ、もしかして、すご過ぎて、そう呼ばれるとか!?」



「半分当たりで、半分違うな」


 薫が少し寂しそうに笑う。

 ミラー越しに目を合わせた。


(一回だけ)

(バカか。後悔するのはお前だぞ)

(後悔しねぇよ。頼む、一回だけ)


 微笑む薫から目をそらし、隼はイヤリングに触れた。


「隼の許可が取れた。一回だけだ、よく見てろ」


 薫が拳を強く握る。


「揺らめく火の粉は何を夢見るや」


 一言ばかり呟いて、ふわっと手を開く。火の玉が三つ、後部座席を漂った。薫は桜木の目の前で火の玉をもてあそび、手のひらに戻した。

 炎は手の上で円を描くように回ったかと思えば、楽器に変わり、牡鹿に変わり、花に変わり、散るように消えた。

 目の前で起きた超常現象に、桜木は目を大きく見開いていた。



「オレらは『能力者』だ。 故に、『化け物』だ」



 そう言って、薫は前を向いた。次の行動を知っていたからだ。車を止めさせて逃げ出すか、武器を奪って、殺そうとするか。


 しかし、桜木は予想の斜め上をいった。


「すっごぉぉぉぉい! なになに!? 今の何!? これが超能力ってやつ!? おにーさん達も超能力者!?」

「えっ!? いや、『超能力』じゃなくて『能力』っていって……」

「やっぱりおにーさん達サイコー! 僕こんなの初めて見たよ!」


 興奮して「もっと見たい」とせがむ桜木を、どうにか落ち着かせて、家に案内させる。



 桜木の嘘情報によって、遠回りを繰り返し、ようやく着いたのは古いアパートだった。

 雑草が伸びに伸びて、ジャングルのようだった。建物は全体的に劣化していて、ほかの住人が居るかどうかも怪しい。

「僕ん家ここの二階なんだ」と言って、車のドアを開ける。


「あ、これあげる。父さんの書類から盗んじゃったけど、おにーさん達なら任せても大丈夫だよね」


 桜木は、パーカーのポケットから取り出したUSBメモリを、薫に手渡す。


「最近無差別殺人が起きてるんだって。ホント物騒だよね〜」

「それとこれが、関係あるのか?」

「分かんないけど、似てるんだよね」


 桜木が笑う。さっきとは違う笑みだった。



「『ハートの女王箱庭事件』に……さ」



 桜木は笑いながら車を降り、アパートの二階の奥の部屋に入っていった。

 隼は狼狽え、薫は驚いた顔でメモリを見つめていた。


 託された事件の冷たさと、困惑した脳の妙な温もりが、桜木の悪戯っぽい笑い声と共に体を巡る。

 空はまた曇り始め、ポツポツと雨が降ったかと思うと、また滝のようなどしゃ降りに変化する。



「────署に戻るぞ」



 薫の声で、現実に引き戻された。ついさっきまで驚いた顔でUSBを見つめていた薫は、いつもの飄々とした顔で外を見つめていた。

 隼は言われるがままに、車を走らせる。


 車内に響くのは雨音と、二人の異なる鼓動だった。

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