髭を切られる。そして女子高生に拾われる。(童話)(4600字)

 晴れ渡った青空を見上げる。秋風が実に心地良い。


「これが外の世界、そしてついに手に入れた真の自由にゃ! にゃおー!」


 俺様は雄叫びをあげた。遠吠えをするのは犬や狼だけじゃない。普段は忍者のように物音立てずに行動する猫でも、気分がハイになれば叫んだりすることだってあるのだ。


「あのクソ狭い室内に比べればここは別天地、いや異世界と言っても過言ではにゃいにゃ」


 思い出す。俺様は子猫の時から客商売の猫屋敷――人間どもはそこを「猫カフェ」と呼んでいた――で気ままな暮らしを満喫していた。

 正直なところ居心地は悪くなかった。客は全員猫好き。俺様たちを乱暴に扱うヤツなど一人もいない。多少のおイタなら笑って許してくれる。奴らの相手を適当にしていれば昼寝していても三食プラスおやつが出てくる。犬やカラスの襲撃もない。猫にとっては理想的な暮らしだ。だが、


「どうにも最近腹がたるんできたにゃん」


 気になることができた。体が重い。動くのがしんどい。飛び乗れたはずの椅子の上にジャンプできない。


にゃんたることにゃ。いつのまにこんなに太ったにゃ」


 鏡に映る我が身を眺めればデブ猫以外の何者でもない。当たり前だ。一日中食っては寝て、食べては眠り、モグモグしてはスヤスヤしているのだからこれで太らない方がどうかしている。


「このままではマズイにゃ。ダンディな俺様を取り戻さにゃくては」


 簡単なことだ。食う量を減らしこまめに体を動かす、これだけで無駄なぜい肉は確実に落ちる。

 だがそれはあくまでも理想。現実は厳しい。食い物が目の前に置かれれば全て食べずにはいられない。用もないのに体を動かすのはバカらしい。眠くなれば寝てしまう。所詮は猫、本能には勝てない。


「環境のせいにゃ。この室内に充満している怠惰で快楽的でふにゃけた雰囲気の中では、野性味を帯びた猫の体など取り戻せるはずがにゃいにゃん」


 俺様は決心した。外界へ飛び出すのだ。退廃的な猫パラダイス屋敷とは決別し、生きるか死ぬかのサバイバルな世界に身を置くのだ。元の体に戻るにはそれしかない。


「チャンスは数秒程度だにゃ」


 猫屋敷は二重のドアで守られている。どちらもガラスの自動ドア。一度開いたら人がいなくなっても数秒間は開いたままになっている。猫屋敷から脱出するには二つのドアが同時に開いている瞬間を狙うしかない。


「待つのにゃ。チャンスは必ずやって来るにゃ」


 その日から常にドアの近くで過ごすことにした。抱き上げようとする客がいると露骨に嫌がって拒否した。食べながらドアをにらみ、眠りながらドアを凝視し、砂箱に用を済ませながらドアの様子をうかがう。


「にゃっ!」


 ほどなくその時はやってきた。手続きを済ませた客が内側のドアを開けた瞬間、外界につながる玄関のドアを開けて別の客が入ってきた。


「今にゃ!」


 俺様は脱兎のごとく駆け出した、つもりだったが体が重くて思うように走れない。ダイエットの重要性を再認識してしまった。


「あ、こら。どこへ行くの」


 受付の人間が慌てて立ち塞がった。ふっ、なめてもらっては困るな。太ってドタドタしているが猫なのだ。人間風情に捕まるはずがない。

 それなりに敏捷な動きで身をかわし閉じかけのドアから外へ飛び出した。こうして俺様はついに自由を手に入れたのだ。


「それにしても腹が減ったにゃ」


 外へ出て一時間も経ってはいないが早くも空腹を感じ始めてきた。ちょうどおやつの直前だったからな。タイミングが悪かった。それにこんなに歩き回るのは生れて初めてなのだ。体重を減らすためとはいっても無理は禁物。そろそろ何か口に入れたい頃ではある。


「あっ、あそこに猫がいる」


 ランドセルを背負った子供がこちらを指差している。小学生の低学年だな。こいつのような子供もごくたまに猫屋敷にやって来るが、体を触りまくるのであまり好きではない。


「ほらほら、餌をやるぞ」


 手に持っているのはビスケットのようだ。下校途中、どこかのコンビニで買い食いでもしていたのか。仕方ない、食ってやるとするか。


「ごろにゃ~ん」


 甘えた声で鳴きながら小学生に近づく。猫屋敷で身につけた処世術だ。ビスケット一枚だけでは足りないからな。うまそうに食ってやれば何枚も出してくれるはずだ。


「捕まえたあー」

「にゃにゃ!」


 驚いた。小学生が俺様の体をいきなり羽交い絞めにしたのだ。おい、遊ぶ前にビスケットを食わせろ。こちらは腹が減っているんだ。


「みんなあー、猫捕まえたぞ」

「わあー本当だ。猫だあ」

「オスかメスかどっちだ」


 まずい、こいつ仲間を呼びやがった。一人では借りてきた猫みたいにお行儀が良くても集団になればとんでもないことをやらかすのが人間という生き物。何をするつもりなんだ。


「なんだオスかあ」

「オスならヒゲを切っちゃえよ」

「はい、ハサミ」


 ちょっと待て。それはどんな理屈なんだ。オスであることとヒゲを切ることにいかなる因果関係があるというのだ。


「にゃーにゃー」


 俺様は抵抗した。しかし二人の小学生に両手両足をがっしりと抑え付けられ手も足も出ない。やがてもう一人の小学生が俺様の大切なヒゲを切り始めた。


「チョキチョキ。よし、これでカッコよくなったぞ。ヒゲのお手入れは男のマナーだからね」

「うちの父さんも毎朝ヒゲを剃っているけど、電気だからうるさいんだよな」

「ぼくんちは丁字カミソリだよ。ジョリジョリ」


 俺様を放っておいて世間話を始めやがった。しかし逃げるには今がチャンスだ。俺様は下っ腹に力を込めると妖怪猫又の如き悪霊オーラを放ちながらおどろおどろしい唸り声を発した。


「ぶぎゃあー!」

「うわあ、なんだコイツ、気持ち悪い」


 小学生が手を離した。素早く態勢を整え脱兎の如く走り出す。猫屋敷を逃げ出した時より体重が減っているせいか今度はなかなかの速度で走れた。


「こら、待てー」

「誰が待つか。悔しかったら捕まえてみろにゃ」


 小学生は追って来ない。そこまでの執着心はないようだ。

 姿が見えなくなったところで歩き出す。しかしひどい目に遭ったものだ。これだから人間の子供は嫌いなんだ。


「おや、何か頭に当たったにゃ」


 空を見上げると一面の曇り空だ。しかも雨が降り出している。信じられない。ついさっきまで晴天だったのに。


「くそ、女心と秋の空とは言うけれど、まさかここまで変わりやすいとはにゃんたることにゃ」


 走り出す。濡れるのは嫌いだ。保温と断熱に優れた体毛も濡れてしまえばただの冷たい水着になってしまうからな。

 次第に激しくなる雨粒に打たれながら見知らぬ街をさ迷い走る。どこか雨宿りできる場所はないか。


「あそこにするにゃ」


 結局民家の軒下を借りることにした。どうせ通り雨だろう。腹も減っていることだし、しばらくここで休むとするか。俺様は丸まってしばらく眠ることにした。

 だが外の世界は猫屋敷とは違う。全ては人間中心に回っているのだ。


「ぶにゃあー」


 一瞬、何が起きたのかわからなかった。全身がズブ濡れになっている。いくら変わりやすい秋の空でも突然これだけの豪雨になるはずがない。見上げると民家の窓が開いて熟年のご婦人がこちらを見下ろしている。手に持っているのはバケツだ。


「こら、そんなところで糞をするんじゃない。あっちへ行きな」


 かなりお怒りのご様子だ。糞などしていない、雨宿りしているだけだと説明したいところではあるが人間の言葉は話せない。仕方なく軒下を出て雨の中を走り出す。体が寒い。これだけ濡れるとすぐには乾かないだろう。腹も減った。少し後悔し始めた。なんて惨めなんだ。これが野良猫なのか。こんな生活を続けていればスリムな体を手に入れられるだろうが、心がズタボロになりそうだ。


「あそこで休むにゃん」


 公園の遊具の下にもぐりこむ。地面が濡れて気持ち悪い。遊具からしたたり落ちる雨粒も気持ち悪い。風が吹くたびに体がじんじんと冷える。

 俺様は目を閉じた。覚悟はできている。野良猫として逝くのも悪くないではないか。


「あら、猫」


 若い娘の声が聞こえた。目を開けて見上げると女子高生が立っている。


「こんなに濡れちゃって。おまけに髭まで切られちゃって。かわいそうに」


 しゃがみこんだ女子高生は優しい顔立ちをしている。全てに絶望していた俺様には天使が降臨したように思えた。


「おいで、拭いてあげる」


 女子高生は俺様を抱き上げると公園のあずまやへ向かった。カバンからタオルを取り出し優しく毛を撫でる。実に心地良い。天はまだ俺様を見捨ててはいなかったようだ。


「お腹空いてるでしょ。食べなさい」


 差し出されたのは俺様の大好物、黒毛和牛味ちゅ~るではないか。ただちにむしゃぶりついた。うまい。空腹は最高のスパイスと言うが本当にその通りだ。何かを食ってこれほどの喜びを感じたのは初めてだ。


「疲れているでしょう。これに入って。一緒に家まで帰りましょう」


 なんて用意周到な女子高生なのだ。猫用ケージまで持ち歩いているとは。有難く中へ入り体を丸める。ふかふかのマットが敷かれているので安眠できそうだ。


「今日からこいつの家で暮らすのか。飼い猫として生きるのも悪くにゃいにゃ」


 これから始まる女子高生との甘い生活を想像しながら目を閉じる。たちまち眠りに落ちてしまった。


 * * *


「マオちゃん、ご苦労さま。これはお礼よ」

「ありがとう。いつでも呼んでね。すぐ駆け付けるから」


 話し声がする。もう家に着いたのか。目を開けるとすでにゲージから出されている。


「にゃにゃ!」


 周囲の情景を見た俺様は思わず驚きの声をあげてしまった。見覚えのある空間、ここは猫屋敷ではないか。


「あら起きたみたいね。コラ、ここから逃げ出すなんてダメでしょ。それはお仕置きです」


 猫屋敷の女主人が俺様を指差す。首に違和感がある。前足で触って愕然とした。首輪がはめられ紐まで付いている。


「切られた髭が伸びるまでの間、紐の届く範囲内で生活してもらいますからね」

「あらら、猫ちゃん、気の毒ですねえ」


 女子高生がニヤニヤしながら俺様を見下ろしている。畜生、こいつは猫屋敷の手の者だったのか。甘い言葉で俺様を誘惑してまんまと連れ戻しに成功したってわけか。

 考えてみれば合点がいく。タオルやちゅ~るを持っていたのはまだしも、毎日猫用ケージを持って登下校する女子高生などいるはずがない。あの時点でおかしいと気づけなかった自分が情けない。


「それにしてもマオちゃんは猫探しの天才ね。半日かからずに見つけてくるんだもの」

「昔から猫とは波長が合うんです。それじゃあたしは帰りますね。猫ちゃん元気でね」


 女子高生がにこやかな顔で手を振った。くそ、このまま無事に帰れると思うなよ。怒りの猫パンチを一発食らわしてやらないと気が収まらん。


「にゃおおー!」


 俺様は勢いよく駆け出した。あのふくらはぎに爪あとを刻み込んでやる。


「にゃぐ……」


 しかし俺様の爪が女子高生の肌に触れることはなかった。首輪の紐はすでに柱に結び付けられていたからだ。


「はい、行動できるのはそこまでです。マオちゃん、帰り道は野良猫に気をつけてね」

「はーい」


 女子高生が店を出ていく。ああ、もう、今日は人生最悪の日だ。だから人間は嫌いなんだ。この不満をどこにぶつければいいんだ。憤懣やるかたない俺様にできるのは雄叫びをあげることだけだった。


「にゃおおおーん!」






 このお話とよく似た題名の作品「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」は、

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882739112

 角川スニーカー文庫から絶賛発売中。さらにアニメ化進行中。


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