水槽の街

第1話

『5番ホームに列車が参ります』


カン、カン、カン。と遠くの方で踏切の音が響いている。


『この列車は7時30分発ーーーー……』


 風とともにゆっくりとホームに入って来た列車が目の前で止まり、その腹から沢山の人を吐き出していく。

 全員が降りたのを見計らって、乗車口のステップに足をのせた。

 誰もいない第四車両の座席の背もたれを返し、進行方向へ向ける。俺は、海が見える窓際の席を選んで座った。

 降りていく人は多いが乗る人は少ない。

 それがこの時間、この路線の常であり、現に発車時刻ギリギリになっても他に乗り込んでくる人はいなかった。

 手提げの荷物を隣の座席に置き、背もたれに体を預ければ、肺から押し出されるように吐息が漏れる。


 一度疲労から解き放たれた体は、更なる安らぎを求めて睡魔に逆らうのを止めた。こつり、と小さな音を立てて頭が冷たい窓ガラスに触れるも、閉じかけた瞼はなかなか開いてくれない。どうせ行き先は終着駅だ。少しくらい良いかと僅かに身じろいで、収まりの良い位置に体を落ち着かせると、俺は大人しく意識を沈めた。

 ヘッドフォンから響く少女の歌声に紛れて、頭蓋の内側で機械の軋む音がした。



〈2136年。人類は、超能力者の製造に成功した。〉


 入力装置と出力装置から成る極小の電子チップ[BAG]を幼児の脳に埋め込み、それによって脳機能を支配。そして、外部から入力された能力データを電気信号に変換し神経系へ出力することで、人為的に超能力を再現する。BMI技術を応用した、思い描くだけで動かす技術の完成形。という、口にするだけなら夢のような、想像すれば悪夢のような実験。

 人間には元より無限の可能性が秘められているという。成る程確かにその言葉通り、夢物語は現実のものとなった。実験過程で何百人分の命が失われはしたけれど、広い目で見れば実験は成功したといえるだろう。数千人の超能力者が誕生し、人類の夢は一時叶う。

 しかし結果からすれば、やはりそんなものは失敗だった。何百人を犠牲に生き残った数千人は、当初の予定程優れた存在にはなれなかったのだ。偉い大人たちが何度も何度も会議を繰り返し、導き出されたその結果は、“超能力者の廃棄処分”。負の遺産として、あるいは危険な兵器として、俺たちはまとめてとある街に“廃棄”された。失敗作として迂闊に殺すわけにもいかないからと、物として飼い殺されることになったのである。

 海によって隔てられた境界線を、越える術を俺たちは持たない。生きる為の金銭を得ようと、慈悲として与えられた工場群でひたすら働いた。


 ——それが、8年くらい前の話。


 人間とは案外強かなもので——といっても、もう俺たちにいわゆる“人権”とやらはないのだけれども——与えられた居場所がどれだけ不本意でも、それなりの暮らしを成立することは可能だったようで。廃墟同然だった商店街を文字通り建て直し、鉄道を復活させて、まるで小さな国のように俺たちの“街”は成立した。

 そこに金稼ぎの好機を見出した外の人間がこちらに立ち入って商売を始めているというのは、話のオチとしてはそれなりに愉快だろう。


 能力者の最高齢は24歳。それより前の世代の能力者は全員死亡が確認されている。能力者同士の殺し合いもあるけれど、大体は——[BAG]の不具合か、あるいは遠隔操作で脳ごと吹っ飛んだ。

 俺たちは頭の中に爆弾を抱えて生きている。それもいつ爆発するかわからない、とびっきり粗悪なやつを。



 がしゃん、と何かが落ちる音で目を覚ました。


 ヘッドフォンを外し、体を起こして周囲を見渡す。やはり他の客はいなかった。気のせいか。いや、でも、そうでなかった場合。ほぼ確実に——不意打ちを受けることになるだろう。俺が[BAG]に入れている能力はお世辞にも戦闘向けとは言えない。慎重過ぎるくらいで丁度いい。


「コード、————承認。『遠隔感応』」


 その瞬間脳内に流れ込んできた膨大な情報に、軽い目眩で視界がくらりと回る。おそらくは別の車両にいるのだろう乗客や駅員の思考と、それから、やけに近くにいる誰かの[BAG]の電磁波。なんらかの妨害をしているのかその思考までは読み取れないけれど。

 窓の外を伺えば、列車は丁度三千大橋の中央辺りまで来たところだった。研究塔ならぬ研究"島"が左側に見える。ということは、あまり派手に能力を使う訳にはいかない。この距離なら研究島に感知されるだろう——反逆行為と見なされれば、俺も相手も一瞬で頭蓋をぶちまけることになる。

 逆に言えば、向こうもそう大事にする気はないということだ。いや、まだ敵対していると決まった訳ではないけれど。

 とりあえず俺は席を立った。車両の規則的な揺れに足を取られないよう座席の手すりに掴まりながら、"誰か"のいる後方三列目の座席の影まで進む。

 そうして目標まであと1メートルほどに迫ったところで、起動したままだった『遠隔感応』——俗にいう"テレパシー"が、遠くの方の喧騒を受信した。そちらに注意を向ければ、何かと何かが争っているらしいということがわかる。すぐにその片方が能力を起動し、先頭車両の方向へ遠ざかっていく。

 一体何が起こっているのか。

 そんなことをぼんやりと考えながら、俺は"誰か"がいる座席の裏を覗き込んだ。隠れるようにしゃがみこんでいた"彼女は"、俺に気付いた途端顔を上げる。


「……見つかっちゃった?」


 焦げ茶色の髪がするりと肩を滑り落ちて、彼女の翠目が俺を見た。悪戯がばれた子どものようなその笑顔は無邪気そのもので、俺は思わず肩を竦める。

 彼女が相手なら、思考までは読みきれなかったことにも納得がいく。


「残念ながら。それで、こんなところで何してるの?」

「この時間ここを通る列車に君が乗っているのが"視えた"から、助けてもらおうと思って」


 立ち上がった彼女は一つ背伸びをして、傍らの座席に腰を下ろした。座っていた方がいいよ、と向かいの席を叩いて俺を促しつつ、片手で自分の端末を確認する。あと二分くらいかなぁなんて笑って、彼女は言った。


「もうすぐこの列車、緊急停止するんだよ。運転席に押し入った男の指示でね。トレインジャック、っていうのかな?この列車には結構豪華なメンバーが乗り合わせてるから制圧自体は問題ないんだけど、自決用に仕掛けられてる爆弾の処理をしなくちゃいけないでしょう?だから協力して貰えないかなぁ、ハルト?」


 その言葉にため息を吐いて、俺は訪れるだろう衝撃に身構えた。




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