時間停止時計(SF)(3900字)

 俺は高校生三年生、現在絶賛受験戦争真っ只中だ。にもかかわらず日曜の昼間に繁華街をフラフラしているのは諦めではない。単なる息抜きである。


「これこれ、そこのお兄さん。ちょっと見ていかんかね」


 この繁華街には通りのあちこちに辻占いがある。いかにもインチキ臭い占い婆が俺に声を掛けてきた。何の気なしに見てみると、


 ――大安売り! 時間停止時計! 一個百円!


 という文字が目に飛び込んできた。どんなオモチャを売っているのか気になった俺は占い婆に話し掛けた。


「時間停止時計って書いてあるけど、これを使うと本当に時間が止まるの?」

「はいはい、止まりますよ。嘘じゃありませんよ」

「どうやって止めるの?」

「詳しくは説明書を読んでくださりませ」

「本当に百円でいいの?」

「百円は税抜き価格。税込みで百八円ですよ」


 ここは百均かよと思いながら台紙付きの袋に入った時計を手に取ってみる。外見は単なる腕時計だ。表示はデジタル、ボタンは三つ、折り畳まれた説明書。

 時間停止という驚異的性能を有している割には実に安っぽい作りをしている。


「来年には消費税が上がるので税込み百十円になりますよ。百八円で買えるのは今だけですよ」

「んじゃ、もらうわ」


 こうして俺は時間停止時計を手に入れた。


 帰宅して勉強机の前に座った俺はさっそく説明書を読んだ。時間停止の方法は以下の通りだ。

 まず停止させる時間の長さをAボタンで設定する。一分単位で最短は一分、最長は無限大。数カ月でも数年でも時間を停止させられるようだ。

 設定が終了したらBボタンを押す。押した瞬間、時間停止機能が発動し、世界は設定した時間の長さだけ停止する。

 Cボタンは時計機能のためのボタンで時間停止には無関係。


「試しに一分ほど止めてみるか」


 Aボタンを操作して停止時間を一分に設定。これで現在から一分間、時間が停止するはずだ。


「時よ、止まれ!」


 俺はBボタンを押した。周囲を見回す。何も変わらない。窓を開ける。風が吹き込む。自動車の音がする。隣家からカレーの匂いが漂って来る。どこをどう考えても時間が止まっているようには思えない。


「だよなあ。いや、わかっていたんだよ。止まるはずがないじゃん。まあ、でも、腕時計としては使えるから、百八円が無駄になったとは言えないよね」


 と自分で自分を慰めた後、宿題を済ませて俺は寝た。


 翌日、英語の時間に抜き打ち試験があった。日曜日に受験勉強もせず繁華街で息抜きしている生徒にとっては、地獄で交通事故に遭ったような運の無さだ。言うまでもなくまるでわからない。開始三十分ですっかり匙を投げてしまった。


『あーあ、教科書を見れば一発でわかる問題ばかりなのに。時間でも止めてこっそりと……』


 と脳内でつぶやいた俺は腕にはめた時計に目をやった。昨日の実験で時間停止機能は大嘘だとわかってはいたが、溺れる者は藁をも掴む。指は勝手にAボタンを押し始めた。


『残り時間は二十分。それじゃ停止時間も二十分にするか』


 設定を終えてBボタンを押す。もちろん昨日と同じく何も起こらないはず……だったが違った。突然、試験終了を告げるチャイムが鳴り響いた。


「そこまで。試験用紙を前に回して」

「えっ、うそだろ。どうして」


 俺は時計を見た。驚いた。デジタルの表示は試験終了の時刻を示している。茫然としたまま答案用紙を前に回し、何が起きたのかを考える。


「おい、おまえ、大丈夫か」


 右隣の同級生が俺の肩を叩いた。毎日昼食の弁当を一緒に食べている、数少ない俺の親友のひとりだ。


「大丈夫って、何がだよ」

「ラスト二十分くらい時計を触ったまま微動だにしなかったじゃないか。まるでフリーズの呪文でもかけられたみたいにさ」


 その言葉を聞いて俺は理解した。この時計は本物だった。紛れもなく時間停止機能を有している。そう、止まるのは俺を取り巻く周囲の時間ではない。俺自身の時間が止まるのだ。昨日は一分という短時間だったため、それに気が付かなかったのだ。


「あの婆さん、本物の魔術師だったんだな」


 が、それがわかったからと言ってどうしようもない。自分の時間を止めたところで俺は何も得をしない。むしろ損だ。貴重な時間をドブに捨てるに等しい。


「やっぱり使えねえー!」


 それでも普通の腕時計としての機能はあるので、俺は毎日腕にはめて登校した。


 数日もしないうちに、この時計にもそれなりに使い道があることがわかった。

 例えば朝礼での校長の長話。この時計を使えば退屈な時間を一瞬で消滅させられる。

 例えばぎゅうぎゅう詰めの満員電車。駅到着時刻に合わせて時間を止めれば、立ちっ放しで人に囲まれている不愉快な時間を回避できる。


「なんだ、結構役に立つじゃないか」


 俺はいろいろ試してみたくなった。時間を止めている時、俺自身は一体どうなっているのか。

 高校最後の夏休みの昼、俺は公園のベンチに座った。手にはアイスを持っている。この真夏の直射日光に晒されればアイスは数分で溶けるはずだ。


「五分ほど止めてみるか」


 時計を操作して時間を止める。五分後のアイスは……溶けていない! 元のままだ。どうやら俺に触れている物体の時間も止まるらしい。


「ってことは誰かと握手したまま時を止めると、そいつの時も止まるのか」


 俺は帰宅すると中学生の妹の手を握った。あからさまに嫌そうな顔付きになる。


「な、なによ、いきなり手なんか握って」

「ああ、ちょっとした実験だ。すまないがしばらくそのままでいてくれ」


 そうして停止時間を一分に設定し時間を止める。妹を見る。手を握ったままだ。俺は訊ねる。


「俺とおまえは一分間手を握ったままだったのか?」

「そうよ。お兄ちゃん、まばたきひとつしなかったわよ。左手で頬っぺたを叩いてやったら鉄みたいに硬いし。もしかしてビョーキ?」

「そうか。おまえの時は止まらなかったのか。触れていても自分の所有物でなければ作用しないようだな。そして時間停止中の俺の体は外部からの衝撃にも耐えられる状態になっているのか。ちょっとした超人だな」

「はあ? 何言ってるの。お母さん、お兄ちゃんがおかしい!」


 妹は俺の手を振り払うとキッチンへ駆けて行った。まあ当然の結果だ。俺は大気にも地球にも触れている。それら全てに効果が及べば時間停止の意味がなくなるからな。

 俺の体が極度の硬直状態になるのも良い現象だ。これなら時間停止中の俺の体に危害が及ぶことも、ある程度は回避できるだろう。


 こうして俺は時計を利用して快適な日々を送った。それなりに勉強し、それなりの大学に合格し、卒業式を迎えた。


「卒業記念に告白するか」


 三年間片思いだった彼女。このまま別れれば二度と会うことはないだろう。やらぬ後悔よりやる後悔。俺は彼女を校庭の隅に呼び出して言った。


「永遠の愛をあなたに捧げます!」


 結果は予想通りだった。俺はかなり落ち込んだ。振られることはわかっていたが、振られ方が想像以上に熾烈だったのだ。かなり辛辣な言葉を浴びせられた。要約すると、


「ぷっ、あなた、鏡を見たことあるの。正常な神経の持ち主なら、自分の顔が恥ずかしくて告白なんかできないはずよ」


 こんな感じだ。


 俺は旅に出た。傷心旅行だ。目的地は縁結びの神様がいる出雲大社。ここで新たな出会いを祈願するのだ。


「でかいな」


 目の前には神楽殿の巨大しめ縄が張られている。その雄姿を見上げても俺の心はなかなか癒されなかった。あんな薄情な女に惚れた自分の不甲斐なさと、それでも未練が残っている自分の女々しさが、俺の心を悶々とさせた。


「大学に入れば新しい出会いがあるだろう。ああ、もうこんな春休みは早く終わってしまえ」


 俺は神楽殿を立ち去り北へ進んだ。鬱蒼と樹木が茂る森の中へ足を踏み入れる。ここなら人目に付かないだろう。スマホを取り出して家に電話する。


「ああ、母さん。俺だよ。予定を変更してあと一カ月旅を続ける。えっ、お金はあるのかって? 心配無用。金は無くても旅はできるよ」


 電話を切って時計を操作する。停止時間は一カ月。一気に春休みを終わらせて新しい生活に踏み出すのだ。


「こんなに長い時間を止めるのは初めてだな」


 俺はAボタンの設定を終えると、期待を込めてBボタンを押した。


「えっ……」


 口から驚きの声が漏れた。目の前にあった樹木がない。周囲を見回す。何もかもが消えていた。建物も立木も全てが消えて、辺りはただの野原になっている。


「どうして……一体何が起こったんだ」


 俺は野原を南へ歩いた。そこにあるはずの神楽殿も土産物屋も蕎麦屋も消えていた。人影もない。道路もない。ただ荒涼とした原野が広がっているだけだ。


「まさかっ!」


 俺は時計を見た。すぐに理由がわかった。設定ミスだ。時間停止期間を一カ月ではなく一万年に設定してしまったのだ。


「つまりここは一万年後の世界か。まるでタイムマシンにでも乗ったような気分だ」


 しかし未来に行っても過去に戻れないタイムマシンでは何の意味もない。俺は何もない原野を歩いた。本当に何もなかった。どうやら人類は滅亡してしまったようだ。あるいは地球を捨てどこかの星へ旅立ったのかもしれない。


「これからどうしよう……」


 こんな原野にひとりだけで生きていく自信はない。水も食料もないのだ。やがて飢え死にするだろう。しかしそんな苦しみは味わいたくない。


「こうなればとことん長生きしてやるか」


 俺は空を見上げた。太陽は一万年前と変わらぬ姿で輝いている。しかし太陽にも寿命はある。確かあと五十億年ほどだったはず……


「よし、それなら五十億年後の未来を見てみるとするか。太陽が死んだ後の地球、そこに降り立った俺はどうなるのか、楽しみだ」


 俺は時間停止期間を五十億年に設定すると、処刑台のスイッチを押す死刑執行人の気分でBボタンを押した。

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