ホント! うわ~箱入り鱒寿司 真実に挑む先輩(現代ドラマ)(4600字)


 土曜日の昼、僕はいつものように先輩のアパートへ向かっていた。先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩が一年浪人してしまったからだ。


 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


「本当に大丈夫なのかな、今日の昼飯は」


 今もまだ半信半疑だ。昨日講義室で聞かされた先輩の言葉はあまりにも現実離れしていた。


「おい、明日の昼はます寿司を食わせてやるぞ」

「……すみません、もう一度言ってください」


 聞き間違えたのかと思った。アパート暮らしを始めてから回転寿司さえ行っていないのだ。それを食わしてやる、しかも富山名産の鱒寿司を食わせてやろうなどと言うのだから耳を疑って当然だ。


「明日の昼食は鱒寿司である。そう言ったのだ」

「冗談はやめてくれませんか」

「冗談ではない。まあ聞け」


 先輩は鱒寿司入手の経緯を話してくれた。実に単純な話だった。遠い親戚が富山へ旅行。その土産としてわざわざアパートへ宅配便で送ってくれたらしい。


「昨晩到着した。賞味期限は明日だ。よって明日の昼飯は鱒寿司である」

「なるほど。じゃあ楽しみにしています」


 そんなわけで翌日の今日、僕は昼食用の「ス○キヤ冷やし中華醤油だれ二食入り」をぶら下げて先輩のアパートを訪れた。なぜ鱒寿司があるのに昼食の食料を持参したのか。先輩の言葉を信じていなかったからだ。


「先輩は幼稚園の頃から冗談が大好きだったからなあ。一合枡に酢飯を入れて『枡寿司だよ~』とか言い出さないとも限らないし。そもそも親戚がお土産を送ってくれたなんて不自然にも程がある」


 これまで何十回先輩のアホな猿芝居に泣かされてきたことか。予備の昼食として冷やし中華を用意しておくのは先輩の友人として当然の行動である。


 ――ピンポーン

「おう来たか。さあ鱒寿司を食うぞ」


 中へ入るとテーブルには急須と湯呑が置かれていた。ズボラな先輩にしては珍しく用意がいい。これはもしかしたら本当に寿司があるのか。期待が少し膨らむ。先輩が台所の冷蔵庫から戻ってきた。


「これだ」

「おおっ!」


 テーブルに置かれた箱を見て思わず声を上げてしまった。紛うことなく鱒寿司のパッケージ。口が半開きの鱒の絵と「富山ますのすし」の文字が描かれている。


「すみません。本当は疑っていたんです。からかうつもりなんじゃないかって」

「そんなことするわけないだろう。さあ、食うぞ」


 先輩がパッケージから丸い容器を取り出す。輪ゴムで留められた竹棒を外す。蓋を開ける。中には美味しそうな鱒寿司が……


「あれ?」


 ピッタリと息の合った疑問符が僕と先輩の口から漏れた。容器は空だった。米粒ひとつ残っていない。大きく膨らんでいた期待は一瞬にして萎んでしまった。


「どういうことですか。中身がないじゃないですか」

「おかしいな。一昨日届いた時にはぎっしり詰まっていたのに」


 先輩は蓋の裏を見たり容器をひっくり返したりパッケージを振ったりしている。だんだん腹が立ってきた。


「もういいですよ、そんなお芝居はしなくても。どうせ先輩が食べたんでしょう。期待して損した」

「何を言う。俺はそんな意地の悪い男ではない。おまえに食わせて喜ぶ顔を見たいと思っていたんだぞ」

「じゃあどうして空なんですか」

「う~む、これは事件だ。真実はいつもひとつ。犯人は誰だ。う~む」


 先輩が考え出した。いや考えるまでもなく犯人はあんたでしょ、と言ってやりたいところだがしばらく様子を見ることにした。


「そうだ。きっと野良猫だ。最近夜中にニャーニャーうるさいんだ。きっと鱒の匂いを嗅ぎつけて昨晩忍び込んだに違いない」

「猫がどうやって冷蔵庫を開けるんですか。それに食べた後、わざわざ蓋をしてパッケージに入れるはずないでしょう」

「それは犯行の露見を遅らせるための細工だ。食べ散らかしたままならすぐに気づかれるからな」

「そうだとしても猫は酢飯なんか食べませんよ。酸っぱいものが嫌いなんですから」

「う~む……」


 また考え出した。素直に犯行を認めればいいのに。


「そうだ。きっと泥棒だ。昨晩ここに忍び込んで鱒寿司を食っていったんだ」

「でも財布とか貴重品は無事なんでしょう。どうして鱒寿司だけ食べていったんですか」

「現金よりも鱒寿司が好きな泥棒だったのだ」

「それなら寿司屋を狙えばいいじゃないですか。どうしてこんな安アパートに忍び込んだんですか」

「う~む」


 また考えている。そろそろ年貢の納め時なんじゃないですか。さっさと白状したほうが身のためですよ。


「そうだ、宇宙人の仕業だ。鱒寿司が珍しくて盗んでいったに違いない」

「それならパッケージごと盗むでしょう。どうして中味だけなんですか」

「じゃあ未来人だ。未来の地球では鱒が絶滅しているのでどうしても食べたくて過去にタイムトラベルして食べていったのだ」


 だんだん馬鹿らしくなってきた。それに腹も空いてきた。僕は立ち上がった。


「おい、どこへ行くんだ」

「台所ですよ。スーパーで冷やし中華を買って来たんです。今から作りますから待っていてください」

「待て!」


 先輩が足にしがみついて来た。いや待つのはあんたの方だよと思いながら足元の先輩を見下ろす。


「何か?」

「おまえ、俺が食ったと本気で思っているだろ」

「先輩以外に誰がいるって言うんです」

「誓って言う。俺はおまえの分の鱒寿司を食ってしまうような人間ではない」

「これまで散々似たようなことをやらかしてきて、今更何を言っているんですか」

「それは分別の付かない悪ガキだった頃の話だ。高校に上がってからはおまえをだますような真似はしていない」


 むっ、そう言われれば確かにそうだ。アニメ「巨人の星」で伴宙太と星飛雄馬が抱き合うシーンを見てから友情に目覚めたとか言っていたっけ。


「でも食欲と友情をはかりにかければ食欲が重いのが先輩ですからね。別に謝る必要はないですよ。どうせこんな事だろうと思って昼食の用意をしてきたんですから」

「信じてくれ。俺じゃない。俺はやってない」

「はいはいわかりました。だから放してください」

「嫌だ。本当に俺の言葉を信じてくれるまで放さない」


 足にしがみついている先輩の手に力がこもる。まいったなあ。どうしてくれよう、この駄々っ子先輩め。


 ――ピンポーン


 玄関のチャイムが鳴った。先輩の手から力が抜けた。が、床に這いつくばったまま動こうとしない。仕方ないので僕がドアを開ける。


「どなたですか」

「おや、昨日とは違う方ですな」


 立っていたのは白髪の老人だった。板前のような格好をして大きなクーラーボックスを肩に掛けている。


「ああ、僕はここの住人の友人です。休日の昼と夜は一緒に食事をしているんです」

「おや、それはちょうどよかった。実は昨日のお詫びに私の料理を召し上がっていただこうと思いまして、こうして訪問した次第です」

「あっ、あなたは昨晩の御老人!」


 床に這いつくばっている先輩が声を上げた。知り合いのようだ。


「お詫び? 何のお詫びですか」

「はい。実は昨日冷蔵庫の鱒寿司を食べてしまったのは私なのです」


 * * *


 老人から話を聞いて全ての謎が解けた。昨晩、先輩はコンビニのバイトを終えて帰宅途中、道端でうずくまっている老人を見つけたのだ。具合が悪そうなのでとりあえずアパートに連れてきて様子を見ることとなった。


「家に連絡しようにも私のスマホはバッテリー切れ。この方はケータイも固定電話もパソコンも持っていない。そこで電話番号を教えて外の公衆電話へ行ってもらったのです。その時私は大変お腹が空いていました。具合が悪くなった原因は空腹だったのです。部屋にひとり残された私は悪いと思いながら冷蔵庫を開け、そこにあった鱒寿司を食べてしまいました。その後、鱒寿司のことは言い出せぬまま迎えに来てもらった家族と帰宅したものの、恩を仇で返すような真似をした自分がなんとも恥ずかしくなり、本日謝罪に訪問した次第です」

「そうだったんですか」


 謝罪しなければならないのは僕も同じだ。先輩は本当に無罪だったのだ。


「でも先輩、それならどうしてこのお爺さんのことを話してくれなかったんですか。猫とか宇宙人とかアホみたいな話ばかりして」

「証拠がないからだ。憶測だけで実在の人物を犯人扱いすることなどできぬ。だから言わなかった」


 ああ、そうか。先輩も気づいていたんだ、このお爺さんが犯人だと。知っていてかばったんだ。どこまでも優しいなあ先輩は。


「今は引退してしまいましたが実は私は寿司職人なのです。今日は飛び切りのネタを用意しました。お腹いっぱい食べてください」

「いただきます!」


 それからのひと時はまさに極楽浄土であった。脂ののった大トロ、とろけるような生ウニ、初ガツオのたたき、噛むほどに旨みが滲み出るアワビ。全てが初めての体験だ。


「う、うまい、うますぎる。親爺、どんどん握ってくれ」

「先輩、もっと落ち着いて味わって食べてくださいよ。せっかくの高級寿司なんですから」

「ははは。気持ちよくなるほどの食べっぷりですな」


 老人はニコニコ顔で寿司を握り続けている。きっと店に出ていた時にはたくさんのお客さんに愛されていたのだろう。


「でもお爺さん、よほど鱒寿司が好きなんですね。あれは二重だから三人前くらいあるでしょ。それを一人で食べちゃったんですから」

「えっ? いえ、私が見た時には二切れしか入っていませんでしたよ。空腹を鎮めるにはちょうどよい分量でした」

「二切れしか、なかった……」


 先輩を見る。お茶を飲んでいた先輩は悪びれることなく言った。


「うむ、そうだろう。到着したその日の夜に俺が食ったからな」

「なっ、やっぱり先輩が食べていたんじゃないですか。嘘つき!」

「嘘はついてない。俺はおまえの分を食べていないと言っただけで、鱒寿司を一切れも食べていないとは言っていないのだからな」

「僕には二切れで十分ってことですか」

「まあ、落ち着け。あらかじめ切っておこうと思ってな。鱒寿司を八等分したのだ。しかし俺は不器用だ。大きさがバラバラになってしまった。このままではどれを取るかで争いが発生するのは必定。そこで明らかに大きさの違う六切れを胃の腑に収めることにより、選択を巡る争いを回避することにしたのだ。残された二切れは一目見ただけでは違いが判別できぬほどに大きさが等しかった。それもこれもおまえと醜い争いを起こしたくないがための苦渋の決断であったのだ。許せよ」


 つまり残った二切れを半分こして僕の取り分は一切れしかなかったってことか。なんてこった。冷やし中華を買ってきて正解だった。たとえこのお爺さんが盗み食いをしなかったとしても、食べられたのは一切れだけだったんだから。


「あ~あ。やっぱり先輩は先輩ですね。期待した僕が馬鹿でしたよ」

「そうでもないだろう。こうしてウマイ寿司が食えたのは俺のおかげなんだぞ。少しは感謝しろ」

「ええ、はい、まあ、それはそうですけど」


 釈然としないまま握りたての寿司を口に放り込む。あまりの美味しさに胸のもやもやは一気に吹っ飛んでしまった。先輩はどうにも憎めないな。









 このお話とよく似た題名の作品「本当はこわい話5 真実に挑む者」は、

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881838525

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