第4話 冴えない彼女の決断(改)

 ふたたび列の人となった恵は、コートの中の汗が引いていくのを実感する。白い息を両手に吹き掛けてもさほどの効果も得られない。じっとしているのが一番体に堪える。列に並んだことを報告し、小さく足踏みして寒さをごまかす。するとスマホにメッセージが着信する。ギターのアイコンは「blessing software」の音楽担当、氷堂美智留のものだ。彼女からメールをもらうのは珍しいことだった。


美『加藤ちゃん、いまヒマ?』

恵『私いま買い物してるんだけど』

美『返事があるってことはヒマなんだね』

恵『まあ、そう』

美『手伝おうか』

恵『今さらだよね』

美『そりゃそうだ』


 こういう物言いが何故か嫌味にならないのが氷堂美智留という女の子の美徳だろう。同じ事を倫也にやられたら3日は無視している。


美『加藤ちゃんに焼きそば買ってあるんだ。あとで食べてね』


 馴れないこと続きで緊張していたのか空腹に気づかなかった。時間はあと数分で12時を指そうとしている。


恵『ありがと』

美『それで言っときたいことがあるんだけど』

恵『なに?』


美『やめないでね』


 唐突な物言いにスマホを落としそうになる。


恵『何を?』

美『あたし、こう見えて加藤ちゃん好きなんだよね』

恵『だから何を』

美『あたしの言葉、覚えといてくれるだけで良いから』


 何を指した言葉か、どうしても言いたくないらしい。恵は観念して、『わかった』とだけ、返信した。

 それきり、返事はなかった。あれでわりと観察能力の高い子なのかな、と、美智留への警戒レベルをひとつ上げることにした。

 サークル加入が遅くまだ付き合いも短い彼女とはいまいち距離の取り方が掴め切れていない。


 再び手持ち無沙汰になり、なんとなく曇り空を見上げる。いつ雪が降ってもおかしくない、分厚い雲。雪を見たい気持ちはあるが、電車がストップしたら困る。同じように空を見つめる列の人々は巡礼者のように厳かで、どこか神聖さすら感じる。


 恵には知りたいことがあった。


 列がじわりと縮んでいき、10分ほどで本を入手した恵はその後数サークルを巡り本日の指令をクリアした。あとはサークルスペースに戻るだけだ。


 地図に帰り道は記されていない。恵は戻る道すがら、あてもなくサークル巡りをした。


 コミケの頒布物は多岐に渡る。「コミック」なのに「ゲーム」を頒布することに実は内心不思議に思っていた恵だったが、ここでは「同人」の形がサークルごとに異なる。

 複数のサークルを巡っていくうちにウインドウショッピングのような楽しさを覚えていく。恵は本の装丁の違いに興味を惹かれた。箔押しの表紙がきらびやかな本はメタリックな質感が異彩を放っていた。一冊ずつ表紙の色の違うコピー誌は机の上を鮮やかなものに変えていた。試しに読んでと声を掛けられ開いた本は飛び出す絵本で、思わず声を上げてしまう完成度だった。マット加工の、さらりとした肌触りの本を一冊購入した。誰のものでもない、恵のための買い物。なかなかの大物だったが、荷物が嵩張ることが苦痛にならなかった。

 ノートPCを持ち込み、ゲーム動画を流すサークルが道ゆく人々の目を惹きつけた。シューティングゲームは恵には難しそうだったが、花火が散るような画面にしばし時間を忘れた。プレイヤーにイヤホンをつないだサークルは自作したCDを頒布する音楽サークルであるようだ。イヤホンに耳をやるとなつかしいピコピコ音が頭をくすぐった。

 本やゲームだけでなく、キーホルダーや便せんなどを頒布するサークルもあった。デフォルメされたキャラクターに目を惹かれ、便箋セットをふたつ買った。親友に一組おみやげにあげよう。コスプレに興じる人々を見た。何のキャラかは分からなかったが、誇らしげな彼らの表情が目に焼き付いた。配置図を広げ、思案する人を見た。休憩スペースで戦利品を見せ合う人々は興奮しきった様子を隠さない。


 恵は参加者らの端々に倫也の面影を感じ、軽く微笑む。しかし、同時に寒気を覚えてもいた。


 ここでは誰もが剥き出しで、自由だった。フラットなのは恵だけ。


「ただいま」


 スペースに戻る頃には13時を回っていた。


「おつかれ、恵」

「おお、これが限定紙袋! ありがとう加藤~」

「あ、それからこれ、返すね。ちょっと書き込んじゃったけど」


 配置図を差し出す。


「ああ、構わないよ。使うの今日だけだからな」

「じゃ、ちょっと休むね」


 そう言って奥のパイプ椅子に体を預ける恵。返事も待たず、まもなく眠りに落ちる。そのくらい過酷な冒険であった。


「ああ、お疲れさま……って、うわっ」

「なにどうしたの……すごいなにこれ」

「ふたりとも騒がしいわよ」

「ちょっと見てくださいよ先輩」

「……なんでこの子、コミケで◯ィザー◯リィしてるの」

「まあ、なんにせよ楽しんだみたいでよかったよ」


 恵は短い夢を見た。思い思いの衣服に身を包み笑いあう人々の中、恵だけモノクロの制服に身を包んで取り残されている。恵は彼らに近づこうとした。しかし手は空を切り、足は地面をつかめない。恵は彼らの近くにいるのに、彼らと共にいるという実感を得られない。


 恵には知りたいことがあった。


 みな、どうしてここに集うのか。北は北海道、南は沖縄、さらに海外からの参加者もいるというコミックマーケット。ここに来れば倫也の創作欲の源がわかるような気がしていた。

 恵も今や創作サークルの一員だ。しかし、サークルへの想いが強くなっても、彼の創作に対する恋い焦がれるような切実さまでは理解できなかった。

 放課後、英梨々と詩羽の口喧嘩を眺めるのが好きだ。倫也と徹夜でギャルゲーに没頭する時間も嫌いじゃない。スクリプトの教科書を片手にああでもない、こうでもないと頭を悩ませることにも少しは喜びを覚えはじめていた。でも、作品が落ちるとわかったとき、その事自体を悔しくは感じなかった。別の怒りを抱いていた。恵はみんなとゲームを作る時間を共有することを愛しはじめていた。倫也は日に日に自分の想いが形になっていくさまにのめり込んでいった。恵は「サークル」に奉仕しようとし、倫也は恋いこがれる「ゲーム」のため、最後まで必死であがいていた。恵を置いてけぼりにして。――締め切りのことも、英梨々のことも、冬コミを諦めることも、何で言ってくれなかったのかな。倫也はひとりですべてを背負い込んだ。彼の愛は、ゲームの中にあった。そこには恵はいない。そこが、倫也と恵の壁だった。

 倫也を盲目にさせている正体こそ、この場所そのものであった。ここには倫也と同じ目をしている人たちがいた。作品があった。ここに来なければ報われない想い。普段は隠している自分をさらけ出し、また、剥き出しの誰かを身近に感じる場所。恵にはその行為に恐怖に近い感情を覚えた。自由な自分を見られるのが怖くないのだろうか。建前の無い本音を見せられるのが怖くはないのか。自分を偽らず、人に疎まれる事を恐れない倫也がどのように作られたのか、その理由の一端がここにはあった。この世界を知っていたから、彼は常に彼らしく立っていられるのかもしれない。それは強さであり、危うさでもある。


 恵は倫也の一端を知った。でも、それは一端でしかない。一緒にいても近づけないむなしさが瞑ったまぶたに光を作る。


 だから、今は。


 帰り道、ふたりの影はすれ違う。


「私、今日は帰るよ」

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冴えない彼女と即売会 じゅじゅる @jujuru9604

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