ゴーグルデート(ラブコメSF)(3200字)


 ゲートでゴーグルを装着し終わったところで彼女の声がした。


「あたしに会う前に着けちゃうなんて信じらんない。なによ、そんなに自分の素顔に自信がないわけ」


 振り向けば唇を尖らせて不満顔の彼女がいる。約束の時間に30分も遅刻してよくそんな口が叩けるもんだ。でもまあ、物怖じしないツンなところも魅力的ではあるな。


「いや、裸眼で直視するには君はあまりにも美しすぎて。こうでもしないと失明してしまう」

「よく言うわよ。あたしのも取って」


 女性用ゴーグルを手渡すと彼女もそれを装着した。

 ここは総合レジャービル。地上50階地下10階のフロアには、遊園地はもちろんゲームセンター、温浴施設、動物園まで設置されている。


「まずはどこへ行こうか」

「お化け屋敷!」


 ああ、そうだった。訊くまでもなかったな。ホラー大好きっなんだっけ。


「今月のテーマは『古代東方の妖怪たち』なんだって。初体験にワクワクしちゃう」


 パンフには『古代人を震え上がらせた妖怪が千年の時を越えてよみがえる。あなたはこの恐怖に耐えられるか』と書かれている。古代史ファンにとっては見逃せない企画だ。


「なにボーっとしてるの。エレベーターが来たわよ」


 遊園地は45階にある。乗り込むと客は我々二人しかいない。

 滑るように動き出す展望エレベーター。上昇するにつれ外の景色が眼前に広がっていく。立ち並ぶビル群。その間に張り巡らされた立体交通網。空中には宅配専用飛翔体が蠅のように飛び回っている。


「大昔の遊園地ってわざわざ地面の上に作っていたんでしょ。ジェットコースターなんか広大な敷地にとんでもなく長いレールを組み上げてその上を走らせていたんだって。たかが遊ぶだけの道具にそんな労力を無駄遣いするなんて信じられないよね」

「古代には脳信号伝達技術はなかったからね。実際に目で見て耳で聞いて体を動かさなければ楽しめなかったのさ」

「何もかもこいつのおかげね」


 彼女が頭に装着したゴーグルをなでた。ゴーグルと言ってもヘルメットに近い形をしている。この装置から発生される信号が脳に直接伝達されることによって装着者の五感が刺激され、現実とほとんど変わらない体験ができる。だからこそこんなビルの中に遊園地や水族館を設置できるのだ。


「着いたわよ」


 開いた扉からさっさと降りていく彼女。目の前には遊園地の入り口がある。


 ――23番のスイッチを押してください。


 機械音声とともに透過ディスプレイにはプレイメニューが表示された。23番はお化け屋敷の番号なのだろう。空中に手を伸ばして23番にタッチする。瞬時に気味の悪いデザインに彩られたお化け屋敷の入り口が出現した。


「行くわよ」


 またもさっさと中へ入っていく彼女。こっちの都合はお構いなしだ。


「さすがにちょっと寒気がするな」


 内部は薄暗く、聞こえてくる効果音もおどろおどろしい。しかし思ったほど不気味ではない。むしろユーモラスな感じさえする。要所要所で解説が表示されるので博物館にでもいるような気分だ。


「今回はハズレかなあ。全然怖くないじゃない」


 彼女も拍子抜けしているようだ。解説によると古代の墓場を模したものらしい。


「やだ、なによ、あの首の長い女の人。あれがお化け?」

「ろくろ首って言うそうだ。肉体から抜け出した魂を表現しているらしいよ」

「一本足で飛び跳ねている一つ目の三角は何? ダンスでもしているの?」

「からかさ小僧だって。雨が降った時に使う道具だそうだ」

「道具のお化け? ぷっ、笑っちゃうわ。昔のお化けって怖がらせるんじゃなくて笑わせに来てるの? 古代人のセンスってあたしたちとはかなりずれてるみたいね」


 彼女はクスクス笑いながら順路を歩いていく。機嫌を損ねるかと思ったがそれなりに楽しんでいるようだ。愉快なお化け屋敷は15分ほどで終わった。


「次は口直しに絶叫コースターにでも行きましょ」


 それからは彼女の望むままに遊びまわった。遊園地が飽きると海水浴。それにも飽きるとゴーカート。ランチは古代食を再現したというメニューを楽しんだ。


「右からハンバーガー、ポテト、チキンナゲットという料理だそうだ」

「名前はいいけどどうやって食べるのよ」

「そのままかぶりついたり指でつまんで食べるらしい。汚れた指を拭くための紙はそこにある」

「もぐもぐ」


 即座に食べ始める彼女。よほど腹が空いていたようだ。


「どうだい、お味のほうは」

「噛むのが大変。古代人は顎が強かったみたいね」


 食べてみると確かに何度も噛まないと飲み込めない。普段の食事はカプセルを飲むだけなのでかなり重労働に感じる。


「これ、材料は何かしら」

「本来は小麦や動物の肉を使って調理するらしいけど、そんなもの手に入らないからね。カプセルと同じく合成食材から作っているんだと思うよ」

「なら安心ね」


 古代人は自然界の植物や動物を調理して食べていたらしい。そのために細菌や毒にやられて病気になったり命を落とすこともあったようだ。現代の食物は全て人工的に製造される。水さえも水素を燃焼して作っている。極めて衛生的だ。


「さあ、お腹も膨れたし遊びに行くわよ」


 食後も我々は大いに遊んだ。やがて閉館時間となった。一階のゲートへ戻る。


「今日は楽しかったよ。また遊んでくれるかい」

「気が向いたらね」


 素っ気ない返事。最初から最後までツンなままだったな。


「さて帰るとするか」


 装着したゴーグルを外し、ゲートをくぐって外へ出る。目の前に広がるのは瓦礫の山。ひび割れた壁、残骸だらけの道路。まともな建造物はひとつもない。


「正常に作動している娯楽施設はこれだけになってしまったわい」


 わしは振り返ると出てきたビルを見上げた。そこには50階建てのビルなどない。2階建ての小ぢんまりとした建物があるだけ。それが現実の総合レジャービルだ。

 一日かけて楽しんだ様々な娯楽と同じように、このビルも、エレベーターから見えたにぎやかな都市の風景も、味わった料理も、わしの容姿や言葉遣いも、そして一緒に遊んだ彼女さえも、全てがゴーグルの作り出した仮想現実なのだ。


「やれやれ腰痛がぶり返しおった。まやかしとはいえ、さすがによわい80の老体には骨身に染みるな」


 地球の文明は完全に破壊されていた。その原因はわからない。物心ついた時にはすでに今と同じ有様だった。尋ねても誰も教えてくれなかった。歴史アーカイブにアクセスしてもこの件に関するデータは全て消去されていた。今の状況を受け入れるしかなかった。

 毎日自動生産されるカプセルを飲み、温度管理された空間で眠りにつき、まだ作動している文明の生き残りにすがって、わしらは地球の黄昏を生き続けた。


「他の者たちはどうしているかのお」


 数十年前まではまだ多くの人がいた。だが寿命を迎えたり新天地を求めて旅立つ者がいたりしてその数はどんどん減り続け、今、この地にいる者はわし一人だけになった。

 もはや生き残りを探す旅に出る気力もない。生存を知らせるための通信電波は24時間発信されているが、返答があったことは一度もなかった。


「このビルのシステムもだいぶもうろくしてきおった。今日はゴーグルの起動に30分もかかってしまったわい。おまけにホラー好きなツンデレ女子を希望したのに一度もデレてはくれなんだしな。わしと同じくそろそろ寿命かもしれんのう」


 たった一人の生活に寂しさを感じなかったのはこのビルのおかげだ。もしここのシステムもダウンしてしまったら、わしの老後はさぞかし味気ないものになるだろうな。


「さりとて古代の老人たちもかなり孤独だったようだ。一人寂しくあの世へ旅立ち、発見されるのは数カ月後なんてことは当たり前にあったらしい。それに比べればわしは幸せ者だ。死が感知された瞬間、終末ロボットがすぐに処理を開始してくれるのだからな」


 ビルを後にして歩き出す。このビルの営業時間は午前10時から午後5時まで。今日もまた一人の夜が待っている。寂しくはない。夜は夢の中で現実を忘れられる。夢だけは何が起ころうとシステムがダウンすることはない。わしというシステムがダウンしない限り……

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