現世界転生勇者(現代ファンタジー)(3000字)

 今日はバレンタインデー。ボクには全く無縁の日だ。

 自慢じゃないが高校二年の今日まで女子からチョコを貰った経験はない。義理チョコすらない。「年齢」と「彼女いない歴」は一秒の誤差もなくピッタリ一致する。そう、去年までのボクは確かにそうだった……


「だけど、もしかして、ひょっとすると、今年は……ああ、ディエスちゃんからチョコ欲しい!」


 朝の登校中にもかかわらず、ボクは願望を口に出してしまった。

 ディエスちゃんは半年前にフランスからやって来た帰国子女。半分フランス人の血を引いているせいか、明るく陽気で飾り気がなく、そして妙に色っぽい。こんなボクにまで気さくに話し掛けてくれる。本命は無理でも義理チョコならば十分可能性がある。


「ぐへへ、楽しみだなあ……おや、あのトラック、様子が変だぞ」


 信号待ちをしているボクに向かって一台のトラックが近づいてくる。直進して近づいてくるのなら問題ないが、千鳥足の酔っ払いのように蛇行し、車体を揺らし、時々センターラインを越えながら、速度を上げて近づいてくるのだ。


「もしかして居眠りかも。これはヤバイぞ。逃げなきゃ」


 その判断は正しかった。しかし遅かった。ボクが元来た道へ戻ろうと走り出す前にトラックが猛然と突っ込んできたのだ。


「うわああー!」


 トラックに轢かれてボクは死んだ。


 * * *


「はーい、目が覚めましたかあー」


 若い女性の声でボクは目を覚ました。さっきまで歩道にいたはずなのに、今は白い霧が立ち込めたどことも知れぬ空間に浮かんでいる。


「あれ、ここはどこ? 確かトラックに轢かれたはずなのに。もしかして死後の世界?」

「そうでーす。そしてあたしは転生を司る女神様。凡太ぼんた君、あなたは死んでしまいましたが、私の力で転生させてあげますよ」


 トラックに轢かれて女神さまに転生させてもらう……WEB小説で飽きるほど読んでいた設定だが、まさか現実になるとは思ってもみなかった。


「それはありがとうございます。ではさっそくお願いします」

「任せて! あ、その前に転生後のステータスを決めなくっちゃ。選べるのは勇者、大魔導師、高徳賢者の三つ。どれにする?」

「えっと、じゃあ勇者で」

「OK.それでは勇者さん、新しい人生頑張ってね。転生後は私もちょくちょくサポートしてあげるわ。グッドラック」


 立ち込めていた白い霧が深くなった。同時にボクの頭の中も霧がかかったように真っ白になり、意識が遠のいていった。


 * * *


 ――ピッピッ、ピピピピピピ!


 耳元で鳴り響く音。目覚ましだ。どうやらベッドの上で朝を迎えたようだ。


「これが転生した新しい世界か。なんだか元の世界とそっくりだな」


 ボクは起き上がって周囲を見回す。見慣れた机、見慣れた本棚、見慣れたパソコン……


「おい、ここってボクの部屋じゃないか」


 どういうことだ。もしかしてさっきの女神様はただの夢に過ぎなかったのか。事故に遭って病院へ運ばれたものの、大した怪我じゃないので意識を失ったまま部屋に運ばれて今目が覚めた、それだけのことだったのか。


「いや、違う」


 枕元に置いてあるスマホの日付を見る。二月十三日。事故に遭う前日だ。あれは夢なんかじゃない。そうでなければ説明がつかない。


「凡太―! 何ぐずぐずしているの。遅刻するわよ」


 母さんの声だ。慌てて服を着替え部屋を出た。取り敢えずメシを食おう。腹が減っては考えもまとまらないからな。


 いつものように朝食を手早く済ませ家を出る。歩きながら自分の身に起こった出来事を考える。

 あの女神、転生についてもう少し詳しく説明してくれりゃいいのに、不親切にもほどがある、などと心の中で愚痴っていると、いきなり背後から声を掛けられた。


「はーい、勇者凡太。転生の体には慣れましたかあ」


 軽やかな声と少したどたどしい日本語。まさかと思って振り向くとそのまさかだ。バレンタインの希望の星、憧れのディエスちゃんがそこに立っていた。


「ディ、ディエスちゃん! どうして君がここに、それに今、勇者って言ったけど……」

「驚くのも無理はないです。私も驚いています。昨晩、お風呂に入っていると、突然女神様が現れて『かくかくしかじかこういう訳なので、しばらくその豊満ボディを貸して欲しいのよ』と言われたのです。今の私は女神様と同じ知識を持っています。凡太がトラックに轢かれ、勇者として転生したことも全てお見通しです。何でも質問してください」


 思い出した。転生後もちょくちょくサポートしますとあの女神は言っていた。さっそく疑問をぶつける。


「転生って、普通は異世界へ生まれ変わるものですよね。どうして現世界にいるんですか」

「おう、それは偏見です。現世界転生だって転生には変わりありません。ラノベの読み過ぎではないのですか」

「じゃあ、それは認めるとしてもボクは勇者に生まれ変わったはずですよね。これのどこが勇者なんですか」

「勇者は職業ではなくただの呼称。つまり世界が危機に陥った時にだけ出現する、まあ、一種の都市伝説みたいなものなのですよ。職業が会社員の勇者。職業が公務員の勇者。職業が学生の勇者。どれも矛盾はありません」

「世界の危機はいつ来るんですか?」

「現世界には魔王が存在しないので世界の危機は来ないでしょうね」

「だったら勇者なんて意味ないじゃないですか」

「そうなりますね。ふふふふふ」


 ふふふふふじゃないよ、まったく。これじゃ単に一日前に生き返っただけじゃないか。なんだか騙された気分だ。


「おや、なにやら不満みたいですねえ、勇者凡太。まあ異世界に転生して、華々しい勇者人生を送ることはできませんでしたが、本来終わってしまったはずの人生をやり直せたのです。それだけでも女神様に感謝すべきではないのですか」


 うっ、言われてみればその通りだ。明日発生するはずの事故を回避できれば、ボクはその先もずっと人生を続けられるのだから。


「それに私は勇者をサポートする女神。これからもずっと凡太と人生を共にしますよ」

「ホ、ホントに!」


 ああ、女神様、ありがとう。異世界で勇者として生きるよりも数倍嬉しいよ。


 こうしてボクの現世界勇者の人生が始まった。翌日のトラック事故は無難回避し、ディエスちゃんからチョコを貰い、同じ大学へ進み、同じ会社に就職し、結婚し、子供を作り、孫に恵まれ、平均寿命を過ぎ、ボクは臨終の床に横たわっていた。


「ディエスばあさんや、いよいよお迎えが来たようだ。ところで死んだ後はまた転生とかしてもらえるのかな」

「あ、転生は一回限りですよ。次に死んだら本当にそれでお仕舞いです」


 それは残念。まあ、この年まで人生を満喫できたのだから良しとしよう。


「勇者としての人生は楽しかったよ。勇者らしいことは一つもできなかったけどね」

「いいえ、凡太。私にとってあなたは唯一かけがえのない勇者でした。今までご苦労さま、そしてありがとう」

「それはボクのセリフだよ、ディエス。君もボクにとっては大切な女神だった。君と一緒にこの現世界を歩めて本当に幸せだった」


 ボクはディエスの手を握り締めた。世界を救ったり、多くの人を助けたり、魔王を滅ぼしたり、そんな華々しい活躍とは無縁の現世界転生勇者。けれどもたった一人の女神のためだけに生きられた現世界転生勇者。ボクは満足だった。


「じゃあ、行くね」

「はい。私もすぐに参りますよ」


 そうして女神に見送られて、ボクは二度目の死へと旅立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る