第9話 街外れの暗闇

 そもそも何の追跡をしていたか忘れかけていたナナシだったが、ごみごみした路地を走り続けていた車が人気のない幹線道路に入り、見通しがよくなるとふうと息をついた。

「入って何分経ってるんだ」

『そうね、十五分ぐらいかしら。それにしても産業廃棄物処理場とはね』

相変わらず車のUIに接続状態のエレオノーラが合成音声で答える。

「変な意味じゃなく、その、間違いないんだよな?」

変な意味もなにも思いっきり正否を問うているのだが、ナナシの迂闊さに慣れたエレオノーラは軽く流した。

『安心なさい。店のGPSとも合致しているわ』

「ああ、やっとか畜生」

ビタミンをこれでもかと配合した野菜ジュースのパックがべこっと音をたてて凹み、くずかごへ放りこんだ史狼が運転席で伸びをする。彼の被弾部位は止血用と痛みどめのパッチが貼られただけだ。弾丸は自力で摘出済みだった。

後部座席ではキエロが、止血帯をほどいた花鈴の腿に手をかざして治療魔法を施している。治療魔法は治療対象者がリラックスした状態で、一定時間かけつづけなくてはならないのだということをナナシは初めて知った。

「どうだろう、具合は」

「よくはないよ。でも動けないと危ないのは花鈴だからね」

青ざめたキエロはあれからかれこれ一時間、花鈴の治療を続けていた。

 エレオノーラは宣言どおり、きっかり十分で裏路地へ入って車を停めた。人気もなければ監視カメラもない場所で、そこへ至るまでも発見されるルートを慎重に避けた上でだ。自動運転で持ってきたらしい史狼のセドリックが既に停車している。そこで史狼は自身の弾丸の摘出を、キエロは花鈴の腿の治療を始めた。

花鈴の傷口が盛り上がって中から弾丸が押し出されたのを見た時は、ナナシは貧血を起こしかけたほど驚いた。

エレオノーラはすぐにセドリックのUIに接続して、坂本ケータリングサービスの車の位置情報を再び追い始めている。

 北海警備の近くにあるコンビニエンスストアの監視カメラを乗っ取って様子を見ていたエレオノーラは、工場を出たケータリングサービスの配送手が北海警備から出てこないことに気がついた。代わりに険呑な雰囲気の二人の男が、周辺へ油断なく目配りしながらケータリングサービスの車に荷物を積み込む。

それは2メートルほどのコンテナが三つで、貨物室を閉めると二人は車に乗って会社を出たのだ。

一行は史狼の応急手当てを済ませるとセドリックで追跡を始めた。もちろん気取られぬよう大回りをしてだ。後部座席でシートを倒して治療を受ける花鈴は、鎮痛剤で1時間ほど眠ることになった。

「肉体を強化して感覚が鋭敏だと、痛みも多分、だからね」

キエロの消沈した声につられてナナシも思わず息をつく。しかし、史狼はハンドルを握りながら唸り声をあげた。

「馬鹿馬鹿しい。痛みに弱い格闘家なんぞいるか」

「それは……」

そうだろうけど、と口ごもって、ナナシはうつむいた。

それでも女の子なんだから、と思ってしまう。治療に集中しているキエロはそれ以上何も喋らず、目的地が産業廃棄物処理場と定まるまでの間、車内は静かだった。

ふと、花鈴が目を覚ました。鎮静剤が切れたらしい。

身を起こすと腿にかざしたキエロの両手をそっと握った。

「ありがとう、キエロ。もう大丈夫みたい」

「嘘だよ」

ぷくりと頬を膨らませたキエロは、魔力を注ぐのをやめると言い募った。

「その脚で蹴っちゃだめだよ、急遽塞いだだけなんだからね」

「うん、わかった」

「行けるか」

二人のやりとりを黙って聞いていた史狼がぼそりと花鈴に問いかけた。お世辞にも顔色がいいとは言えないが、花鈴はにこりと笑い返す。

「魔法も使って貰ったし大丈夫。行けるよ」

エレオノーラが操るセドリックは産業廃棄物処理場の敷地の近くで停まり、史狼はベレッタをいつものようにコートの内側へ突っ込んで口を開いた。

「よし、俺たちが下りたらどこかの店舗まで行け」

『了解よ。でも困ったわ、産業廃棄物処理場のシステムがネットと繋がっていないみたいね。中に入ってから端末を繋げてくれるまでサポートは無理だわ』

「かまわん」

当初この四人の意思決定権はエレオノーラにあるのかとナナシは思っていたが、もう勘違いだと気づいていた。細かいことに口を出さないだけで決断は史狼が下し、女性陣も基本的にそれに従って動いている。

躊躇い続けていたが、意を決してナナシは史狼に訴えた。

「なあ、今でないとだめか。二人とも万全じゃないのに……」

ナナシに皆まで言わせず、史狼が即座に切り返す。

「今だ。おまえの持ってきた映像の日付は今日なんだ。車両の追跡はVINシステムの映像を使うとして、その車が今ここにいる証拠と、ここで何をしているかを揃えておかないと売れる情報にはならん」

坂本ケータリングサービスと北海警備のつながりを証明する上で必要なのだと言われれば、ナナシにも今である必要性は理解出来た。それでも何か言いたげなナナシにエレオノーラが慰めるような声をかける。

『ナナシ、この二人は出来ないことをやるとは言わないのよ。安心なさい』

「……ああ、うん。そうだよな」

彼が頷くのを待っていたように、エレオノーラが業務連絡へ移行する。

『2キロ先にカラオケボックスがあるからそこにするわ』

「治療魔法使ったんだから、キエロは休んでおいてね」

「わかってるよ。流石に疲れたしね」

そう言うキエロは、加減して炎を使った時と同じように眠そうな顔をしていた。

和やかな女性三人の話を聞き流しそうになったナナシは唐突に気がついた。

「ん? おれはどうするんだ?」

「出来ることは手伝うんだろ?」

真顔の史狼に見据えられてナナシは固まった。

確かに言った。花鈴にだが言った。実際日中は簡単な潜入なら出来ると立証してしまったわけで、考えてみれば当然の帰結ではある。

「史狼、ナナシさんは依頼人で」

「いやいいよ、そもそもまだ一円もお金払っていないし。怪我をしてる君たちだけじゃ心配……だし……」

ナナシの語尾が急に勢いを失ったのは、怪我を指摘された史狼の目つきが更に悪くなったからだった。肉食獣じみた笑顔が凶悪さを増す。

「ご心配をどうも。おら、下りろ!」

 ということで、三人はすっかり暗くなった街外れの産業廃棄物処理場の敷地の中を歩いていた。敷地はぐるりと高い塀に囲まれ、塀の上には鉄条網とカメラ。

ここまでレトロな警備体制が揃っていれば敷地内に犬ぐらいは放っていそうだが、意外とそれはなかった。

花鈴が鉄条網の歪んだところを見つけて「よいしょ」という気軽なかけ声とともに塀にあがったのにも驚いたが、彼女が上から下げてきたワイヤーを掴んで自分が上がれてしまった現実にもついていけない。どうして結び目があるだけのワイヤーを登れてしまったのか。

 広い敷地には普通、産業廃棄物処理業なら廃棄物の山がいくつもあるはずだ。

しかしそうしたものは入口にいくらかあるだけで奥に入ると少しもなく、数秒ごとに照らす範囲を変えるサーチライトが四基設置されていた。敷地の中央に二階建の施設があり、そこへ近づくものを阻むためらしい。

「後ろ暗いですと宣言してるようなもんだ」

「いや……産廃だし、持ち出されないようにっていう考えもあるんじゃ」

言いながら、ナナシ自身も説得力がないと思っていた。産業廃棄物を持ち出してどんなメリットがあるというのか。

三人はサーチライトの切り替えをかいくぐり、建物の傍にある小屋の陰まで移動した。建物の周りを二人組の男が巡回しているのが見える。

彼らの手にマシンガンがあることに気がつくと、ナナシにももう楽天的に見ることはできなかった。

「撤回する。おかしいを通り越してやばい」

 どこまでいってもここは日本であり、日常的に銃の携行は許されていない。国家に寄与する企業といえど、過激化の一途をたどるテロへの対策――正確を期するなら企業同士の抗争だが――という以上の使用許可は下りない。

ただの産業廃棄物処理場であるはずの場所で産廃も処理場もなく、あからさまに銃を携行した者が徘徊している点でもうばりばりの違法なのだ。

呆れ切った顔の史狼が建物を顎で示した。

「今更だな。右奥に搬入口がある。追ってきた車が見えるか?」

小屋の陰から顔を出してナナシは目をこらした。随分と暗い照明が一つあるだけの搬入口で、車の輪郭がなんとかぼんやり見える。

「見える。あ、エンジンがかかったぞ。帰るんじゃないか?」

「車と入れ替わりに搬入口へ向かう。遅れるな」

ケータリングの貨物車がゆっくりと搬入口を出て、入ってきたと思しきゲートへ向かってスピードを上げ始める。建物の周りを巡回する警備員らしき男たちの目につかないよう、音をたてないよう。三人は暗がりを通って搬入口の前へ着いた。

車が出ると同時にライトも落ちて暗い。

搬入口付近を確認すると動体センサーの類はなく、一定時間で映す角度を変えるカメラしか設置されていなかった。それも据付け角度が甘く死角が多い。

「こいつらド素人なんじゃないのか。行くぞ」

顔をしかめた史狼を先頭に、カメラの死角を通って建物の中に入る。


 史狼を先頭に廊下を走りながら、ナナシは色々とショックを受けていた。史狼や花鈴が普通の社会の枠にいないことは理解したつもりだったが、不法侵入までも慣れた手際だったせいだ。

「おれ、会社に戻ってもブレーカーが落ちたら気をつけることにするよ……」

「そうしとけ」

史狼がまるで話を聞いていない口調で相槌をうつ。

配電盤と鍵のついていない廃棄物保管室を見つけた史狼と花鈴は、一部のブレーカーを落として騒ぎを起こし、保管室で様子を窺った。駆けつけた警備員が念の為研究棟の各室をチェックすると告げ、ブレーカーをあげに走ってきた研究員と思しき男たちのブーイングを浴びるのが聞こえる。

研究員だと思ったのは、彼らの悲鳴が主に検体がどうとか、電力を戻さないと培養に失敗するとかいうものばかりだったせいだ。

警備室に入り込むため、三人は騒ぎに乗じて廃棄物保管室を出て、警備員が来た方向の廊下を走っていた。扉も少なく入り組んだ構造ではないようなのが救いだ。

「入室がカードキーとかだったらどうするんだ」

「この建物に入ってからそんな御大層なもんを見たか?」

不安を口にしたナナシに史狼が切り返す。見ていないのは事実なので、ナナシは口をつぐんで脚を動かした。

 ほどなく『警備室』と堂々とプレートが掲げられた扉が見えてきた。扉の付近にカードリーダーらしきものも見当たらない。

すると史狼が無造作に扉を開け、花鈴が部屋に飛び込んだ。声も出ないナナシを引っ張った史狼が彼女の後について部屋へ入る。

室内は四畳半ほどで、正面の壁一面に大型モニターが九つかかっていた。その壁に寄せて大きな机が置かれ、端末が四台並んで設置されている。

「あ、危ないじゃないか。なんで彼女が先に行くんだ、誰かいたら」

「俺がやると殺すからだ」

史狼の返答は端的だった。負傷している今、手加減などできる状態ではない。

二の句が継げないナナシを放って史狼と花鈴が室内を探る。警備員の制服やキーを探してだったが、生憎とここにはないようだった。

机の引き出しには入館者と通勤者たちの記録がある。

ロッカーの中にはショットガンが入っていて、ナナシはいよいよ言葉を失った。

 花鈴が端末の前に置かれた椅子に座る。端末はスリープ状態だったようで、花鈴が椅子にかけるとすぐにウィンドウに中断前の作業が表示された。端末を操作していくつかのファイルを開き、素早く目を通す。

「警備員の日勤は一人で、夜勤の二人への引き継ぎは午後八時みたい。さっきの人が戻ってくるまでに仕掛けちゃおう」

頷いた史狼が電話をかけ始めた傍ら、花鈴は部屋の壁にある九つのモニターの電源を入れた。やはり施設内の監視映像のようだが、九つは少ない。

史狼が押し殺した声で端末に話しかけた。

「警備室に入った。管理システムに繋がっているはずだ」

言いながら携帯からコネクタを引きだすと端末の接続端子につなぐ。数秒おいて端末のスピーカーから慣れた声が流れた。

『やっぱり携帯を経由すると速度が落ちるわね。でもシステムには入ったわ』

「エレオノーラ、これ見るとカメラ少ないよね?」

花鈴の問いにここにいないオペレータがそうね、と同意する。

『そこは管理棟と研究棟に大きく施設が分かれているわ。貴女たちがいるのは研究棟の警備室。カメラはほとんどが管理棟にあるみたいね』

「随分と警備状況に偏りがあるな」

『管理システムも市場の流通品をそのまま。網膜や指紋を使った承認システムはおろか、カードキーも管理棟だけ。企業としてはお金も経験もなさそうよ』

しかめっ面の史狼の呟きにはエレオノーラも同感らしく、容赦のない批評が下された。別の端末を覗いていた花鈴が声をあげる。

「これ台帳じゃないかな」

ディスプレイにはひどくざっくりした表が現れた。何かの仕入れと、『検体』と表記されるものの状態についてが記してあり、目を通したナナシは首を傾げた。

「最新の記録が二十一分前だから、さっき搬入されたのはこれか。『廃棄物 三 良好 Y』……数量はあるけど金額がないな。仕入れなのか、これ」

「仕入れというより、引き受けかもしれんぞ」

史狼が眉間に深いしわをきっちり刻んだ。実際最後の項目はほとんどが個人名で、どこかの研究機関らしき名称も散見される。

「お弁当の予約もYだったね。北海警備の主任て人のことかな?」

「そういえばあいつら、やざまって言ったな」

花鈴の言葉に史狼が唸り声をあげた。

表記からするに、状態の良し悪しがあるものをここでは受け入れていた。つまり受け入れているのは産業廃棄物などではないということだ。

「受け入れた廃棄物とやらはどこへ運ばれる?」

『管理棟よ。でも管理棟はまたシステムが独立しているのか、この研究棟では管理棟でどうしているのかまではわからないわ』

「行ってみるしかないね」

花鈴の結論にはナナシも同意せざるを得なかった。

エレオノーラが三人に手を貸せるのは社内システムに繋がった端末があるところだけ、それもここの端末がネットに繋がっていない以上、今のように携帯で繋いでいる間だけだ。

『警備員が戻ってくるには十分はかかるわね。誰もいない映像を二十分ループさせたものを仕込むけど、携帯経由は時間が要るわ。ちょっと待って』

普段なら数秒で片づける作業だが、エレオノーラらしからぬことに数分をかけた。

壁のモニターを見ていた花鈴がふと呟く。

「ねえ、真ん中の管理棟の保管室ってあるけど、何も置いてないね。何だろう」

保管室だけが異様というか、異彩を放つ風景だった。

というのも、他は殺風景なりに室内で机やロッカーなどが映っているが、保管室とやらはがらんとした何もない部屋が映っていたからだ。床は金網敷きだから、水を使う場所なのかもしれない。

システムの中を少し確認したらしいエレオノーラが嘆くような声をあげた。

『研究は管理棟から『検体』を持ってきてやっている……持ち込まれる『廃棄物』の研究じゃないのね。覗きたいけど研究棟のデータ管理にかけてるセキュリティが頑丈で、携帯ごしの出力では手を出せないわ。残念』

「管理棟のデータとか持ってくから待っててね」

花鈴に慰められた彼女は気を取り直し、お願いねと声を弾ませて話を進めた。

『見学者用IDで管理棟に入るという手が使えそうよ。IDを発行した形跡は消せても管理棟に入った記録は消せないから、いずればれてしまうけれど』

「かまわん。時間が惜しい」

史狼の決断は早かった。ループさせた映像が切れるまでの二十分の間に、全てを終えて脱出しなくてはならない。長居したくないのはナナシの意向でもあった。


 研究棟ではブレーカーが落ちた騒ぎのせいで予定が遅れているのか、怒声が響いている部屋もあった。足早に廊下を駆け抜けて管理棟へ移る。

今度は打って変わって辺りは静まり返っていた。

初めて現れたカードリーダーにカードを滑らせ、扉が開くと同時に史狼が入り安全確保。花鈴とナナシがそれに続くという繰り返しで三人は奥へと進んでいった。

しかし施設の様子でいよいよ病原体などの物騒な想像が先だって、ナナシは気分が悪くなり始めていた。

「ナナシさん、もうちょっとですから頑張って下さいね」

施設の中をあちこち撮影しながら花鈴が励ましてくる。相当な怪我をしている彼女にそう言われたら、自分も頑張らなくてはならない気がした。

「だ、大丈夫。あとは保管室だけか」

「はい、保管室とその前室で終わりです。データが取れたらすぐ出ますから」

それは逆にいえば、自分が何故ここへ送られようとしていたのかが判明するということでもある。今思いつくことはウイルスか病原体に罹患させられるとか、あるいは遺体を溶かす薬剤の試用ぐらいのものだ。

「入るぞ」

声に振り返ると、ベレッタを抜いた史狼が扉の前に待機していた。頷いた花鈴がカードの見学者IDを読み取らせて扉を開く。

 部屋は手狭で、研究棟の警備室と同じぐらいの広さしかなかった。室内には『廊下側との扉の同時開閉禁止』と赤字で書かれた貼り紙が貼られ、一組の机と椅子、大きめのロッカーがあるだけだ。

奥には扉がひとつ。音もたてず扉に近づいた花鈴が扉に集音器をあてて計測する。

「うーん?」

「どうかしたのか」

ナナシの問いに花鈴は頷いて器具を見直した。掌サイズの直方体の器具のてっぺんには半円形の窪みがあり、その中央に集音マイクがついている。3センチ四方ほどのディスプレイには『心音・呼吸音:計測不能 衰弱』と表示されていた。

「隣に随分たくさんの生物がいるみたい。それに弱ってるみたいで……『検体』がいるってことなんでしょうけど、私たちに抵抗できる状態じゃなさそう」

言いながら、室内を角度を変えて端末で二度撮影する。

机の上に置かれていた端末を起動すると、デスクトップにファイルが一つあった。開くと簡単な記述が淡々と繰り返されている。

『検体 九 経過良好』

『焼却待ち 四 腐敗進行』

『検体』とやらの受け入れ数と健康状況、あとは恐らく死んだ『検体』の数や状況が書かれているようだ。それにしても腐敗するほど放置してあるとは、管理状況はあまり好ましくないらしい。

記載された『飼料』と、研究棟のデータで見た『廃棄物』の数が合致している。

つまり運び込まれた『廃棄物』は『検体』の『飼料』、餌で間違いない。

ハードドライブ内を確認したが、他のファイルはもちろん、管理棟独自のシステムやリンクなどはないようだった。

「ここと研究棟は独立していて、でもここに管理システムはなくて、コントロールできるのは研究棟だけ……これ、なんていうか」

「『研究棟から管理棟を隔離』できるようになっている」

史狼の呟きにナナシはびくりとした。

「怖いこと言うなよ、ほんとに病原体とかだったらどうするんだ」

「どうするだと? どうせ入ったんだ、持ち出せるサンプルがあるなら持ち出して売れるところへブツや情報を売る。おまえの保護依頼に関しては、俺たちの利益はそうして確保する約束だろう」

「それはそうだろうが……」

犯罪者同然の史狼の言い方に不満はあったが、自分自身も知りたいという意思が上回ってナナシは抗議する気力を失った。それにちらりと、この情報が自分の帰るべき企業への手土産になるのではないかという想いもある。

ナナシが複雑な想いを噛みしめていると、史狼が付け加えた。

「……もっとも。売って済むようなブツじゃなけりゃ話は別だがな」

ロッカーに近づいて、センサーや鍵などまるで警戒していない様子でいきなり開ける。一瞬ナナシの息が止まったが、何も鳴らないことに胸を撫で下ろした。

「警報でも鳴ったらどうするつもりだったんだよ」

「武器庫じゃあるまいし、ロッカーにまで警報つけてたら仕事にならん」

厳密には隣の区画について予想がついたからで、ロッカーの中身が想像できたからだったが史狼は説明を省いた。携帯端末で写真を撮った花鈴が、フックにかかっていたシリコン製のものをつまみあげて首を傾げる。

「ガスマスク?」

「ガスや生物兵器、放射性物質まで防ぐ防護マスクだ。つけて、防護スーツも着ろ」

そういうものがあるということは、隣にはそうしたもので身を守らなくてはならないものがあるということだ。いよいよ病原体という可能性が高くなってくる。

「……何があるんだ」

防護スーツを渡されて困惑するナナシに、史狼は何も答えなかった。どのみち隣へ行けばわかることだ。カードリーダーにカードを読ませて扉を開く。


 体育館ほどの広さがある、がらんとした場所だった。天井は漏斗を逆さにしたような形をしていて、頂きに給排気口らしきものがついている。手前にフィルターらしきものがついていた。

室内はかなり冷えて、防護スーツで着た物が一枚増えているのに寒気を感じる。

天井には三か所カメラがついていて、死角ができないよう室内をカバーしていた。それも今はエレオノーラに細工された映像が警備室で流れているのだが。

床は一面の金網で開閉口がところどころについている。普通車なら完璧に支えられるだろう重厚な金網の下は暗闇で、ところどころちかちかと何かが光っていた。

「あれ? 何か保管か飼育されているものがあるはずだよな?」

部屋の中央あたりまで歩いていって、ナナシはぐるりと見回すと二人を振り返った。

「下でしょうか」

何の気なしに言った花鈴が金網の下を透かし見る。溜息をついた史狼がどこから持ってきたのか懐中電灯のスイッチを入れて、下を照らした。

花鈴の身体が突然、大きくびくりと震える。

近づいてナナシも目をこらしてみた。分厚い金網の下にはそれを支えている鉄骨が何本か走っている。その下に空間があって、何かが蠢いているように見えた。

「こいつらの飼育許可がおりるようなら、この国は終わりだ」

吐き捨てるような史狼の声が聞こえたが、ナナシは声一つ出せずにいた。

鉄の足場が組まれた上に自分たちはいる。その逆、金網ひとつ隔てた3メートル下にいたのは薄汚れた人間の群れだった。

 否、普通の人間ではない。

 普通の人間の瞳は暗闇の中でぼんやりと光ったりはしない。

光るとすれば可能性は魔素しかない。魔素が網膜に達すると発光現象を起こすことは巷間夙に有名だ。しかし魔素が活性化しただけの人間なら、心音や呼吸音が極度に少ないなどありえない。時々四肢のどこかが欠損していたり、大きな傷がある個体もみられる。

突然部屋へ入ってきた防護服の三人に近いところにいるそれらは、飢えた者の渇望をこめて精一杯手を伸ばしていた。

「まさか、これ」

屍食グール症候群シンドロームだ」

 人間の場合は『魔素活性』と呼ばれるのが一般的だが、以前と変わった世界で特に人々の恐怖を恐怖を誘ったのが、『汚染』としか言いようのない魔素の発現を受けた存在だ。

中でも魔素に汚染されたアメーバによる新型原発性アメーバ性髄膜脳炎の感染者たちは、アメーバに脳を侵食された結果、アメーバに栄養を補給する為に人肉を貪る悪夢の存在と成り果てる。と同時に人肉以外を受け付けなくなり、身体は著しい衰弱を続けて死に至る。この一連の症例が屍食症候群と呼ばれていた。

もちろん宿主である人間が死亡すればアメーバも共倒れとなる。通称NPAMと呼ばれるこの症候群の死亡率は高く、日本政府は感染者が出ると地域を封鎖し、死亡者は焼却処分するのが常だ。

つまりあの書類にあった検体だとか、焼却待ちというのは、この金網の下でぼんやりと赤く目を光らせる感染者たちのことなのだ。

ここの管理者たちは、『仕入れた廃棄物』を『検体』たちに与えている。『焼却待ち』とは完全に宿主が死亡し、人肉を消化できなくなった『検体』のことだろう。

 不快感は吐き気に変わり、胃から口へ何かが逆流してきた。

「うっ!」

「マスクは外すな、ナナシ」

嘔吐えずきかけるナナシに史狼が唸るような制止をかけた。

「これだけのグールがいれば空気中に汚染アメーバが飛んでるはずだ。感染したくなけりゃ吐いても絶対外すな」

 一部のアメーバはシストという状態になる。固い殻で覆い乾燥から身を守るためだ。魔素汚染アメーバも短い期間ながらシスト化するため、一時衛生状況が悪化した国内でグールが大量発生する事態が発生していた。

「史狼、それってこの近辺に広がったりしないのかな」

「ここと、その前の扉は気密扉だった。陰圧室になってるから漏れはしない」

花鈴の不安は史狼が一言で払拭したが、ナナシには何かを考える余裕はなかった。

なんとか堪えたものの、口からは嗚咽が漏れる。

 自分もあの夜意識が戻らなかったら、史狼と花鈴に拾われなかったら、ここへ運ばれていたのだろうか。この金網の下に無造作に放られて、彼らに貪り食われていたのだろうか。

人の形をしたものが人を食らうという想像を、本能が拒否する。

金網の上に座り込みそうになっているナナシの背を、史狼はちらりと見た。さすがにこれはかける言葉がない。

「これって、MEISEKIか北海警備がやらせてるの?」

マスクごしの花鈴の声はさすがに強張っていた。

「MEISEKIは人工筋肉の業界でも名浜と並ぶ大手だ。グールなんて超弩級の厄ネタに手を出して情報が漏れでもしたら潰れる。そんなリスクは冒さんだろ」

名浜精工とMEISEKIの間の問題は現状、科学者の移籍もしくは誘拐に限定されるはずだ。といってこの施設の運営を北海警備がしているかと言えば、規模から言って恐らく無理だ。

ここは法的にも社会的にも許可されないグールの研究を行いがてら、必要な資金を死体の処理を引き受けることで稼いでいるのだろう。死体を跡形もなく処理したいものはそこらじゅうにいる。

「北海警備の、なんつった、矢間? そいつが噛んでんのは間違いないが情報が足らん。結論は後だ。花鈴、金網をあげるから中を撮影しろ」

「……うん」

手近な開閉口に手をかけて史狼が金網を持ち上げた。下にライトを当てて蠢く人々を数枚撮る。写真の後は短いながら動画も撮り、花鈴は端末をしまった。

「よし、侵入を気取られる前に戻るぞ」

元通り金網を閉めた史狼が気密扉へ向かい、唇を噛んで辺りを一瞥した花鈴が後に続いた。

地の底から響くような呻きに、飢えを訴える獣のような叫びが時折混じる。

ナナシは身体が震えるのを止められずにいた。

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