9-2

 いつの間にか空も白み始めていた。この夢にも朝はやって来るらしい。

 木々の間から、ささやかな日の光が射す。それは俺達に届き、全身を照らした。


 俺は、父と向かい合って、はっきりとその姿を見た。


 濡れたように光るつややかな黒髪。

 夜空のような濃紺の着流しは、その帯までもが一層深い青である。

 すらりと長身ではあるものの、線の細さからか、威圧感はほとんどない。

 黒髪と着流しの濃紺が、肌の白さを際立てていた。

 涼しげな切れ長の目を見つめる。瞳は色素が薄く、栗色だった。


 この場に千鶴がいたら、持ってかれそうだな。


 父の端正な顔立ちをぼぅっと眺めながら、俺はそんなことを考えた。


 俺があんまりじっと見つめるもんだから、父の方では落ち着かないのだろうか、何だかそわそわし始めた。


「どうしたんだい? 僕の姿、おかしいところあるかな」


 そう言って、着物の袖やら、裾やらを確認している。


 その時、裾がわずかに乱れているのを見つけ、こんなところまで俺が見ているわけがないのに、これのせいか、と納得したように直している。


「――さて。ぼちぼち行こうか。身体に負担がかからないように、ゆっくり歩いて行こう」


 裾を直したことですっきりしたのか、何とも晴れやかな顔で、父は湖に背を向けて、ゆっくりと歩き出した。


「歩いて? どこに?」


 慌てて俺もそれに続く。こんなところに置いていかれたんじゃ敵わない。


「夢の始まった場所だよ。ここを破いても良いんだけど、いま飛び起きたら、きっと身体に負担がかかる」


 そういうものなのか。

 たしかに飛び起きると何か疲れた感じするもんな。

 まぁ、そうはいっても俺の場合、た結果、飛び起きるっていうのが正しいんだけど。


 森の中をさくさくと歩いた。俺は何となく半歩ほど下がって父についていく。


「なぁ、父さん。じいちゃんはどうなったんだ?」 

「父さんは……僕と同化したよ」

「同化? 消えたってこと?」

「消えたんじゃない。僕の身体の一部になったんだ。――ほら、この腕の」


 そう言って、両袖をまくり上げる。

 あの大きな傷痕はきれいになくなっていた。


「じゃあ、父さんの中にじいちゃんがいるのか……?」


 わずかに身体が震えた。あの恐怖を忘れられるわけがなかった。


「大丈夫だよ、祥太朗。父さんはもう出て来ない。僕の腕の一部でしかないから。それに……」


 父は首だけを俺の方へ向けた。

 優しい表情ではあったが、どことなく傷付いてもいるような、愁いを帯びた寂しそうな顔をしている。


「父さんは君が思っているような、恐ろしい魔法使いではないんだよ」

「――え?」

「父さん、つまり君のおじいさんはね、人間について、僕以上に無知だし、物凄くプライドも理想も高いし、素直にもなれない」

「――は? そんな風にはぜんっぜん見えなかったけど!」


 そうだよね、と苦笑した。


「でもね、僕が見つける前に自分から現れたのは、たぶん僕に会いたかったからだろうし、きっと祥太朗のことも抱っこしたかったんだ。それなら人の姿になって来てくれれば良かったんだけど、魔法使いとしてのプライドが邪魔をしたんじゃないかな」


 おいおい、孫を抱っこするのに室内で台風かよ。

 でも、たしかに、その中でもグーグー寝てたみたいだしな、俺。

 一応無傷だったみたいだし。


「適当なところで下ろすはずだったんだろうけど、予想外に僕が怒ったり、負傷したり、親子の縁を切られたりで引っ込みがつかなくなったんだろうね」


 ……じいちゃんって、ツンデレ?

 ――い、いやいやいや! ツンの規模がおかしいって! 第一、デレてもいねぇし!


「でも、きっと君のことが心配で、ずっと近くにはいたと思う。だから、君が魔法使いになりかけていることを知って、うまく使いこなせるようにヒントを出したり……」


 ヒント?


「敬意と……感謝……! あれもじいちゃんだったのか……!」


 夢の中、そして授業中に聞こえた声を思い出した。

 あれは父さんじゃなかったんだ……。


「この夢にしたってそうだよ。君を立派な魔法使いにしたかったんだろうね」

「夢に監禁して特訓かよ! スパルタ過ぎるだろ!」

「たぶん、公園での水柱を見て、期待しすぎちゃったんじゃないかな。たしかにあれは見事だったから」


 見てたのか……。


「じゃあ……、がっかりしただろうな。ぜんぜん出来なかったもんな、俺」


 がっくりと肩を落とす。

 父は俺の背中に手を当て、ふるふると首を振った。背中がじんわりと温かくなっていく。これも魔法か?


「初めての場所であれくらい出来れば上出来だよ。僕はすごいと思った」


 この父、何気にほめ上手である。


 母さんから聞いた感じだと、どうやらお世辞なんてものを言えるようなタイプじゃないみたいだから、なおさら嬉しい。……でもちょっと恥ずかしい、かも。


「夢から出さないっていうのはちょっとやりすぎだと思うけど、きっと、僕に来てほしかったんだと思う」

「父さんに? 何でだよ? ……いや、俺は嬉しかったけどさ」

「君は、良く僕に『早く出て来い』って呼びかけてただろう? だから、可愛い孫のために。ああ言えば、僕は必ず君を助けに来る」


 マジかよ、じいちゃん。そんなことまで考えてくれてたのかよ。


「それにね、きっと父さんは僕のことを心配してた。この腕のことをね」


 そう言って、着物の袖を捲り上げ、左手で右腕をさすった。これまでに擦り傷すら作ったことがないんじゃないかと思ってしまうほど、肌理きめの整った滑らかな肌をしている。


 母さんよりきれいだったりして、と思ってしまったのは、墓場まで持っていく秘密の1つだ。


「僕が自分から飛び込んだとはいえ、我が子を傷つけてしまって後悔しない親はいないよ。だからわざと僕が風になるように仕向けたんだ。僕と同化して、この腕になるために……。本当はね、祥太朗。僕は、君が僕を見つけられなくても、この腕の傷痕が消えたら、君達の前に出て行こうと思ってたんだよ」


 傷痕が消えたら……。

 それってやっぱり、俺達――いや俺を怖がらせないようにってことなんだろう。


 よほどショックだったのだ、愛する我が子に拒絶された、ということが。


 それにしても、16年かかっても消えない傷痕とは……。やっぱり魔法使いの力は凄まじい。


「……俺が怖がるから?」


 おそるおそる確認してみる。どうせここにはすぐに茶化すあの忌々しい母などいないのだ。


「僕は、君に似て『ビビり』らしいから」


 そう言って父さんは困ったような顔をして笑った。


 父には似つかわしくない現代風の表現に、思わず吹き出す。


「良かった、笑ってくれた」


 胸に手を当て、安堵の息を吐く。仕草が妙に色っぽい感じがしてどきりとする。


 ――落ち着け、俺! は俺の父親だ!

 

 そんな息子の心情など露知らず、父は再びぽつりと話し始めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます