クララの静養所に老夫婦が訪れない訳


 儂が倒れたと知る時は、心根を倍にして仕事へ打ち込むべし。

 自分を頼る者がいる限り、先にそれを全うせよ。

 これが仕事というものであり、すなわち人生というものである。


 自分を頼る者がいなくなるまでは、屋敷に戻ることまかりならん。

 戻って来た時、儂が逝ってしまった後だとて、それを嘆くものでは無い。

 儂は、きっとお前を誇りに旅立ちを迎えていることだろう。



 ……

 …………

 ………………


 工房の腕は、構えで分かる。

 そんな店主の言葉通り、エカエルという小さな村に一件、随分と立派な木造の建物があった。


 木材は大層粗末なものの寄せ集めではあるが、丁寧な仕事が細部まで行き渡る。


 そんな工房に、働き者の青年がいた。

 特権すら持たない、名ばかり貴族の末裔だった。


 農園を自分で切り盛りする厳格な父に育てられ、成人を待たずして工房へ奉公に出たのだが、これがよっぽど家の教えがよろしかったのか他人の倍は努力する。


 休日も、賃金すら出ないというのに切磋琢磨し、たったの二年で小さな村の工房では教えることが無くなってしまったほどだ。


 それが専用の作業机を与えられ、町からの下請け仕事もこなすようになった頃、悪い言伝ことづてを聞くことになる。


 遠く離れた故郷から数日もかけてたどり着いた少年の言葉。

 それは、厳格なる父親が病に伏したというものだった。


 だが、その旨を伝えてくれた少年に多くの銅貨を握らせた後、彼はそのまま仕事へ戻ってしまう。

 さすがにやり取りを見ていた工房の主が彼に暇を言い渡したが、働き者の青年は首を横に振り、自分が担当していた車輪の修理に取り掛かった。


 青年が言うには、これが父の教えだとのこと。

 自分の仕事を投げて戻ったと知れば、父は自分を許しはしないだろう。

 それよりも、今抱えている三つの仕事を六つにして欲しい。


 呆れ果てつつも、主は仕方なしに彼の望むよう、仕事を倍にした。


 ……そんな六つの仕事が終わる頃、再び青年に言伝ことづてが届く。

 今度は、父親が持ち直し、今では元気になっているというものだった。



 ……

 …………

 ………………


 この時こなした六つの仕事の内二つは、プロケスタという町の工房から下請けしたものなのだが、これが鬼気迫るほどの素晴らしい出来だった。

 納品した先でも大絶賛だったとのことで、是非ともこちらで青年を預かり受けたいと、使者が村へと訪れた。


 その話を、村の工房の主は快く受け入れる。

 すべては才能ある青年のため。

 努力という才能を持っている青年のため。


 ……青年は、町の工房へ移った後も、それはそれは働いた。

 村の工房とは比べものにならない種類の仕事と新しい技術を、これまた二年もするとすべて身に付けてしまった。


 そんな頃、再び悪い知らせが届く。


 この時もまた同じことを言い出し、工房の主人を唖然とさせたものだが、やはり倍もの仕事が終わるころ、回復の知らせが届くのであった。



 この時の仕事には、都への献上品が含まれており、彼の名が都中へ広まることになるきっかけとなった。


 出資者が現れ、都で店を構えた彼の工房は、瞬く間に人気となった。



 故郷を遠く離れ、所帯を持ち、子が生まれ。

 そして子供達を奉公へ出すまで育て上げた頃には、働き過ぎが元ですっかり体のいうことが利かなくなっていた。


 そこで、十分な貯えを元に静養所を作り、彼は隠居した。




 ……

 …………

 ………………


 そして今日、地中海からの風を頬に受け、安楽椅子にもたれながら私は物思う。


 父の教えのおかげで、大変幸せな人生を送ることが出来た。

 息子達も、真面目に働いてくれていると奉公先から便りが届く。


 海岸に面した丘は青々とした草が茂り、緑の香りが疲れ切った体を癒してくれるようだ。


 目にも青い空が、青いアドリア海が、安らぎを与えてくれる。


 そんな青を横切る、白いカモメ達。


 はるか遠く、霞むほどに見えるアケルの岬から、風に乗って飛んで来たようだ。


 運命の女神アトロポスよ。

 この地を自分の為に準備してくれたことに感謝の祈りを捧げたい。


 私は胸に両手を組みながら、カモメの眩しい白さに目を細めた。



 ……この地は静養に適した優しい風は吹くものの、普通に暮らすには不便も多い。


 使用人がやってくれることとはいえ、食材などを手に入れるには、ヤナイの町まで遠出しなければならない。

 森に沿って行くと、近くにラァナという村全体が一つの馬車会社という変わった土地があるのだが、そこには客人を早く帰らせるためにまともな商店が無いのだ。


 使用人達には苦労をかける。

 もう一人くらい使用人を雇って、もう少しばかり仕事の負担を減らしてやろう。

 でないと、こうして体を壊すことになる。


 私はそう思いながら、膝を軋ませて立ち上がった。


 この地は、終焉を迎えるにふさわしき、素晴らしい場所だ。


 だから、父よ。

 厳格なる父よ。


 まったく沙汰も無しに半生を過ごし、きっと心配をかけたであろう父上よ。

 せめてもの孝行を受け取ってはくれまいか。


 この地で、一緒に暮らしてはくれまいか。


 ……私はこの通り、体を壊してしまった。

 その旨をしたためた手紙は目にしてくれただろう。


 なのにあなたは、返信すらしてくれないのか。

 手紙を出してから、もうずいぶん経つというのに。



 このままでは、私が先に旅立ってしまうことになる。

 あなたへ、感謝の言葉を伝えることが出来なくなってしまう。



 あるいは、考えたくない事なのだが。

 既に……。



 気付けば、潮風に涙を飛ばされていた。

 涙を流すなど、子供のころ以来だ。


 あの手紙すら、読んではいただけなかったのだろうか。

 妻のことを、子供たちのことを、私の半生をしたためた手紙。


 あなたへの感謝と、そして想いを受け継いで、息子達に同じ言葉をかけて送り出したという話を。

 私の体がもうもたないという言葉を。



 ……気付けば止め処なく流れる涙をそのままに膝を突いていた。

 そんな私に、遠くから声がかけられる。


 使用人が手にしていたのは、一通の手紙。

 その封印は、間違いなく我が家の紋章。


 私が涙していたことに驚いていた使用人から受け取った手紙を開くと、そこには懐かしい、見まごうことの無い厳格な父の文字で、こう書かれていた




 この歳で、儂を普段の倍も働かせる気か。この親不孝者。


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