こたつむり先輩(現代ファンタジー)(2900字)

 木枯しの吹く寒い冬の日、僕は先輩のアパートへ遊びに行った。先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。一年浪人してしまったからだ。

 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


「こんちは~、先輩」


 チャイムを押して声を掛ける。僕も先輩も親元を離れての学生向け安アパート暮らし。休日の昼は一緒にメシを食ったりする。一つの炊飯器で二人分のメシを炊き、一つの鍋で二人分の味噌汁を沸かし、一つのフライパンで二人分の肉野菜炒めを作った方が、燃料費、材料費共に節約できるからだ。まあ、微々たる金額ではあるが。


「おう、よく来たな」


 ドアが開いて先輩が現れた。おかしい。先輩の背後に何か見える。丸い、そう、いつも食事をするテーブルのようなもの……ようなものじゃなくてテーブルだ。先輩はテーブルを背負っているのだ。


「何しているんですか、背中のそれ。新しい筋力トレーニングか何かですか」

「これか、これはこたつだ」


 それは分かっている。僕のアパートにも同じこたつテーブルがある。夏は布団を外して普通の食卓、兼、勉強机として使い、冬は布団を被せてこたつとして使うのだ。


「こたつは分かっていますよ。どうしてそんなモノを背負っているんですか」

「うむ、実はそれには深い理由がある。まあ、入れ、メシを食いながら話そう」


 中へ入る。丸こたつを背負った先輩は亀みたいだ。


「すまんが食器や料理はおまえが並べてくれ。俺が座っていないとこたつも座っていないからな」


 まったく理解不能な先輩の言葉であるが、言われるままに食事の支度をする。今、こたつは先輩の背中から下りて普通に床に置かれている。支度が整ったところで僕たちは食事を始める。


「もぐもぐ。うむ、やはりメシはこたつに座って食うものだな。朝は床に置いて食っていたからな」


 やはり理解不能である。が、腹が減っていたので訊き返したりせず、黙々とメシを食う。食後のお茶を飲む段になってようやく先輩が事の経緯を話し始めた。


「実はな、こたつから出られなくなったのだ」

「出られなくなった? マジですか」

「マジだ」


 先輩は子供の頃から寒がりだった。ついでに言うと暑がりでもあった。暑さ寒さは大の苦手なのである。昨晩もこたつの中で体を丸めながら、こんなことを考えていたそうだ。


『ああ、こたつは素晴らしい。こたつとは離れたくない。このまま永遠にこたつと生きていきたい。そう、これは愛。こたつよ、俺の愛を受け止めておくれ』


 するとこたつがこう答えたそうだ。


『おっけー』


 そしてこたつから出られなくなったのだそうだ。にわかには信じられない話だ。


「出られないって言っても、立ち上がれば嫌でも出ちゃうでしょう」

「それが駄目なのだ。ちょっと、こたつの上のモノを片付けてくれ」


 言われるままに、湯呑や急須やお茶受けのタクアンを床に置く。先輩が立ち上がろうとするや、こたつも自動的に立ち上がり、背中にペタリと貼り付いた。当然、僕はそれを引きはがすべく手を掛けた。


「えいえい、何だこれ、全然取れないぞ」


 力を振り絞って引きはがそうとしても、まるで体の一部のようにこたつは先輩の背中に貼り付いている。布団も天板もビクともしない。


「うむ、やはり無理のようだな。俺とこたつの仲を引き離せる者などこの世には存在しないようだ」

「しかし、こんな格好じゃ日常生活が不便でしょう」

「風呂に入るのは諦めた。毎晩濡れタオルで体を拭くことにしよう。だが、それ以外なら何とかなる。愛さえあれば乗り越えられない困難などないのだ」


 先輩の脳みそがここまで恋愛至上主義だとは思わなかった。



 それから先輩のこたつむり生活が始まった。大学にはこたつを背負って現れ、その格好で講義を受ける。無論、他の学生の邪魔にならないよう、座るのは最後列だ。注意をする講師もいたが、どうあっても取れないと知るとすぐ諦めた。

 学食でもその格好でランチを食う。混雑している時は大迷惑だ。運のいいことに自転車通学だったので、電車やバスの乗客に迷惑を掛けることはなかった。ただバイト先のコンビニではカウンター内が圧迫されるという理由で解雇されてしまった。


「なあに、新しいバイトを探すさ」


 探しても見つかりそうにないと思うのだが、先輩はそんな危惧を微塵も抱いていないようだ。愛は盲目である。


 やがて年が明け、立春を迎え、徐々に寒さが和らぎ始めた。その頃には先輩のこたつむり姿に違和感を覚えなくなっていた。慣れというのは恐ろしいものだ。何度も見ているうちにそれが当たり前に思えてくる。先輩は小学校の頃からこたつを背負っていたのではないか、そんな誤った記憶さえも発生し始める始末だ。


 そうして春休みになり近くの公園の桜もすっかり満開になった日曜日、僕は昼メシを食べに先輩のアパートへ行った。


「こんちは~、先輩」

「おう、よく来たな」


 ドアが開く。先輩が姿を現す。おかしい、いつもと違う。背中の丸いものがない。


「せ、先輩、どうしたんですか、その格好は。背中のこたつがないじゃないですか」

「何を驚いているんだ。背中のこたつがなければ普通の格好だろう」


 そう言われてみればそうだ。普通の格好に違和感を覚えるほどこたつむり姿に慣れてしまっていたようだ。


「ああ、そうですよね。こたつが取れてよかったですね。でもどうして取れたんですか」

「こんな所で立ち話も何だから、メシを食いながら話そう」


 中へ入ると丸いこたつテーブルが床に置かれている。食事の支度が整い、二人とも黙々と食い、食後のお茶を飲み始めた頃、ようやく先輩が事の経緯を話してくれた。


「冬は次第に遠ざかり、春の足音が近づいてくる。暖かいという楽しさはやがて蒸し暑いという苦しみに変わっていった。ある日、俺はこたつの電源を入れなかった。日が沈んでもこたつの電源を入れない、それはこたつむりになって初めての行為だった。そうして電源を入れないままきっちり二十四時間経った時、こたつが言ったんだ。『お別れの時が来たのね』そしてこたつが取れた。ああ、移ろいやすきものよ、それは愛」


 こたつむりになった当初は「永遠にこたつと生きていたい」とか言っていたくせに、その言葉はもう忘れてしまっているようだ。


「そうですか。何にせよ、良かったですね」


 内心呆れながらも、一応祝福の言葉を述べるのが後輩の務めである。


 こうして先輩のこたつむり騒動は終わった。春休みが終わると先輩は普通の大学生に戻り、普通のコンビニバイト店員に戻り、普通の下宿生に戻った。そう、夏が来るまでは。


「こんちは~、先輩」


 七月のある日、僕は昼メシを食べに先輩のアパートを訪れた。


「おう、よく来たな」


 現れた先輩の姿を見て僕はため息をついた。背中に扇風機が貼り付いていたからだ。


「また新しい愛が始まったんですね、先輩」


 先輩は照れくさそうに頷いた。

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