9-3
「父さんは、魔法使いであることにこだわりすぎた。他の幸せがあることを知らなかったんだ」
「じいちゃん、悪い魔法使いじゃなかったんだな……」
「悪い魔法使いなんて、いないよ。人間が思い描くような悪い魔法使いは、人間が作った物語の中にしかいないんだ。人間の役に立つかどうかが、良し悪しの基準じゃないだろう?」
――そうか、それは人間のエゴだ。
自分達の役に立つから良い魔法使いだなんて決めつけるのは、こっち側の勝手な都合だ。
「僕はたまたまそうしたかっただけ。そうすることに幸せを見つけただけだから」
そう言って、父はぴたりと立ち止まった。
「さぁ、着いたよ。ここが夢の始まりだ。そして、この夢が終わる場所」
ここから始まったのか?
そう言われればそうかもしれないが、何せ特に目印もない森の中だ。
ここだっけ? というのが正直な感想である。
「ここにいれば、後は自然と目が覚めるよ。僕は一足先に戻るね。佳菜子に説明しなくちゃならないから」
そう言うと、父は一歩前へ進み出た。そして、振り返り、俺と向かい合う。
「――え? 父さん先に行っちゃうのかよ」
もうだいぶ明るくなってはいたが、無音の森の中に1人取り残されるのはやっぱり心細い。
いや、これは俺がビビりだからどうとか、そういうレベルじゃないはずだ。誰だって怖いと思う。うん。
「そうだよ。じゃないと、君の1日が、佳菜子の泣き顔で始まるけど、それでも良いかい? ちゃんと説明せずに来てしまったから、たぶん……」
「大荒れ……だな。良いよ、わかった。説明っつーか、フォローよろしく」
髪を振り乱して泣き叫ぶ母の姿は容易に想像出来た。何せ最近それに近いことをさせてしまったのだ。
俺がそう言うと、父は「僕に任せて」と笑った。その笑みのまま、身体が徐々に消えていく。
「なぁ。またいなくなったり、しないよな? 父さん!」
その返事を聞く前に、父の身体は消えてしまった。
しばらく俺は無音の森の中で呆然と立ち尽くしていた。
やがて、チチチチ、という小鳥のさえずりが聞こえてきて、辺りは光に包まれ――……
目が覚めると、自分の部屋だった。
ゆっくり身体を起こす。
いろいろあったはずなのに、身体はすっきりと軽く、疲れも残っていない。若さゆえか、それとも、夢の始まりから戻ったからか。
しかしまだ頭はぼぅっとしてうまく働かない。枕もとの時計を見ると午前10時。昨日は21時には寝たはずだから、さすがに寝すぎたのだろう。
徐々に思考がはっきりしてくると、俺は勢いよくベッドから飛び出した。
――そうだよ! 父さん!
ドアを閉めることも忘れ、階段を駆け下りる。短い距離なのに、息が上がる。鼓動が早い。
リビングのドアの前で一度呼吸を整える。
大きく息を吐き、覚悟を決めた。ドアノブを強く握る。
「父さ……!」
勢いよく開け放ってから、俺は人生最大級に後悔した。
リビングの奥のダイニングでは、母と父が、まるで付き合い始めの恋人同士のようにしっかりと抱き合っていたからだ。幸いなことに、2人の世界に没頭しているのか、俺には気付いていないようである。
――いや、少なくとも母さんの方は、だな。
だって父は横目で俺と視線を合わせ、ぱちりとウィンクをしたのだ。
任せてって、言っただろ?
それはそういう意味に思えた。
さすがにここには割り込めねぇよな。
そう思って、今度はゆっくりとドアを閉める。
何せ16年ぶりだもんな、今日くらいは母さんにサービスしてやらんと。
――あ、でも……!
俺はなるべく足音を立てないように洗面所へ向かうと、洗顔と歯みがきを手早く済ませ、寝癖を直して再び自室へ向かった。
充電器に挿しっぱなしになっていたスマートフォンを手に取り、千鶴に電話をかける。
「――もしもし、俺だけど。なぁ、午後からウチに来ねぇ? 会わせたい人がいるんだけど。もちろん、夕飯も覚悟して来いよ!」
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