8-3
***
午前6時
寝坊する気でいたのに、ついいつもの時間に目が覚めてしまう。佳菜子は二度寝しようと目を瞑ったが、なかなか眠れない。
「どうして休みの日ってこうなのかしら。まぁ、あたしは年がら年中お休みみたいなもんだけどねぇ~、……っとぉ」
大きく伸びをして、ベッドから起きる。
朝食の準備はまだしなくても良いだろうし、もし祥太朗が案外早く起きたとしても、その時はその時だ。
ゆっくりコーヒーでも飲みながらじっくり新聞でも読もう。
階段を降り、玄関の郵便受けを開ける。新聞はもう届いていた。歩きながら、挟まっている広告を抜き取る。広告はリビングのソファの上に無造作に置き、新聞だけを持ってダイニングへ向かう。
食器棚を開けてカップを取り出す。
やかんに水を入れ、コンロの上に置き、火をつける。コーヒー1杯分の水しか入れていないので、すぐに沸くだろう。カップの中にインスタントコーヒーを入れ、食卓に新聞を広げた。
やかんからしゅわしゅわと音が鳴る。佳菜子はピーというあの笛の音が嫌いだ。どうせ火にかけている間はそこから動かないのだし、音が鳴らないように注ぎ口の蓋は開けたままにしている。沸騰すれば音でわかる。
湯を注ぎいれ、軽くかき混ぜる。出来たばかりのコーヒーを持って、佳菜子は食卓に着いた。
さて、あの子は何時に起きてくるかな。
熱いコーヒーをゆっくり啜る。
ここのところ、朝晩はかなり冷えるようになってきた。それなのに、祥太朗は暑がりだから、夜中によく布団を蹴り飛ばしている。
ちゃんとお布団かぶってるかしら。
昨夜の『自発的に起きるまで起こさなくて良いからな』という言葉を思い出す。
じゃあ、起こさなきゃ良いのよね。
佳菜子は、カップと新聞を持って、可愛い息子の寝顔を見に行くことにした。
彼を起こさないようにそぅっとドアを開ける。
珍しく、しっかり布団をかぶって寝ていた。
昨日の夜は結構冷えたし、さすがの暑がりさんでも寒かったのかな。
ふふふと笑って、学習机の上にカップと新聞を置く。いつもはけたたましいアラーム音と共に突撃するので、こんなにぐっすり眠っている顔を見るのはだいぶ久しぶりだ。
ベッドの脇に立って寝顔を観察する。
この子は、自分の寝顔が父親に似ていることなんて知らないんだろうな。
年頃の男の子に向かって言うことではないが、やっぱり自分の息子は可愛い。
寝顔を観賞し、満足した佳菜子は学習机に座った。引き出しをチェックしたい衝動に駆られたが、ぐっとこらえる。ぱらりと新聞を広げ、頬杖をついた。
「いまごろ父親とどんな話をしているのかしら」
どこかで、パキ、というかすかな音が聞こえた。
***
「出られないって、どういうことだよ! 父さん?」
水面から丸く盛り上がってきた父の顔は、ぐにゃぐにゃと動き、形を定めないまま宙に浮かび上がった。
『半人前以下の愚か者め。私はお前の父などではない』
ぐにゃぐにゃとした水の塊はもはや父の顔ではなくなっている。いや、あの顔も本当に父の顔だったかどうかなど、俺にはわからないのだ。
『人間など、すぐに見た目に騙される。せっかくお前の父は、私からお前を守ったのにな』
私から……お前を……守る……?
「――てことは、アンタ、俺のじいちゃんかよ!」
『そうだ、と言いたいところだが、私はお前なぞ孫とは認めん。魔法使いになりかけていると知り、こうして試してみたが、やはり人間の血が邪魔をしたな。お前は半人前以下ですらない』
半人前以下ですらない、ときましたか。
やっぱりあの程度では認められねぇのかよ。
でも、これからもっともっと練習すれば俺だって、きっと……。
『産まれたばかりであれば、適当な女の腹に入れてやろうと思ったのだが、そこまで育ってしまっては仕方ない。せめてもの情けで生かしておいてやる。この、夢の中でな』
「はぁ? マジかよ! 冗談じゃねぇよ!」
俺は水の塊――祖父に向かって叫んだ。
『冗談ではない。もっとも、お前がここで修業を積み、自力で出られるようになるのなら、私は止めないが』
何だよ、そんな方法があんのかよ。
とりあえず、その力さえ身に着ければ出るのは自由らしいということを知り、俺は安堵した。
『愚か者め。満足に水柱も立てられないような奴が何百年かかると思っている』
――なっ何百年?
絶対生きて出られねぇじゃん!
もし仮に俺だけは長く生きられてとしても、母さんも千鶴も皆死んでるじゃん! 浦島太郎かよ!
マジかよ、俺、どうなっちゃうんだよ。
水の塊はふわふわと地面に降り、また先ほどの父の姿になった。
「父さん……?」
「ほら、また騙される。君は僕が『父さんだよ』と言えば、どんな姿でも信じるのかい?」
さっき聞いた父の声だった。
しかし、この声も、父の声とは限らないのだ。
じゃり、じゃり、と足音を立てて、ゆっくりと祖父が近付いて来る。
「騙されるよ……。見たことはなかったけどさ、母さんから聞いてた父さんに似てたから。話し方っつーか、雰囲気とかさ。でも、今日は何か変な感じはあったんだ。父さんならきっと、俺の形を変えろなんて言わない。それにきっと、先生になってあげるなんて言わねぇよ……!」
「ほう、少しは親子の絆なんてものがあったのかな。1つ良いことを教えてあげよう。たしかにこの姿は君の父の姿だよ。声も。話し方も。所作もすべて……」
じゃり、じゃり、じゃり、じゃり……。
俺との距離はだんだんと詰められていく。
「止めろよ、もうその姿でいんの止めろよ! 父さんみたいに話すなよ!」
「では、どんな姿がお望みだ? せっかくお前が怖くないように気を遣ってやったのだぞ? ――そうだ。お前の母親になってやろうか」
さっきまでと口調が変わる。俺の頬に手を触れて、祖父は父の顔でニヤリと笑った。
「止めろって!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます