イギリス本土撤退戦

第18話ブリテン島攻防戦

1945年 2月 ブリストル近郊


45年初頭にイギリスへと侵攻してきたドイツ、アメリカ連合軍の猛攻により1月末にロンドンがとうとう陥落した。すでに首都機能はベルファストに臨時政庁がおかれてそこで各種指揮などが行われているそうだ。私たちは侵攻を防ぐべく上空支援や地上軍の支援攻撃などに駆り出される日々ね。


まあ、脱出する人間の大半は技術者とその家族や工員達が多く避難先はカナダなどだそうだ。そして日本からの海軍艦隊も脱出船団の護衛や陸軍、陸戦隊の支援攻撃と大わらわだったりするね。


まあ、遅滞戦闘に徹していた我が軍だったけれど、それでも戦局は芳しくない状態だったわね。そして進水直後の新造艦なども避難船としてリバプールやブリストルのドックで急改造されているわね。で、私たちも局地戦闘機「震電」での迎撃任務に従事していたわね。で、怪我をしていた坂上智代少尉が復帰して地上援護攻撃で多数のトラックやら戦車を血祭りに上げて表彰されたりしていたわね。

海軍では高槻少尉と日高のコンビが敵輸送船や油槽船を多数血祭りにあげてイギリス政府から感謝状をもらったりというニュースがきたりしているわね。

まあ、新聞も相当ページが減り今まで10ページ前後だったのが7ページになり5ページになり今では3ページにまで減ったりするから如何に物資不足が深刻だということの証拠のようね。私たちはパイロットだからまだ良い物を食べているけれどそれでもパンはライ麦主体ならいい方で兵士や庶民は燕麦、フスマが相当混じったライ麦パンやらジャガイモ主体になっているそうね。あと大豆カスの代用肉のシチューだのが献立だそうよ。そこはまあ、航空兵であることに感謝すべきなんだろうね。


まあ、そんな感じで私たちは局地戦闘機「震電」に乗って燃料と整備部品が続く限り出撃に従事したわね。で、いつの間にか個人の累計撃墜数が300機を超えていたそうね。私もそうだけど小隊長も同様みたい。まあ、第二次バトルオブブリテン初期からずっと迎撃していたらそうなるわね。そして5月初頭に最後の脱出船団がイギリスを出港するというお達しがきた。私たちは可能な限り迎撃と上空支援を行い。以後重装甲空母信濃に着艦ないしは不時着し内地に引き上げるというはなしだそうだ。


で、4月末頃とうとう私たちの愛機であった局地戦闘機「震電」のエンジンがやられて飛べなくなった状況に陥ったわね。

まあ、その時整備班長の真田さんと海軍の技術士官だった瓜畑技術大尉にアブロ社の技術者であったジョージビダン達が本来投入されるはずだったジェット戦闘機火龍のスペアエンジンを見つけ、局地戦闘機「震電」のぶっ壊れたレシプロエンジンからジェットエンジンに換装させた局地戦闘機「震電改」がここに誕生した。

そしていよいよイギリスでの最後の戦いの日は近づいていた。




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