アリザの屋敷が人食い館と呼ばれる訳
ラァナから森に分け入り、その喧騒が届かなくなる境よりさらに奥。
ひとつ喉を湿らす小川のほとりに休み、その先に目を向けると、ややもすれば
この道を踏み分ける者はそうおらず、せいぜい日に一人、二人。
一人としか数えることが出来なかった場合、その者は、小川からもうしばらく奥にぼっかりとできた広場に構える屋敷の女主人であろう。
この女主人。アリザ。
その名を知る者は片手で足りるというのに、その姿を知らぬ者は無い。
顔を見せるは、森を反対側へ抜けて北上したところにあるヤナイの町か、あるいは詐欺の村、ラァナのどちらかのみ。
そのいずれにおいても、彼女はこう呼ばれる。
『魔女』。
レンガ造りに
その半分崩れた階段を上ると、黒ずんだ真鍮製のノッカーが
かつてヤナイの町で大層幅を利かせた商店を営んでいた主人は、その偏屈の名に恥じぬが如く、隠居するとこんな
二人の間には子が生まれたが、いつしか館に灯りを一つしか臨むことが無くなると、この女主人はラァナの教会から孤児を二人引き取って育て始めた。
だがいつやら彼らの姿も消え、また二人、また二人と、今暮らす二人の子らを合わせて六人もの孤児を大枚にて身受けていった。
――今、彼女と暮らす兄と妹。
引き取られてから一年程となる幼い兄弟。
未だに女主人を名前で呼び続ける二人は、兄がフクロウを飼っており、妹がネズミを飼っている。
妹が屋敷に来て、初めて話をしたのがこのネズミだ。
生まれたばかりだった子ネズミは、いまや寿命に近くまで歳を重ねている。
女主人も辟易したものだが、少女がこれを友達と呼ぶのでは仕方なし。
食事に添えられるチーズを半分残しては、妹の唯一の友達に食わせていた。
だが妹のネズミは、与えるチーズの半分も食べない。
縁の欠けた皿に欠片を置き、ネズミが軽々出てしまうであろうほど柵の間隔が開いた巣箱に入れてやると、いつも三つ齧ってはぼろに潜り込んでしまうのだ。
そんなぼろの隙間から、ネズミは目を光らせる。
警戒しながら見上げる先は部屋の
帽子掛けに傾いてかけられた鳥籠にあって、いつもこちらを見ているのは、兄が飼うフクロウだ。
このフクロウ、教会にいる頃から兄の手で飼われていた。
いや、飼われていたというより、勝手に教会に住み着いたものを懐かせたと言うべきなのか。
兄が妹と共に屋敷へ引き取られた時、彼の肩に掴まったままでは仕方ない。
女主人は鳥の丈に不相応な小さな籠を与え、自分がなるべくいない所で放すよう厳しく言い渡したのだ。
兄はこの言いつけを守り、女主人のいない場所で、餌の時間の都度にフクロウを出してやった。
時に台所、時に食堂。
つまり、屋敷のネズミを見つけてはそれを食らう訳だ。
そして、屋敷を賑わすネズミが減ると、女主人は大層喜び、自分のいるところでこれを放すことを逆に命じるようになった。
――ある日、女主人が買い物へ出ている時、兄は子供部屋でこのフクロウを放ったことがある。
自分の子飼いを食われてはたまらないと守る小さな妹の背の向こう。
ネズミは自分の同胞が一匹、また一匹と捕らえられる様を目の当たりにしたのだ。
……だから、このネズミは痩せている。
自分より旨そうなネズミに天敵の目を向けさせるため、チーズを腹いっぱいまで食うことを辞めたのだ。
これは、彼にとって必死の処世術。
だが、そんな兄のフクロウもまた、痩せている。
屋敷の主が調理場で鳥を鍋に突っ込み、変わり果てた同胞を食らう様をかつて見てしまったからだ。
妹のネズミも、兄のフクロウも、次は自分の番とならぬよう、やせ細ったその身でびくびくと心労を患いながら暮らしているのだ。
自分と同じ生き物が食われてしまう様。
その現場を一度でも見た者は、いかに自分をまずく見せるか工夫するのだろう。
それは知性があろうがなかろうが、生物の本能として備わっているものなのかもしれない。
……だからこの兄弟は、痩せている。
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