あなたが思うゆえにあたし在り(ラブコメファンタジー)(4100字)
一目惚れってやつかな。高校の受験会場で出会った時、一瞬で脳裏に刻まれてしまった。だから同じクラスになれて飛び上がるくらい嬉しかった。運命の神様までボクの味方をしてくれている、そんな気がした。
(あの
我幻さんの特徴はその透明感にある。雪のように肌が白く体もか細い。誰かが守ってやらないと本当に消滅してしまう、そんな気持ちにさせてしまうんだ。
(それにしてもいつも一人だな)
席は五十音順。彼女は窓際の最後尾。運のいいことにボクはその隣。だから授業中も休憩時間中も左目でチラチラと彼女を見ている。
やがて気がついた。誰も彼女に声をかけない。昼の弁当も一人で食べている。登校も下校もいつも一人。そして彼女から誰かに話しかけることもない。
(人見知りするタイプなのかな)
話しかけようとしたことは何度もあった。しかし何の用事もないのに女子と話をするのはかなりの勇気を必要とする。結局何もできないままひと月が過ぎてしまった。
(おかしいな。いくら何でも無視されすぎだろう)
クラスメイトの誰一人、我幻さんを気に掛ける者はいなかった。それだけではない。教師ですら彼女を見ようとしなかった。
入学から数カ月が過ぎても彼女が授業中に当てられたことは一度もなかった。朝礼で担任が点呼を取る時、彼女の名を呼ばずに済ませるようになった。一言も声を発することなく帰宅する彼女、それが日常茶飯事になった。
一学期が終わりに近づいたころ、我慢できなくなったボクは担任を問い詰めた。
「先生、どうして出席点呼で我幻さんの名を呼ばないんですか」
すると担任は奇妙な顔をして出席簿に目を落とした。
「わげん、わげん……ああいたな。そんな生徒が。すまない、失念していたようだ。明日からはちゃんと呼ぶ」
その日はそう答えたが結局次の日も彼女の名が呼ばれることはなかった。
「なあ、気になる女子っているか」
男子トークでこんな話題が出た時には必ず、
「我幻さんって無口だけど温和でいい感じじゃないか」
と答えるのだが、誰もが奇妙な顔をする。
「わげん……そんなヤツいたっけ」
「いるよ。窓際の一番後ろ」
「……ああ、いたな。悪い。目立たなくて忘れてたわ」
そこで会話は終わってしまう。教師も生徒もわざと無視しているのではないことだけはわかった。忘れているだけなのだ。彼女の存在はそよ風のように頼りない。
やがて夏休みになった。会えないとますます我幻さんが気に掛かる。ある日、思いきって住所録に記載されている彼女の家を訪ねてみた。驚いた。そこは児童養護施設だった。
「わげん……そんな子いたかしら」
応対に出た職員も学校の彼らと変わらない。高校の同級生だと言うとやっと思い出してくれた。
「ああ、あの子ね。ちょっと待って……ごめんなさい、今いないみたい。外出届けには『午後は勉強のため図書館』と書いてあるから、図書館にいるんじゃないかしら」
「そうですか。お邪魔しました」
まるで砂を噛み締めるような味気なさを感じながら養護施設を後にした。
帰宅するとすぐ手紙を書き始めた。ラブレターだ。もう放ってはおけなかった。養護施設に住んでいるのだから我幻さんには家族がいない、いても同居できない事情があるのだろう。
学校でも施設でも彼女の存在は忘れられている。そんな環境で彼女はどこに安らぎを求めればいいのか。砂漠を彷徨する孤独な彼女のささやかなオアシスになってあげられたら、そんな気持ちで手紙を書いた。
翌日の午後、養護施設には行かず直接図書館へ向かった。我幻さんはいた。閲覧室で静かに読書している。声をかけるのもはばかられるような雰囲気だ。本を読みながら彼女が立ち上がるのを待った。
五時近くになってようやく我幻さんが本を閉じた。外に出たところで声をかけた。
「我幻さん!」
「あら、こんにちは」
声を聞くのは何日ぶりだろう。その響きは容姿と同じくか弱い。すぐに溶けてしまう氷菓子のような声だ。
「こ、こんにちは」
初めての会話だ。さすがに緊張する。
「こんなところで会うなんて偶然ね」
返事に迷う。ここは何もかも話したほうがいいだろう。
「偶然じゃないよ。実は昨日名簿に載っていた君の住所へ行ったんだ。そしたら午後は図書館にいるって言われて、それで」
「そう。それで何の用事」
すかさず昨晩必死で書き上げた手紙を差し出す。彼女の顔が驚きに変わった。
「これって、もしかしてラブレター」
「そ、そうなるかな。迷惑でなければ読んでください」
我幻さんは受け取ってくれた。しかし封を切らない。手に持ったままこちらを見ている。
「そう、そうだったの。これでようやくわかった。あなたがいたからあたしは消えなかったのね」
「えっ……」
何を言っているのかわからない。ボクがいたから消えなかったってどういう意味だ。
「あたしね、捨て子なの」
戸惑ったままのボクを放置して我幻さんが話を始めた。
「あの養護施設の前に捨てられていたんだって。両親が誰なのか今もわからない。我幻夢無と書かれた紙が一緒に置かれていたのでそれが名前になったの。施設の人は良くしてくれたわ。中には意地の悪い子もいたけどそれほど苦にはならなかった。でもあたしは自分が好きになれなかった。誰からも必要とされず誰の苦にもならない、そんな存在になりたかった。それには自分を消してしまうのが一番いい、そう考えるようになった」
「そんな考え方は良くないよ。少なくともボクは君を必要としている」
なんとか絞り出した言葉だったが我幻さんには届かなかったようだ。ボクの声なんかまるで聞こえていないかのように彼女は話し続ける。
「ある日、その方法がわかったの。どうしてあたしは存在していると言えるか。それはあたしが自分を思っているから。それならあたしが自分は存在していないと思えばあたしの存在は消えるに違いない。そう考えたあたしは自分の存在を頭の中から消した。それはとてもうまくいった。誰もがあたしの存在を忘れてくれる。このまま続ければあたしは完全に消滅できるはず。でもなかなか消えない。不思議で仕方がなかったの。そして今日、ようやくその原因がわかった。あなたがあたしを思っているから消えなかったのね」
我幻さんが手紙の封を切った。便箋を取り出して目を走らせる。さすがに目の前で読まれるとこっ恥ずかしい。思わず顔を伏せる。
読み終わった我幻さんは丁寧に便箋を畳んで封筒に収めた。
「熱烈な言葉をありがとう。でもごめんなさい。他人にはまったく興味がないの。だって自分自身に対してさえ興味が持てないんだもの。もちろんあなたと付き合うことも拒否するわ。恋人としてでなく友人としても」
「そ、そうか。うん、わかった」
声が震える。滝壺に突き飛ばされたような喪失感が襲い掛かってくる。同時にボクの中で何かが崩れ始めた。入学以来ずっと積み上げてきた我幻さんへの想い。それが今、音をたてて崩壊していく。
「あたしに興味を示してくれたのはあなたが初めて。そしてあたしの願いを叶えてくれたのも。お礼にこれをあげる」
我幻さんは手紙をカバンに仕舞うと中からストラップを取り出した。
「かわいいでしょう。大切にしてね」
「ちょっと待って。今、願いを叶えてくれたって言ったよね。君のどんな願いをボクが叶えたって言うんだい」
「あたしへの想いを捨ててくれたでしょ。これであたしを思う人は誰もいなくなった。念願の消滅はもう始まっているのよ」
目を疑った。我幻さんの姿が
「うそだろ。我幻さん、冗談はやめてくれよ」
「そんな顔しないで笑顔で見送ってよ。これがあたしの運命なんだから。それにあなたもすぐあたしのことなんか忘れるはず。気にする必要なんてないのよ。さようなら。あなたならきっと良い人が見つかるはず」
我幻さんの姿は完全に消えてしまった。まるで最初からそこには誰もいなかったかのように。ボクは握り締めた手を開いた。花柄の根付けストラップはまだ残っている。
「いや、彼女はいた。確かにいたんだ」
すぐに養護施設へ向かった。我幻さんについて尋ねた。しかし職員は首を振るだけだった。施設名簿を何度も見直してもらったが我幻夢無の名は見つからなかった。
残りの夏休みを悶々として過ごしようやく新学期が始まった。教室に入って愕然とした。窓際の列だけ席がひとつ少ない。我幻さんの席がないのだ。
「おい、どうしてあの列だけひとつ机がないんだ」
「えっ、今頃何を言っているんだよ。このクラスが他より一名少ないのは最初からだろ」
「いや、あそこには我幻さんという女子がいたはずなんだ」
「わげん? おいおい夢でも見ているんじゃないのか」
だれもボクの話を信じてくれない。担任に頼んで出席名簿を見せてもらったが我幻夢無の名前は記載されていなかった。彼女は完全に消えていた。まるで最初からこの世に存在していなかったかのように。
* * *
「もうすぐ冬だな」
校庭では色づいた落ち葉が風に吹かれて舞っている。ボクは時々窓際の隣の席を見る。机すらない空間。そこには誰かが座っていた気がする。でもそれが誰なのか思い出せない。いや、そんな気がするだけで実際には誰もいなかったのだろう。
「これも誰からもらったんだっけ」
花柄の根付けストラップ。これを見るたびに胸の奥が疼く。どうしてこんな物を大切に持っているのか、その理由すらわからない。ストラップの絵柄に使われているのは
「おい、授業中によそ見をするんじゃない。おまえはしょっちゅう窓を見ているな。かわいい女子生徒でも見えるのか」
教師の言葉に教室から笑い声が起きる。そうだな、確かに見えているのかもしれない。いつも無口で教室の片隅に座っている、誰からも忘れられた妖精のようにか細い女子の姿が。でもそれはきっとボクが作り出した幻想なのだろう。異性への憧れと初恋への焦燥が作り出した虚像に過ぎないのだろう。熱病のような思春期が終わればその姿も消え去り忘れ去られていくに違いない。根付けストラップを握り締めながら、ボクはそんなことを考える。
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