第7話 探索の始まり


 夢を見ていた。


 いや、夢というよりは記憶、記憶というよりは――記録だ。

 曖昧にぼやけた景色、ざわめきのように聞いた覚えのある言葉が思い出される。

 その風景に目の焦点を合わせようとすると、何故かすべてがぼやけていく。


 班長。そう呼ぶ声を聞いた。

 自分のことではないのに振り向いて、コアにダウンロードしたデータから情報を引き出して相手と話す。そうしなければならない。

 班長。班長。班長。呼ばれるたびに違和感が募る。

 どこかで鏡を覗き込む。

 目の焦点が合わない。はっきり見えなかったがどう思ったかだけは覚えていた。


 ちがう。これは、ちがう。

 『おれ』じゃない。


 視界を灼く閃光と赤い炎。銃声。また銃声。

 腹から突きあげてくるような恐怖にかられ、ナナシは跳ね起きた。


 咽喉がからからに乾いている。ひゅうと咽喉が鳴って、驚いたような顔で花鈴が駆け寄ってきた。カップに入れた水を手渡してくる。

「悪い夢でも見ましたか?」

返事どころではなく一気に水を飲み干して、ナナシは乱れた呼吸を落ちつけた。

まだ心臓が暴れ馬のように跳ねまわっていて声が出ない。

離れた場所で寝袋から半身を起したキエロが、寝ぼけ眼でこちらを見た。

「どしたの。記憶でも戻った?」

「……いや、違う……たぶん」

「たぶんって」

呆れたような声をあげると、彼女はまた寝袋の中に収まって目を閉じた。

 確かに支離滅裂だとは思うが、ナナシは夢で見たものをきちんと説明できる気が全くしなかった。風景だってぼやけているし、何を見ていたかわからないし、思い出そうとしても少しも手掛かりはない。

あの光や銃声は昨日の騒ぎのせいだろうか。

それとも以前、どこか別の場所で起きたことを思い出したのだろうか。

考え込んでいると、ビルの窓際に陣取った史狼が声をかけてきた。

「何を見ても今はただの夢だと思っとけ。記憶なんて曖昧なもんだ」

通りを警戒しているのかこちらを振り返りもしない。

 あくまで夢だ。何か自分らしいものを求めて、手掛かりを欲して、細切れの記憶を並べてしまっているかもしれない。しかも自分ではない自分の記憶、などありうるだろうか。

 首を捻りながら寝袋からもそもそと抜けだす。ナナシが落ちついたのをみて、花鈴はパーテーションの奥へ歩いていった。エレオノーラがモニター画面を覗きこんでいる。どうやらニュースに耳を傾けていたようだった。

「あらあら、これはまたわかりやすいこと」

「昨日のネットカフェ?」

そう聞いては気になって、ナナシもモニターを見に近づいた。

画面には炎上するネットカフェが大写しになっていて思わず目を剥く。

「えっ、これどうなっているんだ?」

催涙ガスこそ撒かれていたが、火など出ていなかったはずだ。

ニュースを読み上げている自動音声によると利用客は全員死亡。身元を証す物を誰も持っておらず、テロの可能性が高いというぐらいで報道は終わった。

「テロって……銃を持ってきたのはあっちじゃないか。店内の監視カメラの映像とかあるはずだろ」

ナナシの問いに、花鈴がきょとんと、エレオノーラが胡乱げな顔をする。キエロに至っては、どこに置いてあったのか銀色のパッケージから出した細長いスナックを齧っていた。

溜息をついたエレオノーラが口を開く。

「カメラ映像には貴方たちも映っているのよ。残しておけるわけがないじゃない」

「……じゃあ」

「店内のカメラ画像も行き帰りのVINのカメラ映像も全部消してきたわ。ネットカフェの入店記録もログイン記録も全部ね」

「利用客を殺害したのも店を焼いたのも、あの時襲ってきた企業の人達ですよ」

さすがに怒った顔の花鈴が唇を噛む。

「あそこは違法接続をするために来ている同業者が多かったから、お互い利用者の顔をしっかり見るような真似をする人もいなかったわ。視覚情報も得られなかったんじゃないかしら」

センサーアイを使っていれば視覚情報はログに残っている。そのデータを吸い上げればナナシや史狼、キエロの顔ぐらいはわかっただろう。

しかし、データはなかった。

センサーアイが入っているような同業者たちは襲撃に際し早々と逃走したのだろう。そして残されていた一般客は店を襲撃した者達がいたことを知っている。

「だからみんな殺されて、店も焼かれた……のか」

この日本で、地方都市とはいえ街角で、いきなり軍隊のようなものがネットカフェを襲って炎上させ、あまつさえ襲撃をテロによるものと隠蔽できている。その事実に愕然とした顔になったナナシを、エレオノーラは気の毒そうな顔で眺めた。

「企業工作員ならお手の物の後始末のはずなのだけどね」

「いや……そんなこと言われても、おれには」

困惑するナナシを視界の端で捉えて、史狼は再び周辺警戒に視線を戻した。

 医者の診立てでは彼の脳の側頭葉にかなりのダメージが入っている。もちろん原因はセンサーコアを強制終了シャットダウンされたせいだ。コアは視覚や聴覚などのセンサーウェアを総括し、センサーを使うソフトの読みこみや運用も管理している。

銃器を扱うセンサーリンクや単純作業の為のワークリンクなどもコアに依存しているため、センサーに頼った操作は勧められないといった所見だった。

側頭葉には記憶を司る海馬がある。それが記憶障害の最大要因と考えられた。

『見慣れない人間だ』

 不意に、聞き覚えのない声があがった。

 素早く窓枠の陰に身を潜めた史狼が通りの隅から隅まで目を走らせるのと並行して、部屋の隅に浮かぶ猫の幻が立ち上がり、背中を丸めて何かをすがめ見ている。

『朝飯をくれる爺さんを殴っている。嫌な奴だ。生き物を殺す武器を持っている』

「えっ、猫が言葉を」

「猫が感じたことを魔法で音声化してるだけだよ。史狼」

にわかに緊張した声音でキエロが史狼を見上げた。

「裏にはいない。包囲じゃないな、聞きこみだろう」

言いながらも、史狼はベレッタをホルダーに突っ込んでサングラスをかけた。望遠機能を使うんだなと考えてから、ナナシははっと我に返る。

聞きこみと言うなら警察ではないのか。ネットカフェで死者が出ている以上、当然警察が調べているはずだ。

「昨日の車の足がついたってことか?」

「ありえなくはないわ。予定より半日早いというだけね」

モニターの電源を落としたエレオノーラが、椅子に身を預けると公衆ワイヤレス通信網からネットにログインした。付近の暗号化された通信を絞り込む。

警察かもしれないと思った途端、ナナシはすぐにも逃げ出したくなっていた。

企業工作員だというのが史狼の予想だが、むしろ彼らのように非合法な側にいる人間なのではないかとすら思う。

「警察だったら困るな……」

「警察なら聞きこみで人を殴ったりはしません。あ、まあ、たまにはありますが。この状況ならあなたを追っている人たちの可能性が高いでしょう」

囁くような声で花鈴がナナシを落ちつかせた。

考えられるのは追手が人を雇って、広範囲に聞き込みをしている状態だ。警察も聞きこみはしているだろうが、一人でするとは考えにくい。

「どっちにしろボコって話を聞きますけど、もう追ってこられないようにするんで安心してください」

「昨日からちらっと思っていたんだけど、君、意外に暴力で片づけるよね」

握りしめた拳を掲げてにこやかに言う花鈴に思わず突っ込むと、スピーカーから合成音でエレオノーラの言葉が流れてきた。

『いたわ。企業の雇った聞きこみ部隊の一人ね。依頼したのは……北海警備?』

聞き込みを行っている男のコアにまで侵入したエレオノーラは、彼の通信ログを覗き見ていた。

男は密告サイトに上がった依頼を引き受けて聞き込みをしているらしい。

昨日足に使ったワンボックスカーのナンバーと写真、乗っていた人間の大体の年恰好が箇条書きになっている。

『どこの下請け企業か知らないけれど、警察より調べが速いはずがないわ』

「つまり警察のシステムに侵入したか、圧力かけたかだね」

世間の常識に対して辛口の結論をキエロが出した。それより早く逃げなくてはならないのではないか。焦るナナシとは対照的に、一行はじっと動かない。

『ねえ史狼。この北海警備とやらがナナシを追っている相手だと仮定したらよ。今の内に仕込んでおきたいわ』

「いつでも相手のシステムに侵入できるように裏口バックドアを作るんです。下準備ですね」

ナナシに目だけで問いかけられた花鈴が応えた。

 この男からの報告を相手も受け取るはずだ。このご時世では、写真を撮っただけで写った範囲の店が出している広告もデータの一部として取りこまれる。そうしたスパムの一つとしてウイルスを紛れ込ませようというのだ。

史狼が唸るような声をあげる。

「しくじるなよ」

『任せてちょうだい。それが仕事よ』

エレオノーラの返事と同時に史狼が窓際から戻ってきた。ロッカーから弾丸のパックの入っていたバッグを取りだして肩から下げる。

「ここは棄てる。キエロ、出る時室内を焼いておけ」

「了解」

「先に行くね」

簡易食料レーションの入ったバッグを肩にかけた花鈴が一階へ下りていった。史狼がすぐ続くのかと思ったら動かない。不審げなナナシの凝視に耐えかね、彼は口を開いた。

「おまえを追っている奴はちんたら調べていたら俺たちの尻に火がつく手合いだ。手っ取り早くおまえを囮にするぞ」

「ちょっと待ってくれ」

「黙れ。企業間抗争ならおまえが所属していた会社はおまえを探しているはずだ。腹かっさばかれて記憶を失うほど働いたんだ、手当金ぐらい出そうなもんだろ」

ナナシは一瞬ぽかんとした。

 そうだ、日本は福祉国家なのだ。仕事中にこんな目に遭ったのならそれなりの補償があって然るべきだ。

誰も自分を探していないなら、自分は誰にとっても見つかったら都合が悪いということ。探しているものがいるなら利害関係にあるものが味方になりうる。

今問題なのは、その敵の正体が定かでない点にある。

「おまえの情報を故意に漏らして、相手の出方を見る」

「わかった……!」

理解はできたが事態は充分に怖い。またいきなり襲撃されるかもしれないのだ。

こんな精神衛生上よろしくない状態は早く解消するに限る。

恐怖を抑えつけて頷いた時、下からくぐもった悲鳴が聞こえてきた。

「ぐおっ?!」

続けざまにサンドバッグが叩かれるような鈍い音が聞こえてきて、静かになった。

椅子にかけてぐったりしていたエレオノーラが不意に起き上がる。

「花鈴が聞きこみの男をのしたわ。今のうちに失礼しましょう」

モニターやキーボードを手早く鞄に詰め始める。

花鈴が先行した理由をナナシはやっと悟った。


 ビルの前に運転手もなしで来たのは、清掃会社のロゴのあるライトバンだった。

キエロが寝袋を導火線にビルの二階スペースを焼き、すぐに火を鎮めてビルを後にする。それだけでもナナシには衝撃だったのだが、花鈴が一階の奥へ巨体の男を引きずっていくのを見た時の驚きは相当なものだった。

「女の子にあんな危ないことをさせるなんて!」

「女が三人いるチームに保護を依頼したのはおまえだ」

長い髪をまとめて帽子の中へ押し込み、清掃会社のスタッフのような顔で運転席に座った史狼が面倒そうに答える。当然ながら実際に車を運転しているのは、後部座席でコネクタを接続したエレオノーラだ。

ナナシが何に驚いているのかわからない花鈴はとりあえず笑顔を浮かべた。

「あの、私なら大丈夫ですよ?」

「だってプロレスラーみたいな奴だったぞ! 荒事は彼の仕事じゃないのか?!」

「格闘なら史狼より私のほうが強いと思いますけど」

「あーハイハイそうだな」

忌々しげな口調の史狼が盛大に舌打ちを響かせる。どこまで本気の会話かわからないが、それよりも気になることがあってナナシは気を取り直した。

「そういえば昨日の車じゃないんだな?」

『昨日の車なら、昨日の日付のうちに中古業者に売り飛ばしたわ』

昨今、都市の外縁部では中古車の需要が高い。『放置車両がある』という位置情報をつけたタレコミだけで、いくばくかの謝礼金が期待できるほどだ。

もちろんこうした非合法活動において使いやすいから、である。

「じゃあこの車はどうしたんだ」

『四区画ぐらい先でビルの清掃をしていた会社の車をお借りしたわ』

あまりの手軽さに目眩すら覚える。頭がついていかずに唖然としていると、エレオノーラが楽しげな声をあげた。

『あら。あの夜市外へ出た軽貨物車だけど、北海警備が契約しているケータリング業者が所有する車のナンバーと一致したわよ』

「ほう。北海警備の出資会社か持ち株会社に、名浜精工の競合社はないか?」

史狼の指示で検索を始めたらしいエレオノーラが沈黙する。

自分についての聞き込みをかけているのが北海警備。どうやら自分を運んでいた車を所有する業者とも関係があるらしい……手掛かりがやっと見つかったのだ。

話が気になったナナシは史狼に問いかけた。

「名浜精工が親会社ってことはないのか?」

「ほぼない。おまえに皮下装甲を入れた会社と敵対する社、つまり現状考えられるのは北海警備がおまえを殺しかけたと見るべきだろう」

その理屈はナナシにもわかった。名浜精工で入れられた皮下装甲のメンテナンスが受けられなかった以上、自分は名浜精工の関連企業に移っていたはずだ。

そこで北海警備と何らかのトラブルがあった――。

『ビンゴよ。名浜精工とは見事に競合関係にある、カーボンナノチューブ筋繊維の開発会社のMEISEKI。ここの警備を北海警備が請け負っているわ』

MEISEKI所有の北海警備の株式は40%。北海警備自身も自社株式を5%所有しており、一見完全な影響力はないように見える。

『ところがMEISEKIの取締役と引退済みの社長がそれぞれ、北海警備の株式を3%ずつ持っているのよ。これは実質子会社だわ』

「繋がったな」

そのやりとりを茫然と聞きながら、ナナシは何か思い出せることはないかと思っていた。聞き覚えぐらいはあるかと思ったのだが、まったく手応えが感じられない。

そう都合よく思い出せはしないということか。

「北海警備……」

口に出してもみたが、実感はわかなかった。


 一行はそれから車を一度替えた。人通りの少ない裏道にライトバンを乗り捨て、史狼と花鈴だけで付近の大型店舗の地下駐車場へ行って運転者のいない車を都合したのだ。今度は使いこまれたファミリータイプで自動運転機能がない。

「それでどうして君が運転するんだ……おれを見つけたのだって、君の練習中だったんだよな? そもそも君どうして教習所で習わないんだ!」

「だって私、国民識別番号ないですから」

「ないってどうして?!」

車持ってないですから、ぐらいの軽さで花鈴に言われたナナシは叫んだ。

国民識別番号はおよそこの国で生まれていれば誰でも持っているはずだ。普通に病院で生まれて役所に出生届を出すだけだ。できないはずがないではないか。

花鈴の返答はあっさりしていた。

「両親がいないので事情は知りませんが、戸籍がないんで私に身分証明は何もないんです。育ててくれた人も行方不明ですし」

さすがに返す言葉を失ったナナシだった。

では彼女は今までどうやって生きてきたのか。社会保障のサービスを受けるにしろ国民識別番号は必要になる。現状、国が国民に保障した全てのサービスを彼女は受けられない。彼女は法的には存在せず、人権が保障されていないのだ。

「そういう事案は……そうか、混乱期の治安の悪かった頃ならありうるか。でも裁判所に申請すれば、確か戸籍も国民識別番号も貰えるはずだ」

「必要ない。黙ってろ」

真顔で喋り始めたナナシの話を面倒そうに遮って、助手席に陣取った史狼がサングラスの音声インターフェースを起動した。

「通話。F。音声のみ接続」

「バックアップは任せてちょうだい」

エレオノーラの言葉に頷いて数秒待つ。

サングラスの視界に赤い丸の中に斜線の入った、停止標識のようなARアイコンがポップアップした。通話先の相手も顔を出す気はないらしい。

『久しぶりだな史狼』

穏やかな男の声が聞こえてくる。彼は史狼がこうした稼業になる以前からの付き合いで、あちらこちらに顔の利く、いわばフィクサーだった。

「まだ生きてるようで結構だ。あんたの見識の世話になりたくてな」

『どの界隈かな。借りがあるからな、役に立てるといいんだが』

「的外れじゃなきゃ名浜精工とMEISEKIの間の話だ」

ふむ、と男が噛みしめるような声を出した。付き合いの長い相手だけに、史狼は求める情報がありそうだと踏んだ。黙って話し始めるのを待つ。

たっぷり十秒ほど間をあけて、男は口を開いた。

『両社は今危うい状況にある。名浜精工の北海道支部で素材開発の責任者をしていた科学者が先週失踪し、今週に入ってMEISEKIは名浜が開発していたと噂の新素材を使った商品のプレゼンを行った』

よくある話だ。大金のかかった開発競争が行われている業界なら尚のこと、迂闊に情報を漏らせば生命を狙われかねない。

科学者は合意の上でMEISEKIへ移籍したのか、拉致されたのだろう。

「名浜精工は抗議でもしてるのか?」

『そんなわかりやすいことはしないよ。だが面子は大いに潰れたからな、血の雨が降るんじゃないかと専らの噂だ』

新素材も技術も、その開発者までも奪われたとなるなら名浜精工は黙っていまい。かけた資金も時間も丸ごと奪われたようなものだ。しかし大手企業なら潤沢な資金を元に保安管理をしている。

「名浜精工は何の対策もしていなかったのか?」

『まさか。関連企業も含めて警備業務をしている優秀な子会社があるからな。いつもならそこが対応して終わりだが、突然代表者が変わったそうだから、それこそ何かあったのだろう』

史狼はナナシをちらりと見た。話の流れで考えられるのは彼がその子会社にいたという可能性だが、しかしどうだ。

今の頭の中身は新卒採用の大学生程度だが、見た目は三十代半ば、何らかの役職についていても不思議はないかもしれない。目を細めて見れば仕事ができそうに見えなくもない、か。

史狼は少し考えて、別のことを聞いてみることにした。

「札幌にMEISEKIの息のかかった随分と物騒な会社があるそうだな」

『ああ、北海警備かな。元々は地銀の警備部門だったが、昨今の業績不振で切り離されたそうだよ。札幌近辺の地理に通じていて、色々荒事に融通も利くらしい』

それでわざわざ子会社も同然の首輪をつけたわけか。これで色々と腑に落ちる。

『そのあたりに関わっているのかね?』

「一応な。ものになるかはわからんが、情報が出たら買うか?」

『いいね。是非。相応の謝礼はしよう』

何か出ればと約束して、史狼は通信を切った。

サングラスをあげるとエレオノーラもコネクタを抜いたところだった。

「追跡はされていないわ。随分誠実な対応だけど、どんなコネなの?」

興味津々といった体でエレオノーラが身を乗り出す。企業間のことに詳しくあの口調なら、通話相手は企業に身を置くもののはずだが、史狼との会話は対等そのものだったからだ。

質問には答えず、史狼は指示だけを返した。

「名浜精工の子会社で警備業務をまとめて引き受けている会社はどこだ。最近代表者が変わったそうだ」

「了解よ、待ってちょうだい。でもこの車、UIが旧型で時間がかかりそうだわ」

エレオノーラが再びコネクタを首に繋いだ。

先ほどまでの花鈴との話そっちのけで史狼の通信に聞き入っていたナナシは、おずおずと史狼に声をかけた。

「何かわかったか?」

史狼は眉間にぎしりとシワを寄せてナナシを見据えた。

具体的なことは何もわかっていない。覚悟しておいたほうがいい点を優先する。

「北海警備は札幌の地理に通じていて荒事も得意と来ているようだ。追跡されたら逃げ切れないと思ったほうがいいな」

「希望が持てそうな情報はないのか?!」

「むしろバイオウェアまで身ぐるみ剥がされた状態で見つかって、何故希望が持てそうだと思うんだろうね」

今まで沈黙を守ってきたキエロが、欠伸をかみころしながらぼそりと呟く。車の移動の間ずっと眠っていた彼女は今も眠そうだった。

ぎこちない手つきでハンドルを切りながら、花鈴がバックミラーをちらりと見る。

「キエロ、もちょっと寝たほうがいいよ。あの広さを力を加減して焼いたんだからかなり疲れたでしょ」

「火勢をコントロールしなくていいんなら平気なんだけどね……」

もごもごと言って再びシートに身を沈める。魔法を使うことでそんなに疲労するとは知らなかったナナシは、まじまじとキエロの寝顔を眺めた。

魔法は万能ではない、という花鈴の言葉が実感を持って思い出される。むしろ自らの力に依らずに人を殺せる、銃を扱う自分たちのほうが理屈に合わなく感じる。

突然助手席で史狼が声をあげた。

「断わっておくがそいつは十八歳未満だぞ」

まさかの方向から釘を刺され、ナナシは力を失ってぐったりシートに崩れ落ちた。

彼の反応にはお構いなしで史狼が振り返りもせずに話を続ける。

「ついでにナナシ、センサーリンクは使うな。銃も、リンクソフトもだ」

「ついでって……いや、どうしてだ?」

気力を振り絞って問い返す。銃まではわかる――厳密には銃を使えた覚えがないのでそれも問題だったが、リンクソフトまでとなると日常生活に支障が出るからだ。リンクソフトはミスを避けたい業務では大抵導入されている。

「センサーコアを強制終了されていた話は医者から聞いたな。熱暴走でおまえの側頭葉にはダメージが入った。記憶障害はそのせいかもしれん」

熱暴走。高い負荷をかけられてコアが発熱するケースがあることはナナシにも知識としてあった。しかし安全装置もあったはずだ。

それも考えれば答えは出た。自分はセンサーウェアもバイオウェアも奪われていたのだ。その手術の間、ハングアップさせられていたということなのだろう。

「コアにこれ以上負担をかけるとどうなるかわからん」

「いやこれ……補償されるかな。会社の都合で入れたバイオウェアなら見舞金ぐらいは出るよな。年金出ないってことはないよな」

「返事も出来ないなら、息もしなくていい身体にしてやるぞ」

こめかみにごつりと銃口が突き付けられた。とっくに安全装置は外れている。

「わかった、わかったよ! だから銃をしまってくれ!!」

叫ぶナナシを乗せた車は、札幌市内へ向かってのんびりと北上していった。


 エレオノーラが調査を終えたのは、花鈴がビルに隣接する広めの駐車場に車を入れて昼食のピザを食べ始めた頃合いだった。ビルの入り口にピザの配達を頼み、さもビルのテナントの注文のような手段を取ったことにナナシが首を傾げる。

「ドライブスルーとかの方が楽じゃないのか?」

「あれは映像残るんでダメなんですよ。強盗対策に車のナンバープレートまでしっかり記録取られちゃうんです」

「どこへ行ってもカメラ、カメラ、カメラ。嘆かわしき監視社会だね」

花鈴がナナシに説明をし、チーズたっぷりのピザを手にしたキエロが厭世的に呟いている最中、エレオノーラがコネクタを引き抜いた。

「ああお腹がすいたわ。私にもちょうだい!」

「バジルのやつね。はい」

「貴女のそういうところ大好きよ!」

歓声をあげたエレオノーラが渡された箱からピザを一切れとって食べ始める。全員かなり空腹だったこともあって、ろくな会話もないまま三十分ほど食事は続いた。

お粥とアルファ米の次がジャンクフードとは胃が受け付けるか心配だったが、ナナシの胃は思ったより受け入れ態勢が万全だったようだ。三切れ目を食べていると、花鈴が自販機で買ってきたお茶でピザを流し込んだエレオノーラがおもむろに切り出した。

「ところでね。最近代表者が変わった名浜系列の警備会社なら見つけたわ」

口の中のものを咽喉に詰まらせかかったナナシが唸る横で、史狼がトッピングが肉しかないピザを貪りながら問い返す。

「どんな具合だ」

「どんなも何も……札幌と近郊にある名浜関連企業の警備を一手に引き受けている会社で、腕利きを揃えているみたいよ。ナナシが所属していたとすると信じ難いのだけど」

失礼すぎる論評に反論したいナナシだったが、正直自分でもそんな気はした。どちらかと言えばそんな物騒なところにいたのかという意味でだが。

 会社の名前は名浜めいひん警備保障けいびほしょうで元代表者の名前は那智なち尋希ひろき。企業間での抗争といえば定番はデータや物品の奪取、ハッキング、破壊工作や要人誘拐だが、那智は名浜関連企業への工作のことごとくを防ぎきっていたという。

「そもそも彼が北海道支部まで来たのだって、名浜が力を入れている素材開発実験場が札幌に作られたからだそうよ」

「ああ、札幌は地価が安くて充分な敷地が取れたからな。市内の飛行場からも近くて利便性が高いし、道警はわりあいどこの企業に対しても公正で……」

車内の視線がナナシに集まった。史狼すら動きを止めて睨むように見つめている。そうなって初めて、ナナシは今自分が喋ったのだと気がついた。

「……あれ。おれ今、何を」

「貴方大丈夫? 悪いのだけど払うものを払ってから壊れてちょうだいね?」

エレオノーラが無慈悲なセリフを心配そうな顔で言いきった。実際、支払いの前に壊れられたら困るという心配ではあるのだろう。

「ええと、そういうわけで。この那智という代表者は複数他社の物騒な渉外担当から狙われていたそうよ。まあ無理もないわね。で、二日前に彼から高上たかがみ真也しんやという人に代表が変わったわけ。那智さんは異動の形跡なし、でも名簿にもなし」

「殺られたな」

史狼の言葉が那智という代表のことを指しているのはナナシにもわかった。

そう考えるのが自然だ。ぞっと身体が総毛立ち、わずかな頭痛を感じながらナナシは話に集中することにした。

「同じように異動の形跡もないのに名簿から消えた人員が6人いるはずなのだけど、ご丁寧に記録を抹消されていて見つからないわ」

「見つからないのに、なんでいたってわかるんだ?」

ちっちっと指を振って、エレオノーラはナナシに得意げな笑顔をみせた。

「そこはそれ、私の腕というやつよ……いえ、正確に言うとね。本当は名浜グループのデータから那智という名前も見つけられなかったのだけど、腕利きであるからには敵対企業に噂が流れるものなの。その情報を拾って来たのよ」

名浜グループの防衛を一手に担う警備保障会社の代表者。敵対する企業や情報を奪いたい企業は当然、彼について調べることになる。所属する企業が名前を削除したところで、彼の名前は業界に残っていた。

逆を言えば、那智の部下である残り6人の手掛かりはゼロということでもある。

「待て。名浜警備保障のここ二週間の業績はどうなっている?」

「それがね、意外なことに今までに近い状況を維持しているのよ」

「それが何か不思議なのか?」

首をひねるナナシを、キエロが心底頭の悪い弟子を見るような目で眺めた。

「考えてみてよナナシ。大企業の警備を担う人物を捕まえたらどうする?」

「どうって、警備を担う? ……あ」

想い至って頭から血の気が引いた。

情報だ。近々の警備情報や移送の予定、建物の警備状況など、知りたいことはたくさんある。那智という人物は貴重な情報源だ。

「てっきり那智さんが拷問を受けるかコアをハッキングされるかで、情報を引き出されると思ったのだけど。そうした形跡がない以上、自決でもしたのでしょうね」

自決という言葉にナナシは身ぶるいした。そこまでしなくてはならないのか。

今度はキエロが首を捻って唸る。

「その那智って人が真っ先に死んだとか?」

「わからないけれど、彼らも対策を考えていたと思うの。みすみす那智さんをやられて警備状況のデータを奪われたら、会社にとって致命的なんですものね」

肩を竦めたエレオノーラは、その他に人事部のデータも盗み見ていた。高上以外にも十名もの異動者がついてきているという。単純に考えれば、相当する人数を失ったということになるだろう。

「……じゃあ、ナナシさんはその……」

「損耗人員の一人とみるべきだな」

言いにくそうな花鈴とは対照的にざっくりと史狼が頷く。冷めかけて伸びなくなったチーズをあぐあぐ噛み切り、キエロがふと首を傾げた。

「ナナシのさっきの発言だけど、史狼はどう見てるんだい?」

気になって振り返ると、史狼が自分の方を見ていてナナシはびくりとした。

もともと彼の目つきの悪さには苦手意識が強い。思わず視線を泳がせると、史狼が口を開いた。

「バイオウェアからすれば事務屋じゃない。さっきのが本来の姿かもしれん」

「謎の記憶喪失、正体は切れ者の工作員とかベタすぎないかな」

「キエロ、それちょっと失礼だよ」

焦ったように花鈴が窘める。

工作員である自分を想像してみようとしても、少しも形にならなかった。自分には工作員にあるべきあらゆるものが欠けていると思う。

 しかしセンサーコアの熱暴走のせいなら? それなら一定期間の記憶が丸ごと失われても不思議はない。それ以前に、何かあった場合にコアの熱暴走自体を自分が設定していたらどうだろう。全ては情報を守るために。

そこまで考えて、ナナシは力なく笑った。

そんな馬鹿な。会社のために自分の記憶や健康まで犠牲にするなど考えられない。痛む頭をさすりながら独り言が口をついて出る。

「……おれがそんな有能な工作員だったとは思えないけど」

「でも会社にとって、ナナシさんが大事な社員であることは変わらないんじゃないんですか? ほら、社員教育するのにもお金がかかるんだって」

花鈴としてはほとんど慰めで口にした言葉だったが、史狼もエレオノーラもその点は否定しなかった。というより、そこが問題だった。

「実際お金は随分かけてあるはずよ。会社も何があったか知りたいでしょうね」

「それはそうだが、覚えていないし」

「治療の術があるかもしれないわよ? 私たちが贔屓にしているドクターは腕はいいけれど、環境と物資に大きな問題を抱えているわ。企業なら充分な手が尽くせるのじゃないかしら」

エレオノーラが優雅にピザを食べ続けながら言葉を重ねる。

車内に落ちた沈黙に不安を感じて、ナナシは一行を見廻した。

「ちょっと待ってくれ。おれを名浜警備保障に連れて行こうっていうのか? それはその……君たちにとっても都合が悪いんじゃないのか」

「どこがだ」

ピザについてきたウェットティッシュで手を拭いた史狼が端的に返してくる。

「だって君たちはその……非合法活動者アウトソーサーなんだろ?」

「そうだけれど、私たち、あなたの会社と事を構えてはいないわよ。あなたを保護して治療もした。感謝されこそすれ、咎められる筋合いはないのではなくて?」

「言っとくけどナナシ、ボクたちは見つけ次第狩られるような立場ではないよ」

史狼が残しておいたサラミと炭火焼の牛と鶏肉の乗ったピザをとりながら、キエロが唇を尖らせた。見かけより食べるのか、既に独りでピザ一枚分は食べている。

「社会的にいないことになっているから、世間で困った人がアシのつかない解決方法を探している時に使いやすい便利装置ってだけだよ。まあ企業人にしてみれば、存在から理解できないだろうけれどね」

淡々とそう言って、キエロは食事を再開した。言葉もなくナナシが俯く。

 こんな子供までがそんな立場で生きなくてはならないことに、忸怩たる想いを感じていた。それは自分が社会的には守られて生きてきたからだろうか。

理解できないだろうと言われれば、知識すらなかった立場では何も言い返せない。

彼らが非道でないことは――時々自分の扱いから考えて疑わしくはなるが――理解しているつもりだ。でなければ自分のような厄介者はそもそも拾わない。なにしろ当初「棄てるか」と言っていた史狼にしてからが、撃たれそうな自分を守ってくれたのだから。

「会社か……誰か、おれのことを知ってるかもしれないよな」

その会社が壊滅したわけではない。元からいた社員で自分のことを見知っている人がいるはずだし、何かの業務中にこんな目に遭ったのなら補償されるはずだ。

「私たちは貴方が会社からの賠償金を出すのでも、あったかわからないけれど貯金を出すのでも構わないの。花鈴とキエロが払った治療費と、手間賃を貰えればね」

「お金の出所には興味ないからね」

エレオノーラとキエロがやれやれといった顔で溜息をつく。実際史狼の弾丸代や調査にかけた費用はもちろんとして、襲撃されたリスクもありそれなりの被害は受けているのだ。なんなら会社から謝礼金を貰ってもいいぐらいだった。

名浜警備保障、と社名を繰り返し呟くナナシへ、史狼がぼそりと呟いた。

「おまえの帰還が、会社にとってリスクかもしれんがな」

不吉なことを告げると、硬直したナナシの反応にはお構いなしで史狼はスライドドアを開けて後部座席から出た。そのまま車の陰で煙草に火をつける。

史狼の言った言葉の意味が、ナナシにはよくわからなかった。

リスク。

会社にとってのリスク、というなら北海警備との確執だろうか。それとも、科学者の失踪を防げなかったという責任問題か。

また痛みはじめた頭をさすって、ナナシは答えの出ない考えに沈んだ。

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