第8話 手掛かりを求めて
身体じゅうが殴られているように痛い。被弾したところが痛い。
身体が動かない、咽喉が焼けて、呼吸が――。
強く揺さぶられてナナシははっと目を覚ました。心臓が早鐘のように鼓動をうち、封じられていた呼吸は全力疾走のあとのように乱れている。
あの、焼かれて撃たれた夢だった。暗くて寒くてどうしようもない状態でいつも目が覚めるというのは、正直気分がよくない。
「よかった。睡眠時無呼吸症候群かと思ったよ」
揺さぶった本人らしいキエロが、ひどくドライな感想をもらして前を向く。
そうだ、セーフハウスを捨てて移動していた。
車を替えて移動中に寝入ってしまっていたようだ。こんな時にと思うと史狼の反応が怖くて、ナナシは助手席の様子を窺おうとそっと顔をあげた。途端に固まる。
史狼が肩ごしにこちらを見ていた。
「また夢でも見たか」
少なくともいきなり銃を突き付けられずにすんで、ナナシは胸を撫で下ろした。
「ああ、その……こうなって目を覚ました日から、同じ夢を見るんだ」
「どんなだ。言ってみろ」
意外な言葉に驚いたが、一人で抱えているよりはいい気がする。
ナナシは夢の中でセンサーアイとリンクしたソフトが再起動したことが気になっていたのだが、そこは誰も驚かなかった。
「強制終了されたのですもの、それはそうでしょうね」
「要するにそれ、夢じゃないよね」
エレオノーラとキエロが顔を見合わせる。
史狼と花鈴に救助されてからコアの強制終了は行われていないのだから、記憶を失うような目に遭った直後の記憶ということだ。ただの夢ではない。
「深い火傷をすると熱さより痛みを感じるので、間違いなく経験だと思います。皮下装甲のおかげでひどくならなかったんでしょうね」
「なんだろうね。本能がこいつらだって言いたいのかな」
花鈴が何故火傷の痛みを知っているのかがちょっと気になったが、そのあとのキエロの言葉が気になってナナシは問い返した。
「どういうことだ?」
キエロがちょいちょいと窓の外を指で示す。そういえば車が止まっていることに気がついて、ナナシは辺りへ目をやった。
幹線道路沿いにあるコンビニエンスストアの駐車場に車は停まっている。隣は中古車販売の会社、向かいは何かの事務所だ。隣にある小さな工場のような建物には大きな看板が掲げられていた。
「坂本ケータリングサービス?」
「史狼と花鈴が貴方を救助した夜、同時刻に付近を走っていた貨物車両があの会社のものなのよ」
エレオノーラの説明を聞いて振り向きかけたナナシを、史狼が制止した。
「二度も向くな。エレオノーラがシステムに侵入したが、まっとうな業務の記録しかない。ネットに接続してないシステムか、紙の帳簿があるかもしれん」
既にシステムに侵入済みであることに驚きもあったが、今時紙の帳簿と言われてナナシはぽかんとした。高齢の経営者であればありうるかもしれないが、ちょっと想像し難い話ではある。
「じゃあええと……あの夜走ってた車を尾行とか、するしかないか」
「少しは頭が回ってきたようね」
微笑むエレオノーラはまだしもだったが、
「その前にやることがあるよ、帳簿を見ないといけないからね」
というキエロの言葉にはすぐに頭がついていかなかった。
当然ながら、「帳簿を見せて下さい」と社外の者に言われて見せる者はいない。やましいことがあるなら尚のことだ。どうやって見るのかと思っていると、運転席で史狼が懐からベレッタを抜くのが見えた。
「ま、待て。ここで騒ぎを起こして手掛かりが消えたら」
言い終わるより早く、ベレッタがエレオノーラに渡される。史狼は顔をしかめて唸り声をあげた。
「後ろ暗いことがあるなら俺たちの飯の種だ。まだ騒ぎにはしない」
そういえば、自分の身の上の調査上得た情報は彼らの報酬になるのだったと今更のように思い出した。
今はっきりしているのは、自分を探している北海警備と、あのケータリング会社の間に接点があるということ。その車があの日、あの場所にあったということ。
ケータリング会社の車が荒事専門の警備会社に使われている証拠が見つかれば、北海警備と事を構える他社にとって、情報として充分売り物になる。
癒着を明らかにする必要はない。『坂本ケータリングサービスの車は北海警備の隠れ蓑だ』と知っているだけで対策はとれるのだから。
「例のナンバーの車は18時に北海警備へ行くことがわかっているんです。だからその前に、ちょっと帳簿見てきます」
「見てきます?」
鸚鵡返しに繰り返すナナシを置いて、史狼と花鈴が外へ出る。
慌てたナナシは外へ飛び出そうとしたが、その腕をキエロが引っ張って止めた。
「待ってくれ、彼らはどこへ行くんだ」
「10分たったらエレオノーラがあの会社のシステムに仕掛けるんだ。カメラとかに侵入して、あの二人が入ってもわからないようにね。その間にネットに繋がってない端末とか、紙の帳簿とかないか見てくるんだ」
「ナナシ、邪魔になるから待ってましょ」
史狼から預かったベレッタをこわごわつまみあげたエレオノーラが微笑む。
四人の役割分担ははっきり決まっている。
システム侵入と運転・操縦はエレオノーラ、魔法はキエロ。荒事や侵入などは史狼と花鈴の役目であり、史狼は日常的に銃を使っているから、咄嗟の発砲を避けるために銃を置いて行くのだろう。
「おれも行く」
短くそう告げてキエロの手を丁寧に外すと、ナナシは二人を追った。
幸い二人はコンビニの駐車場を出て少し離れた信号へ向かって歩いている。合流はせず、距離をあけたまま史狼へ『後方5m』とインスタントメッセージを送った。
センサーコアを入れていると出来ることの一つに、受け取るかどうかは別として相手のオープンアドレスにインスタントメッセージを送るという機能がある。
店舗が店の前を通る人々へ向けて、割引やクーポンを一方的に送付するなどの利用法が一般的だ。
ちゃんと聞いてはいないが史狼はセンサーコアを入れているはずだし、クローズでもこの距離ならエレオノーラがフォローしてくれる、と思う。
案の定、すぐに返信があった。
『戻れ。足手まといになる前に絞め落とすぞ』
『気づかれないように侵入するだけなら出来ると思う。それにおれの眼はセンサーアイだから、撮影ができる』
センサーアイの利点は視野のものを撮影できることにある。ナナシの場合は虹彩の色も一般的な日本人と同じ茶色で気取られにくい。
何故史狼にあんなメッセージを送ったのか自分でもわからない。
自分というもの自体があやふやで掴みどころがないのに、出来ると思った理由は探してみても見つからなかった。
でも、多分――それこそ、銃を撃つことを覚えてもいなかったのに、反撃しようと身体だけは動いたのだから。
出来る気がすることは出来るのではないだろうか。自分でそれを確かめてみたい。
自分というものの輪郭を、自分で引きたい。
信号を渡っている間に返ってきたのは、前置きなしの指示だった。
『
信号を渡りきって脚をとめ、視界内のアイコンを視線誘導で指定。付近にある通信をチェックするとナンバー一八二二六の閉鎖リンクがあった。
暗号入力画面になると勝手に通信が公開され、エレオノーラの声が聞こえてくる。
『許可が下りてよかったわね。工場の平面図はこれよ』
工場へ向かって歩き出すと、既に前に史狼と花鈴の姿はなかった。視界にうっすらとかぶる形で平面図が展開される。
『関係者に見つからないように中に入れ。俺たちは裏口で騒ぎを起こす』
『カメラの細工は6分後に開始よ。気を付けて』
史狼とエレオノーラの指示に了解と返して、ナナシは歩きだした。
通りに面した南側は弁当を販売している店舗だ。工場の手前で東に折れ、隣接するマンションとの間を抜けて人目につかないよう壁沿いに進んだ。蒸気を吐きだすダクトの横を抜け、輸送用トラックの陰に入って建物全体に視線を走らせる。
二階の窓が一か所開いているようだ。
荷台の壁を足場に身体を押し上げ、人目がないことをぐるりと確認してから荷台の上に上がると、窓の近くに顔を寄せた。
更衣室だ。幸い換気のためか窓は細く開いていて、中には誰もいない。
ナナシは窓枠に手をかけると身体を引きあげ、窓から滑りこんだ。
『侵入確認。お見事ね。一階で夕方搬送用のお弁当やお惣菜を作っているようだから、今の内に事務所のほうへ抜けてちょうだい』
視界内に提示されるルートを確認し、慎重に廊下に顔を出した。足早に薄暗い廊下を抜けて階段の下を覗き込む。下りた先は社員用の出入口、隣が事務所らしい。
『史狼と花鈴が行動開始』
エレオノーラの報告と同時に工場の方から史狼の怒鳴り声が聞こえてきた。
それもかなりキレている、ように聞こえる。あの風貌と態度に怒鳴り声まで揃ったら、さぞかし人を威圧するのには有効なことだろう。
工場内に人のざわめきが広まり、事務所の扉を開けて数人の足音が駆けて行くのが聞こえた。
階段を静かに駆け降りたナナシは無造作に事務所のドアを開けた。
窓はクレセント錠だけ、ドアは鍵があってもシリンダー錠がひとつ、建具の建てつけも悪く、およそ防犯意識が高いとは言えない。今までの施設の状態から見て、電子錠だセンサーだといったものはなさそうだと踏んだからだ。
さすがに監視カメラはあったが、見上げるとエレオノーラの声が聞こえてきた。
『大丈夫よ、そこは制圧済み。誰もいない映像を切り貼りしてあるわ』
それでもいつ誰がくるかわからない。ナナシは室内を調べ始めた。
机にあるのはネットに繋がった端末ばかりで、その中に必要な情報がないことはエレオノーラが確認済みだ。社内グループウェアから外れている端末もない。
搬送車両は5台、それぞれ担当している卸先店舗が違うところまで確認して、ナナシはふと顔をあげた。
発注と出荷状況が一覧になって表示されている、壁に据え付け型のディスプレイを一瞥し、机の上にある紙の受注票と見比べる。
『あの場にいたらしい車のナンバーを教えてくれ』
『読み上げるわよ。札幌42……』
端末で言われたナンバーを入力しながら、ナナシはふとおかしくなった。
花鈴も言っていたが、こんな時代になっても車のナンバープレートが公開型で一連指定番号が八桁のままなのは、犯罪抑止効果を狙ってのことなのだろう。都市の中ではVINシステムが睨みを効かせ、人々の目からすらも情報が入るのだ。
そう考えれば、この会社は危険なことをしている割に随分と自社の安全保障に杜撰だということになる。
『何かわかった?』
『わかった、と思う。二人にもういいと伝えてくれ。おれも出る』
端末の画面に表示された内容と受注票をあるだけ撮影し、ナナシは事務所の扉を慎重に開いた。遠くで騒いでいた声が近づいてきているようだ。足早に社員用の出入口から出て、来る時渡った信号へ向かう。
不思議なほど何の動揺も、感慨もなかった。
たった今、不法侵入をして情報を得て出てきたというのに、人が近づく気配を感じても恐怖は微塵も感じなかった。
それが少し怖い気もするが、それでも自分が何か出来たことに安堵を感じる。
ゆっくりと横断歩道を渡ってコンビニの駐車場へ戻ると、後部座席の窓にキエロが張りついてこちらを見ていた。車に乗ってドアを閉めた途端に怒声が飛び出す。
「突然飛び出していくのは今後厳禁だよ! ボクたちはお互いフォローしあってるんだ、勝手な真似をして二人に何かあったらどうすんのさ!!」
心配していたのは主に史狼と花鈴のことのようだ。苦笑して謝っていると、遅れて二人が車に乗り込んできた。とっちめられているナナシに花鈴が笑顔を向ける。
「何かわかりました?」
「多分。画像データを……あ、通信リンクからおれのコアに侵入すれば吸い上げられるし、その方が早いのか」
エレオノーラを振り返ると、彼女は困ったような顔でポケットからマイクロディスクを取り出した。ナナシの手に押しつける。
「よしてちょうだい、仲間や依頼主の頭に勝手に侵入するような無礼者でも不作法者でもないつもりよ。はい、これにデータを写してくれる?」
ナナシはちょっとぽかんとした。ここでは合理性第一なのかと思っていたのだが、そういうわけでもないようだ。
我に返って耳の後ろにあるスロットカバーを開け、ディスクを挿し込んでデータを落とす。ディスクを受け取ったエレオノーラはデータを携帯端末に表示した。
「やっぱり紙の帳簿があったのね」
「ああ。それで気がついたんだけど、車両の帰着時間を見てくれ」
古い工場ではあったが、管理システムは世間並みのものを使っていた。出発時間と帰着時間も記録されている。大抵は配達の行き帰りで一時間以上かかっていないが、ある注文が入っている時だけ2時間以上かかっているのに気がついた。
『特上弁当 六人前18時 Y』
時間に多少の違いこそあれ、Yという人物からの注文だけがだ。調べた限りではこの半年ほどのことで、帳簿でみるとY宛の配送は全て、同じ輸送車が使われていた。
史狼が嫌なことを思い出したと顔全体に表わしながら吐き捨てる。
「それがあの夜、おまえを運んでいた車だな」
「そうなんだ」
「Yとやらは北海警備で決まりね。例のお弁当の配送もその車指定のようよ。尾行しましょう」
「じゃあそこで何か買っていこうよ。何時になるかわからないしね」
エレオノーラの結論にはキエロがはいはいと手をあげた。
コンビニの前にいるのに何も買わずに行く理由はない。史狼を車に残し、一行は賑わしくコンビニへ入っていった。
車両追跡といえば目標の付近を走行するのが普通だ。追跡対象に悟られては元も子もないが、予想もしない方向へ行かれては対応できない。その点で言えばエレオノーラがいる時点で、追跡していても悟られにくいのがこのチームのメリットだ。
「ちゃんと追いかけられているのかな。全然違う方向に行ってるんだろ?」
つい不安が口をついて出るナナシに、車のUIに接続したままのエレオノーラが気分を害したような口調で合成音を操った。
『失礼ね。VINシステムは当然として、あの車が会社あてに発信しているGPSも並行してチェックしているわ。最終的にはちゃんと目的地に着けますとも』
「あ、いや、すまない。そんなつもりじゃ」
「ナナシさあ、いちいちボクら全員の地雷踏んで歩かなくてもいいんだよ?」
キエロがのんびりとこきおろす。花鈴はナナシを庇うだけの余裕はないらしく、長時間の運転をなんとかこなしていた。成果としては少しは運転に慣れたぐらいか。
この追跡の原因となった会社について、ナナシは気になっていたことがある。業務用の車を他社に貸すなど不用心ではないか。
「ケータリングの人たちは、車を何に使われてるか知らないんだろうか」
『お金を渡されて、『2時間貸せ』って言われている可能性はあるんじゃないかしら』
エレオノーラの予想は尤もで、史狼がそれに補足を入れる。
「知らんとしてもやばいってのはわかってるだろ。金で決まったのか、圧力でもかけられているのか、まあ足がつかないように何か運ぶ手段としてはよくある話だ」
ということは、工作員だったなら自分にとっても常識だったのだろうか。
ナナシは窓の外、暮れなずむ早春の風景へ目をやった。
名浜警備保障の工作員だったとして。
仕事をしていて、炎に焼かれ、撃たれて。バイオウェアまで除かれて。
北海警備が他社の車を使ってどこかへ運ぼうとしていた。どこへ、何のために?
死体の処理なら他社の車を使う必要があるだろうか。
取る物を取ったらどこでも放棄すればいい。誰かが発見して、警察が見つけて、身元を突き止めて会社に連絡が入る……それでいいはずだ。
死体そのものに用があったのだろうか。
頭が痛みはじめて、ナナシは顔をしかめた。
自分は頭痛持ちだったのだろうか。それとも史狼の言っていた、コアが熱暴走したせいで脳にダメージが入っている?
ナナシの思考を遮ったのは、車のUIを通したエレオノーラの警告だった。
『花鈴。次の信号を左に曲がって、すぐの角をもう一度左に入って停めて』
「わかった」
何の疑問も差し挟まずに花鈴が頷いた。史狼がすぐさま銃の準備を始め、キエロも素早く窓の外へ目を走らせる。札幌市の南区にある住宅街を走っているが、5分も走れば山あいに出るような外縁部だ。
シートや車のボディの陰に頭を下げてナナシは声をあげた。
「もしかして襲撃があるのか?」
『ええ。あなたの情報を漏らすと言ったでしょう? それに食いついてきたのよ。暗号通信にしても私に侵入されるって学習したようね』
具体的にはあのケータリング会社から随分離れた場所でナナシがこの車に乗っている映像を、目撃情報として密告サイトにアップしたのである。相手はその情報に金を払い、VINシステムを利用して位置を調べ襲撃をかけてきたわけだ。
「包囲はされてるか」
足元に置いた銃を入れたバッグの中を探りながら史狼が問う。
『まだよ。無線で符丁を決めて四班で私たちを追いこもうとしているわね。一番近い班が私たちに接触するまで2分、二番目の班が4分、三班以降は7分以上』
エレオノーラの説明が終わると同時に、花鈴は彼女の指示の通りに通りを曲がって車を停めた。
最低でも一班四人はいるだろう。普通に考えれば六人。ナナシの追跡に四班も割ける時点でそれなりの規模の会社ということになる。それこそ、北海警備ぐらいの。
アサルトライフルを手にした史狼が唸った。
「一班目を殲滅して二班目を迎撃し突破口を作る。エレオノーラが車を調達したら花鈴は奴らの背後に回りこめ。ナナシ、エレオノーラから離れるな」
ナナシが返事をするより早く、キエロと史狼が通りへ飛び出していった。
車のコネクタを抜いたエレオノーラとナナシに、運転席を下りた花鈴が寄りそって周囲を警戒する。
起き上ったエレオノーラは久しぶりに自分の口でナナシに語りかけた。
「間違いないわ、襲撃してくるのは北海警備の強襲班よ。あなたは北海警備と事を構えてそんな目に遭ったんだわ」
「……わかった。しかし、車を調達って」
「それはまあ、お気の毒だとは思いますがこの辺りから」
花鈴が後ろにある数軒の家を指す。つまり強奪なり詐取なりするわけだ。
言葉を失ったナナシを伴い、見た目だけはかよわい二人の女たちは車の物色を始めたのだった。
急に姿を消した花鈴の運転する車を追って、路地へワゴン車が入ってきた。
路地の先に一人で立つキエロに気付いて減速する。と同時にエンジン部分が炎を噴き上げ、車内にいた者たちがドアを開けて外へまろび出た。
「子供だと思って甘くみたね」
唇の端を吊り上げて笑ったキエロが塀の陰に飛び込み、代わって顔を出した史狼のSG550がボンネットへ駆け寄る男の背中にセミオートで連射を叩きこんだ。
近距離戦向きではない銃だが、命中精度と貫通威力ではマシンガンの比ではない。防弾チョッキに皮下装甲を入れていても貫通している。
「撃て!」
怒声が響き車を盾にした応射が始まる。案の定、制圧を想定した敵の銃はMP5。拳銃と同じ9ミリ弾をばらまくマシンガンだった。塀の陰に身をひっこめた史狼はエンジンの爆発を待った。まもなく轟音が住宅街ののどかな空気を揺るがす。
サングラスの視界の端で時間が無情に減っていく。
この場の戦闘を三分で片づけ、追って到着するもう一班を二分で振り切らないと数で押し切られる。こんな市の外縁部で起きた銃撃戦など、通報があっても到着まで二十分はかかるだろうから警察の介入は当てにならない。
光を灯した指で植え込みの土に記号を――ナナシには理解できなかったが、ルーン文字を書きこんだキエロは小さな声で呟いた。
「汝らの領土、汝らの島。雪深き地に舞う翼ある神へ請う。スリザズ!」
瞼を震わせたと思うとぱちりと目を開いて囁く。
「相手の数は5人。戦闘開始を仲間に無線で連絡してるよ」
塀や近くの路地に弾が連続で着弾している。顔を出させないためだ。仲間の到着を待ってケリを付けるつもりなのは明らかだった。いきなりグレネードを撃ち込まないのは尋問をしたいからだろう。
「よし。出来るだけでいい、合図をしたら奴らに火をつけろ。あとは俺がやる」
唇を噛んだキエロが頷いた。この際詠唱は省略して、威力より発現の速さを優先させるアレンジが必要だ。先ほどの探査系のような儀式を必要とするもの以外の魔法は、対象を目視できないと使えない。
弾幕の切れ目、装弾のタイミングで一瞬顔をだし、見えた二人めがけて魔力を収束させた。
「ケン!」
宙に素早く描かれる鋭角なルーンが輝く。キエロが視野におさめた二人の男の髪や服が燃え上がった。車のエンジンを一気に炎上させた火力は望めなかったが、人を混乱させるには充分だ。けたたましい悲鳴が交錯する。
短い詠唱が終わると同時に史狼に塀の陰へ引っ張り戻されたキエロは、魔力を一気に消費する感覚に身を震わせて息をついた。
明らかに弾幕が薄くなっている。素早く身を乗り出した史狼が、路地に斜めに停まった車の陰から弾丸をばらまく男の胸から肩に四、五発撃ち込んで黙らせた。
しかし相手も黙ってはいない。史狼が撃った男をカバーしていた別の男の弾が史狼の脇腹へ弾を捻じ込む。飛び込むように塀の陰へ戻り、史狼は舌打ちしてシャツをめくった。
幸い皮下装甲のおかげで9ミリ弾は貫通せず、臓器にも中っていない。ポケットから無針注射を取りだしたキエロが史狼の腕に痛みどめの注射をする。
今は痛みに気を取られている暇はない。
この間に火をつけられた男たちが立ち直っているかもしれない。セレクターをフルオートに切り替え、銃身だけ出して牽制の弾をばらまく。
応射は三人分。もう一度魔法を撃とうとするキエロを自身の後ろへ引きずり、史狼は再び銃のセレクターをセミオートに戻した。
残り時間は1分半。これ以上時間はかけられない。
その時、通信をしているらしい男の裏返った声が聞こえてきた。
「矢間主任、現在交戦ちゅ……なんだ、貴様?!」
「花鈴だ、撃たれるよ!」
キエロが植え込みの土に描いたルーンはまだ光っていた。彼女には花鈴の姿が見えている。その声が終わるより早くMP5の発砲音が響いて、史狼は塀の陰から飛び出した。
こちらを警戒する男が一人。もくもくと煙を吐き出す車の向こう、慌てた顔で後方を見ている男が一人。花鈴が彼の目を引きつけているのだろう。
こちらを向いている男に史狼は正面から狙いをつけた。同時に発砲。
史狼の弾は男の胸と咽喉に、男の弾は史狼の左肩と胸に、互いに被弾する。貫通力で上回る史狼のSG550の弾丸で男は吹き飛んで倒れ、史狼は勢いで塀に叩きつけられたが体勢を立て直した。
「ぐおあ?!」
くぐもった悲鳴と共に、車の後ろにいた男がもんどりうって倒れる。花鈴に蹴り倒されたようだ。ふっと短い息をついた花鈴が髪や顔が焼けた男へ襲いかかった。
「はあっ!」
向けられるマシンガンを肘で払って掌底打ちを男の顎に見舞う。
下顎骨が砕ける音がして、男が銃を取り落とすと同時、半身の姿勢からとどめの肘打ちが鳩尾に叩きこまれた。
顔と髪を焼かれて倒れていた男が震える手を落ちたMP5に伸ばす。しかし手が届く前に、史狼に後頭部を殴られて意識を失った。
「史狼、また撃たれたのかい?!」
史狼について走ってきたキエロが顔をしかめて頷く。
「死ぬほどじゃない。車はどこだ」
「おーい!」
史狼の問いに答えるように、花鈴がきた方向からワンボックスカーが走ってきた。運転席の窓からナナシが手を振っている。途端に史狼が眉を吊り上げた。
「なんでおまえが運転席にいる」
護衛対象が顔を出してどうする。怒鳴りかけた史狼は視野のタイムリミットに気がついた。残り二十秒と少し。辺りに目をやると、ついさっき自分とキエロが身を隠していた路地の向こう、炎上する車の向かい側から車が近づいてくるのが見える。
「乗れ!」
史狼の怒鳴り声を聞いたキエロは即座に車の後部ドアを引き開けた。
近づく車から身を乗り出した男たちが発砲を始めて、史狼と花鈴も車へ走る。
後部座席の中央ではエレオノーラが既に横たわっていた。乗り越えてキエロが運転席の後ろへ、史狼が助手席の後ろへ飛び込む。
『出すわよ、掴まって!』
助手席へ花鈴が乗り込むのとほぼ同時、エレオノーラが操る車の合成声と共にワンボックスカーは急発進した。アスファルトにタイヤ痕をつけながら一気にスピードをあげようとする、一瞬。
炎上する車を盾に走り抜ける車の横っ腹へ銃弾がフルオートで着弾する。防弾処理をしていない一般車両では弾を防げない。
「あっ!」
苦鳴をもらす花鈴の左腿から血が噴き出した。反射的に身を起こそうとしたキエロを無理やり伏せさせ、窓を開けた史狼がフルオートでライフルの引鉄をひく。
迫ってくる車のフロントガラスにひびが入り、助手席の男が動かなくなった。それでも追撃しようとした車だったが、路地の入口で炎上する車に阻まれて急ブレーキを踏む。
路地を走り抜けたワンボックスカーは幹線道路へ出て、スピードを上げて市街へ向かって走り続けた。
「挟み撃ちされるところだったんだな」
急加速に急ハンドルの連続で、車内で振り回されながらナナシが呻いた。息をついて窓を閉めた史狼の腕をふりほどき、キエロが前の座席へ身を乗り出す。
「花鈴! 治療するよ、車を停めなよエレオノーラ!」
『まだダメよ。十分ちょうだい、絶対に安全なところで停めるわ』
「でも!」
叫ぶキエロをなだめたのは花鈴だった。
「大丈夫。止血してるから、落ちついて、キエロ」
じわりと冷汗をかきながら笑ってみせる。被弾したところに布を巻き、止血点も圧迫して出血を抑えているようだ。
史狼にもナナシと同じく皮下装甲が入っている。皮下装甲は高速飛来するものに対して反射的に硬化するシステムなので、銃弾に強いが刃物には弱い。対して肉体を魔力で強化している花鈴のようなバレットは、刃物に対しては耐性があるが銃弾には抗しかねた。
そのことを思い出し、ナナシは今更のように頭から血の気が引くのを感じた。
「すまない。そんな怪我を……」
ちょっと驚いた顔になった花鈴が吹きだす。
「ナナシさん、依頼人ですよ? 私たちは護衛なんですからお気になさらず」
「いや気にするよ。するだろ普通」
生身の女の子が撃たれて平然としていられるほど、ナナシは神経が太くはできていなかった。確かに花鈴が言ったとおり、魔力があろうと万能ではない。
「おれも出来ることは手伝うよ。だから怪我をした以上無理はしないでくれ」
「でもあの」
ナナシを落ちつかせようとしている花鈴が助けを求めるように後部座席を見たが、心配げなキエロの横ではエレオノーラは接続中。放熱中のSG550を持ったままの史狼はというと、まさに鬼の形相で激昂していた。
「クッソ頭にきたぞ。こうなったら北海警備が何してやがるのか突き止める。俺たちにぶちこんだ弾の分だけ後悔させてやるからな」
結果として釣りは成功。敵が北海警備であること、相当な戦力を注ぎ込んできていることははっきりした。だがそれはそれ、撃たれたことは別口計上だ。
『当然よ。史狼、無断で悪いけれど貴方のセドリっくんを呼んであるわ。以後の追跡は乗り替えてセドリっくんで行きましょう』
「構わんが、俺の車に妙な名前をつけるな!」
後部座席のドアが史狼の殴打で大きく凹んだ。
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