第5話 種という火種
大きく札幌市の外を回りこみ、厚別区外縁の灯りのないビルに着いた時には雨が降り出しはじめていた。
分厚い雨雲のせいで夕方だというのに辺りは暗い。通りの両脇には廃ビルが多く、時折見かける通行人は顔を隠して足早だ。ビル自体も薄汚れてガラスは割れ放題、ナナシからすれば物騒な連中がたむろしていそうだとすら感じた。
「尾行はないわ。行きましょう」
スピーカーからではなく、横たわったエレオノーラが喋った。起き上がりながらうなじのコネクタを掴んでまとめて引き抜く。助手席のドアを開けて花鈴が、スライドドアを引いて史狼が下り、キエロとエレオノーラに挟まれてナナシも路面に降り立った。
「入れ。二階だ」
物騒に見える筆頭の史狼に促され、派手にガラスが割れたスイングドアを開ける。
ガラスの欠片まみれの床の向こうには昇り階段があった。奥には地階テナントの入り口があるが、扉がまっぷたつにへし折れて廊下に転がっている。
「ガラスを片づけたほうが入りやすくないか?」
困惑顔のナナシが振り返ると、続いてきていた花鈴が事情を説明した。
「必要なんです。でもこの分なら人も動物も入っていませんから、どうぞ」
つまりガラスの欠片もへし折れた扉も、侵入者の有無を知るための彼らのセキュリティなのだ。欠片の上を歩けば音もするし、欠片の分布に偏りも出る。一階の奥へ行こうとすれば折れた扉が邪魔だから、位置をずらすか外へ出すだろう。
なるほどと思ったナナシは極力ガラスの少ないところを歩いて階段まで到達した。横をすり抜けて一度上に行った花鈴が箒を持って戻ってくると、靴底からガラスの欠片を払って上へ促す。
階段からはそれなりに掃除されていて、二階に上がると外向きのガラスこそ割れているものの、床や壁は見違えるように綺麗だった。コの字型にパーテーションを組んで、明かりをつけても外から見えないようにしてある。
寝袋や端末、水なども置かれていて、ここがセーフハウスなのだと気がついた。
部屋の隅に屈んで細い人指し指をたて、キエロが小さく何かを呟いている。瞳の光が映ったように指先に光が灯って、ナナシは目を瞠った。
耳鳴りの時のような音がしてコンクリートの床に光が円を描く。と、円の中に一匹の猫の姿が現れた。手足を身体の下にしまったいわゆる箱座りをしている。
「これは、幻なのか?」
「幻であり現実。君たちが忌み嫌う魔法さ。見るのは初めてかな?」
高校就学年齢にすら満たないだろうキエロの悪戯っぽい笑みに、馬鹿にされているような気がしつつも腰が引けた。
魔法使いが魔法という力を行使する原理を、科学は立証できていない。
科学が万能でないことぐらいはわかっている。魔法使いたちが恐らくは望んで力を得たわけではないことも。
しかし何もないところから火を生み、水に触れれば波を呼ぶような存在を『普通』であると受け入れられるほど、人間の社会は未知の存在に好意的でも対処が良心的でもなかった。
キエロがネットカフェで、見えるはずのない廊下にいる襲撃者の位置と武器を見通したことがありありと思い出される。
青ざめたナナシを見上げてふふっと笑ったキエロを窘めたのは花鈴だった。
「もう、わざと怖い人みたいなふりするんだから。……これはビルに近づく人を教えてくれるよう、近くにいる野良猫に見張りを頼んでいるんです。幻はその猫の姿ですから」
「ていうかそんな怯えなくても、『ゴブリン』は人間をとって食いやしないよ」
立ちあがったキエロがパーテーションを回り込み、奥に置いてあった安楽椅子を引き出しながらけらけらと笑う。この火種には自分が火をつけたのだとわかっていても、ナナシは黙っていられなかった。
「待ってくれ。理解できない力を使うことを怖いとは思ったが、君を貶めるつもりはなかった。見慣れないものを怖がるのは悪いことか?」
差別的な表現を謝っていなかったことも思い出したが、胸のうちがささくれだっている。勿論キエロは少しも恐れ入らなかった。
「じゃあ、ボクの魔法に早めに慣れることだね」
不敵な笑みを浮かべて椅子にぽんと腰を下ろす。釈然としないながらもナナシも床に腰をおろし、手近にあったランタンを引き寄せてスイッチを押した。オレンジ色の明かりがぽっと灯る。
二人のやりとりに口を挟まなかった史狼が釘を刺した。
「灯りを外に漏らすなよ」
「わかった」
息をついて、ナナシはネットカフェでのことを思い返してみた。
あの痺れるような感覚を思い出して顔をあげる。
「さっき銃を取ったら痺れたんだが、おれのコアに問題があるんだろうか」
手をさすりながら問いかけると、史狼はちらりと一瞥をくれて壁際のロッカーへ歩み寄った。弾のパッケージを取り出しながら答える。
「
「ああ、なるほど。それで」
考えてみれば当然のセキュリティの話を、どこか茫然と聞いていた。
撃たれると思った瞬間、考えるより早く身体が動いていた。
息の仕方を忘れることがないように、コーヒーを入れる手順を間違えないように、自分の身体は身の危険を感じた時にとるべき対処を覚えている。
あの時銃を取り落とさなかったら、追手を撃っていた。
「おまえは企業工作員で間違いない。それも場数を踏んでる」
ダメ押しのように史狼が呟いた。ここまで証拠が揃えばそうなのだろうなと思ってはいたが、当然実感はわかない。
「おれの皮下装甲の製造番号でひっかかったんだったか?」
安っぽい折りたたみ椅子を広げてかけ、長い髪をヘアゴムで括りながらエレオノーラがナナシに頷いてみせた。
「そうね。企業が社員の福利厚生用に購入したバイオウェア一覧の中にあったわ」
「わお。弾丸の雨が降っても安心して働けるようにかな?」
「隕石が落ちてきても働けるようになんでしょう」
エレオノーラとキエロのジョークがブラックすぎてナナシには少しも笑えなかった。現実に自分が撃たれて生きているからなおさらだ。
「どこの企業だった?」
「MEMSアクチュエータ開発の雄、
「人工筋肉のシェアでは最大手だな。皮下装甲のメーカーはどこだ」
イングラムとベレッタに弾を補充し終えた史狼が、別の折りたたみ椅子にどっかと腰を下ろした。エレオノーラとは逆にまとめていた髪をほどいてざっと頭を掻く。
「
「でも企業にいたらメンテを受けられるはずでしょ? 別のに替えてもらうとか、くっつかないようにできなかったのかな」
奥の給水室でコーヒーを淹れた花鈴が、仲間にカップを配りながら首を捻った。
ありがとうと微笑んで受け取ったエレオノーラが眉をひそめる。
「名浜精工が社員のメンテを怠ったとは思えないわ。メンテを受けられない状況になった、とみるべきね」
企業が社員に渡した機材のメンテナンスを怠れば、社員の心証が悪くなり生産効率も下がる。なにしろただの機材ではない、バイオウェアだ。ナナシが所属していたのが大手企業であればそんな真似はするまい。
花鈴から渡されたコーヒーを一口飲んでから、史狼が唸るような声をあげた。
「子会社か関連会社への異動」
「最有力ね」
「おれが失踪した、とかは入らないのか?」
慌ててナナシが口を挟んだが、エレオノーラは面倒そうな表情を隠しもせずに振り返って人差し指を振ってみせた。
「レアケースを考えるのはコモンケースに正解がない時よ。まずは名浜精工の中途退職者や関連企業への異動者をチェックするわ」
ナナシにはぐうの音も出なかった。
史狼とエレオノーラが元は企業で働いていたのだろうことは薄々わかっている。どちらもどう見ても軍人ではない。何かがあってドロップアウトしたのだろうか。
こんな廃ビルの中で息をひそめるような生活は苦しいだろうに、と思う。
ナナシの視線を胡乱げに跳ね返した史狼がエレオノーラに向き直った。
「VINシステムのデータは持ってこれたのか」
「ええ。史狼はあの晩の車両を探してちょうだい。データを渡すわ」
頷いた史狼がエレオノーラの差し出すコネクタを受け取りながら、椅子の背もたれごしに花鈴を振り返った。
「そいつらに何か食わしておけ。俺たちは作業が終わってからにする」
「うん、わかった」
「今オムライス食べたい気分なんだけどなー」
「生ものはない」
キエロのリクエストを、史狼が仏頂面とか無愛想の見本のような顔で切り捨てる。
セーフハウスに用意してある食料など保存食か配給品がいいところ、それこそお湯か水をかけて戻す程度のものしかないだろう。最悪乾パンだ。
そんな覚悟を固めていると、花鈴がナナシにコーヒーのカップを差し出した。
「ご飯ですけど、お魚の缶詰とか平気ですか?」
「えっ。ああ、大丈夫……たぶん」
言ってから自信がなくなってきた。しかし苦手なら魚と聞いた時点で何か拒否反応じみたものがあるはず、だと思いたい。
エレオノーラはミラーシェードを、史狼はごついゴーグルをかけて調査を始める。
給水室へ戻った花鈴が支度をする音が聞こえてきた。ものの5分ほどで水で戻したアルファ米のパックが三つと、更に対角線で切られたパンがひと山出てくる。
アルファ米の上にさんまの蒲焼が四切れ乗っていて、ちょっとした丼の体だった。
真っ先に差し出されたナナシは戸惑ったが、食べ物の匂いを嗅いだ途端に胃が空腹を訴えて長々と泣き声をあげた。こうなると見栄をはっても仕方ない。
「いただきます」
箸を受け取って口に運ぶと思ったより美味しく感じた。空腹という調味料の偉大さは当然として、久しぶりに食事らしい食事であるせいもあるだろう。治療中の意識のない間は点滴だったし、ここ数日はお粥続きで腹に溜まらない。
ばくばく食べ始めたナナシに安心した花鈴が、ほっと笑顔になった。
「よかった。史狼がお魚好きで、缶詰たくさんあるんです」
「史狼の好きなものはちゃんと覚えてるもんね」
冷やかすキエロの目の前に、保存用のパンを使ったサンドイッチが出される。
「キエロがツナマヨ好きなのも覚えてるよ」
パンの山は一人分にしては多いが、キエロのためのサンドイッチだったらしい。歓声をあげたキエロが一切れ頬張ると、溜息をついた史狼がうなじのコネクタを引き抜いてゴーグルを額にあげた。
蒲焼の乗ったアルファ米のパックを一つとると黙々と食べ始める。
食事中にとは思ったが、ナナシは気になって聞いてみた。
「おれを運んでいた車、わかったか?」
パックから目だけあげた史狼がしばらく米を掻きこむ。蒲焼があと一切れになるまで食べ進めてからやっと口を開いた。
「軽貨物車ってことは、荷物はおまえ一人じゃない」
思わず箸が止まった。
それはどういうことだ。
いや、わかる。
それは多分、炎に巻かれ撃たれたのが自分だけではないということで。
「まさか……」
「暗視装置で見ただけだ、車のナンバーどころか色もわからん。形の似た軽貨物車はあの夜、近い時間に三台が札幌市南区へ入って二台が出ていった。そいつを調べるしかない」
「こっちはもっと難関よ」
まだデータの検索中らしいエレオノーラが椅子に身を預けたまま嘆いた。
「該当者がもう四千人を超えているわ。ナナシは見たところ三十代だから、絞り込めるのはそこだけなのよね」
「それも若づくりの結果でなければだがな」
冷や水を浴びせるような史狼のセリフに、ナナシは思わず眉を寄せた。
そういえばもう、人の外見があてにならなくなったのだ。
それこそ魔法使いが生まれ出すのと時を同じくして、人間の変異種は他にも生まれるようになった。たとえば人間よりも筋肉の発達が弱く、著しく聴覚や神経反射が優れた通称『エルフ』や、逆に全身の骨格や筋肉が著しく発達した『オウガ』。小柄で暗視能力を授かって生まれてくる『ドワーフ』などだ。
他国ではたいへんな騒ぎになり、謂れのない殺人や彼ら変異人種のコミュニティ襲撃などの事件が頻発している。
日本で変異人種がらみの物騒な報道が少ないのは、変異人種として生まれた人々の人権が保障されているからだと……聞いたんだったか。学んだのだったか。
外見を少しいじれば社会に溶け込みやすいエルフなどは、形成手術を受けていることが多いという知識がぼんやりとあった。
「おれ自身も、純正の人間である保証はないんだな……」
食事の手を止めて思わず呟く。
するとミラーシェードを押し上げたエレオノーラが皮肉っぽい声をあげた。
「『純正』ですって?」
闇医者のベッドの上で初めて話した時と同じだ。青い瞳にかすかな怒りを閃かせた彼女は軽く笑って腕を組んだ。
「安心なさい、ドクターの遺伝子診断でわかっているわ。あなたはお望みどおり『純正』の旧人類よ。差別にさらされる
「これが日本の企業人のスタンダードだ。企業は滅多なことでは変異人種を採用しないからな、変異人種を見る経験がほぼない」
即席の丼を食べ終えた史狼が鼻を鳴らしてコーヒーを咽喉に流し込む。
彼の説明どおりではあるが、ナナシは少しも庇われている気がしなかった。
言葉尻を取られているとしか思えない。苛立って折りたたみの椅子を蹴る。
「何故ここまでいちいち噛みつかれなくちゃならないんだ。軽率な発言だったとは思うが、難癖をつけるのはやめてくれないか! おれだって被害者だし怖いんだ! 文句を言う権利はあるだろ!」
言い終えるなり、衝撃が頭を襲って世界が反転した。
床に額をぶつけて初めて、自分が椅子から転げ落ちているのだと気がつく。激痛が追ってきた。こめかみに銃把を叩きつけられたと気がついたのはその時だ。
気がつくと眉間にはベレッタの銃口が押しつけられていた。
「難癖だと?」
声は地を這うように低く、のたうちまわりたいほどの痛みすら一瞬忘れた。
ことさら怒ったふうでもない史狼が、一言一言を区切るように告げる。
「一円たりとも金を払っていないおまえの身元を調べていて、一個小隊に襲われたんだぞ。半分が変異人種のチームに依頼しておいて俺の仲間を雑種扱いとは、随分と立派な御身分だな?」
雷鳴がとどろく。
史狼の指がぎりぎりまで引鉄を引き絞るのが見えた。
「人の好意に縋るだけ縋って、権利とやらをもぎ取る力もないくせに」
ああ、撃たれる。
痛みと混乱で荒い息をつきながらも、ナナシの頭のずっと奥で冷静にそう判断しているところがある。何もわからないまま死ぬのか、とも。
銃身に手がかかったのはその時だった。
「史狼」
花鈴だ。かけた一言だけで制止の意思が読み取れる。困ったような彼女の視線に折れたのか、舌打ちをした史狼は銃の安全装置をかけると元通り懐へしまった。
安心したように息をついて花鈴がナナシに向き直る。
「ナナシさん、たとえば目の前の人が突然銃を出したら、怖いですよね」
史狼の行動を語るような彼女の話のフリに、頭がすぐについていかなかった。
史狼を盗み見てみたが、こちらを見もしていない。
「……怖いよ。工作員だったかもしれないけど、撃たれたら死ぬんだし」
「それって、死という結論は魔法も銃も同じですよね」
どこがと言いかけて、ナナシは口をつぐんだ。
たとえばキエロが炎をぶつけてくるのにしろ。見知らぬ工作員に火炎瓶をぶつけられるにしろ。確かに結果が炎に巻かれることに違いはない。
「魔法って考えたら怖いと思いますけど、キエロがやってるのはエレオノーラが相手の配置を電子的に読むのとか、史狼が火炎放射機使うのと変わりません。ナナシさんが今いるのは、そういう人がたくさんいる世界なんです」
そういう人――魔法使いたちが普通にいる世界。魔法使いに対する偏見や漠然とした恐怖が自分にある時点で、慣れ親しんでいないことは確かだった。
「旧人類だけで構成されている社会なんぞ企業城下町だけだと覚えとけ。そこから追われた変異人種や魔法使いたちは都市の外縁で暮らす。ここらもそうだ」
吐き捨てるような史狼の言葉にひっかかりを覚えた。
「追われて? 日本じゃ人権は保障されているんだし、変異性の疑いがある場合、治療施設に行くはずだろ」
常識だけはからっぽの頭の中に残っている。その常識すら疑わなくてはならなくなるとはナナシは思いたくなかった。
この国は民主国家で、余所の国のように暴動で都市が壊滅したり焼き打ちが起きたりはしないはずだ。国民は権利を持ち、守られているはず、ではないか。
史狼の返答は無慈悲だった。
「戻ってくるのは外見を変えてどうにかなる奴だけだ。魔素活性はほぼ間違いなく戻ってこない。事故や失踪扱いでな。だいたい、変異性の何を治療する気だ」
ずきりとナナシの胸が痛んだ。思わずキエロと花鈴を見る。
若すぎる彼女たちがチームにいること自体、異常だとは思っていた。彼女たちは社会から切り捨てられたのだろうか。
街の中心部で生まれ育ち企業で働くものたちの『平穏』な生活は、彼女たちという社会で異物とみなされた存在を排除して保たれていたのだろうか。
特にキエロは明らかに日本人ではない、しかも魔素活性――そうだ、『
自分を見る目が変わったことに敏感に気付いたキエロが顔をしかめた。
「やめなよ、何も聞きたくない。ボクは何も困ってないからね」
小さな白い手が上がると、威嚇するように小さな炎がぱっと散る。
赤い炎に思わず首をすくめてしまって、ナナシはかっと頬に血が上った。こんな少女の威嚇に反応してしまった恥ずかしさもある。
「でもそんな簡単に……切り替えられないよ。だって魔法なんだろ?」
そうした反応を見慣れているのか、花鈴は首を傾げて直球で問い質した。
「正直不思議なんですけれど、魔法の何が怖いんでしょう?」
「何って」
言葉に詰まる。説明のできないことを相手ができるのは怖いことではないか。
銃のように仕組みのはっきりした現象ではない。原理だってわかっていない。
しどろもどろでなんとか説明しても、花鈴は腑に落ちないようだった。
「それならナナシさん、原理のわからないことは全部怖いんですか?」
「それは……そんなことは、ないけど」
「私からすると、脳をシェルに入れてくっついてるコアで映画も見れる、とかいう方がよくわからないです。でも出来るんだな、で済むことです。魔法がそれで済まない理由がわかりません」
そこで科学技術を引きあいに出されてもと思ったが、ナナシはとりあえず頷いた。確かに機械を身体に入れていない花鈴にすれば、視野に自分の意思で操作できるアイコンがあるなど想像もできないだろう。
「人の目に触れたばかりの技術や現象って、最初はみんな怖がりますよね。でも魔法にだって制限はあるし万能ってわけじゃないんです」
説明しながら、花鈴はいつもの眼鏡を外した。偏光ガラスで隠されていた、淡い緑光を帯びたヘイゼルの瞳がナナシを真っ直ぐ見つめる。
「私は魔法が使えないって言いましたけど、厳密には
バレット。体内の魔力が肉体増強にしか反応しない変則的な魔法使いだ。魔法が使えない魔素活性者の為『成り損ない』などと言われる一方、筋力や瞬発力を強化して圧倒的な身体能力を得る。
体をバイオウェアで増強しているはずの工作員相手に、彼女があれだけ戦えた理由をナナシは理解できた。
「でも魔力で筋力をあげたって弾丸を防げないし、脚力をあげたってずっと車より早く走れるわけじゃない。当然ですよね。キエロの魔法だって無限に出るわけじゃないし、万能でもないんです」
「ちょっと、それ営業妨害だよ」
白い頬を膨らませてむすっとした顔でキエロが横やりを入れる。
そういう反応を見れば、花鈴の言うことも少しわかる気がした。
ジャンキーがフルオートの銃を持っているのに比べたら、まともな魔法使いの方が余程マシだと思う。闇の中から突然出てきて切りつけられるなら、それが工作員でも魔法使いでも恐怖に違いはない。
実際、魔法がどうやって結果を引き起こしているかは解明されていないが、魔素活性でないものに使えないことはわかっている。魔素も検出はできる。
得体の知れない魔物ではない。キエロも花鈴も自分と同じ、万能でも不死身でもない――人間、なのだ。
真顔で考えこみ始めたナナシを見て、花鈴が仲間を振り返る。
「エレオノーラ、心配してくれるのは嬉しいけどね。私もキエロもこういうのは慣れてるし、ナナシさん、きっと悪気はないんだと思うんだ」
「悪気がなければいいってものではなくてよ」
困ったように眉をひそめるエレオノーラにちょっと笑って、今度はキエロへ笑顔を向ける。彼女はそっぽを向いたままだったが、ちらりと目線だけ花梨へ向けた。
「お互いあんまり過敏にならないで、ちょっと落ちつきましょう。ね、キエロもエレオノーラも、気持ちはわかるけどちょっとだけ」
「花鈴が許すのなら、私は多少は加減してあげるわ」
エレオノーラの反応は打てば響くようだった。これで終わりとばかり、置きっぱなしになっていたアルファ米の丼をとって優雅に口に運び始める。
彼女ほどには切り替えが早くないらしいキエロは、素直にも唇を尖らせて花鈴の話を聞いていた。上目遣いで花鈴を見上げてうーっと唸る。
「花鈴には一宿一飯の恩があるし、しょうがないね」
「えっとごめん違うよ? 五宿二十飯だよ?」
結構滞在していたようだ。しかも食事が明らかに三食で済んでない。そういえばさっきも一人で随分な量のサンドイッチを食べていた。
ぼんやり考えていると、キエロの同意をとりつけた花鈴がにこやかにナナシを振り返った。
そうなると少し居心地が悪い。自分にも非があったのは間違いないので、ナナシはばつの悪さから目を泳がせつつ頷いた。
「……すまない。少し頭を冷やすよ」
「だと嬉しいです。協力していきましょう」
今まで通りの柔らかな笑顔を浮かべた花鈴が右手を差し出した。
そう言われればナナシとしてもありがたい。過去を知りたいのは自分の都合で、彼らにしてみれば過去には触れず、働いて金を返して貰えればいいはずなのだ。
首肯して花鈴の握手に応じる。
「でも次に意味もなくケンカ腰になったら、どっちもごっつんしますからね」
悪戯っぽい花鈴の言葉に思わず笑う。
笑ってから気がついた。
バレットの『ごっつん』は多分、自分の知っている『ごっつん』では済まない。
この中にあってもっとも常識的かつ穏やかに見える花鈴だが、今までを見た限り決して平和主義者ではなかった。
そっと目をあげると、笑顔にものすごく、否とは言わせぬ圧迫を感じる。
「ええ、わかっているわよ。花鈴って話の締めが割と暴力よね」
青ざめたナナシの恐怖をあおるように、エレオノーラがのんびりと呟いた。
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