バレンタイン(恋愛)(1600字)
三学期が始まってから太郎は毎日チョコを持って登校していた。休み時間に食べるためではない。同じクラスの花子にあげるためだ。
「今年こそ、絶対に花ちゃんからチョコをもらうんだ」
太郎は六年生。三月には小学校を卒業して市立の中学へ進学する。しかし花子が行くのは中高一貫教育の私立の女子校だ。同じ町に住んでいても滅多に会えなくなってしまう。今年のバレンタインが最後のチャンスなのだ。
「大丈夫だ。この作戦ならきっとうまくいく」
太郎は考えた。どうすれば花子からチョコをもらえるか必死に考えた。そして素晴らしい名案を思い付いた。こちらからチョコを提供するのだ。もちろん普通のチョコではない。手作りチョコの材料となる割チョコを渡すのだ。
「女子ってさあ、義理とか本命とかでチョコの代金もバカにならないだろ。ホラ、これあげるから材料に使いなよ。ああ、オレのことは気にしなくていいぜ。他の男子の分に使って、それでも余ったら残ったチョコをそのまま返してくれればいいから」
本当は自分一人のために全てのチョコを使って欲しいのであるが、さすがにそれを言うのは照れくさい。あくまでも花子の経済的負担を軽くしてやり、かつ、他の男子のために一肌脱いでやるという、親切心から出た行為であると思わせなくてはならない。
「うん、これなら間違いなく花ちゃんからチョコをもらえるはずだ」
太郎は自信満々だった。だが問題がひとつあった。手作り用の割チョコをどうやって花子に渡すかだ。
そもそも花子とはそれほど親しい間柄ではない。一年生の頃から成績優秀で可愛くて学級委員長まで務め、男子からも女子からも好かれている花子。一方太郎は成績もスポーツも容姿も人並み、これと言って何の特徴もない平凡な児童である。月とスッポンの如く、二人の住む世界は全く違っていたのだ。
「まずいな、もうすぐ十四日だ」
手作り用チョコをランドセルの底に沈めたまま、月日は無情に流れていく。勇気が出なかった。話しかけるタイミングさえつかめなかった。挨拶はできても次の言葉が出て来なかった。そして十四日当日になっても手作り用チョコはランドセルの底に沈んだままだった。
なんて情けない男なんだ、太郎は自分を責めた。間違いなくうまくいく作戦だった。だが、それを実行に移すだけの勇気と行動力が自分にはなかったのだ。
「やっぱり今年もダメだったか」
授業が終わり、重い気持ちで下校していた太郎は、途中の公園で見覚えのある二人を見かけた。あやうく声が出そうになった。一人は花子、そしてもう一人は隣のクラスの委員長の
太郎は木立の陰に身を潜めた。二人が何をしているのか何となくわかったからだ。
花子が綺麗にラッピングされた紙包みを差し出した。陽翔はしばらくそれを見詰めていたが、申し訳なそうに頭を下げた。花子が何か言っている。陽翔は首を横に振っている。紙包みを握り締めている花子の手が震えている。やがて陽翔はもう一度深く頭を下げると公園の出口へと歩いていった。花子は顔を伏せたまま立ちつくしている。太郎はもう見ていられなくなった。そっと木立から離れ、自宅への道を歩き始めた。
「自分にも花ちゃんほどの勇気があれば……」
わかっていたのだ。花子が自分を何とも思っていないことは、わかりすぎるほどわかっていた。だから渡せなかった。言葉も掛けられなかった。振られることがわかっていたから。
けれども花子は違った。結果を恐れず突き進む勇気があった。雄々しく戦い破れた花子。戦うことすらせずに敗者となった太郎にとって、今の花子の姿はあまりにも眩し過ぎた。
「もしかしたら、オレは一生チョコをもらえないのかもしれないな」
太郎は歩きながらランドセルを下ろすと、中から手作り用チョコを取り出した。一カ月以上放置されて表面がボロボロになってしまったチョコは、まるで今の太郎そのもののように見えた。
「苦いな、チョコのくせに……」
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