本当にこわいハナシさん 意味がわからずゾッとする(現代ドラマ)(5000字)

 しとしと雨が降る梅雨真っ盛りの夏至の昼、僕は先輩のアパートへ向かっていた。


 先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩が一年浪人してしまったからだ。

 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


 ピンポーン!


 玄関のチャイムを押すとすぐドアが開き先輩が姿を現わした。相変わらず腐った魚のような目をしている。


「これ、ご希望のもの、買ってきましたよ」

「おう、雨の中ご苦労。さっそく作って食おう」


 持参したのは冷やし中華だ。先日、大学で講義を受けていると突然先輩が、


「梅雨に入って蒸し暑い日が続いている。こんな時は酸味のあるものを食うのが一番だ。よって次の土曜の昼飯は冷やし中華に決定する」


 などと言うので、本日ここへ来る前にスーパーに寄って「ス○キヤ冷やし中華醤油だれ二食入り」を購入してきたのだ。


「先輩、具はどうするんですか」

「心配するな。用意してある」


 それなら安心と中へ入り、台所へ直行し、先輩と二人で昼食の準備に取り掛かる。準備と言っても麺を茹でるだけなので簡単だ。すぐに完成した。


「こ、これは……」


 完成した冷やし中華を見て絶句した。ひどい出来だった。麺の上に梅干しとラッキョウとレモンとすっぱムーチョ(さっぱりビネガー味)がのっている。先輩が用意してくれた具だ。さすがに文句を言いたくなる。


「この具、酸っぱいものばかりじゃないですか」

「冷やし中華は酸っぱいのだから、その具として最適なのは酸っぱいものに決まっているだろう」

「逆ですよ。冷やし中華の酸味を引き立たせるために、その具は酸っぱくないものにすべきです」

「いいや違う。冷やし中華の酸味を増大させるために、その具も酸っぱいもので統一すべきである」


 また先輩の謎理論だ。一般的な冷やし中華の具と言えば、卵焼き、きゅうり、ハム、トマトなど酸っぱくないものばかりなのに。さりとて冷蔵庫の中にそんな食材があるわけないので作り直すこともできない。


「やれやれ、わかりましたよ」


 仕方なく食べ始める。酸っぱい。何もかも酸っぱい。歯が溶けそうだ。先輩はうまそうに麺をすすっている。


「ズルズル。うむ、やはり梅雨時は冷やし中華に限るな。しかしどうして冷やし中華と言うのだろう」

「冷やした中華そばって意味じゃないですか」

「なるほど。さすが中華四千年のことはある」


 いや、中国は関係ないでしょ。冷やし中華って確か日本で作られた麺料理じゃなかったかなあとは思うのだが、余計なことを言うとまた謎理論を発動させるので黙って食べる。


「ふう、うまかった。さて今日はおまえに見せたいものがある」


 食べ終わって冷たい麦茶を飲んでいると、先輩がそんなことを言い出した。どうせまたろくでもないものだろうと大して期待もせずに待っていると、先輩は誇らしげに食卓の上にそれを置いた。プラスチック製で高さ二十センチほどのそれは、どこからどう見ても犬の置物だ。


「何ですか、これ。犬みたいですけど」

「そうだ犬だ。名をハナシさんと言う」


 ハナシさん……こんなガラクタに名前まで付けているのか。


「そうですか。結構なものを見せていただきありがとうございます。さて食事も済んだことだし、そろそろ失礼しますね」

「おい待て。おまえこのハナシさんをただの犬の置物だと思っているだろう」

「はい、思っています」

「バカ者!」


 先輩が思いきり食卓を叩いた。いつも強気だが今日は普段にも増して強気だな。


「これは置物ではない。ペットロボットだ。このスイッチを押すと……ほら、動き出した。どうだ、この愛らしい仕草。癒されるだろ」


 なるほど動いている。尾を振り、耳を動かし、目をキョロキョロさせて愛想を振りまいている、が、所詮は安物の玩具。動きがぎこちない。しかもモーターのジージー音がやかましいのでまったく癒されない。


「ああ、犬のおもちゃでしたか。しかしどうしてこんなもの買ったんですか」

「うむ、では説明しよう」


 一層誇らしげな顔になった先輩は事の成り行きを語り始めた。


 昨夜遅く、二人の美少女がアパートへやって来たのだそうだ。そして犬の玩具の購入を勧められた。もちろん先輩がそんな話に乗るはずがない。


「要らん。帰れ」


 情け容赦なく断ると美少女二人は悲しそうな顔をして話し始めた。


「私たち、遠い異国の地からこの国へ来たデス。日本で働けばすぐにお金が貯まると聞かされたデネ。お仕事は大変。休みはほとんどナッシング。稼いだお金は食費、寮費、来日時に負わされた借金の支払いへ行っちゃって、手元にはスズメの涙なのデス。そんな境遇に我慢できない。ついに私たちは寮から逃げたアルヨ。そしてこうして犬の玩具を売りながら日々の糊口を凌いでいるってワケデス」

「な、なんて健気な少女たちなのだ。わかった。買ってやろう」


 ということで一個千円で購入したのだそうだ。


「千円! こんなガラクタに千円も出したんですか」

「ガラクタとは何だ。尾も耳も目も動くんだぞ。しかも天下のパ〇ソニック製だ。一個一万円でも安い」


 パナ〇ニック製ねえ、とてもそんな高級玩具には見えないけど。確かめてみるか。


「ちょっと止めますよ」


 スイッチを切って犬の置物を手に取りあちこち眺める。MADE IN PRCと刻まれている。


「どこがパナソ〇ック製なんですか。PRCって書いてあるじゃないですか」

「PRCならパナソニ〇クだろ」

「違いますよ。中華人民共和国の略ですよ。CHINAでは印象が悪いので、最近の中国製は国名表記にPRCを使っているんです。そもそもどうしてPRCがパナソニッ〇になるんですか。Pはわかりますけど残りのRCは何ですか」

「それは……ええい、そんなことはどうでもいい。それに中国製なら万々歳だろう。中華四千年の歴史を知らないのか」


 また屁理屈を言い始めた。中華料理ならともかく工業製品に四千年は通用しないだろうに。困った先輩だ。


「この前のクリスマスケーキと言い、今回の中国玩具と言い、先輩は訪問販売に弱すぎますよ。もっと気を付けないとそのうち痛い目に遭いますよ」

「ふっ、おまえはまだ何もわかっていない。このハナシさんの能力は他にもあるのだ」


 簡単にへこたれない点だけは評価できる。どうせ大した能力じゃないだろうと思いながらも一応訊いてみる。


「どんな能力なんですか」

「聞いて驚け。ハナシさんは話ができるのだ」

「話? 童話でも読んで聞かせてくれるんですか」

「そんな生易しい能力ではない。我々の声を聞き、言葉の意味を理解し、適切な返事をしてくれるのだ。会話機能搭載犬型ペットロボット、それがこのハナシさんなのである。どうだ、凄いだろう」


 ああ、スマホのSiriみたいな機能か。別に凄くもなんともないが、スマホもガラケーもパソコンも持っていない先輩にとっては凄く見えるのだろう。


「へえ~、試してみてもいいですか」

「おう、やってみろ。このボタンを押しながらこの穴に向かって喋るんだ。しばらくすれば返事がくるはずだ」


 言われた通りボタンを押しながら何を言おうかと考える。最初は簡単な言葉がいいだろう。


「こんにちは、はじめまして」

 ガチャ、ジージージー……


 ボタンから指を放すと大きな機械音が聞こえてきた。しばらくして、


『こんにちは。私はハナシさんです。よろしく』


 と、少々カタコトな日本語ではあるが女性の声が聞こえてきた。


「なっ、凄いだろう」


 先輩は自信満々だ。確かにこれで千円ならお買い得と言えそうだ。


「前言撤回します。先輩にしては良い買い物をしましたね」

「そうだろう。わかればいいんだ。よし、俺もやってみるか。ハナシさん、こんにちは。俺は先輩だ。これからもよろしく」


 またも大きな機械音。そして雑音と共に返事がくる。


『あなたは若溪ルォ・シーさんですね、はじめまして。よろしく』

「ルォ、シー? 先輩、こいつ名前を言い間違えてますよ」

「おかしいな……ああ、わかった学習機能のせいだ」


 学習機能? また変なことを言い出したな。


「どういう意味です?」

「昨晩来た美少女の一人がそんな名前だったんだ。で、会話機能を実演する時に自分の名前を使ったんだよ。ハナシさんはそれを記憶してしまったんだろうな。で、今もついうっかりその記憶した名前で返事をしてしまったのだろう。何ともカワイイ奴ではないか」


 いやロボットに可愛さは必要ない。と言うか、これは完全に誤作動だ。


「ちょっと貸してください」


 先輩からハナシさんをひったくり、怒涛のように話し掛ける。


「ハナシさんはどこで作られたのですか」

『今日も晴天で嬉しいです』

「外は大雨ですよ。梅雨の真っ只中なんだから」

『お弁当のおかずは唐揚げがいい。バナナはおやつに含まれます』

「弁当の話なんかしてませんけど」

『スマホを買うならファー〇ェイが一番ですね』

「何の話をしているんですか」

以后請多多関照イーホゥチンドゥオドゥオグヮンジャオ!』


 駄目だ、会話になっていない。最後は中国語みたいだが意味がわからなさすぎてゾッとしてしまう。


「先輩、これやっぱりおかしいですよ。これじゃ話にならないですよ」

「おまえの喋り方が悪いんだ。貸せ」


 ひったくるようにハナシさんを奪い取った先輩は、語気を荒げて話し掛ける。


「おい、しっかりしろ、ハナシさん。おまえの実力を見せつけてやるんだ」

『まだ話をするんですか。もう飽きたからやめましょう』

「ロボットの辞書に飽きたという文字はない。続けるぞ」

『やめろって言ってんだよ。しつこいなボケ』

「なんだ、その言葉遣いは。そんな悪い子に育てた覚えはないぞ」

『悪い子で悪かったな。おまえなんか親でもなんでもねえ』

「いや、俺はおまえの親じゃないし」

『だから話をやめろって言ってんだよ。もうやめるぞ』

「やめない」

『やめる』

「やめない」

『やめるっつってんだろ。コ〇スぞ、ボケ』


 どんどん言葉遣いが酷くなっていくなあ。ハナシさんの本性は怖い人だったのか。しかし不思議と会話が成立しているのが面白い。


「一体何が不満なのかね、ハナシさん。ここはひとつ腹を割って話し合おうではないか」

『終わりだよ、これで。はい巻き戻し』


 突然大きな機械音がした。同時にモーターの駆動音も聞こえてくる。それからは先輩が何を話し掛けても全く返事がない。ただ何かが回転しているような音が聞こえてくるだけだ。


「何が起きているんだろう」


 先輩と顔を見合わせながら待つこと数分。やがて駆動音が聞こえなくなり部屋の中は静寂に包まれた。先輩がボタンを押して話し掛ける。


「えっと、ハナシさん。どうかしたのかね」

『こんにちは。私はハナシです。よろしく』

「いや、それは知っている。何が起きたのか話してくれ」

『あなたは若溪さんですね、はじめまして。よろしく』

「これ、最初の返事じゃないか!」


 ようやく僕らにもハナシさんの正体がわかった。会話機能など搭載されてはいなかったのだ。あらかじめ録音された言葉を繰り返していたにすぎなかったのだ。


 その後、ハナシさんを分解してみると、かつて磁気式録音再生媒体として用いられていたカセットテープを使用していることが判明した。マイクで音を拾った数秒後、十秒間だけテープが再生される仕組みになっていた。そしてテープが最後まで行くと、自動的に巻き戻されて最初の状態に戻るのだ。耳障りな機械音はカセットデッキが作動する音だった。


「今どきカセットテープなんて珍しいですね。これはもう骨董品と言ってもいいでしょう。フリマアプリで売り出せば高く売れるかもしれませんよ」

「ふっ、こんなガラクタ、百円でも売れないよ。俺が大切に使ってやる」


 さっきまで一万円の価値はあるとか言っていたくせに。先輩の価値観は凡人には理解不能だ。

 その後、先輩はラジオとハナシさんをオーディオケーブルで接続して、ラジオの音楽番組の曲をカセットに録音。それを再生して聞き始めるようになった。意外にもハナシさんに搭載されていたのはドルビー内蔵のステレオカセットデッキだったので、それなりに高品質な音を楽しめているらしい。




 このお話とよく似た題名の作品「本当はこわい話3 意味がわかるとゾッとする」は、

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881838525

 角川つばさ文庫から絶賛発売中!




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