デュラバルデュッケの伝説が、真実だと言われる訳
まさか、騙すと宣言した者の案内を受けるわけにはいかない。
デュラバルデュッケの森の奥、私はなんとか日が暮れる前に、目的の集落へと自力でたどり着いた。
森が開けた山肌の一画は、岩がところどころ剥き出しになり、その上にテントのような家が立ち並ぶ。
その支柱となった四本の丸太が作る天頂の穴から煙が立ち上るのを見て、各々の家庭が夕餉を迎える頃合いであることを知った。
古き暮らしぶりに心を取られていた私の前に集落の者が幾人か現れると、彼らは笑顔を浮かべて大変親切にしてくれた。
そして長老への目通りを日暮れ後にではあるが取り次いで下さり、それまでの慰みにと周辺の案内を、さらには食事まで提供してくれた。
異文化交流。
私はその責務に緊張したものだが、その心も次第にほぐれていく。
それというのも、驚きの連続が私を待ち受けていたからだ。
まず、案内のあった滝の景観と、巨大な口を開けた洞窟の入り口に神秘を感じることになる。
いずれも夕闇では暗く、全景を認めるには能わなかったものだが、それはこの地に天使が封じられているという伝説を信じてしまいそうなほど不思議な光景だった。
対して、口慣れないものが供されると覚悟を決めていた夕餉には、我々が食するような品が多く出されて安堵した。
しかも、陶や金属の食器まで使われている。
これはどうしたものかと訊ねた所、旅人が置いていく金銀にて、若い者が下山して購入して来るとの話だった。
この話題は、外界から隔離された土地と聞いて訪れた私の緊張をほぐしてくれた。
そこで案内と食事の代金のつもりで銀貨を一つ支払うと、大層感激してくれて、天使へ捧げる舞まで披露してくれた。
だが、最も私の心に平穏を届けてくれた者。
それは、テントからテントへ笑い声を運ぶ昼間見た女の姿だ。
なるほど、こんな集落だ。お互いの誕生日など知れていて当然。
その日に彼女が騙し歩くことも、皆には最初から知れている。
テントの中では、どんな手管で自分達を騙すつもりか待ち構える者達と、それをいかにして逆手に取るか工夫する女との頭脳戦が繰り広げられているのだろう。
そして、あれだけ知恵の回る女だ。
またひとつのテントから、大きな笑い声を生み出して、満足そうな笑顔と共に隣のテントへと向かって行った。
……この風習は、お祭りのようなものなのかもしれない。
そう考えると、あの悪質な冗談にまんまと引っかかった私の注意力の低さが滑稽に思えて、任務中であるというのに、つい噴き出してしまうのだった。
「さてお客人。長老様のお祈りが済みました。どうぞこちらへいらしてください」
背の随分と折れた男に促され、私は緩んでしまった心にもう一度麻紐をかけ直しながら世話になった者達へ暇を告げる。
そう、これは任務。
長老様に失礼があってはならない。
そしてもう一つ……。
何としてでも聞き出すのだ。
私は、ある望みを叶えるべく、集落で最も大きなテントの中へと足を踏み入れた。
――石の床、つまり地べたに尻を突く老婆。
薄汚れ、時代物となったとは言え、高級で色数の多い織物を身にまとう。
こちらがデュラバルデュッケの長老様か。
私は入り口近くに片膝を突き、低く首を垂れる。
すると背後で掛け布が二重に降ろされ、テントの中、謁見の場は、外に焚かれていたかがり火の灯りを手放した。
長老の脇に置かれた暗い灯は、匂いからして獣脂であろう。
芯から上る炎は心許なく、長老の頬と鷲鼻だけが暗闇に浮かび上がっていた。
外国では気体の燃料すら売り買いされるという時代に、この文化。
言動には細心の注意を払わねば。
「ほほ。どうぞ客人。よくおいでなさった。ここへ足を運んだということは、二つの願いの何れかじゃと森が告げる。一つは伝説の話。一つは真実の話」
「私は、領主様の命によりこの地へご挨拶の品を運んだに過ぎません。ですが、個人として興味がありますれば、いくつかお話など拝聴させていただきたく存じます」
思いの外、声がくぐもる。
それはこのテントの天頂に穴が開いていないせいであろう。
にわかに、自分の声音から嘘偽りを見出されているのではないかという心地に背筋が凍る思いをしたが、長老はゆったりとした笑いを返してくれた。
だが、安堵したのも束の間の事。
やはりこの方には慧眼が備わっていたようだ。
「ほほ。この地の伝説をその身で受けるべくいらしたか。まあ、近くへ来やれ」
「いえ、私は……」
「森が、そう告げておる。隠すでない。それに、別に咎める気なぞ無い」
どこまで信じることが出来るのか。
いや、そんな考えもすべて筒抜けなのか。
私は心臓に爪をかけられた心地で歩みを進め、長老の前に傅いた。
「……ワシが話す伝説。これは別に隠すものでもない。いくらでも話そう。これは、森が決めたことなのじゃ」
「それは助かります。されば、こちらも隠す必要はございません。私は……」
「待つのじゃ。今のは森が決めたこと。あとは商売じゃ」
「商売?」
何の話か。
「客人が望む物が実話だとするならば、くたびれるからの、ひとつ話すに、銀貨一枚いただこう。あとは、こんな森では眠るのにちと寒かろう。乙女の肌を貸してやるが、これをひとつさする毎に銀貨一枚じゃ」
「なんと、にわかに俗なるものになりましたな」
「ほほ。客人の願いも俗と見える。ならば対等であろう?」
さすがの御慧眼。この御仁にはすべて見透かされているようだ。
私は包み隠さず、娘の病のことを話した。
この地には、願いを叶える洞窟についての伝説がある。
それがどういった類のものか知る由も無かったが、こうして機会を得たのだ。
すがりたい。
娘を助けたい。
「……なるほど。洞窟の話を所望か」
「是非とも、お願いしたい」
金に糸目などつける気は無いが、伝説については無料で話してくれるとのことだ。それに甘えよう。
集中する私の耳に、しわがれた言葉で洞窟の伝説が綴られていく。
言葉を一つ結ぶ都度に揺れる頼りない炎が、その言葉に畏怖を与えていった。
「されば、洞窟の中へ松明と干し肉を持って入るが良い。洞窟の中には、丸一日歩いたところに願いの寝床と呼ばれる祭壇があるのじゃ。ここで寝た者が楽器の夢を見たならば、近く子宝を授かる。蛇の夢を見たならば、家に金が舞い込む。そして、貝の夢を見たならば……、家族の病が治る」
なんと、まさに三つ目のものは私の望みそのものではないか。
だが……。
「なるほど、拝聴してよく分かりました。やはり伝説なるものは絵空物語のように私には届きます。まあ、今の私はこれを試すのにやぶさかではないのですが……」
「ほほ。これは紛れもなく、真実じゃよ?」
そう言いながら、長老様はローブから折れそうなほどに細くなった左の腕を俺に差し出した。
「この肘は? なにやら、真っ白にひびの入った有様ですが……」
「どうぞ、触れてみるが良い。まるで石灰のようじゃろ」
確かに、石灰を塗り固めたような質感だが、これが?
「ワシはかつて、腕を落としたのじゃ。じゃが、家の者が願いの寝床で貝の夢を見てくれたのじゃ。するとこうして、不便なく元の通りに戻ったという訳じゃ。ちと色白になり過ぎたがの」
「なんと! それが本当であれば、是非ともすがりたい!」
私は興奮して立ち上がったせいで、意図せず灯を煽り消してしまった。
そんな暗闇の中、しわがれた声が続く。
「この地には、想像を結んだ話などない。全て、皆が体験し、皆が見聞きしてきたもの。女神さまが涙しておるのも本当じゃ。この山の頂に閉じ込められておるのじゃ。さあ、願いの寝床へ向かうと良い。首尾よく貝の夢を見たなら、娘子の病も治るじゃろう」
「ああ、早速準備をしよう。貴重な話をいただいた。礼をさせていただこう」
私は懐中に入れた手で銀貨を三枚ほど掴むと、暗闇から低い声が響いた。
今までのしわがれた声に張りがもたらされた、厳しい声が。
「但し! ……決して見てはいけない夢がある」
「………………うまい話ばかりではないという訳か。うかがいましょう」
「それは、死神じゃ。もしも夢の中に鎌が現れたら、その場で皆、魂を抜かれて消えてしまう。最近ではよその地から訪れた童が二人、止めるのを聞かずに飛び込んで、戻ってくることはない」
この言葉を聞いて、私は膝から崩れ落ちた。
何という事だ。それでは……。
――長老は、火打石で再び灯を点ける。
そして金の話をしていた時の、軽い口調に戻ってこう言った。
「さて、ワシの話は全て真実。長く話したからの。ふところで握っている、三枚の銀貨をいただこうかの」
彼女の慧眼は本物か。
そう、この地にあるものは、すべて真実。
……つまり伝説など、はなから無かったのだ。
「上手い商売ですね。ですが、実話にならともかく、そんな作り話にはこの銀貨をお支払いすることはできません」
「む? ……ほほ、これは頭の切れる御仁じゃ。そう、ワシらはこの話に仕掛けしておる。なかなか気が付く者はおらぬで、皆、言うがまま金を置いてゆくがな」
「情けない話、昼間に一度騙されておりまして。それが無ければ気付かなかったやもしれません。……此度は、当方の勝ち逃げということで」
私が暇を告げようとすると、悪戯童のような笑いが服の裾を掴む。
「ほほ。じゃが、童らの話は本当じゃ。あの子たちは本当に帰って来なんだ」
「……やれやれ、仕方ありません。約束を違えるわけにも参りますまい」
私が銀貨を一つ長老へ渡すと、さらに言葉を継いでくる。
「天使様の話も、本当じゃ」
確かに。
これを払わないではデュラバルデュッケそのものに失礼か。
さらに一枚の銀貨を渡したが、このままでは身ぐるみ剥がれてしまう。
だが、少し腹立たしい思いと共に立ち上がった私に、またも声がかけられた。
「ほほ。足りぬぞ。もう一枚じゃ」
「いい加減にして欲しい。もう、真実の話は無いはずだ」
「確かに、真実の話はもうありはせぬ」
そう言いながらにっこり微笑む老婆の腕に刻まれた無数の十字傷。
彼女はその熟練の手管で、私に大笑いさせながら最後の銀貨をせしめたのだった。
「乙女の肌を、ひとつさすったろうが」
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