本当にこわいやつ、クロノス・パワード(現代ファンタジー)(5500字)


 土曜日の昼、いつものように先輩のアパートで昼食の準備をする僕の胃袋は過剰なまでに胃酸を分泌していた。無理もない、今日のメニューはトンカツなのだ。しかもスーパーのお惣菜売り場に置いてあるようなお買い得トンカツではない。定価千円のイベリコ豚のヒレカツである。


「くんくん、あ~やっぱり高級品は香りまで違いますね」

「うむ。朝六時から並んだかいがあったな」


 隣で付け合わせのキャベツをざく切りにしているのは僕の先輩だ。


 先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩が一年浪人してしまったからだ。

 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


「しかしあんな遠い町のオープンセールがよくわかりましたね」

「それについてはあとでじっくり教えてやろう。有難く拝聴するがよい」


 先輩の尊大な態度も今日ばかりは容認できる。今回こんな高級ヒレカツを格安の値段で入手できたのは先輩のおかげだからだ。


「おい、明日あそこの町に肉屋がオープンするぞ。先着十名にヒレカツ八割引きで販売するそうだ」


 と言われたのが昨日の午後。その日は先輩のアパートに泊まり、今朝は五時起きで十五キロの道を自転車で走り、定価千円の高級ヒレカツを二百円でゲット。こうして本日の昼食になったのである。


「いただきま~す」


 まずは何もつけずに食べる。くは~感動だあ。柔らかい肉をかみ締めると甘みのある肉汁が口中に広がる。付け合わせのキャベツは湯通ししてポン酢をかけてあるので揚げ物の口直しにはもってこいだ。


「うまい、うまいぞ」


 先輩はバクバク食べている。もう少しゆっくりと味わって食べればいいのに。もったいないなあ。


「でも珍しいですね。先輩が味噌ダレでトンカツを食べるなんて。揚げ物にはいつもソースを使っているのに」

「理由があるのだ。後で教えてやる。さあ、締めはこれだ」


 取り出したのは赤ワイン。数百円のミニボトルだ。先輩がアルコールをたしなむのもまた非常に珍しい。


「それも理由があるんですか」

「そうだ。おまえも飲むか?」

「僕は未成年ですからね。先輩一人でどうぞ」

「そうか。ならば俺だけいただこう。グビグビ」


 まるで栄養ドリンクのようにラッパ飲みしている。いくら安物だからと言ってももう少し楽しんで飲めばいいのに。


「は~おいしかった。ごちそうさま」


 お茶を飲んで食後の幸福感にひたる。次にこんな御馳走にありつけるのはいつになるだろう。


「今日ばかりは先輩に礼を言いますよ。有益な情報をありがとうございます」

「うむ。実は俺も半信半疑だったのだ。それと言うのも肉屋の開店情報は夢のお告げだったのだからな」

「夢? チラシを見たとか、ネットのバナー広告とか、誰かに聞いたとかじゃなくて、夢で知ったって言うんですか」

「そうだ」


 それから先輩は一昨日見た夢の話を始めた。黒マントを羽織った偉そうな男が現れ『次の土曜日、遠い町で肉屋のオープンセールがある。おまえはそこで八割引きのイベリコ豚を入手し、大豆、ブドウとともに食すのだ』と告げて消えたというのだ。


「で、今朝行ってみたら本当に肉屋がオープンしているしヒレカツも八割引きで売っているじゃないか。驚いたよ」

「ちょっと待ってくださいよ。そんなあやふやな情報で僕を往復三十キロさせたんですか。もし夢が間違っていたらどうするつもりだったんですか」

「その時はその時だ。誰にでも間違いはある。失敗は次の成功に活かせばいいのだ。そうだな、トンカツの次は和牛でスキヤキとか楽しみたいな」


 まるで反省していないのが実に先輩らしい。しかし不思議な夢だな。食い物に対する異常なまでの執着心がそんな夢を見させたのだろうか。


「じゃあ今回先輩が味噌ダレで食べたのもワインを飲んだのも夢のお告げに従ったからなんですか」

「そうだ。味噌は大豆でできているし、ワインはブドウでできている。まあ従ったからと言って何かが起こるとも思えないが、肉屋のオープンは的中していたわけだし、お告げの通りに行動しておこうかと、う、ううっ……」


 突然先輩が頭を押さえて苦しみだした。きっとワインのせいだ。あ~あ、言わんこっちゃない。


「赤ワイン一気飲みなんかするからですよ。ブドウだったらワインじゃなくグレープジュースにしておけばよかったのに。ほら、お茶でも飲んで落ち着いてください」

「ぐわああああ!」

「せ、先輩!」


 苦しみ方が尋常ではない。両手で頭をわしづかみにしたまま床の上を転げまわっている。ただならぬ事態に頭が真っ白になった。ど、どうしよう。


「どこが痛むんですか。呼吸はできますか。救急車を呼びましょうか」

「ふっふっふ」

「先輩?」


 急に先輩がおとなしくなった。さっきまでの苦しみ方がウソみたいだ。立ち上がって含み笑いをしている。


「ようやく我が意識の支配下に置けたわい。一年以上も我を閉じ込めておくとは小賢しい生き物め」

「はあ?」

「おい、そこのおまえ。何を突っ立っておる。我に向かって不遜であろう。頭を垂れて平伏せぬか」


 今日の先輩の傲慢さはいつもの五割増しだな。ちょっと調子に乗り過ぎだよ。


「感謝はしていますけど、たかがトンカツくらいでそこまで威張ることはないでしょう。どうして僕が平伏しなくちゃいけないんですか」

「ふっ、まだ勘違いをしておるようだな。この者はすでにおまえが呼ぶところの先輩ではなくなっている」

「先輩じゃなきゃ何なんですか」

「我はクロノス・パワード。異世界の魔王である!」


 また小芝居か。話に合わせてやってもいいけど今日は傲慢すぎるからな。放っておいたら図に乗るだけだし、とっととやめさせたほうがいいだろう。


「馬鹿なこと言ってないで後片付け始めますよ。手伝ってください」

「おまえ、信じていないようだな。我の強大さがわからぬとはなんと愚かな生き物なのだ。いいかよく聞け。おまえはこの人間に対してこれまで疑問を抱かなかったのか」

「疑問?」

「そうだ。コタツが体に張り付いたり、腐ったケーキを二個食っても腹痛だけで済んだり、現代科学を凌駕した塗料を開発したり、ただの人間にこのような真似ができるはずなかろう。これらは全て我、魔王クロノス・パワードの能力によるものなのだ」

「そう言われれば……」


 確かに最近の先輩は身体も頭脳も人並み外れている。と言うか人間離れしている。その理由が魔王の力によるものだったとしてもさほど不自然さは感じられない。信じたわけではないが話に耳を傾けたくなった。


「じゃあ今日あなたが突然出現した理由を教えてください。どうしてわざわざ異世界からこんな世界へやって来たんですか」

「ふっ。本来ならおまえのような下等生物に利いてやる口などないのだが、魔王出現の功労者ということで教えてやろう。なに単純な話だ。討伐されたのだよ、忌々しい勇者によってな。だが絶命した我の前に女神が現れこの世界に転生させてくれたのだ。この下等生物の体を使ってな。今から一年ほど前のことだ」


 本当に単純だな。と言うかありふれた話すぎて拍子抜けしてしまった。せっかくの小芝居なんだからもう少し捻ったストーリーにすればいいのに。先輩もツメが甘いな。


「じゃあどうして一年間も静かに過ごしていたんですか」

「この小賢しい生き物の桁外れな自我のせいだ。転生が成功した瞬間、転生先の生物の自我は消滅するか精神の深淵に封じ込まれるのだが、この人間の自我は何の変化も起こさず、逆に我の意識が深淵に封じ込まれてしまったのだ」

「へえ~」


 ここは敢えてツッこまずに聞き流すことにしよう。


「もちろん我も何もせずに封じ込まれていたわけではない。なんとかして立場を逆転させるべく深淵の底で己の自我を拡張させ続けた。そしてようやく一昨日、こいつの夢に出現することに成功した。そして我が意識を完全に目覚めさせるアイテム、イベリコ豚と大豆とブドウをこいつに食わせ、ついに我が意識はこうして日の目を見ることができたのである」

「いや~、よかったですね。パチパチパチ」


 先輩にしてはそれなりに筋の通ったストーリーだったので拍手でほめてあげる。


「さあ、冗談はそれくらいにして後片付けしましょう。食器を流しに運んでください」

「おまえ、まだ信じていないようだな」


 先輩は仁王立ちになったまま動こうとしない。これ以上構っていると話が長引きそうなので無視して食器を流しに持っていく。


「割れよ!」


 突然、先輩の大声が聞こえたかと思うとシンクに置いた僕の皿が割れた。


「えっ、どういうこと」

「魔王の力を見せてやったのだ。どうだ、これで信じる気になっただろう」


 また変な発明でもしたのかな。まったく困ったもんだ。


「何ですか、これ。大声を出すと割れる塗料でも作ったんですか。いい加減にしてくださいよ」

「張り付け!」

「うわ!」


 なんてことだ。さっきまで食事をしていたテーブルが僕の背中に張り付いた。たまらず床にうつ伏せになる。


「先輩、悪ふざけは止めてください」

「まだ信じぬのか。やれやれ。荒れよ!」


 突然部屋の中が暗くなった。嵐のような強風が吹き始め、爆音を響かせながら縦横無尽に稲妻が走りだす。先輩の体が巨大化して宙に浮いている。頭にツノが生えてマントを羽織っている。


「ま、まさか、本当に……」

「そうだ、我こそ異世界の魔王クロノス・パワード。我が復讐のためにこの世界に転生した」

「復讐って、どういう意味ですか」

「我を討伐した勇者も転生者だったのだ。ヤツはこの世界で死んだ後、我らの世界へ転生し我を滅ぼした。この世界さえなければ勇者は生まれず我もまた討伐されることはなかった。今こそ恨みを晴らす時。異世界より我が眷属を召喚しこの世界を魔族によって支配するのだ」


 まずい、これはまずいぞ。どうやら先輩の作り話ではなさそうだ。いくら先輩の頭脳が優秀でもこんな現象を引き起こせられるとは到底思えない。なんとかしないと大変なことになりそうだ。


「先輩、目を覚ましてください。このままでは世界が破滅してしまいます」

「こいつの自我は深淵に封じた。永久に目覚めることはない。わっはっはっは」


 クロノス・パワードの高笑いはまるで死刑宣告のように聞こえた。僕は必死で叫んだ。


「先輩、起きて。目覚めて。こんな悪魔に負ける先輩じゃないでしょ」

「往生際の悪い人間め。まずはおまえから血祭りに上げてやる」


 テーブルを背中にくっ付けたまま僕の体が宙に浮いた。首に紐が巻き付く。


「先輩、悪魔の食べ物なんてゲテモノばかりですよ。このままじゃ美味しい料理が食べられなくなりますよ。いいんですか」

「うるさい、さっさとあの世へ行け」


 巻き付いた紐が少しずつ首を絞めつけていく。苦しい。それでも僕は諦めずに叫ぶ。


「先輩、言ってたじゃないですか。次はスキヤキが食べたいって。もし自我を取り戻せたなら僕がスキヤキを御馳走しますよ」

「す、すき、やき」


 クロノス・パワードの口から変な言葉が漏れた。ちょっとだけ光が見えたような気がした。


「そうです。スキヤキです。それも輸入肉なんかじゃない、和牛を御馳走しますよ」

「スキヤキ、食べたい……ぐおお、どういうことだ。自我が薄れていく……黒毛和牛、食べたい食べたい……馬鹿な、あり得ん。我が魔力による封印が破られるなど絶対に、うぐおおおお……」


 クロノス・パワードが苦しみだした。体は元の大きさに戻り床の上に膝をついている。もう一息だ。


「先輩、魔王の意識を打ち破ってくれたら最高級霜降り和牛五百グラムを食べさせてあげますよ!」

「スキヤキ食わせろっ!」

「ぐわああああ!」


 先輩の欲に塗れた大声とクロノス・パワードの悶絶するような絶叫が同時に聞こえた。途端に薄暗くなっていた部屋には昼下がりの明るさが戻り、僕の背中からはテーブルが離れ、先輩は元通りの姿で床に転がっていた。その頬を手のひらでペチペチたたく。


「先輩、大丈夫ですか」

「う~ん、はっ。俺は何をしていたのだ。なんだか部屋が荒れているようだが何が起きたんだ」

「覚えてないんですか。全部先輩がやったんですよ」

「俺が? 悪いが何も覚えていない。覚えていないのだから俺に責任はない」


 まったく人に迷惑をかけておいていい気なもんだ。まあでも記憶にないほうが僕にとっても先輩にとっても有難いかもしれないな。あんなこと二度と思いだしたくもない。


「いや待て。ひとつだけ覚えている」

「何ですか」

「おまえ、俺に最高級霜降り和牛を食わせてくれると言っていなかったか」


* * *


 次の土曜日の昼食はスキヤキとなった。百グラム千円の高級和牛を五百グラム。痛い出費だが仕方がない。


「うまい、うますぎる、はふはふ」

「先輩、もっと落ち着いて食べてくださいよ。先週のトンカツとは比較にならないほど高価な肉なんですから」


 と言いつつ僕も箸が止まらない。次にこんな御馳走が食べられるのはいつの日になるだろう。


「しかしおまえがこんなに気前がいいとは思わなかった。これからも時々頼むぞ」

「冗談はやめてくださいよ。それよりもあの約束は絶対に守ってくださいね」

「わかっている。男に二言はない。はふはふ」


 先輩は肉を食べ続ける。この様子なら当面クロノス・パワードの心配はしなくていいだろう。スキヤキを食べさせる条件として先輩と交わした約束、イベリコ豚と大豆とブドウは同時に食べないこと。取り敢えずこれを守っていてくれれば大丈夫のはずだ。そう思いたい。






 このお話とよく似た題名の作品「本当はこわい話7 黒のパスワード」は、

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881838525

 角川つばさ文庫から絶賛発売中!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る