本当にこわれないの? 赤のパスタ皿(現代ドラマ)(4700字)

 土曜日の昼、僕は先輩のアパートでパスタを茹でていた。今日の昼食はパスタなのだ。


「さすがに食べ飽きましたね、先輩」

「贅沢を言うな。これほどコスパの良い食い物などそうそうあるものではない。今まで気づかなかった己の無知が恥ずかしい」


 隣で食器の準備をしているのは僕の先輩だ。先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩が一年浪人してしまったからだ。

 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


「一概にそうは言えないんじゃないですか。高級品のパスタだってあるでしょう。たまたま五キロ五百円の激安商品が見つかったってだけの話なんですから」

「うむ。やはり業務スーパーは神だな。米も十キロ千円で売ってくれると助かるのだが」


 安いと噂の業務スーパーに先輩と一緒に行ったのが一カ月前。確かに安かった。お買い得品の宝石箱だった。その中でもこのパスタは驚異的なコストパフォーマンスを誇っていた。五キロ五百円。もちろん理由はある。賞味期限三日前だったのだ。


「いくらなんでも五キロのパスタを三日で食べるのは無理ですよね」

「無理だな。だが賞味期限は消費期限ではない。しかもこれは生麺ではなく乾麺。よってあと数カ月は問題なく食えるはずだ。よし買おう」

「え~、マジですか」

「マジだ」


 というわけでそれからの一カ月間、土日の昼と夜はずっとパスタばかり食べている。先輩は平日も食べているらしい。よくも飽きないものだ。


「それよりもおまえ、俺の新しい湯呑は持って来てくれたのか」

「それが今週は忙しくて買いに行く暇がなかったんですよ。明日買ってきます。悪いんですけど今日はコップでお茶を飲んでください」

「よかろう」


 たかがコップくらいで偉そうな言い方だな。しかしこれに関しては僕が悪い。先週の日曜日、夕食の後片付けをしている時に先輩の湯呑を割ってしまったのだ。すみません弁償しますと言うとこんな返事が戻ってきた。


「うむ、仕方あるまい。だが百均で売られているような安物では困る。と言ってノリタケやマイセンのような高級食器を要求するつもりもない。そうだな、まあ割れたのと同じような色と柄と手触りの湯呑ならなんでもいいぞ」


 いや、そーゆーのが一番難しい注文なんですよ。猫がマグロの頭をかじっている図柄の湯呑なんかどこに売っているって言うんですか、と口答えしたくなったのだが文句を言える立場でもないので「善処します」とだけ答えておいた。


「そろそろ茹であがったかな。先輩、皿を並べてください」

「ほいよ」

「へっ?」


 水を切って茹でたパスタを皿にのせようとした僕の手が宙で止まった。一枚は先輩の白い皿。その横に見たことのない赤い皿が置かれている。


「なんですか、その赤い皿。僕のじゃないですよね」

「いいや、おまえのだ」


 目を凝らして皿を見る。食器は全て持ち込みだ。お茶を飲む湯呑、ジュースを飲むコップ、ご飯を食べる茶碗、味噌汁を飲む汁椀、ラーメンを食べる丼、そして野菜炒めなどを盛る皿。自分が使う食器は全て自分が用意したものだ。しかし今、目の前に置かれている皿は明らかに僕のものではなかった。


「僕がここに持ち込んだ食器の中に赤い皿なんてなかったはずですが」

「その通りだ。これはかつて白い皿だった。おまえのために俺が赤くしてやったのだ」

「はあ?」


 また先輩の訳のわからない話が始まった。よく見ると確かに大きさと形は僕の皿だ。赤くした理由を訊きたいところだが長い話になるだろう。パスタが伸びてしまう。


「こんな皿で食べたくないですよ。先輩の皿を貸してください」

「なんだ、せっかく赤くしてやったのに。仕方ないな、ほれ」


 先輩が皿を置いた。いや、それは皿ではなかった。発泡スチロールの容器である。


「これ、カップ焼きそばの使い捨て容器じゃないですか」

「そうだ」

「こんなモノ使いたくないですよ。って言うか、食べたら捨ててください。どうして洗って使っているんですか」

「焼きそばソースの残り香がたまらんのだ」


 先輩がここまで変人だとは思わなかった。当然断固拒否である。結局先輩がカップ焼きそばの容器を使い、僕が先輩の皿を使うことになった。


「さて、おまえの皿を赤くした理由なのだが」

「話は食べてから聞きます。パスタが伸びちゃいますよ」


 盛ったパスタに納豆とキャベツを麺ツユで混ぜ混ぜしたソースをかける。初めの頃は普通にケチャップをかけて食べていたのだが、さすがに飽きてきたのでソースは様々に工夫を凝らしている。本日は和風だ。


「ふ~、うまかった。やはり麺ツユはどんな麺にも合うな」


 コップの熱いお茶を飲みながら一服する先輩。僕もお茶を飲んで傍らに置かれている赤い皿をまじまじと見る。食べている時はさほど気にならなかったが、あらためて見てみると実に趣味の悪い色つやだ。


「さあ先輩、話を聞かせてくださいよ。どうして僕の白い皿を赤くしたんですか。まさかパスタは赤いから皿も赤くした、なんて言うんじゃないでしょうね」

「そんなくだらん理由で俺が数千円の費用をかけると思うか」


 かなり驚いた。こんな赤色のために数千円も使うなんて。先輩はどうかしている。


「数千円って、それだけのお金があれば夕食のコロッケをトンカツにしてもまだお釣りがくるじゃないですか。何考えてるんですか」

「人生には金で測れないものがある。俺はおまえの苦しむ顔を見たくなかったんだよ」

「はあ?」


 また変なことを言い出したぞ。白い皿を赤くされるほうがよっぽど苦しいんだけど。


「意味がわかりません」

「おまえは俺の湯呑を割っただろう。それによっておまえがどれほど心に深い傷を負ったか、俺が知らないとでも思っているのか」

「お心遣いありがとうございます」

「もし江戸時代だったら殿様の湯呑を割ったおまえは腹を切らねばならぬところだ。しかし今は令和の世。湯呑を割ったくらいで腹は切れぬ。自分の罪を贖う術もなくおまえはただ苦しむだけ。そんな姿を見るのがつらくてな」

「……」


 今日の先輩はかなり暴走しているな。相槌を打つのも面倒になってきた。喋りたいだけ喋らせておこう。


「そこで理系の俺は考えた。全ての原因は陶器にある。陶器が割れさえしなければおまえは苦しまずに済んだのだ。おまえだけではない。陶器がこの世に誕生して以来、それを割ったために不幸な目に遭った人間はどれくらい存在したことだろう。割れにくい陶器、いや絶対に割れない陶器の開発、これこそが人類を幸福に導く唯一の手段なのだ、と」


 別に陶器でなくても金属や樹脂の食器を使えばいいんじゃないの、そもそも今先輩が食事に使ったのは発砲スチロールじゃないですか、などとはとても言い出せない雰囲気である。


「で、俺は研究した。夜も寝ないで昼寝して三度のパスタを四度にして研究に没頭し、ついに陶器を割れなくする液体を開発したのだ」

「えっ、じゃあ僕の皿に塗られているこの赤色は先輩が合成した塗料の色なんですか」

「そうだ」


 使わなくてよかった。どう考えてもヤバイ。先輩の発明品はロクなものがないからな。


「そんなに心配そうな顔をするな。天然由来成分しか使っていない。試しに塗料をガブ飲みしてみたが体調に変化は起きなかった」


 先輩の消化器官は原始人並みに頑強だからな。あまり参考にはならない。


「色を赤くしたくらいで本当に壊れなくなるんですか」

「疑うなら試してみるがいい。このカナヅチでその赤いパスタ皿を思いっきり叩いてみろ。絶対に割れないから」


 どこに隠していたのか先輩がカナヅチを差し出した。自信満々である。


「大丈夫なんでしょうね。これ結構お気に入りの皿なんですけど」

「心配無用! 俺の才能を信じろ」


 渋々カナヅチを受け取る。どうか割れないでくださいと念じながら、皿の上部二センチほどの高さから静かにカナヅチを表面に当てる。


 ――コツン。

 ――パキッ!


 皿は見事に二つに割れてしまった。予想通りの結果ではあるが、まさかこの程度の衝撃で壊れるとは夢にも思わなかった。


「割れちゃったじゃないですか。しかも以前よりも脆くなってますよ」

「あれ……おっかしいなあ」

「おっかしいなあ、じゃないですよ。耐久試験は何回くらいやったんですか」

「これが初めてだ。最初のカナヅチはおまえに振るってもらいたかったんでな」


 呆れた。効果があるかどうかも試さずに僕の皿に塗ったようだ。理系の学生とは思えぬ軽率な振る舞いである。


「ひどいじゃないですか。僕の皿を実験台にするなんて。やるなら先輩の皿にしてくださいよ」

「それはお断りだ。万が一開発に失敗していたら俺の大切な皿が割れてしまうではないか」


 どこまでも自分勝手な先輩だ。まあ今に始まった事ではないので別段驚きもしないが。


「わかりましたよ。とにかくこの塗料は失敗作と判明したんですから二度と使わないでくださいね」

「待て。たった一回の試行で失敗だと決め付けるのは早計ではないか。結論を出すのはもう少し試してからにすべきだ」

「だったら今度は先輩の食器を使って先輩が叩いてください。こんな下らない実験にこれ以上付き合っていられませんよ」

「それは無理だ。すでに湯呑以外のおまえの食器は全て赤色に染まっているんだからな」

「ええっ!」


 急いで台所へ行き、食器が収容されている流し台下の扉を開ける。本当だった。茶碗も丼も小鉢も、僕がこのアパートに持ち込んだ全ての陶器製食器が趣味の悪い赤色の物体に変貌していた。


「さあ、実験を始めようではないか」


 僕の背後で先輩がニヤリと笑った。


 * * *


 次の土曜日、僕は新調された食器群を前にしてそれなりに満足していた。


「先週はどうなることかと思ったけど、結果良ければ全て良しだな」


 結局、赤く塗られた僕の食器はことごとく破壊された。中には手で曲げただけで割れた食器もあった。先輩は塗料が失敗作であることを認め、壊れた僕の食器を全て新品に買い替えてくれた。と言っても百均の商品なので塗料開発にかけた費用に比べれば安いものである。

 ただ湯呑だけは無事だったため以前のを使っている。湯呑を実験対象から除外したのは、

「高温の液体が塗料に対してどのように影響するか不明だったから」

 とのことだ。変なところで気が回る点がいかにも先輩である。


 僕が壊した先輩の湯呑は弁償しなくてもよくなった。迷惑をかけたお詫びだそうで結局先輩が自分で買い替えた。どこで手に入れたのかは知らないが今度は猫が鯨をかじっている図柄の湯呑である。


「それでな、あの塗料を詳しく分析してみたところ、どうやらガラス化した釉薬を溶かす作用を持っていたらしい。釉薬が溶けて陶器が水分を多量に含むようになり脆くなったようだ」


 ガラスを溶かす物質と言えばフッ化水素酸が有名だ。劇薬である。


「それってかなりヤバイんじゃないですか。よく無事でしたね」

「言ったろう。あの塗料は人畜無害なのだ。ガブ飲みしても肌に塗ってもなんともないんだからな」

「毒性がないのにガラスを溶かす物質だったってことですか。それって大発見のような気がするんですけど」

「馬鹿者! 陶器を強くするのではなく脆くするのでは使い物にならん。あれは人類を不幸に導く悪魔のアイテムだ。この世に存在してはならんのだ。よって全ての資料は破棄した。頭の中からも消した。二度と同じものは作れぬ」

「はあ~」


 ため息が出てしまった。天才なのか馬鹿なのか、先輩は本当によくわからない。






 このお話とよく似た題名の作品「本当はこわい話6 赤のパスワード」は、

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881838525

 角川つばさ文庫から絶賛発売中!




 


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