「私」

 休日。私は泥棒。空き巣に入る。人がいる。家族だ。今日は山登りするようである。山登りに行くまで待とう。私はじっとしていた。


 母(と思しき人物)「今日は山に登るのよ。」


 息子(と思しき人物)「今日は山に登るのだ。」


 父(と思しき人物)「今日は山に登るよ。」


 犬「今日は山に登るワン。」


 母・息子・父(ギョッ)


 皆、ギョッとしました。犬が喋ったのですから。猫ならわかるのです。猫は化けると言葉を話すといいますからね。しかし犬なのです。ギョッとするのも当然でしょう......。一瞬、そう考えました。が、本当にそうでしょうか。普通、飼い犬が喋ったら、キョトン、としないでしょうか。確かに犬が喋ったら不気味です。ですが、突然犬がしゃべったら状況を飲み込むのに時間がかかり、まず、キョトン、とするはずなのです。にも関わらず、この家族は揃って、ギョッ、としたのです。これはおかしいことです。まるで、あらかじめ犬が喋るのを恐れていたかのよう、、、。

 私は恐ろしくなりました。ギョッ、としました。ギョッとしたあまり、尻餅をついてしまったのです。


 ドン


 音が立ちました。


 父「誰かいるぞ。」


 母「大変だ、大変だ。」


 三人と一匹は殺気立ち、一斉に家の中を馳けずり始めました。私はとっさに冷蔵庫の後ろに隠れたのです。三人と一匹が動き回る音が、ガサガサ、ガサガサ、します。私は息を殺しました。それはもう生きた心地がしませんでした。しばらくすると音が止みました。ふと上を見上げます。気配を感じたのです。すると、三人と一匹が冷蔵庫の上から私を覗き込んでいたのです。


「お前は誰だ。」


 父と思しき人物が私に問いました。


「私は、私です。」


 私は必死に答えました。


「よろしい。」


 三人と一匹はにぃっと、三日月のように笑いました。私はなんとも形容しがたい、例えるなら、なめこが空をきっているような感覚に襲われました。息子と思しき人物がすとんと、冷蔵庫から降り、私の元へやってきました。私の腕を掴み、冷蔵庫の裏から引きずり出すのでした。不思議なことに私は抵抗する気が起きず、流しそうめんのように引っ張り出されたのでした。(つまりは抵抗できなかったのかもしれません。)その後私は縛られ、目隠しされ、猿轡をはめられ、父と思しき人物に、担がれてしまったのでした。恐ろしいことであります。しかし、私はこの時妙な安心感を覚えていました。覚えざるを得なかっただけかもしれませんがね。


 父「さあ、山に登ろう。」


 母「山に登るわ。」


 息子「山に登るぜ。」


 犬「山に登る。」


 父・母・息子(ギョッ)


 再びギョッとしました。しかし今回のギョッ、は、ギョッ、で正しいように思います。なぜなら先程既に犬が日本語を喋っているので、彼らは犬が喋る可能性が考慮していたはずなのですから。最も、先程より前に犬がすでに喋っており、先程の時点ですでに考慮されていたのかもしれませんが。


 三人と一匹は山に出発しました。私は棒に吊るされ、豚の丸焼きのようになり、担がれながら登って行きました。恐ろしいことですが私はこのとき、まるで子宮の中にいるかのような安心感を覚えたのでした。私は子宮の中で、精子と卵子が出会ったことによって発生しました。そこで、私は気づいてしまいました。私が発生するまで、私、は私の発生に関与していない、ということにです。私が発生するまで私は発生していないのですから、それは当然のことなのですが、このときの私に、それはとても奇怪なことのように思えました。ふと、先ほどの問いが思い起こされました。私は、先程、「私は私です。」と答えたのでした。しかし、それは本当でしょうか。私は、「私」以外によって発生し、「私」以外の積み重ねによって作られているのでした。私は、「私」に、一切関与していないのです。それは、「私」でしょうか?最早「私」以外こそ「私」なのではないかと、考えるようになりました。私は、「私」が「私」なのかわからなくなりました。なぜ私に乳を与えた母の乳房は「私」ではないのでしょうか。あのとき私を怒鳴りつけた教師はなぜ「私」ではないのでしょうか。今日の朝食べたりんごはなぜ、「私」ではないのでしょうか。私には、「私」と「私」以外を切り離すこと自体、筋違いなことのように思えくるのでした。


 どすんっ


 私は降ろされました。山頂についたようです。私は両手両足を縛られていたので、えびのようにくるんとなり、くるまっていたのでした。三人と一匹はそんな私の前に並び、上から私を覗き込んでいました。息子と思しき人物が私に近づき、猿轡を外しました。私は感謝をしました。


「アリが10匹、ありが10。」


 からかわれたと思ったのか、彼は怒って去って行きました。


「私は誰だい?」


 母と思しき人物が私を見て言いました。そのときの私はもう、「私」がどこまで「私」なのかさっぱりわからなくなってしまっていたので、先程よりとても難しい問いのように思われました。


「わかりません。」


 と、私は答えました。母と思しき人物は困った顔をしました。


「どうしてわからないの。」


 仕方ないので、私は私の考えを述べたのでした。すると、


「へえ、なんかかっこいいね。」


 と、母と思しき人物が言いました。私は褒められたので、自尊心が高まりました。


 母「そんなことよりバーベキューよ。」


 父「バーベキューだね。」


 息子「バーベキューだあ。」


 犬「バーベキューだ。」


 母・父・息子(ギョッ)


 バーベキュー、私の心は踊りました。心ダンス、こっこころ、こっこころ。早速準備です。猪を狩り、木をきります。私はウキウキしました。なんせ泥棒。生活に余裕などありません。バーベキューなど何年振りか見当もつかぬほどでしたから。


 ボボー


 ああ、息子と思しき人物が誤って草に火をつけてしまいました。火はみるみるうちに広がっていきます。山火事です。これは、バーベキューどころではありませんね。私達は急いで山をおりました。もちろん、犬も一緒に。楽しみにしていたのに、私は失望しました。彼も彼以外で出来ています。しかしそんなこと関係ないのです。私は怒ったのです。殴った!


 ドガーン!


 完

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