猫田氏の庭(現代ドラマ)(2800字)

 猫田氏は頭を悩ませていた。


 最近、自宅の庭で頻繁に糞を見掛けるようになったからだ。大きさと量から推測して、どうやら猫の仕業のように思われる。


 猫田氏は別に猫が嫌いではないが、庭に糞をされるのは嫌いである。ハエがたかるし、臭うし、気付かずに踏んでしまうと大変気分が滅入る。既に喜寿を過ぎて妻に先立たれ一人暮らしの猫田氏。取り敢えず都会に住む息子に電話で相談してみた。


「う~ん、猫の糞かあ。それなら百均で猫避けのグッズとか売っていると思うから、試してみたらどうかなあ。ところで父さん、同居の件だけど考え直してくれたかい。子供たちも転校しても構わないって言ってくれているし、あとは父さんが首を縦に振ってくれるだけで……ガチャ」


 最後のガチャは猫田氏が受話器を置いた音である。話の後半は耳にタコができるくらい聞かされていたからだ。


「くどい奴め。息子の世話になるほど老いぼれてはおらんわい。それより明日にでも店に行ってみるとするか」


 翌日、猫田氏は自転車で最寄りのショッピングモールへ行った。その中にある百均の店舗へ入ると確かに売られている。しかも種類が多い。なんとなく効き目がありそうな、臭いで追い払う商品を購入し、庭に撒く。


「うむむ、思ったより臭うな。これなら猫も嫌がるだろう」


 と安心していたのはほんの数日間だけ。くさいのが大好きな猫なのだろうか、前と同じ場所に糞が落ちている。


「くそ。またクソをされてしまったか」


 再び百均へ向かう猫田氏。今度はトゲトゲだらけのシートを買い、庭に敷く。駄目だ。シートの上に平然と糞が落ちている。猫の目がビー玉でキラキラ光る猫型プレートを設置する。駄目だ。まるで効き目がない。


「まだ手ぬるいようだな」


 百均で売られている猫対策グッズを全種類しかも大量に買い、それらで庭を埋め尽くしても猫の暴挙は止まらない。完全に自分のトイレだと思っているようだ。猫田氏は息子に電話した。


「う~ん、所詮百均だからなあ。そしたらホームセンターの猫避けグッズはどうかな。少し値が張るけど超音波で追い払う装置とかもあるみたいだよ。それよりもさ、庭を根本から改造してみたらどうかな。猫は乾いた砂を好んで糞をするそうだから芝生にするとか。いや、庭だけじゃなく家を建て替えようよ。古いんだから取り壊して二世帯住宅にしてみたらどうだろう。それなら父さんも気兼ねなく同居できるじゃないか。ああ、もちろん立て替え費用はこちらで……ガチャ」


 またも途中で受話器を置く猫田氏。すこぶる機嫌が悪い。


「何が二世帯住宅だ。男なら親の土地を当てにせず自力で一国一城の主になってみんかい」


 翌日、猫田氏はホームセンターへ向かった。確かにここにも猫避けグッズがある。値段は気にせず全て買い込むと、さっそく試してみた。木酢液、竹酢液は全く効果がない。粉末、固形、ジェル状の忌避剤も同様に効き目なし。センサー付き超音波発生装置は最初効果があったように見えたが、慣れてしまったのか三日もしないうちに装置の真ん前に糞をされてしまった。


「これだけやっても駄目なのか、クソ!」


 猫田氏は口コミの方法を試してみた。ミカンやレモンを撒く。タバコの吸い殻を撒く。毎日水を撒いて土を濡らす、砂利を敷く、唐辛子、クレゾール、わさびなどなど。しかし全てが無駄に終わった。まるで猫田氏の努力をあざ笑うかのように糞は庭に存在している。またも電話する猫田氏。


「そうかあ、駄目かあ。これはもう庭を見張って直接追い払うしかないんじゃないかな。まだ一度も猫の姿を見ていないんだろう。意地を張らずに同居して、子供たちに見張らせればいい……ガチャ」


 猫田氏にはもう打つ手はなかった。



 * * *



 数週間後、事態は思わぬ結末を迎えることになった。猫田氏は縁側に座って猫避けグッズで溢れかえった庭を眺めていた。猫の糞を見なくなって今日で一週間だ。


「やはりあの猫だったのだろうな……」


 猫田氏は記憶をたどった。一週間前、猫田氏が自転車を漕いでいると前方が片側通行になっている。保健所の車が駐まっている。どうしたのかと自転車を下りてみると道路の端に三毛猫の死骸があった。まじまじ見詰めている猫田氏に保健所の職員が説明してくれた。


「車にはねられたようですね。毛並みや腹の弛み具合を見るとかなりの老猫、十才くらいですかね。野良にしては長生きの方ですよ」


 職員は慣れた手付きで猫の死骸を片付けると、車に乗って行ってしまった。それ以来、猫田氏の庭に糞は出現していないのである。


「十才ともなれば鼻も目も耳ももうろくしているだろうからな。猫避けが効かなかったのは当たり前か。結局、猫自体を始末するのが一番の早道だったという訳か。なんとも皮肉なことだな。しかしこれで糞に悩まされることもなくなったわけだ。せいせいしたわい」


 そうつぶやきながら猫田氏の気持ちは晴れなかった。死んでいた三毛猫の模様に記憶があったからだ。


「もしや、あの時の猫なのか……」


 かれこれ十年以上前、まだ猫田氏の奥さんが生きていた頃、一匹の子猫が庭に迷い込んできたことがあった。足に怪我をしているのかうまく歩けない。猫田氏の奥さんが介抱して面倒を見てやることになった。


「これこれ、茶丸、柱に爪を立てては駄目ですよ」


 猫田氏の奥さんは子猫に茶丸という名を付けた。額の中央に茶色で真ん丸の斑点があったからだ。そして一週間前に見た猫の額にも、同じ茶の斑点があった。


「十年間、何をしていたのだろうな」


 茶丸はひと月ほど猫田氏の家に居た後、忽然と姿を消し二度と戻って来なかった。庭の糞を見た時、まさかそれが茶丸のモノだとは夢にも思わなかったのだ。


「己の死を悟ったあの猫が、ついの棲家としてこの庭を選んだのかもしれんな。そうと分かっていればもう少し優しくしてやったのに……」


 人とはわがままだな、と猫田氏は思った。いたずら好きの猫が傍若無人に糞をしていると、何の根拠もなく妄想して憤慨していたのだ。それが実は死に瀕した老猫が庭の片隅を拝借していただけと知るや、手の平を返したように哀れに思う。死ぬと分かっていれば何かしてやったのにと思う。可哀相なことをしたと思う。人ほど自分勝手な生き物はいない。


「死んで哀れに思うのは猫に限らず人でも同じだな。どんなに嫌な奴でも死んでしまうと、これまでの自分の無作法を責めたくなる。嫌っていたことすら後悔したくなる……」


 猫田氏はしばらくぼんやりと考えていた。そして急に立ち上がると受話器を取り息子に電話をした。


「ああ、同居の件だがな。進めてくれて構わんぞ。家も建て替えてくれて結構だ。んっ? いきなりどうしたのかって? 君子豹変すと言うだろう。それに、おまえたちには後悔させたくないんだ。わしが生きているうちに思う存分親孝行をしておくがよい。逝ってしまった後で、ああしておけば良かった、こうしておくべきだったなどと悲しんだりしないようにな」

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