第二話



第二話

海原の賢女 パシフィカ



ーーー



彼は実に勤勉で現実主義な少年だった。


身長は平均ほど。少し頼りないかなと思う程度の細い身体。

学校長からは「彼は幼い頃に母親を亡くしているから、扱いは慎重にね」と言われたが、子供らしくない所はあれど全く実に模範的な生徒だった。


この頃の子供と言えばスレているーー所謂反抗期というやつだ。彼にはそれが見られなかった。

何度か家庭訪問にも赴いたが、保護者である祖父母から出てくる言葉は、「とてもいい子」「もっとやんちゃをしてほしいくらい」、だった。



ーー彼の闇に気が付いたのはいつ頃の事だっただろうか。

彼は時に、現実逃避なのか、じっと空を眺めていることがあった。


ある時声をかけたのだ。放課後だった。冗談半分で、「そんなに眺めていても太陽は落ちてこないぞ」と。

彼は随分と集中して見ていたのか、驚いたようにこちらを見つめて、静かに口を開いた。「そうですね、でも時々思うんです。太陽でもなんでもいいから、落ちてきて、あの男を殺してくれないかなって。」


あまりにも泣きそうな顔で言うものだからそれ以上口を開くことが出来ず、その日は窓の外を共に見つめてみた。


彼が中学を卒業する直前、彼の言う〝あの男〟が、彼の父親を指す言葉だと知った。

彼の母親が亡くなった直後に行方不明になってしまったと。


結局、中学三年間で彼の闇を取り払う事はできなかった。


願わくば、なるべく早く、誰かが彼の事を救ってくれる事を。



(中野翼の中学校の担任の日記より一部抜粋)



✱✱✱



「女王パシフィカのご準備ができました。謁見の間までお願い致します。」


鎧というか、甲冑というか、大男が現れたかと思えば、俺の身体は軽々と持ち上げられ、輿のようなものに入れられていた。


ーーシェトラル様を歩かせるわけにはまいりません。


いやそこは歩かせてよと普通ならなるのだが、俺を大人しくさせる要因、通学リュックがそこにはあった。


持ち物検査の直後だった為、残念ながらゲーム機の類は入っていないのだが、


・スマートフォン

・国語、理科、社会(歴史、政治経済)、保健体育の教科書とノート一式

・筆記用具

・ほぼ使われていないメモ帳


「これは、いらないな‥‥?」


過保護な祖父母が持たせていた防犯ベルが入っていた。ちょっと恥ずかしくて家を出ると必ずカバンの奥にしまっていたのだ。

役に立つとは思えないが、とりあえず捨てるわけにもいかないのでとっておくことにする。


メモ帳を取り出し、今までに知ったことをメモしておく事にした。人間は書かないと忘れる生き物だ。だから教師はノートを取らせる。



ーー【知ったこと】


・海洋帝国ナナカ→中立?(ややシェトラルに傾いていると感じられた)。女王はパシフィカさん。魚人と獣人の国らしい。あのドラゴンぽいのから俺を助けたのがこの国


・軍国家シェトラル→本物のシェトラルさんの作った国。戦争中。ナナカとは仲は悪くないのかも?王様はシャハルさん。人間の国らしい。


・魔都エンドラルド→昔は世界を支配していたらしい。前の王様がいなくなって、今はエンドラルドさんが王様。不死の化物らしい。(所謂魔王ポジ?)



かなりざっくりだが、まとめてみるとそんなに複雑でないように思えるのはこの世界が6カ国しか無いせいなのか。

アジアやヨーロッパの政治経済より余程簡単に思えてきた。ーーまぁ、アジアどころか日本ですら俺が政治経済の当事者になった事は無いのだが。


「‥‥おっと、忘れる所だった。」


・ゲラド種→俺をこの世界に連れてきたドラゴンぽい生き物。シェトラルを天から連れてくるらしいけど、多分それは異世界から拉致って来ている。(俺がそうだから)


おそらく誰にでもシェトラルになりうる可能性はあった。

俺がシェトラルになったのはあの日あの駅の南口改札を出て、定期を仕舞おうと立ち止まって、ほんの少しだけ空を見上げたら、目の前のゲラド種と目があってしまっただけ。


あれ?


ーーなぜ、〝俺にだけ〟見えていた?


あの利用者数の多い駅で、あんな巨大な、地球に生息していない(少なくとも都会にはいない)生物がいれば、俺が顔を上げる前に誰かが気付いている筈ではないのか。

いくら今が歩きスマホが横行していて、道行く人の殆どがスマホ片手に歩いていると言えど、あんなのに気付かないなんておかしい。


駅前には待ち合わせのカップルも、大手喫茶店で並んでいる人も、居酒屋のキャッチもいる。


自分がシェトラルであるという可能性は無いのだから、つまり見える人と見えない人がいるということ。

そこまではいい。自分が見える人に分類されたというだけだ。

ーー問題は、


「‥‥判定基準」


見えないということが基準であり、何が要因で見えるに至ったのか。


それを書き出そうと、メモを取る。


「到着致しました。」


ボールペンを取った瞬間、輿が大きく揺れたかと思うと、明らかに他とは違う巨大な扉‥‥‥‥が滝の上に聳え立っていた。


「‥‥泳いで登れと?俺が鯉なら竜になれちゃいますよ?」


「あれは神託の扉と言いまして、開きませんよ。儀式に使われるのです。謁見の間はこちらです。」


ーー滝が割れた。


いや、比喩じゃなく、縦にぱっくりと。




「「シェトラル様、御到着でございます。」」




割れた滝の先に、竜宮城を彷彿とさせるような、

滝の外の西洋風の建築とは違う水の世界が広がっていた。


「よくぞいらっしゃいました、シェトラル様。ナナカ6代目女王、パシフィカと申します。」


顔以外の全身を鱗に覆われた、美しい少女が、そこにいた。


「えと、シェトラルって呼ばれてますけど、一応中野翼です。よろしくお願いします。」


玉座なのだろうか、高台の貝に座っている。

身体には布がかかっているだけで、少しでも動けば見えそうだ。やばい。服を着てください。



少しの沈黙が流れていると、ドタバタと、後ろが騒がしくなった。


「女王パシフィカ!不敬です!玉座から降りられよ!」


これまた、獣の耳を着けた白い髪の青年が駆け込んできた。


「サー・レガルタ!無断で謁見の間に立ち入るとは何事です!」


ロッティがその青年を押さえ込もうとするものの、青年が剣を抜くと後ろに飛び退く。


「弁えよ!いくら女王とは言え、シェトラル様の前に南面するとは何事か!」


君子は南面し臣下は北面す、とはよく聞くが、女王より昔の王様が上とは流石に思わなかった。

サーと呼ばれたあの青年は一体何者なのか。女王に意見するなんて余程だろう。まだ成人そこそこに見えるが。


「レガルタ卿、臣下多き場所で、私が玉座から降りては示しがつかないでしょう。」


「何を。シェトラル様より下になりたくないのだ貴様は。不敬!不敬である!貴様のようなものは国主の器にあらず!」


いやそこはパシフィカさんが正しいと思うぞ、と言いたいのだが、俺が口を出すとまたさらにめんどくさい事になりそうなのでしっかりお口チャックして様子を眺めてみる。


なかなか見た目に迫力のある美人が2人で睨み合っている姿は圧巻だ。美人てそれだけで圧倒されるから世界って不平等だ。


「シェトラル様、あの方はレガルタ。獣人の長で、初代女王の大騎士です。」


ナナカって世襲じゃないのか。


「見ての通り、シェトラル様を大層慕っておりますので、御前でご挨拶遅れておりますことをお許し頂ければ。」


「いや、別にそれは全然いいんですけど、魚人と獣人て仲悪いんですか?めっちゃバチバチしてますけどあの2人。」


周りの兵士っぽい人達も近寄れない程に深刻なレベルで空気が重い。一言で言うと、ヤバイ。

どれくらいヤバイかというと、読書感想文で最優秀賞に選ばれた俺が語彙力を見失うレベルでヤバイ。


「元来そんなに仲は悪くないのですが‥‥去年、魚人から王が選ばれたことがレガルタ卿は気に入らなかったのでしょう。」


騎士職を辞してあのように大暴れです、と語るロッティ。

な、なんて傍迷惑なやつだ。大人しそうな見た目の癖して、中身は中学生レベルか、いや、自分の中学生の時はもう少し大人だった気がする。


「んー‥‥ロッティさん、あのレガルタさん、止めなきゃ話が進まない、かな?」


「ですわ。でもあの様子では、シェトラル様がお声をかけたところで、なかなか‥‥」


防犯ブザーを片手に、輿から飛び降りる。


ーー瞬間的にでもこちらに注目させることが出来れば


インパクトのある事ーー防犯ブザーのような大きくて衝撃のある音が鳴れば、大衆は皆こちらを向く。

ちょっと俺の耳が死ぬかもしれないけど。


「ちょっとだけ話きいてくださーい!!」


一気にピンを引き抜いた。



ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ



「っぬ、くっそ、わかってはいたけど!!」


死ぬほどうるせぇ!!


目の前を見てみれば、パシフィカさんもレガルタさんも、他の兵士の皆さんも一様にこちらを、まるで世界の終わりのように怯えた表情で見つめている。

‥‥‥‥怯えた??


「こ、これはマゲン種の鳴き声‥‥!」


「仲間を呼ぶ時のだ‥‥!」


「大変だ!この城は滅ぶぞ!!」


ーーーえ?


「シェトラル様がお怒りになった‥‥!」


背後からの爆音、これこの世界来てから二回目じゃね、と割と冷静に振り返れば、ライオンぽいのがこちらに走ってきていた。


「うわぁぁぁ!?ライオン!?」


羽根が生えている。

かっこいいのだが、このままじゃ俺食われるんじゃね?ととりあえず自身の持ち物で一番防御力の高いものーーリュックを盾にしてみた。

手作りの防災頭巾くらい心許ない。


ライオンぽいものは身構えた俺の目の前に急停止し、座り込んだ。


「‥‥へ?」


文字通り、ぺたん、と座り込んだのだ。


ぷぎゃー、と、見た目に似合わない甘えたような鳴き声と共に。


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