-5- 平和な妖精の森にゴルフ場を建設せよ!
資金さえあれば、労働者を雇うことはそう難しくない。
都市から離れた寒村とは収入源が乏しいものだし、困窮は常に日常の隣にある。都の事業による土地の拡張というイベントは、村を沸かせるほど喜ばしいものである。
<幻惑の森>の近隣にあるアニ村にアクネロは足を踏み入れ、メガホンで派手に募集をかけると、活力のある男たちが我先へと手を挙げた。
新しい領主と名乗り、洗練された衣装をまとったアクネロは彼らにとっては真偽は別として、お金持ちであることだけは理解できる。
馬車の出入り口の前を窓口にして、机を設置したルルシーが受付嬢を務めた。
淡々と志願者の名義を記していくルルシーの清らかな美貌に男衆は戸惑いながらも名乗りをあげ、聞いてもいないのに不満をこぼすことが多々あった。
背景には少なからず<幻惑の森>に対する反発心が垣間見れるものだった。
「俺の友達は消えていなくなった。村のためによく働く奴で、あいつの出稼ぎのおかげでみんなの薬を買うことができたってのに」
「ここにくる旅人はよく消える。補給のために帰りに寄ると言ったのに、二度とは戻ってこない。この近くには村なんてないから、おかしいと思うんだ。せっかく宿代を稼げたのに」
「モズの早贄みたいに枝で喉を突き刺されて死んだ男を見たことがある。信じられないほど高いところでぶら下がっていた」
貧相な野良着姿の村民たちの訴えは、切実だった。
理由はある。衛兵は都市を守護することに重きを置いているし、団体が出張るのは大規模な被害が確認された正義執行のときだけだからだ。
租税の面でも、彼らが支払うものは微々たるもの。
怪物や野盗と戦う勇敢な兵士たちを呼ぶほどの大金を購うことはできない。
そのため自衛団が結成されているが、手に負えないとならば、やはり権力者に頼るしかないのだ。
「妖精がいるってことは誘惑を司る
「お坊ちゃま。落ち着いてください。いきなり目的を見失おうとしております」
悩みながら腕を組む主人の胸もとに、ぴしりと突っ込みを入れてなだめつつ、ルルシーはトントンッと名簿と陳情を記した紙束を整えた。
顔にかかった前髪を優雅に振り払い、立ち上がって諌める。
「いいですか、決しておイタはいけませんよお坊ちゃま。みだりに幻想種の女に手を出してはいけません。ファンバード家に流れる神聖な血が穢れます」
「そういう細けえこと気にしてると、俺は気軽に献血もできなさそうだな。まあいいや、とっとと可愛い森の動物たちでバーベキューしたいな。妖精の丸焼きがメインディッシュだが、あいつらってうまいのかな」
「闇市場の相場としましては……愛玩動物としての売却価格は一匹で純金貨十枚近い特上品でございます。存在すら疑われる絶滅危惧種ですし、大量に生け捕りにできればひと財産ですね」
「おいおい、そんな希少な生き物をぶち殺せるだなんて、たまらねえじゃねえか。どこまで俺を悦ばせればいいんだよ。セリスティアちゃんに感謝しないとな」
依頼主の市側の長であるセリスティアは森の開発を依頼したわけではあるが、森の生き物を虐殺しろと言ったわけではない。
目的地である<幻惑の森>までは地元の木こりが案内を買って出た。
アクネロを筆頭として、村の一団が山道を進む。
年配の木こりが案内するだけあって、道は踏みならされて歩きやすくはあったが、真っ直ぐというわけにもいかず、勾配の激しいくねくねとした道筋だった。
時折、浮石やぬかるみで足を取られることもある。
森林はひっそりとした静寂にくるまれており、油樽や干し草をたっぷり積んだ荷馬車の車輪がからからと回る音だけが響く。
しかし、道中の村人たちの顔は一様に険しい。
胸を叩いて己の勇気を鼓舞する青年もいたが、不安を隠せない者ばかりだ。
一方でアクネロはピエロのように手を小刻みに叩きながら肩を躍らせ、ご機嫌な様子だった。ミスリルはその後方に控えていたが、この男の神経のおかしさは承知していたので、呆れるだけだった。
「あそこが境界ですじゃ」
年配の木こりが指し示したのは、一本の枯れた樹木だった。
遠目からでも幹も枝も真っ白に染まり、葉は一枚も残っていない。
樹木に対して奇妙だが――白骨化しているという表現がぴったりはまる。
カワウなどの鳥類の糞尿で汚れているのかと思いきや、樹肌はつやつやとして、根腐れも起きていない。
病気にやられ、枯死しているわけでもなさそうだ。
「ここは、雰囲気ありますね」
キョロキョロと顔を左右に動かしたミスリルのつぶやきは、誰もが共感するものであった。
白い樹木を境界線として、向こう側は数十メートルもの樹木がそびえる高木帯であったせいか、ほの暗い。
天空を覆う樹冠によって陽光は遮られており、空気は冷え冷えとして肌身を差す。
灌木や下生えの姿が少ないが、不規則に樹木が並び視界は不明瞭。
薄暗い樹陰から、森の幻獣たちがひょっこり姿を現しても不思議ではない妖しい気配が漂っていた。
「よぉっし! 干し草をばらまけ野郎ども! この美しい森を俺たちの熱い情熱で一気に燃え上がらせてやろうぜっ! んっ……どうした?」
両手を振り上げ、気勢を盛り上げるアクネロに対して、村民たちは二の足を踏んだ。
霊験あらたかな<幻惑の森>を炎で焼こうとした前例はない。
森林とは、村人の日常のなかで豊かな恵みと与えるとともに、恐れを抱かせる存在なのだ。
それぞれ、顔を見合わせて動こうとしないのも無理もない話だった。
「こ、ここここの玉無しの腰抜け野郎どもがぁッ! てめえらがやらねえって言い出すのなら、俺がやってやる! びびってんじゃねぇーぞっ! こんな些細な勇気すらないのなら、とてもいっぱしの男とは言えねえ! 今すぐ帰っちまいなッ!」
ごぉごぉと気炎を全身から立ち昇らせたアクネロは両手いっぱいに干し草を抱え、せっせと樹木の根元に配っていった。
絶叫したわりにはやっていることは地道な作業であるが、汗水を垂らしながら働きアリのようにちょこまかと動いている。
皮手袋をはめたルルシーは油樽をぱかりと開け、
二人の姿を見て触発されたのか、志願者たちもようやく働き始めた。
彼らとて<幻惑の森>の被害者たちだ。
親しい者を帰らぬ者にされている家族もいる。
急に現れたよそ者が勇気を奮ったというのに、傍観を続けられるほど精神は弱まっていない。
十名の男たちが火付け作業を整えると、あっという間に干し草は荷車からなくなった。
刷毛で樹木にペタペタと獣脂を塗っていたミスリルは、こんな恐ろしい蛮行に加担していいのかどうか悩むものがあったが、バチが当たるとしたら主犯だけにしてくれと願っていた。
アクネロが燃える松明を勇ましく投げ入れると、油で濡れた干し草が燃焼し、<幻惑の森>は赤々とした炎が灯った。
最初は樹木の一本が徐々に黒焦げになっていく程度であったが、樹木の間を通り抜ける隙間風が入り込んでくると、火の手が勢いが格段に増した。
炎の舌があらゆるものを舐めあげる。粉塵の黒煙が火の粉に混じり始めた。
一面が焼け野原になっていく。
ぶつかり合っていた枝葉が炎を繋げていく。
樹冠となっていた枝葉を炎の膜へと変わった。
焼け焦げた木の葉が散ってみぞれのようにぱらぱらと舞う。
気温が一気に上昇し、のんきに樹穴で眠っていたリスが走って逃げ始め、羽を休めていた鳥の群れが叫び声をあげて逃げ去っていく。
「おぉおお……」
「森が燃える……」
「避難しよう。そろそろ」
村人たちは恐れおののいて及び腰になっていたが、アクネロだけは両手に腰を当て、飛散する火の粉を浴びながらも
「いゃっほーーーーーーッッッ! たまらないほど最高だぜっ! 自然破壊こそ民衆の指導者が立ち向かうべき事柄だ。よっしゃあッ! ここを更地にしてリゾートホテルを建ててやる」
「お坊ちゃま、そこまで市から頂戴した予算がありませんが」
「金はあるところから奪えばいい。実に簡単なことだ」
「そうですね。失礼致しました」
火勢から離れたルルシーは荷馬車に置かれた水瓶に近寄り、ひしゃくですくって自身にためらいなく振りかける。
風が吹いているが、やはり暑いのだ。
神経の図太いアクネロだけが、平気な顔で炎の壁を観賞している。
ミスリルも高まる温度に音を上げた。
ルルシーにならってひしゃくを手に取り、顔にぱしゃっと振りかける。
広がる火の海は野を焼き続け、ついに何本かの大木を燃やし尽くし、ぽっきりとへし折れて頭を垂れさせた。
容赦のない火炎が大地をあぶり、徐々に黒一色へと染めていく。
「ミスリルさん。そろそろ来ますよ」
「えっ」
一陣の突風が、ひゅうっと吹いた。
それは人々の目を奪う――視界を遮ってしまうほどの風圧があり、アクネロもまた目を閉じてしまった。
すると突然、アクネロは自分の右腕が重くなったことを自覚した。
目線を落とすと茶色の物体が腕に絡まっていた。くねった木の枝だ。しわだらけの老婆の腕を連想させられた。
枝葉は行動した。それは意思を備え、鞭のような軟性を帯びてしなり、アクネロの腕を引っ張り込って身体をどこかへと連れ去ろうとしている。
焼けたはずの周りの樹木がどくんと脈動する。
ポロポロと炭化した樹皮が剥離し、地面に落ちていく。新しく生まれる木の肌は湿り気を帯びて瑞々しさを取り戻していた。火は表皮を焼くだけで、奥には届いていないのだ。
誰かの悲痛な叫び声が聞こえた。
ぱきぽきと枝割れの音波があちこちから聞こえた。聴覚が狂ったかと思うほど大規模な破砕音が重なる。
明確な変異を告げる前触れだ。
森が――劇的に変化している。
侵入者を見つけ、排除に乗り出した一個の生き物のようにぜん動し始めた。
森に漂っていた不穏な空気は既に、明確な殺意へと変わっている。
「キタキタキタァッ! 待ったぜぇ! 番人かっ! 主かっ! ああ、どっちだっていいさ! 我がファンバート家の伝統にして家宝たる<
素手のはずのアクネロはいつの間にか、剣を握っていた。
剣柄に羽飾りがある垂直剣。
刀身は豊潤な色気を放つほど輝く銀。
握った剣をくるくると頭上で回転させ、びしっと構えた。片手持ち細剣は儀礼用の装飾剣といっても過言ではなく、きらりと刃先を光らせる。
斬れ味もまた抜群によかった。
軽い素振りのような
まるで斬られた人の腕のように。
「ひぃい! たっ、祟りですよやっぱり! わ、私は関係ありませんので、お助けをッ!」
「ミスリルさん、鼻歌歌いながら油を塗ってませんでしたか?」
「作業が楽なのを選べて嬉しかったからですぅ! 無実です!」
有罪のミスリルの言葉は無視された。周囲のあらゆる樹木が枝を揺り動かし、侵入者の退路を塞ごうと枝を結集させて木の壁を作った。
異変はそれだけではない。ぱかり、ぱかり、ぱかりと樹木が縦に裂け始めた。おびただしい数の巨大な目玉が出現したのだ。
それは妖樹の証であり、魔の眷属であることを証明している。
おぞましい光景に青ざめたミスリルの喉奥から「はひぃ」と悲鳴がこぼした。失禁しそうなったのか、尿意をこらえるために内股にもなる。
血管のびっしり張り巡らされた眼球は不規則に変動し、目が合うと精神がすり減るような不快感に襲われる。
人の腕ほどある木の枝が、中空で拡散した。
行く先は燃える小火だ。ツルの先からボタボタと樹液が垂れ落ちていく。
彼らは消火活動をしているのだ。
意志を持った存在が確かにここにいる。
森は防御だけでなく、襲撃者への攻撃も忘れなかった。
突如として木の枝は成長し、尖り、木槍のような鋭利さを獲得した。
どこを狙うかと思えば、<幻惑の森>の踏み入れているアクネロだけを囲い、集中して始末しようとしている。
そこでようやく、戦うために前方にいたのだとミスリルは得心したが、誰も助けにはいかなかった。
哀れで無力な村人たちは喉を枯らすほどの悲鳴をあげてとっくに逃げて行ったし、ルルシーは静かな佇まいのままだった。
「よっしゃあッ! こいよッ! 森の祟りとやらを俺に感じさせてくれッ!」
消えゆく炎をバックに、両手を広げたアクネロは襲い来る樹木を歓迎した。
意志を持った枝たちは攻撃を開始する。円を描き、ときには直角に移動し、敵の翻弄しようと
だがアクネロは身をくねらせてかわし、迫る枝を切り落とし、かすりもさせなかった。
「おっせぇよっ! なんだよ遠慮してんのかッ! それとも、お前らの怒りはこんな程度なのかぁ!」
叫びながら攻勢に転じる。
息を切らさず、横切りでまとめて三本の枝を切り落とす。
ばらばらに散らばる木片が空中を飛び交った。
妖樹にも感情があったのか、痛みを感じたのか、それとも相手がただ者ではないと察したのか、尖った枝の群は少しばかりアクネロから距離を取った。
妖魔は攻めあぐねている。作戦を練っているのか、目玉が忙しなく周りの樹木たちと意思疎通を図ろうとしている。
合間ができたので、アクネロは中段の構えから奇妙な構えに移行した。
手に持った剣を手の平でくるりと回転させて肩に担ぎ、一歩前に踏み出し、腰を落として振りかぶったのだ。
「ははっはぁーーーっ!! お前らつまんねえぜ! せっかくだからとっておきのひとつを見せてやる! この『飛翔化剣グンカ・グル』の絶対必中なる一刺しをッ!!」
狙いは妖樹の一本。アクネロは矢弦のように身体をしならせる。
正面にあるひときわ目玉の大きな樹木は危機を察してわざわざ目を閉じた。
弱点がデカい分、狙いやすくはあるが、狙ってくれと言っているような仕草でもあった。
「お坊ちゃまっ!」
「わかってるって!」
警告に背後を一瞬だけ振り向くと――アクネロは三歩ほど前に進んで助走をつけ、魔剣を投擲した。
正面ではなく、斜めにある変異していなかった白い木に。
ファンバード家の魔剣にして、従属剣の一振り『飛翔化剣グンカ・グル』は持ち主の意向に従い、障害物さえなければ所持者の狙いすましたところに飛んでいく性質を持っている。
ただそれだけの剣であり、真っ当な剣士にとってみれば剣を投げるなどもってのほかと嫌われた剣だ。
されど、正当なる推進力さえ得さえすれば――主人がそれを望むのならば。
どんな敵にでも突き刺さりにいく。
ずぶりっと白木に剣が突き刺さると、急に周辺で威嚇をしていた妖樹たちの動きが急激にぎこちになくなった。
徐々に力を失い、目は閉じていき、もとの物言わぬ静かな木立へと戻っていく。
魔力の源を断ったことは間違いない。
静寂が再び森に沈殿すると、残り火がちらちらと草むらを焼くのみとなり、アクネロが刻んだ木っ端が焼け野原の上に大量に転がっていた。
細煙が舞う草むらを歩き、アクネロは己の従属剣を引き抜いた。そのまま後ろにぽいっと天空へと投げ捨てる。
光のなかへと魔剣は吸い込まれ、さらさらとした粒子状になり、現世での存在を失った。
「お坊ちゃま、お怪我はございませんか?」
「無傷だよ。だが、一筋縄ではいかないようだ。このまま。これを仕掛けた幻想種を叩き潰しに行くぞ。何千年の歴史のある神聖な森の主であろうが、俺の邪魔する奴は殺す」
「ご主人様、せめてお水と食料を調達してから行った方が……皆さん、お逃げになったみたいですし」
「……そうだな。お前は怪我はないのか?」
「へっ! な、ないですけど」
気遣われるとは思っていなかったミスリルはびっくりして背筋を伸ばしたが、意外な優しさもあるのだと思ってくすりと微笑んでしまった。
その油断がいけなかった。
アクネロは素早く背後へと回り込み、後ろから左手で胸をつかみ揉み、右手で尻を撫でる。
「うひゃっ! ちょっ、やめてくださいっ!」
「おいおい、やはりどこか痛むんだな。そんなに悲鳴をあげるだなんて」
「違いますぅうううううう! こらっ! やめっ……あっ」
嬌声が混じってしまったので唇に慌てて右手を当てる。
遠慮なく胸は摘ままれ、弾力のある尻肉はぐにゃぐにゃと形を変えられる。
無遠慮に指を這わされたミスリルは桜色の頬を染めながら逃れようとしたが、己の非力さのせいで逃げられなかった。
「んー、なかなか……」
「お坊ちゃま、そういえば
「マジで! ちょ、まっ! どこ、どこ、どこにいるの!? あそこっ! あそこってあの陰!?」
「ええ、あの辺りで目が覚めるような美人でしたよ」
「おぉいっ! さっさと教えてくれよぉ! あぁ、なんてこった……捕まえたいと思ってたのに。捕まえたら人権は適応されないから何しても大丈夫な存在だなんて最高なのに……」
ミスリルは解放され――というよりも地面に投げ捨てられ、助かった喜びは勿論あったが、理不尽への激昂を銀瞳に混ぜつつ、地に両手をつきながら主人を睨んだ。
名残惜しげに周辺を見やっているアクネロは、先ほどのセクハラなどどこ吹く風で
あまりの関心のなさに怒る気も霧散する。
馬鹿の相手をし続けることこそ愚かなことはない。
ふと、ルルシーがぱちりとウィンクしたような気がしたが、人の優しさを信じて裏切られたばかりだったミスリルはふいっと顔を背けた。
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