魔狼咆哮 2
スレッジハンマーが、大地を穿つ。
総重量十トンを超える金属塊は、炸裂と同時に岩盤を砕き、土砂を跳ね上げる。
だが、そこにいたはずの黒いVSV、フェンリルの姿は無い。
恐るべき機動性と言えるだろう。
フェンリルは四足獣の形態に変化し、横っ飛びにハンマーを避けたのだ。
ライガーⅡのヘッドが、その姿を追う。
右腕に装備された戦車砲が、この敵対する黒いVSVを追尾している。
轟く砲撃音。
狙いは正確だ。
砲弾は回避行動を行ったフェンリルの肩口を穿ち、黒い巨体を後退させる。
闇夜の戦場に、金属と金属がぶつかり合う火花が煌めく。
だが、戦車を素としたHVSVにとって、正面装甲とは最も防御力に優れた部位である。
フェンリルの黒い装甲は僅かに凹みを作りながらも、その動作にいささかの遅滞も生まない。
黒い巨体は、ライガーⅡの側面へと回り込みながら、背部の戦車砲を回転させた。
そして砲撃。
ライガーⅡの肩部装甲が火花とともに砕け散り、その白い巨体が傾いだ。
『こなくそっ……! 簡単にやられてたまるかよっ……!! こっちも新型なんだっ!!』
セシリアの声が聞こえた。
彼女の操縦の腕前は、並ではない。転倒しかけたライガーⅡの上体を捻りながら、左右の足をキャタピラの回転に合わせて前後させる。
すると、ライガーⅡの巨体は姿勢を徐々に戻しながら、フェンリルへ向けて立ち直ったのである。
「やるじゃないか少尉殿! だが、ちょっと相手が悪いんじゃないか……!?」
ロディはいつでも介入できるよう、WR-07を駆り、戦場の只中に駆け込んだ。
戦闘用バイクのカメラが、フェンリルの側方、後方と、その異形を余すこと無く捉える。
「後ろの装甲が薄い! やはり、こいつ、装甲を一部に偏らせることで軽量化を行っているんだ。動きを止められれば、俺の攻撃でも通せる……!」
彼の役割は斥候である。
戦場の情報を集め、生還してそれを部隊に伝えることが、何よりも優先される。
例え友軍が危機に陥っているような場合だとしても、積極的な交戦を行う事はタブーとされる。
レーダーや長距離通信手段を失った現代において、斥候が持ち帰る情報とは、それだけの価値を持ったものなのである。
だが。
「ちっ、フェンリルめ、カメラが俺を追ってきていやがる。こいつ、複座式か……? 一人がライガーⅡに集中して、もう一人が俺を注視してるってことか……」
ロディは完全に、この黒いVSVの背面を取ることに成功している。
だが、攻撃を仕掛ける事は出来ないでいた。
三メートルそこそこしかないハーフVSVの攻撃など、それこそスケールが違うHVSVに通用などしない。
それこそ、装甲の隙間や関節の付け根などの脆弱な部位を狙うのが定石である。
そして現在、背面のカメラでロディの動きを追い続けているフェンリルが、そんな行動を許すはずがない。
故に、ロディはフェンリルの後方から側方へ抜けた。
戦場全体を、カメラに収めようとする。
ライガーⅡが地を駆けていた。みるみる、フェンリルとの間合いが縮まっていく。
恐らく双方、戦車砲の火力では互角。
しかし、機動性では圧倒的にフェンリルが優る。
四足とキャタピラを併用した機動は、まさに縦横無尽。
戦車サイズの機体同士の戦闘において、この魔狼の名を冠するVSVは常識はずれの高機動を実現していた。
故に、ライガーⅡの動きは慎重だ。
回り込まれぬように、急速に間合いを詰めながら、片側にはスレッジハンマーを伸ばして牽制する。
空いているのは戦車砲側。
誘っているのだ。
そして、魔狼はこの誘いに乗った。
黒い巨体が大地を蹴る。
こちらも牽制の機銃をばら撒きながら、戦車砲側へと高速で回り込んでいく。
『かかったぁっ……!!』
セシリアの叫びが聞こえた。
スレッジハンマーが、大きく振りかぶられる。
いや、これは後方に向けて振り回されたのだ。巨大な鈍器のスイングが、ライガーⅡの巨体を泳がせる。
この動きに合わせて、セシリアは機体の脚部キャタピラを回転させた。
驚くべき速度で、ライガーⅡが反転する。
これにはフェンリルも度肝を抜かれたようだ。
操作ミスか、黒い巨体が制動を失い、一瞬キャタピラが地を滑る。
そこへ、ライガーⅡが踏み込んだ。
強烈な打撃音が響き渡る。
ライガーⅡの戦車砲がフェンリルを殴りつけたのだ。
砲がひしゃげたが、打撃を受けた魔狼の巨体が揺らぐ。
開いたフェンリルの胸元に、スレッジハンマーがねじ込まれた。
力任せに叩き込むのではなく、敵の動きを停めて押し込み、そして……。
「ひっくり返す気かよ……!」
下から力を加えられると、重量で劣るフェンリルは分が悪い。
じりじりと、黒い巨体が持ち上げられていく。
「よし、やれ! やっちまえ!」
ロディはWR-07のマイクが声を拾うのも構わず、叫んでいた。
眼前では、魔狼の前足が空を掻いてもがく。
背面から転倒してしまえば、戦車型のVSVは自力で起き上がることが困難である。
構造上、そのように作られているから、ひっくり返してしまえば、戦いはライガーⅡの勝利となる。
このような状況では、フェンリルの背中に配置された戦車砲も仇となる。
射角が煽られ過ぎ、敵を狙うことが出来ないのだ。
勝負あった……!
ロディも、セシリアもそう思ったことだろう。
だが。
魔狼は一瞬、身動ぎしたように見えた。
それは為す術無く転倒させられようとしていることへの、悪あがきだったのか。
いや、これこそ、この黒いVSVが隠し持っていた、戦況を逆転させる秘策だった。
黒い巨体の不気味な挙動と同時に、宙を掻いていたその右腕が奇妙な音を立てて固定された。
あたかも、腕そのものを砲弾として、ライガーⅡ目掛けて照準するような。
「待てよ……待てよ、待てよ……!」
ロディはバイクを駆る。
再び、魔狼の近くへ。
WR-07のカメラに、この黒いVSVの挙動を分析させるためだ。
専門的な設備では無いが、偵察に特化したこの機体は、光学、熱量、電位など、周囲の状況を数値化して記録する機能が盛り込まれている。
戦闘用バイクは、今正に何かを仕掛けようとするフェンリルに、肉薄した。
先刻までロディを追っていた、フェンリルの背面のカメラアイは、今はピクリとも動かない。
それはまるで、WR-07の事など、些事だと言わんばかりである。
それだけの事を、敵は行おうとしている。
「やばいっ……! この電位、上腕部の異常な熱量……! 少尉、逃げろっ……!!」
ライガーⅡも、異常には気付いていたのだろう。
だが、即座に対応するには、HVSVは鈍重に過ぎたし、相手をひっくり返すという決まり手への王手を掛けた段階であったことも、彼女の油断を招いていたのかもしれない。
結果として、セシリアは反応できなかった。
魔狼の右腕が、拳を作り、あたかもロケットの如く撃ち出された。
轟音。
撃ち放ったフェンリルが、反動のあまり背から転げ、一回転して膝立ちの姿勢になるほどの勢いである。
それが、至近距離からライガーⅡに炸裂した。
激しく金属がぶつかり合う音。
そしてすぐに、ライガーⅡの半身が吹き飛んだ。
装甲がめくれ上がり、リベットは飛び散り、むしられるように左半身が折れ砕けた。
爆発。
「少尉!!」
撮影どころではなかった。
ロディは擱座炎上し始めたライガーⅡへと駆け寄る。
瞬時に、WR-07はヒューマノイド形態への変形を遂げ、この大型VSVのコクピットハッチへと取り付いた。
破壊の衝撃にひしゃげ、ねじれたハッチは、開閉する機能を失っているようだった。
故に、ロディはWR-07の武装を使用する事を決意する。
「ハッチのみを……削るように……」
WR-07のマニピュレーターが展開する。
出現したのは、腕部フレームに内蔵された筒状のパーツだ。
ねじれたハッチへ側方からこのパーツをあてがうと、ロディは引き金を引いた。
耳を劈くような音が響く。
内蔵されていたニードルが射出され、標的を穿って脆化させるのだ。
瞬時に、ハッチは穴だらけのスポンジに変わった。
これに機体の指先を引っ掛け、ほぐすようにして開いていく。
少し遠くで、ライガーⅡではない機体が動き出す音がした。
フェンリルが復帰したのだ。
心臓を鷲掴みにするような恐怖が、ロディを襲う。
だが、その感情に身を委ねることは許されない。
「少尉、セシリア少尉……!」
名を呼びながら、灯りを失って暗いコクピットに入り込む。
VSVのコクピットは狭い。
変形機構が大部分を占める兵器ゆえ、居住性は最悪と言っていいだろう。
特に、ライガーⅡはその中でもとびきりひどかった。
ここには、人一人がようやく収まれるほどの隙間しか無い。
「うう……」
うめき声がした。
ロディは手探りで、声の主を探す。
ハーネスで固定された小柄な人物が、操縦機器の間に挟まれて倒れている。
「ああ、畜生。抜けねえな、これじゃあ……。少尉、何かあっても恨まないで下さいよ」
決断は早かった。
ロディはWR-07のもう片方のマニピュレーターをコクピットに突っ込み、展開させ……。
フェンリルは、眼前で怪しげな動作をするこのバイク型VSVを見逃す気は無かった。
この小兵は間違いなく斥候兵である。
戦力としては弱くとも、この機体が戦場を逃げ延び、戦いのデータを持ち帰ることで敵は情報という大きな武器を手にすることになる。
それだけは避けねばならない。
機密こそが、知られていないことこそが、この黒いVSVの最大の武器であったからだ。
故に、体勢を立て直すや否や、フェンリルは立ち上がり人型形態となってライガーⅡへ踊りかかった。
振り上げた足で、擱座したこの敵VSVに前蹴りを撃ち込む。
ただでさえ、パワーに優れたフェンリルの蹴りだ。
抵抗する力を失ったライガーⅡに堪える術は無い。
敵機は、ゆっくりとそのまま後方へ倒れ込んでいく……。
同時に、戦闘用バイクが跳び上がった。
ライガーⅡの背を蹴り、跳躍と同時に空中でバイク型へと変形する。
フェンリルは一瞬、反応が遅れた。
どれだけ強力なVSVと言えど、搭乗者は人間である。
敵の新型VSVとの激しい戦闘を行い、フェンリルのパイロットは体力を消耗していたらしい。
急な戦闘用バイクの動きに対応しきれない。
WR-07。
その車輪が、フェンリルの左腕を蹴った。
そして、この黒い機体をまるでオフロードの障害物の如く、跳ねながら飛び越えていくではないか。
『…………!!』
声にならぬ叫びが漏れた。
フェンリルは振り返る。
だが、戦いを経た機体の脚部は、期待する機動性を発揮はしなかった。
通常の戦車ほどの時間を掛けて反転すると、魔狼は可能な限り視界を巡らせる。
反応、途絶。
あの小賢しい小型VSVに、まんまとしてやられてしまったのだ。
共和国軍は、この戦場における勝利を得ることは出来た。
だが、それはごく短期における戦闘単位での勝利に過ぎない。
新型HVSVフェンリルの情報を持ち帰られたことで、戦いのイニシアティブは欧州連合に渡ることになる。
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