4


優希が目を覚ましたのは、深夜のことだった。

彼女が寝室の扉を開けた音で、ソファで眠っていた僕の目も覚めた。


優希はのそのそと歩きながら、僕の姿に目を止めた。


「あ、ごめん。起こしちゃった? というか、寝ちゃってごめんね」


そう言う優希の瞼は痛々しい程に腫れていた。

恐らく、少し前から起きて、ひとり泣いていたのだろう。


「いや、大丈夫。おばさんとおじさんにも連絡しておいた。今日はもうここに泊まっていいって」


「……ありがとう。本当、情けないね、私」


その言葉に返事をしない僕に何を思ったのか、優希はからかい交じりにこう言った。


「にしても、悟。寝ている私に何もしなかったでしょうね」


「……っ」


その蠱惑的な笑顔に僕は息を呑んだ。


またしても、僕は返すべき言葉を失う。

先ほどとは少し違った意味において、だが。


「もう、冗談だってば。そんな怖い顔しないでよ」


打って変わって、いつもと同じ明るい笑顔で優希はそう言った。


今度こそ、僕は何とか言葉を紡ぐことが出来た。

優希といると、いつも心臓が悪いような気がしてくるよ。


「……ココア、飲む?」


「うん、ありがとう」


ココアの入ったマグカップを再び優希の前に置くと、彼女は嬉しそうにそれをこくこくと飲み干した。

マグカップをテーブルの上に戻すと、ちょっとだけ意を決したように、彼女は口を開いた。


その凛々しい横顔に、不覚にも僕は見とれていた。


「私ね、ゼミの教授と不倫してるの」


「うん、そんな気はしてたよ」


「あぁ。やっぱ、悟にはばれちゃうか」


「それで、泣いてたんだろう」


「分かってはいたんだけどね。彼が奥さんを優先することも。私が彼の家族にはなれないことも」


彼女の言葉に、僕は再び言葉を詰まらせてしまう。

いいや、そもそも僕が言うべき言葉など何一つなかったのだ。


それ以上、優希が詳しく話すことはなかった。

そのため、具体的に二人の間に何があったのかを、部外者である僕は当然知らなかった。


だからだったのかもしれない。

不意に出た言葉があんなにも陳腐だったのは。


「それなら、優希は僕と結婚したらいいんだよ」


我ながら、その大胆な言葉に驚いた。

そして、言ってから後悔した。


そんな言葉を優希はちっとも望んでいないはずだ。

そう考えた途端、僕は居た堪れなくなった。


優希もまた、僕と同じように僕の言葉に驚いていた。

しかし、そんな彼女の様子に慌てる僕を見て、次第に彼女の頬に笑みが広がっていく。


それから、綺麗な笑顔を見せて優希は言った。


「それも、良いかもしれないね。うん、悟、私と結婚しよう」


ひとり納得したように頷いている優希に、今度は僕の方が驚く番だった。


「え、それって……」


僕の困惑に優希は気付かない。

こうなった彼女はもう誰にも止めることは出来ないのだ。


いつだって、彼女の決意は固いものであったのだから。

そして、幼馴染である僕はそのことを良く知っていた。


こうして、僕と優希の交際は始まった。

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