-4- 平和な妖精の森にゴルフ場を建設せよ!
夏の兆しが日常に溶けこんできている。
燦々と降り注ぐ陽光がまぶしくなってきた。庭仕事に励んでいたミスリルは目許に手をかざし、視界から太陽を隠した。
庭園に茂るビワの葉が、頭上でさらさらとそよいでいる。
葉の緑は色づき生命力が濃くなっていた。ひよひよと鳴く小鳥が、初夏の恵みである薄黄色のビワの実を突いている。
ちょっと、暑いな――昨日よりも気温が上昇しているのを、ミスリルはしっとりとした脇の汗で実感した。
愛用しているメイド服も、冬服から薄手の夏服へとじきに変わるだろう。
作業台に乗り、庭木の枝を切り落としたミスリルは季節の移り変わりを察し、ファンバード家で過ごした年月に思いを馳せた。
メイドとして雇われてから三年――つい、本来の仕事を忘れそうになるが、これはあくまで
こうして庭師の仕事をしているのだって、ルルシーとの共同作業は避けるためだ。
庭を手入れすると宣言すれば、一日は自由の身となる。
頃合いを見計らって剪定用の高枝バサミを芝生の脇に置き、ミスリルはこそこそと邸宅の裏手に回った。
ちらちらと周囲に目を配る。
自分のほか、バラの花壇があるだけで誰もいない。
グイッと襟元を前へ引く。控えめな胸の谷間に隠し持っている手鏡――遠方の相手とやり取りできる
ひっそりと、声を小さくして呼ぶ。
「おはようございます。レオーナ様」
『えっ、ぁあ……んんっ、ちょ、待って……った! あたたっ……なんでマクラが酒瓶がなってるのよ……あぁ、昨日、つい飲みすぎちゃったんだっけ』
「あの……?」
『ちょっと待って、たんま、たんま、ね。ああ、うん。ええっと……やだっ、もうっ! 枝毛じゃない!」
ガタゴトッ、と物音が聞こえる。
寝て起きたばかりの寝ぼけ声。
もうすぐ正午になるというのに――ミスリルは真の主人の馬鹿さ加減に呆れ、やる気がみるみる身体から抜け落ちていくのがわかった。
「もう通信切っていいです?」
『オッケィー! 準備できたわ。やっほー、ミスミス」
「ミスリルです。いい加減、私の名前くらい覚えてください」
手鏡は鏡面は紫色に変色していたが、きっちりと寝間着の金髪女の上半身を映している。
アーモンド型の茶目っ気のある眼と、麗しい
顔から滲み出るものは明るく、それでもどこか自信を感じさせる高貴な雰囲気を放ち、くすみもしわない美の神に愛された女だ。
帝国の飛び地であるファンバード地方に接している隣国ルーツバルト。そこを治める王の三女にして、騎兵将軍のレオーナ・ルーツバルトその人は手を気楽にひらひらと振り、快活な微笑を浮かべている。
『それでどう? スルードの死後の街の動きとか。こっちはそろそろ仕上げにかかりたいんだけど』
フランクな口調も彼女の魅力の一つではあった。
気安い王女様をミスリルは親近感を覚えてしまうが、油断してはいけない。
高貴なる者と自分は立場が違う。
作戦に失敗すれば、断頭台の露と消えることになるだろう。
本当は……間者などしたくなかった。
だが、自分にはどうしても金銭が必要だった。
それだけのために、こんな下劣な仕事に手を染めてしまっている。
「追悼式典をやったのは……七都市の内の二つです。さすがに村落とかはわかりません。お葬式は国葬になりそうだったんですが、
『あの爺さんは自治領でバカやり過ぎて、親戚縁者にも見放されたって聞いてるけど……実際、求心力も落ちたみたいね。国葬を断るなんて、喪主は誰だったの?』
「帝国から一人息子が戻ってきてまして。アクネロ・ファンバードって名前なのです」
名前を思い出すのを時間がかかったのか、鏡の向こうのレオーナは眉間にしわを寄せながら黙考した後、繰り返し何度も頷いた。
『あぁ……<
「はい、最低ですよ。ちょっと給仕をミスしたらお尻を叩いてくるわ、街の衛兵を相手に喧嘩祭りをやるわ、美人市長に襲い掛かったり酷いものです」
『話だけ聞くと面白そうな奴じゃない。でも、スルードよりも求心力はなさそうね……もったいないわね。若くてスマートな貴族ならニコニコ笑って手を振ってるだけで、人気なんて簡単に集まるのに』
想像してみる――アクネロがニコニコと笑いながら手を振っているところを。
すぐに首を横にぶんぶんと振った。
不可能だ。誰にでも喧嘩を売らずにはいられない性質の男なのだから。
『とはいえ、こちらには都合がいいわ。引き続き情報送ってね。もしも殺れそうなら殺っちゃって。スルードみたいにあなたのおいしいお茶でね』
「はい、
ルーツバルト公国の最端にも飛び地がある。
常日頃、吹雪が舞う肌身が焼けるような極寒の地でミスリルは生を受けた。
薪を惜しみ、身を寄せ合って暖を取る貧しい家庭だ。老いた両親や幼い弟たちの命を繋ぐには余所から送られる金がいる。
そのためならば。
高貴な身分に身を浸らせ、ぬくぬくとしていた老い先短い老人を天に追いやるのはためらいはなかった。
あの男も貴族ならば――今まで散々いい思いをしたのだから、しかるべき代償を支払うべきではないか?
∞ ∞ ∞
書斎の執務机を定位置としたアクネロは、領主就任の祝辞が束ねられた紙を手に取り、頬杖を突いて退屈そうに目を通していた。
各省庁、都市行政官、軍関係者、各種商人ギルド、周辺貴族――非礼にならない程度に紋切り型の文面がつらつらと並んでいる。
そのなかで帝国から来た旧友の手紙を見つけ、愉快そうに頬を波打たせた。
「本国ではゴルフブームが来てるらしい。近衛騎士隊の団長がロングソードと間違えてアイアンを腰にぶら下げてきたらしいぜ。最高だな、あの爺さん」
「帝国の最高位の騎士として、実に
「団長は降格されて謹慎処分の上、平の騎士になったみたいだが、俺に笑顔をプレゼントしてくれた。上官として、部下の門出を祝うジョークとして素晴らしい品質といえる。おっと、もう同僚になっちゃったかな」
アクネロは楽しげに犬歯を見せ、笑みを殺して肩を揺らした。
不要な紙束を脇に退けつつ、セリスティアから届いた手紙を発見して目を輝かせ、両手で摘まみ取って掲げた。
書き殴られた文字を一文字一文字、下から舐めまわすように丹念に読み楽しむ。
にやにやと頬は緩みっぱなしだった。
「やべえ、セリスティアちゃんから届いたラブレターに俺の悪口がびっしり書かれてある。完全に愛情の裏返しだよ」
「お坊ちゃまのポジティブ思考にはさすがの私も驚天動地の思いでございます」
「この『ちぎれてくたばれ』の力筆ぶりを見ろよ。俺をとことん愛してなきゃ、ここまで全力で墨汁が飛び散らねえよ。愛を感じるぜ。こんな身悶えるようなトキメキは生まれて初めてだ」
「確かに並々ならぬドス黒い怨嗟の感情が見られます」
「さっそく返事を書かないとな。ええっと、『正直、黒い下着よりもシマシマのストライプ柄がボクは好みです』っでいいかな?」
「火に油を注ぐがごとく、昏い情動は燃え上がりますでしょう」
誰もが眼を閉じたくなる罵詈雑言が文面には刻まれていたが、アクネロはうっとりとした法悦の笑みで受け入れている。官能的な「はぁ」というため息までついた。
戸口に控えていたミスリルはぞわぞわとした悪寒を覚え、思わず両手で自分の身体を抱きしめた。
続けて――事務的な書類を発見し、不機嫌な顔へと変化した。
「開発許可書並びに建設施行費等につきまして……ふーむ。ルルシー」
「はい。お坊ちゃま」
面倒臭そうに紐が通された書類束を渡されたルルシーは慇懃に受け取り、ぺらぺらとめくって内容を熟読する。
メイドというよりも秘書代わりに使われているが、それだけ腹心として信頼されているということでもあるのだろう。
ミスリルは二人の関係が主従というよりも、仲の良い姉弟のようにも見えることがあった。
二人のやり取りを眺めていると妙に仲間外れにされているような心地で、スパイの本分さえなければその気持ちもひとしおだったかもしれない。
「郊外に広がる<黒衣の大森林>の一部を開発する計画が議会で持ち上がっているようです。肥沃な土地を農林産業等に活用するとのことです。それをお坊ちゃまにお任せし、収益を差し上げるとのことです。それなりの開発費も口座に振り込まれるようです」
「自分たちの持ち物は絶対に手放したくないから、新しい既得権益を渡すってことか。いやしくも賢しい奴らだ。っで、大森林のどこ辺りだ?」
大陸の中枢を占拠している<黒衣の大森林>は幻想種がひしめき、中心から危険度に応じて何層かに分かれている。
人類未踏の地も多く存在し、隣接する国々が生活圏を広げる際には開発すべきところであるが、何がいるかによって立ち入るべきかどうかが決まる。
「地図的には<幻惑の森>ですね。人食い妖樹が群がるとされる場所です。一方で可憐な妖精が踊る聖なる場所としても古くから有名ですね。近場でありながらも、都市もこれまで手が出せなかったとの見方が正しいでしょう」
「よくわかんねえけど、とりあえず燃やしちまえばいいんじゃねーの?」
ぺらっとルルシーは紙をめくった。
再度、情報を確かめるために。
「木こりギルドの情報によれば、樹木に害を及ぼそうとすると必ず祟りがあるらしいです。注意事項として載ってます」
「マジかよ。最高じゃねえか。俺、そういうの大好き。ミスリル、屋敷にあるありったけの油を用意しろ。ああぁ! ダメだ。そんなんじゃ全然パーティーにならないッ! せっかく金が手に入ったんだし、できるだけ人夫を集めようか。そうだ、干し草や油はたっぷり撒くべきだ。大森林がどんだけ延焼するか試してみようぜ。まあ罪もない動物とかも焼け死ぬかもしれないけど、それはそれで人間様の都合ってことでオッケィ!」
ファンバード地方の新生領主は毒殺されてしかるべきだ、とミスリルは使命感を新たにした。
何が嬉しいのか両手を打ち鳴らし、座りながらも足裏までも重ねてばっちんばっちんと合わせている。
この悪魔には血も涙もない――納得すると、家庭菜園に植えてある毒草の個数を思い返した。
あの分量で殺れるだろうか。
油虫のごとくしぶとそうではあるが。
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