転居先の隣に住む少女漫画家は白豚を飼っている令嬢だった(現代ドラマ)(3300字)
「それにしてもすごい豪邸ね、お隣さんは」
引っ越しのあいさつにやってきたあたしは、宮殿のような大家さんの屋敷を見上げてため息をついた。引っ越し先のアパートは大家さんの自宅と同じ敷地に建っている。
大家さんは大金持ちだ。東京ドームとほぼ同じ、一万五千坪の広大な自宅敷地には地上五階建ての豪邸の他にプール、ガレージ、日本庭園、別荘、キャンプ場などが存在している。
あたしが入居するアパートもそれらの建造物のひとつに過ぎない。巨大な豪邸の隣に建つあたしのアパートはまるで犬小屋だ。
「えっ、転勤ですか」
入社一年目のあたしに下った異動命令はまさに青天の霹靂だった。せっかく都内でひとり暮らしを始めたのにいきなり地方へ転勤。しかも辞令は着任の一週間前。いくら何でも急すぎる。
「そんな遠方地に今から一週間で住む場所を探すのは無理です。もう少し後にしていただけませんか」
「ああ、それなら心配無用だ。家具家電付きで即入居可能な社員寮がある。そこに引っ越せばいい。家賃だけでなく光熱費も会社負担なのでアパート暮らしの今より相当安く暮らせるはずだぞ」
「直ちに着任させていただきます」
そして一週間は慌ただしく過ぎ、今日、あたしは社員寮へ引っ越してきた。社員寮と言っても安っぽいアパートを会社が借り上げて社員に住まわせているだけだ。さりとて大家さんの自宅敷地内に建っているので治安は良いだろう。
――ピンポーン
呼び鈴を押す。インターホン越しに女性の声が返って来る。引っ越しのあいさつに来たと告げ、玄関の扉が開くのを待つ。
「どんな人が住んでいるのかな」
ドキドキして待っていると扉が開いた。腰が抜けそうになった。
「ぶひぶひ」
そこには豚がいた。ミニブタとか子豚ではない。かなりでかい。子供なら三人くらい背中に乗れそうな大きさだ。
「えっ、どうして豚? なんで、どゆこと……」
トンでもない事態に遭遇してパニクっていると、ぶひぶひ声の向こうから人間の声が聞こえてきた。
「あ~こら、ブリちゃん。勝手に玄関に行くなって言っているでしょ。言い付けは守りなさい」
「ぶひ~」
豚の背後から女性が現れた。あたしより一回りほど年上のようだ。きっとこの人が大家さんだろう。
「あ、こんにちは、初めまして。本日隣のアパートに引っ越してきました。これ、つまらないものですが」
こんな大金持ちにとっては本当につまらないものだろうなあと思いつつ会社から支給された菓子折りを渡す。
「ああ、そう。よろしく。ここ一年ほど入居者がなかったから、あなたの会社、てっきり倒産したのかと思ってた。頑張って働きなさい」
どうやらアパートに住んでいるのはあたしだけのようだ。気を遣わなくて済むとはいえ少々寂しい。
「ぶひぶひ」
さっきから豚の鳴き声がうるさい。お腹でも減っているのかな。
「あの、ところでこの豚は何でしょうか。ペットですか」
「ペットか。そう言えなくもないけど、どちらかと言えば資料かな」
「資料?」
「ぶひ~」
おまえは答えなくていい。しかし豚が資料とはどういう意味だろう。口の端から垂れているよだれを眺めながら考えていると教えてくれた。
「私は漫画家なんだ。今、白豚が主人公の漫画を連載している。そのための資料さ。こいつの名前はブリトニー。通称ブリちゃん。図体はでかいが温厚な性格だ。庭を散歩しているときに出会ったらかわいがってやってくれ」
「ぶひぶひ」
ぶひぶひうるさいな。これじゃブリちゃんじゃなくてブヒちゃんだろうとツッコミたくなったが、さすがにやめておいた。
新任地でのあたしの生活はこうして始まった。
大家さんの漫画に興味を持ったあたしは現在一巻まで発売中のコミックを買って読んでみた。トンでもないストーリーだった。
意識高い系の白豚ブリトニーは食用豚としての生き方に疑問を抱き養豚所を脱走。通信教育で人間の言葉と文字を習得しパーパート大学へ入学。奨学金をもらって主席で卒業。さらにジムに通って肉体を鍛え上げボディビル世界大会で優勝。これまでの生きざまを温かく静謐な筆致で綴った自伝的小説は世界的ベストセラーとなり翌年のノーヘル文学賞を獲得と、まるで異世界に転生してやりたい放題のなろう系小説みたいな漫画だった。
「ここまでぶっトンでいると逆に清々しいわね」
あたしは漫画を連載している月刊ピースロクを購入して読むようになった。主人公の白豚ブリちゃんの快進撃は止まらない。最新号では肉体鍛錬のメソッドを集約した「ブリーズブートキャンプ」のDVDを発売し、世界各地でトレーニングイベントを開催していた。豚と人間が仲良くトレーニングしている絵面を見ていると頭の中が混トンとしてくる。
「ぶひぶひ」
大家さんに飼われている豚のブリちゃんは毎日自宅敷地内を散歩していた。鳴き声はうるさいがよく見ると愛嬌のある顔をしている。日が経つにつれカワイイと感じるようになってきた。放置して芽が生えてきたジャガイモなんかをやったりすると、
「ふごふご」
と言いながら食べたりする。これがまたキュートなのだ。大家さんが屋敷の中でも平気で放し飼いにしている気持ちが少し理解できた。
「明日の昼、バーベキューをやるから来て」
引っ越して半年ほどもした頃、大家さんからそんな誘いを受けた。敷地内にはキャンプ場がある。もちろんバーベキューの施設もあるので好きな日の好きな時間に利用できる。
「さあさあ、食べて食べて」
「あ、はい」
あたしは少し気後れしていた。大金持ち主催のバーベキューなので参加者もさぞかし大勢いるのだろうと思っていたが、あたしと大家さんの二人しかいない。それなのに肉も野菜もシメの焼きそばも数十キロはありそうだ。絶対に食べきれない山盛りの肉を見ただけで食欲が減退する。芥川の短編「芋粥」に登場する主人公もこんな気持ちだったに違いない。
「なんだか豚肉が多いですね」
「ああ。今日は豚肉がメインなんだ」
「そう言えばブリちゃんの姿が見当たりませんね。食べ物の匂いを嗅ぎつけると必ずやって来るのに」
「ブリちゃんならいるぞ。あそこに」
大家さんは皿の上に山盛りになっている肉を指差した。悪い夢を見ているような気がした。
「あそこって……まさかこの肉!」
「そうだよ。ブリちゃんには永遠の眠りについてもらった」
「どうして! あんなにかわいがっていたのに」
「漫画が打ち切りになったからだよ。前に言っただろう。ブリちゃんは資料だって。資料としての価値がなくなった以上、飼っている意味はない。まあ、どのみち死ぬ運命なんだし、食わずに埋葬するより美味しく食ってやったほうがブリちゃんも喜ぶと思わないかい。さあ、食った食った」
「は、はあ」
複雑な心境でヒレ肉のステーキをいただく。美味しい。きっとあたしよりも豪勢な食生活を送っていたんだろうなあと思わせる美味しさだ。ブリちゃん、あの世でも幸せにね。
翌月、書店で最終回が掲載されている月刊ピースロクを購入した。豚としての頂点を極めたブリちゃんがタイム誌の表紙を飾ったその年、ブリちゃんの故国で新しい皇帝が即位することになった。その饗宴の儀で振る舞われる料理の材料にブリちゃんが選ばれた。
「世界から集まる国家元首の皆様にこの身を賞味していただけるとは、豚としては無上の喜びでございます」
と言ってブリちゃんは潔く調理され世を去った。漫画の中でも食用豚としての運命から逃れることはできなかったのだ。
だが漫画の中のブリちゃんは幸福だった。安らかな顔でトンカツになっていた。豚にとって何がバッドエンドで何がハッピーエンドなのか、人間であるあたしには永遠にわからないのだろう、と思う。
肉と落ち肉と消えにし我が身かな正月太りは夢のまた夢
ブリちゃんの辞世の句である。
このお話とよく似た題名の作品「転生先が少女漫画の白豚令嬢だった」は、小説投稿サイト「小説家になろう」で連載中!
現在ビーズログ文庫から4巻まで絶賛発売中!
カクヨムでは、
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891568507
にて試し読み掲載中!
桜あげは先生、直筆サイン本ありがとうございました!
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