第123話 準備完了

 エンデルの異世界の帰還を急遽行うことになり、こちらの世界も異世界も、てんやわんやで準備を進めていた。


「アキオ、向こうから届いたぞ」


 マオが満面の笑顔でアイテムバッグを見せてくる。


「おう、サンキュー。そんじゃあ、さっそくそこに出してくれ」

「うむ、分かったのだ」


 マオはアイテムバッグから大きな鏡を取り出し、指令室の隅に置いた。

 高さ2mほどの大きな姿見のような鏡である。その鏡面はこちらの鏡とは少し違い、少し黒っぽく光を反射している。異世界の品物なので、もう少しごてごてとした装飾でもしているかと考えていたのだが、意外とあっさりとしていて、こちらの世界の安物の姿見みたいな感じだ。

 この姿見で、ハンプのおっさんが魔王城と聖教国の城を行ったり来たりしていたのである。エンデルはこの鏡の事を、転移魔導鏡と言っていた。

 この魔導鏡は、魔王城のモノをこちら側に持ってきてもらったのだ。


 もしかして戻れるかもしれない、といった理由はこれである。

 ハンプのおっさんの話では、転移するのに結構な魔力を消費し、1往復すれば魔力が尽きると言っていたので、それなりの魔力消費はすると考えられる。エンデルはマオの角のお陰で魔力は半分程度回復したと言っていた。それならば転移できるのでは? と考えたのだ。


 マオなら何往復もできる魔力量を持っている(いた)という話もしていたので、エンデルの魔力がマオと同程度と考えるならば、楽勝ではないかと思うのだ。

 エル姫さんも、「ハンプ宰相とエンデル様では、保有魔力量は桁違いでしょう。エンデル様の半分でも、おそらくハンプの5倍、いいえ10倍以上はあるのではないでしょうか?」と、自信満々に言っていたので、大丈夫だろうと思う。


 一つ気がかりなのは、同じ世界での転移ではなく、こちらの世界から異世界に転移するので、消費魔力がどれだけ増えるのかが分からないという点だろう。片道で異世界での20倍以上の魔力を消費してしまうのなら、少し厳しいかもしれないが、そこまで消費すると俺は考えていない。

 おそらく大丈夫だと考えている。


「ほう、これが転移魔導鏡というものか。鏡を通して対の鏡に転移すると……珍しいモノがあるものだな」

「ですよね。こんなモノがこっちの世界にあったなら、きっと大騒ぎになりますよ」

「ワォ! これが終わったら少しの間貸してくださいねぇ~!」

「だめです!」「ダメだ‼」


 アイリーンさんが話に入って来たので、俺と大家さんは、間髪を入れずに却下した。

 アイリーンさんは、ぷぅ~と膨れて「ケチ~」と言っていたが、そんな許可は出せないのだ。きっとアメリカのどこぞの研究所で、くまなく調べ上げるつもりなのだろうから。他の魔道具も一切持ち出し禁止だな。


「だが要君。魔力量云々は別として、これで本当に異世界に転移などできるのか?」


 大家さんがこの鏡で本当に転移できるのか、心配そうに訊いて来た。

 もし転移できなければこの計画は失敗に終わり、これ以上手がない以上、異世界はエンシェントドラゴンとやらに蹂躙されることになる。向こうの世界が滅亡の危機に瀕するのだ。

 ただ俺は、この転移は可能と考えている。何故なら、


「たぶん、いえ、間違いなく大丈夫だと思います」

「何を根拠に、そんな自信に溢れた返答をする? 失敗したら要君の全財産を課金してやるからな」


 何か恐ろしいことを言う大家さん。ネトゲに全財産を投下されるのはやり過ぎだろう。家賃も払えなくなるよ。てか家賃だけで満足してろよ!


「理由は簡潔です。エンデルのアイテムバックが機能している以上、異世界とこちらの世界でも魔法的な繋がりがあるということです。ならば高確率で転移できると考えました」

「おお、なるほど……」

「ただ、こちらの世界では魔法が使えないかもしれないと言っていたので、その辺だけがネックでしたけど、エンデルの魔力が回復してきているということなので、魔道具なら大丈夫だと思いますよ」


 魔道具はこちらの世界でも十分機能しているので、それは間違いないことだ。


「ふむ、社畜な要君にしては、ちゃんと考えているようではないか」

「社畜言うな! てか今は社畜じゃねーし、社長だし!」

「ははははは、まあ分かった。それならば大丈夫かもしれんな。ただ万が一があるのでこちらも手を尽くすがな」


 大家さんは納得してくれた。

 そして、もしダメな場合、エンシェントドラゴンを倒すための手は尽くすと言ってくれている。大家さんとアイリーンさんは、各方面に根回しをして、高火力の兵器を調達する算段を付けているようだ。多少時間はかかっても、異世界が破壊し尽くされる前に、エンシェントドラゴンを倒そうということらしい。頼もしいものだ。


『アキオ様、魔法陣は八割方完成したなの。それで師匠は後どれくらいで来られるのなの?』


 異世界のプノから連絡が来た。


「おう、プノ。もう少しで準備が整う。少し待ってくれ」

『はい、わかったなの。師匠が来たらすぐにでも魔法陣の確認をできるようにしておくなの』


 魔法陣はもう完成間近らしい。作業を始めてから一時間も経っていない。早いものだ。

 今回も色々とこちらの世界の技術を駆使している。手書きでなら数日かかるであろう作業を、大幅に短縮しているのだ。

 プノから魔導書を受け取り、うちの会社の社員がその魔法陣の図柄をコンピューターに取り込み、拡大、そして分割コピーをしたのだ。レーザープリンターのトナーは、前々から魔道具に使用する魔法陣の複写に使っていた。プノによって魔力が込められたものが大量に余っていたので、問題なく魔法陣として使えることだろう。

 大昔の【深淵の魔女】の直筆の魔法陣のコピーだ。描き写すよりも正確な魔法陣になる。

 会社のプリンターは只今絶賛フル稼働でコピーを実行し、刷り上がった先から異世界へと送られている。


「閣下! 買ってきたっす!」


 そうこうしていると、後輩山本君が大きな袋を両手に指令室に駆け込んできた。

 閣下呼びだが突っ込んでいる暇はない。


「おお、早かったな! 早速異世界に送ってくれ」

「了解っす!」


 後輩山本君は、急いで買って来たモノをアイテムバックへと放り込んだ。

 エンデルに聞いたところ、この世界の食べ物は魔力の回復の効果が高いのではないかと言っていた。

 当初エンデルは、魔力の回復に三千日ぐらいかかると見積もっていたのだが、こちらの世界の食べ物を食べていると、その回復量が想定より多かったらしい。そこにマオの角効果で、この短期間で半分ほどの魔力が回復したということである。

 特に魔力の回復が多かったのが、餃子だったのだ。だから後輩山本君に「餃子の玉将」に行ってもらい、餃子百人前をテイクアウトしてきてもらったのである。

 スタミナが付くとは思っていたけど、魔力まで回復するとは、こちらの世界では考えられないね。

 エンデルは向こうの世界に行ったら、儀式で魔力が必要になる。今現在でも半分ほどしか回復していないと言っているし、転移魔導鏡でどれほど魔力を消費するか分からない。それに儀式でどれほどの魔力が必要になるかもわからないのだ。

 異世界では魔力の自然回復が良くなるのと、マオの角での相乗効果、それにこちらの世界の効果的な食料で、少しでも魔力の回復を促そうという作戦なのだ。


 異世界では既に、魔力の回復に良い食事や薬などが準備されている。それに餃子が加われば、大食いのエンデルの事だ、儀式をできるだけの魔力が回復するだろうと見込んだのである。


「さあ後は、ヒロインの準備を待つだけか」


 エンデルは今、儀式前に身体のお清め中である。


「てか、アキオ兄ちゃん。師匠遅くない? ──ま、まさか!」

「──はっ!」


 ピノの一言でハッとした。

 今まではエンデルがお風呂に入るのは、俺がいるときか、もしくは極力誰かが付いている時にしていた。

 最初にお風呂に入ったときにのぼせて死にかけたこともあり、その後は気にかけていたのだ。


「アキオ兄ちゃん! 見に行ってくれ!」

「おぅ‼」


 この大事な時に、風呂で居眠りしていると思いたくはないが、エンデルのことだ、暢気にに寝ているかもしれない……。

 俺は急いで部屋へと戻った。



「──エンデル!」

「あ、アキオさん?」


 部屋に戻り、エンデルの無事を確認しようと洗面所で声をかけた時、エンデルはバスタオルで体を拭いている所だった。

 寝ていなかったことに安心したが、まさか素っ裸でいるとは思わなかった。


「あ、ご、ごめん……」


 エンデルがこの世界に来て、エンデル用に買ったピンクのバスタオルで、丹念に体を拭いている。

 当初からそうだったが、エンデルは恥ずかしげもなく自然体でいるので、逆にこちらが裸を見たのが悪い気がしてしまい謝ってしまった。


「なにがごめんなのですか?」

「いや、いきなり裸の所に……」

「夫婦なのです、もう裸を見せても大丈夫なのですよね?」

「あいや、それとこれとは……」


 エンデルはあっけらかんとしているが、余計に気恥ずかしくなる俺。


「ん、ああ、まあ、早く済ませろ、もう魔法陣も完成す……わっ⁉」


 俺はそう言って、洗面所から出ようとすると、エンデルが突然抱き着いて来た。


「アキオさん……」

「ど、どうした?」

「怖いのです、アキオさん……私で……私であの太古竜エンシェントドラゴンを封印できるのでしょうか……?」


 俺の胸に顔を埋めながら、抱き着く腕にぎゅーっと力を込めてくる。

 素肌の体温と、トクトクと早鐘を打つ鼓動が、直に俺に伝わってくる。それと僅かに震える小さな体。

 エンデルは【深淵の魔女】の末裔とはいえ、自分がその魔法を使いエンシェントドラゴンを封印させることができるかどうか自信がないようだ。

 この話を出した時からエンデルは少し元気のない顔をしていた。それがこの不安だったのだろうと俺は思う。あのバカみたいに頑丈で、途轍もない存在のエンシェントドラゴンに自分の魔法が通用するのだろうか。いくら大賢者と言われているエンデルでも、初めてそんな脅威に立ち向かわなければならないのだ。怖いものはあるのだろう。


 俺はそんなエンデルをそっと抱く。


「大丈夫。エンデル、君にならできるさ」

「アキオさん……」


 何を根拠に、できる、と言っているのか俺にも分からない。

 でも、エンデルなら必ず成し遂げると思いたい。


「エンデルは大賢者なんだろ? お前が諦めたら向こうの世界は大変なことになるんだぞ?」

「でもアキオさん……自信がありません……それにアキオさんの傍から離れたくありません……」


 エンデルはエンシェントドラゴンと対峙する以前に、俺と離れるのが嫌だと言った。それはきっと本心なのだろうとすぐに分かった。

 その言葉を発した後、一層強く俺に抱き着いて来たのだから。

 湯上りでまだほんのりと温かい身体が、寒くもないのに小刻みに震えている。

 できれば俺も一緒に行ってあげたい。だが、俺には魔力なんてない。けれどもエンデルには元の世界に戻って、しなければいけないことがあるのだ。

 離れたくないと言われても、その責任を放棄してここにいろ、と言うわけにはいかない。だから、


「大丈夫。絶対成功する。なんたってお前は、俺の自慢の嫁なんだ。あんなドラゴン、サッサと片付けて、俺の元に戻ってこい」

「アキオさん……」


 エンデルの震えが止まった。

 そして潤んだ瞳で俺を見詰めてくる。

 今まで俺からエンデルに何かをしたことがない。でも、今は少しでもエンデルを安心させ力付けたい。


「んっ……!」


 唇と唇を重ねる。そして少し強くエンデルの身体を抱きしめた。

 こんな小さく華奢な体のエンデルに、異世界に戻ってあの化け物エンシェントドラゴンと対峙させなければならないと思うと、この腕を解きたくない衝動に駆られる。

 もしエンシェントドラゴンを封印できなかったのなら……そう考えると、このままこの世界にいてほしい、と思う気持ちがないわけではないのだ。

 だがそれは俺のエゴに過ぎない。元々エンデルは向こうの世界の住人。弟子のプノだって向こうにいるし、エル姫やフェル姫の国でもある。ついでにマオがいた魔族の国だってある。その世界を救う手立てがあり、それをできるのは唯一エンデルでしかできなければ、俺の気持ちは二の次でしかない。

 なによりこの提案をしたのは俺なのだ。必ず成功する、と。


「ん、んん……」


 長く濃厚な口づけをしていると、緊張して硬くなっていたエンデルの体が弛緩してゆく。

 そして、ゆっくりと唇を離し見つめ合う。

 少し紅潮し、潤んだ瞳が俺の心を鷲掴みにする。

 とても愛おしく思えてしまう。この手を離したくない、でも離さなければならない。


「やっと、やっと私を妻と認めてくれたのですね。嬉しいですアキオさん!」

「ん、ああ、まあ、そんな所だ……さあ、皆待っているぞ? 早く着替えようか」

「はい!」


 エンデルは先ほどとは打って変わり、笑顔で返事をした。


 ドライヤーで髪を乾かしてやると、エンデルは終始ニコニコとしていた。洗面所の鏡の前で、裸でいるエンデルの姿は、とても可愛かった。その姿を目に焼き付ける。

 こちらの世界に来た時に着ていた魔法使いのローブを着る。ちなみに下着はこちらの世界の物だ。

 魔法使いのとんがり帽子、出会った当初、俺の頭を叩いた魔法の杖を持ち、玄関でブーツを履く。


「さあ行こうか」

「はい、アキオさん!」

「いつでも俺が付いている。安心して行ってこい」

「はい!」

「そして必ず戻って来いよ」

「当たり前なのです! なんたって私は、アキオさんの妻なのですから!」


 エンデルは高らかに宣言した。



 こうして準備を終えたエンデルと俺は、みんなが待つ指令室へと向かうのだった。

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