おクジラ様を捕らえるのは野蛮な行為です(童話)(2700字)

 抹香鯨まっこうくじらおさであるホエール=マッコイはおおいに困惑していました。数カ月前から鯨たちの間で奇病が蔓延していたからです。


「ヒャッホー、見てくれよこの筋肉。マッチョな鯨、爆誕だぜえ!」


 それは不思議な病気でした。ひとたび罹患すると骨格と筋肉が異常に発達するのです。胸骨と胸壁は鉄板のように硬くなり、お腹の後ろには二本の突起が発生して後足になりました。


「見ろ、陸に上がってもへっちゃらだ!」


 鯨は哺乳類、肺呼吸をしていますから、本来、海から出ても生存可能なのです。ただ、数十トンの体重によって肺が潰されて呼吸困難となり、砂浜に打ち上がった鯨はほどなく死んでしまっていたのでした。

 しかしこの奇病に罹れば頑強な胸壁が肺の圧迫を防ぎ、容易に呼吸できるようになるのです。しかも新たに生えた後ろ足によって陸上移動も可能になりました。


「我ら抹香鯨族が陸へ帰還する時が来たのかもしれぬな」


 族長マッコイは決断しました。この奇病は神の意志に違いない。かつて陸から海へと住処を変えた鯨族よ、再び陸へ戻るのだ、神はそう言っておられるのだ、と考えたのです。


「マッコイ様。我らはどの地へ上陸すべきでしょうか」

「うむ、そうだな。地球上で最大の脳を持つ抹香鯨は人類の尊敬を一身に集めておる。どの地へ行こうとも歓迎されるであろう。ただひとつ、ジャバン国を除いて、だが」


 抹香鯨族だけでなく、全ての鯨族にとってジャパン国は天敵と言える土地でした。その地の人々は古来より鯨を捕らえ、肉だけでなく皮、骨、油、髭など、鯨の体を余すところなく利用していました。そんな場所に上陸すればたちどころに捕らえられ、殺されてしまうでしょう。


「わかりました。ではジャパン国以外の場所……取り敢えずオスラリア国などいかがでしょう」

「良きに計らうがよい」


 こうして奇病に侵された抹香鯨族はオスラリア国へ向かいました。上陸すると羊がたくさんいます。


「うお、これは美味そうだ」


 それまでイカばかり食べていた抹香鯨にとって、もふもふの羊は格好の餌でした。さっそく食べまくりました。


「がつがつ、美味い美味い」


 奇病によって発生した頑強な二本の後足で内陸部へ侵攻すると、美味そうなカンガルーやコアラなんかもいます。もちろん食べまくりました。雄の抹香鯨の体重は50トン。一日数トンは食べないと体がもたないのです。


 ドキューン! ドカーン!


「うわ、なんだ」


 突然、周囲は激しい火柱と爆風と轟音に包まれました。気がつけば数頭の抹香鯨が血まみれになっています。


「攻撃だ。人間が攻撃してきたぞ」


 いつの間にか陸も空も重火器に満ち満ちていました。一旦やんだ砲撃はすぐ再開され、さらに多くの抹香鯨が血まみれになって地に倒れていきます。


「退却じゃ。皆の衆、急いで海へ帰るのじゃ」


 族長マッコイはその地を離れ海へ戻りました。頭は混乱していました。上陸したのは鯨大好きのオスラリア国です。調査と称して鯨を捕らえるジャパン国の邪魔をしてくれる、本当に鯨思いの国なのです。


「それなのに何故我らに銃口を向けるのじゃ。理解できぬ……」

「マッコイ様、こうなれば別の土地へ行くしかありません。ヨロパ国ならどうでしょう」

「そうじゃな、行ってみるか」


 こうして抹香鯨族は赤道を越えてヨロパ国へ向かいました。上陸すると牛や豚がたくさんいます。


「ヒャッハー、これは美味そうだ」


 牛舎や豚舎を破壊して牛や豚を食べまくる抹香鯨たち。ついでに養鶏所も襲ってニワトリもたらふく食べました。


「いや~。地上は最高。こんな美味い物があるんだからね。やっぱり哺乳類は陸地で暮らすべき生き物なんだよ」


 ズババババ、ドッカーン!


「な、なんだ」


 突然巻き起こった爆音と射撃音。いつの間にか地には戦車が空には攻撃ヘリが出現して、抹香鯨たちに銃口を向けています。


「退却じゃ。皆の衆、急いで海へ帰るのじゃ」


 族長マッコイとその一族は再び海へ戻りました。頭は混乱していました。上陸したのは鯨大好きのヨロパ国です。鯨を守るために会議を開いたり条約を作ってくれる、本当に鯨思いの国なのです。


「それなのに何故我らに銃口を向けるのじゃ。理解できぬ」

「マッコイ様、こうなればイルカ賢者様に人間たちの考えを探らせてみてはいかがでしょうか」

「うむ、それしかなさそうだな」


 族長マッコイは直ちにイルカ賢者を召喚しました。イルカ族の中でも特に優れた知性を持つイルカ賢者は人語を理解できるのです。


「お任せあれ。さっそく探ってみましょう」


 イルカ賢者は水族館、海遊館、海水浴場、イルカ島などに潜入して、人間たちが何を考えているのか綿密に調査しました。数日後、その結果を報告しました。


「マッコイ様。人間たちは抹香鯨を駆除するつもりのようです」

「な、なんたることだ」


 族長マッコイには信じられない報告でした。しばらく二の句が継げませんでした。


「何故だ。何故そんな目に遭わねばならぬのだ。人間たちは言っていたではないか。鯨は頭が良い動物、賢い動物、かわいい動物、人と同じ哺乳類。だから捕まえたり食べたりしてはいけない。そんなことをするのは野蛮人だけ。そう言っていたではないか。それなのに何故駆除しようなどと言うのだ。それこそ野蛮人の振る舞いではないか」

「それは鯨が海に住んで人間たちの害になるようなことをしなかったからです。奇病に罹り、陸に上がり、そこらの猛獣と同じように大暴れすれば、人間たちに嫌われるのは必然でしょう。鯨を捕らえ食することは野蛮な行為だが、大暴れして牛や豚を食す鯨を虐殺することは野蛮な行為ではない、人間はそう考えているようです」

「そうだったのか。所詮、人間は自分のことしか考えぬ生き物であったのだな。賢いだのかわいいだのと言っておきながら、自分に害が及ぶと知るや平気で手のひらを返して邪魔者扱いする、そんないい加減で口先だけの生き物に過ぎなかったとは……人間を信じた我らが愚かであった」


 イルカ賢者の報告を聞いて族長マッコイは全ての土地への上陸を禁じました。しかしひとたび羊や豚や牛の味を知った抹香鯨たちは、その命令に従えませんでした。


「オレたちは生まれ変わったんだ。これからは哺乳類を食って生きていくんだ。ヒャッホー!」


 多くの抹香鯨は陸へ上がりそのほとんどはオスラリア国やヨロパ国の重火器によって虐殺されました。もちろんその国の人々はその体を利用したりはしません。肉も皮も骨も焼かれたり腐らせたりして放棄されました。


「ああ、我ら抹香鯨族もお仕舞いだ……」


 族長マッコイは海の底でただ悲しみに沈むだけでした。


 が、


「やった、ついに薬が完成したぞ」


 ジャパン国ではまったく別の動きがありました。鯨と共に長い年月を生き、もはや文化と呼べるまでに鯨と親しんできた彼らは、奇病に罹った抹香鯨たちをなんとしても救いたかったのです。そこで多くの予算をこの奇病の研究に当てて、ようやく治療薬を完成させたのでした。


「これで抹香鯨は助かるはず」


 直ちにジャパン国から救援潜水艦が族長マッコイの元へ派遣されました。薬はすぐに効き目をあらわして奇病は完治し、抹香鯨の絶滅はかろうじて免れたということです。めでたしめでたし。


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