第2話 冴えない買い子の導きかた(改)

 加藤恵はあぜんと立ちすくんでいる。

 見渡す限りの人、人、人。はたしてギャルゲーの中のヒロインは、満員電車を遥かにしのぐ混雑率の肉壁に放り出されたりするだろうか。


(……今日って大晦日だよね?)


 大晦日といえば学校も仕事もはけ、自宅で大掃除なり年始の準備なり惰眠なりするものと相場が決まっているのではないか。


 恵にとってコミケ参加は二回目になる。今年の夏、(安芸倫也の)後輩の手伝いと冬コミの下見という名目で一度参加している。その時も尋常ならざる人ごみにめまいを覚えたものだが、まさか年の暮れまでこの様相とは。今の恵にはまだオタクの行動様式は読み切れない。近くにテンプレートオタクがいてもだ。

 開場から30分も経たずに「blessing software」の本日の頒布物は全てはけてしまった。後片付けを残りのメンバーにまかせサークルスペースを出た恵を待っていたのは、見渡す限りの人の群れであった。

 サークルの目の前の行列に手一杯で、よそに目を向ける余裕がなかった。今、会場がこんな有様になっているなんて。

 次々に入場を果たした人々は思い思いに散っていくが、ある一定のパターンで動いている群れがある。島サークルに目を向けない一群。彼、彼女らは同じ意志の元、会場を縦に突っ切っているように見える。


(これ、どっかで見たことあるなあ)


 恵でも知っている国民的アニメのワンシーン。我を忘れた大きな蟲の大群が主人公に襲いかかるアレにそっくりだ。

 警戒色の赤を瞳にともし、一直線に突き進む王……人の群れはどこに向かっているのか。恵の知らぬうちに開いていたシャッターを抜け、外にわらわらと飛び出していく。かと思うと、別のシャッター前に構えられたサークルスペースに見る見るうちに列が形成されていくではないか。


(あれが安芸くんの言っていた「シャッター前サークル」かあ)


 なるほど、外に列を形成するのは近隣サークルに混乱が及ばないようにするためか。あのような長蛇の列は遊園地のアトラクションか話題のパンケーキ専門店くらいでしか見たことのない恵である。結構なカルチャーショックだ。

 しかし、あれだけ荒ぶっていた人波が大人しく列を形成していくさまを見ると、思わず感心してしまうところがある。と、恵の肩が道行く人とぶつかってしまう。お互い軽く会釈する。ここで立ち止まるのは危険だ。今来た道も人であふれ、自分たちのサークルはもう視認できない。

 そこで恵はようやっと我に帰る。


(……さっきの、最初に行くサークルじゃない?)


 あれに並べというのか。……やっぱり帰りたい。


 それから5分ほど有し、恵は最初のサークルの最後尾に並ぶことが出来た。恵が並んだのは"れ-34ab"。机一本に様々な本やグッズが並ぶ、ひときわ賑やかなサークルだ。

 列に並ぶと、熱気が急速に体内から引いていく。冬の有明、しかも障害物のない外となるとさすがに寒さが身にしみる。会場内の熱気はいずこ、群れは静かに冷えていく。


(暇だな……)


 こうなるととたんに手持ち無沙汰だ。とりあえず次に向かうサークルの確認をしておいた方が良いだろう。倫也から渡された一枚の地図を取り出す。倫也いわく「宝の地図」、サークル配置図をプリントしたマップである。

 お目当てのサークルはピンクのマーカーで染められている。


("まー28b"……あ、この列は"ほ"か……)


 空欄に、上から巡回順にサークルスペースのナンバーとサークル名が記されている。このスペースを地図上から一目で探し当てるのは少々難しい。地図と空欄のメモを行ったり来たりする手間を省けないものか。

 恵は倫也との六天馬モールでのデート(未満のなにか)を思い出していた。あの時、疲れ果てていたはずの倫也はモール内のマップを手にすると人が変わったかのように何事かを書き込んでいた。

 配置図から目を離し、次に行くサークル先に視線を移す。


(安芸くんは確か……。「導線」は、こうか)


 ボールペンを取り出し、サークルとサークルを最短距離で結んでみる。


(うーん、しっくりこない)


 巡回先が多くてこれでは地図が真っ黒になりそうだ。


(……こういうのはどうかな?)


 壁と島、島と島の間の通路にマス目を縦に3行、横にスペース分刻む。すでにピンクで染められている目当てのサークルに、巡回順で番号を振る。緑の蛍光ペンで通路を染めてサークルとサークルを繋げる。通ったあとはレ点でチェック。買い物が終わったらサークルスペースにもレ点をする。あとは次に行くサークルナンバーを記憶し、緑のマーカーを辿れば良い。これでチェックの頻度を減少できるし、マーカー上のレ点の入ってない場所を目指せば迷子のリスクも減る。恵には同じように見えてしまうサークル配置に迷い、同じところを何度も巡るミスも失くせるかもしれない。


(……といっても、ね)


 恵は思考を止め、いっこうに進まない列の先を見つめる。行列は二列進行。まだ前に20人ほどいようか。ため息が出る。

 ふたたび配置図に目を落とす。カラフルにはなったが、これが有効に働くかは未知数。しょせんその場の思いつきだから効用の方はあまり期待しない方が良さそうだ。まあ、いい暇潰しにはなった。ゲームのスクリプトもそうだが、ものを理屈で組み立てる作業が向いているのかもしれない。

 さて、残りは何をしていようか。こういう時は万能マシンスマートフォンが暇を潰してくれる。恵がスマホを取り出そうとしたその時、バッグが小さく振動する。

 メッセージアプリのグループ項目に新規メッセージが着信している。眼鏡のアイコン、安芸倫也からだ。


倫『今、どんな感じ?』


 恵は「最後尾に着いたら連絡」との指示を思い出した。


恵『連絡忘れてた、ごめん。最初のサークルに着いたなう』


 と、返事を書き込む。すると、まもなくツインテール頭のアイコンがぴょこんと顔を出す。恵の親友、英梨々である。


え『なう使ってる人久しぶりに見たなう』

恵『買えるまでまだちょっと時間かかりそう』


 次に、本のアイコンがぽん、と現れる。霞ヶ丘詩羽だ。


詩『倫理君の買う薄い本のヒロインの何割が黒髪ロング美少女か、そのうち何割が凌◯ものなのか……。あとでチェックするのが楽しみね』

恵『ふ~ん』

倫『やめて! 買わないから! 全年齢向けだけだから!』

え『資料用に買ってきてもらおうかしら』

倫『お前マジでやめろ……』


 まるで放課後の視聴覚室のような他愛の無い会話が続く。恵は会話に参加せず、ただただ流れる文字列を眺めている。夕日に照らされる教室。誰にも邪魔されない"私達"だけの時間。独特のぬるさが、恵の心を落ち着かせる。


恵『こういうことなんだよね』


 脈絡の無いつぶやきを送る。英梨々から『なんのこと?』と尋ねられるが、曖昧な返事でお茶を濁す。いつもこうしてはぐらかすから、それ以上の追及がない。お互いそれでよかった。曖昧さが心地よかった。でもいま振り返ると、また別の感慨が沸く。あの時、もしくはあの時、もっと踏み込んできてくれたら、と。あるいは、自分からもっと踏み込んでいたら、と。

 学校を休んで英梨々に会いに行こうと提案したとき、そこまでするほどではないと返され、納得した。相談してと言ったとき、もっと念を押していれば、あるいは。


 まだまだ続くコントのようなやり取りを眺めていると、いつの間にか恵の前にはふたりほどしか並んでいなかった。


恵『もうすぐ順番だからまたあとで』

倫『加藤、あの呪文は忘れてないな』

恵『なんだっけ』

倫『シンカンニブズツだ! では健闘を祈る』


 これを唱えれば欲しいものが手に入るらしい。財布を取り出しその時を待つ。

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